第258話 裁きの炎

 混乱から最初に立ち直ったのは、意外なことにコンラドゥスであった。非常識な来訪者との関りを持つ中、常識の通用しない事態に慣れていたとも言える。


じい! 迎撃だ、はばめ!!」


 主の指示を受けたステファヌスは、瞬時に我に返ると状況を判断し、大声を張り上げた。


「大盾隊、対害獣用くさび陣! アンテ騎士の意地を示せ!」


 最前線の砦に詰め、日常的に巨獣を相手に戦っていた騎士たちの反応は素早かった。号令一下、即座に大盾を構えた騎士が敵に対して鋭角を向けた楔型の陣形を構築する。

 斜めに大盾を大地に突き立て、盾の内側に取りつけられた杭を引き出し、腰に提げた戦槌せんついで大地に打ち込んで防壁とした。

 大盾の内側を陣地とし、騎士たちは従士から鎖に繋がれた鉄球を受け取ると、勢いよく数回振り回して投じる。

 それらはかつて来訪者達が七面鳥の襲撃に際して作成し、その有効性を示したボーラを改良したものだった。大型害獣の剛力を以てしても破損しないよう、鉄製の鎖とおもりで構成され、騎士団に正式装備として配備されていた。


 投じられたボーラの多くは甲殻に弾かれたり、空を切ったりしていたが、その中の一つがグレゴリウスの折り畳まれた後肢の関節部に絡みついた。

 折り悪く、大きく跳躍しようとしていたグレゴリウスは、爆発的な推進力を生み出す後肢の片方を封じられ、巨体を宙へと打ち出す脚力ゆえに横転して仰向けに転がる。

 グレゴリウスはその巨躯と極度に肥大化した腹部ゆえに、一度ひっくり返ってしまえば復帰するのは容易ではなかった。混乱に陥っていた周辺の騎士たちも、これを好機と見るや手に手に武器を取って巨蟲へと殺到した。

 それは正に地に落ちた甲虫に群がる蟻の軍勢といった光景であった。巨体をよじり、巨大な大顎を大地に突き立てて起き上がろうとするグレゴリウスと、それを阻止せんと奮闘する人類の死闘が繰り広げられる。

 グレゴリウスが巨体を動かすたびに、周辺の騎士が跳ね飛ばされるが、それでも騎士たちは果敢に巨蟲へと挑みかかっていた。


 混乱から立ち直ったのは、騎士たちだけではなかった。宮廷魔術師たちも我に返ると、輜重しちょう隊に命じて祭壇を設置させ、乱暴にたきぎを突っ込むと火口ほぐちで点火した。

 即座に術者達の詠唱が始まり、祭壇の周囲に風が渦巻いた。次々と重ねられる魔術詠唱に応じて、祭壇は轟々と炎を噴き上げる炉へと変貌していく。

 炎渦巻く祭壇へ水を頭から被った従士が近づき、手にしていたいくつもの鉄片を放り込んだ。黒く煤けたような色をしていた鉄片が、炎に抱かれて赤熱し、灼熱の輝きを帯び始めた。


 魔術の祖たる『魔術師マグス』曰く、魔術とは万物を変化させる力である。自由度が高く、汎用性に富み、容易く制御できる反面、大きな事象を引き起こすのは難しい。

 しかし、物理的事象の初動を補助してやりさえすれば、少ない魔力でも魔獣すらき尽くす大魔術を放つことが可能となる。

 何もない状態から火を起こすのは難しいが、既に燃えている炎に対しては風を送ったり、燃料を供給したりすることで火勢を操ることが容易なのと同じ理屈だ。

 尤も、宮廷魔術師たち一人一人の才能は、祖たる『魔術師』に遠く及ばない。しかし、物が燃えるという事象を解析し、順序立てて再構築し、多くの術者が制御を分担することで、一人では為し得ない『儀式リトアリル魔術マギア』へと昇華させていた。


「「「裁きの炎イグニス・デ・カエロ」」」


 宮廷魔術師たちが結びの句を唱えると、溶解し赤熱した鉄が炎を纏った槍状となり、グレゴリウスの巨体目掛けて凄まじい勢いで射出される。

 燃え盛る流星と化した輝く槍は、地上の騎士たちを避けて高い位置にあったグレゴリウスの後肢に命中した。人間で言うところの大腿部に突き刺さった槍は、その質量と速度で甲殻を穿うがち、たたえた熱量を以て炎を噴き上げた。

 タンパク質が焦げる悪臭が漂い始め、炎がグレゴリウスの腹部へと燃え移る寸前。


 バツン!


 破断音を響かせて、グレゴリウスの後肢が根本から爆ぜ飛んだ。燃え盛る柱と化した後肢は、地上の騎士へと襲い掛かるが、儀式魔術の発動と同時に距離をとっていた騎士たちに損害はなかった。

 しかし、グレゴリウスの変化はそれだけに留まらなかった。頭部と比較して巨大すぎる腹部が収縮し、ビシリと音を立てて何かが割れる。

 その大質量故に大地に潜り込んでいた甲殻が開き、グレゴリウスの巨体を宙へと跳ね上げた。あろうことか、グレゴリウスはアフリカゾウに倍する巨体でありながら、前羽を開いて地面を叩き、その反動で空へと逃れたのだ。

 跳ねた勢いのまま宙で反転したグレゴリウスは、呆然と空を見上げる騎士たち目掛けて、再び重力に引かれるまま落下した。

 僅か数瞬の停滞が生死を分けた。武器を放り捨て、咄嗟に大地へと身を投げることのできた騎士は生を拾う。巨蟲の影から脱することが叶わなかった者は、断末魔を上げることすら出来なかった。


「くくく、なかなかどうしてやるではないか。王都の腑抜けとは異なり、研鑽を重ねた騎士や魔術師は侮れぬな」


 ギチギチと大顎をきしませながら、グレゴリウスが聞き取りづらい人語を放つ。


「貴様達の奮闘に敬意を表し、こちらも本気で相手をしてやろう!」


 そう叫んだグレゴリウスは、哄笑を上げつつ姿を変容させた。見上げる程であった巨体が見る見る縮み、漆黒の甲殻が銀へと変わると、表面が金属の光沢を帯びる。

 根本より欠損していた右後肢も生え揃い、腹部の背甲が割れて虹色に輝く翅が広がると、未だにホッキョクグマほどもある巨体を空へと舞い上がらせた。

 不条理なことに羽ばたきもせず、空中の一点で静止するグレゴリウスに対して、地上から二条の火箭かせんが迫る。先ほどと同様の儀式魔術による狙撃だが、グレゴリウスは回避すらせず真正面から受け止めた。

 狙い過たずグレゴリウスの頭部を直撃した炎の槍は、次の瞬間磨き上げられた鏡のような甲殻表面を後方へと逸れた。もう一条の槍は、グレゴリウスの大顎に弾かれ、遥か後方の大地へと落下していく。


「軍用の儀式魔術とはこの程度のものか? ならば、我が神より授かった奇跡を貴様らにも見せてやろう! これこそが真の『裁きの炎』だ!」


 グレゴリウスの背から伸びる虹色の翅が広がり、周囲に燐光が煌めき始めた。と、同時に辺り一帯を恐るべき密度の魔力の奔流が渦巻く。

 高密度の魔力は翅を通してグレゴリウスに流れ込み、体内で収斂しゅうれんされ一対の大顎の間に収束した。大顎の先端で放電現象が発生し、のたうつ電光の蛇が絡まり合う。

 雷光の蛇は青白く輝く球体へと変化し、見る見る間に巨大なプラズマ球へと成長すると、グレゴリウスが絶叫と共に解き放った。


「天に唾する愚者どもよ! これが聖書にある悪徳の都、ソドムとゴモラを滅ぼした神の火だ!」


 高みより放たれた雷球は、宮廷魔術師たちと祭壇を直撃し、瞬時に蒸発させた。地面に激突したプラズマ球は閃光と共にそのエネルギーを開放し、熱され膨張した大気が周辺を巻き込んで炸裂した。

 鉄をも溶かす熱波は暴風となって周辺を蹂躙し、あらゆるものを焼き尽くしながら薙ぎ払った。衝撃が収まった後、大地の姿は一変していた。

 すり鉢状に穿たれた爆心地は、あまりの高温高圧によりガラス質へと変化している。周辺一帯が高熱を帯びた爆風で薙ぎ払われたため、ぽっかりと空白地帯が出来上がっていた。

 見上げる程の高さを誇った城壁は崩落し、基部の辺りに爆風で吹き飛ばされた残骸がうず高く積り、焦げた表面を晒している。

 上空のグレゴリウスは、たった一度の攻撃で精鋭を集めた討伐軍を壊滅させられたことに満足すると、領主の館方面へと飛び去った。


 動くものの絶えた地上に変化が起きた。大地に突き立ったまま、飴のように溶けながら雫を垂らす大盾の影、数人の騎士が折り重なるようにして息絶えている。

 咄嗟に馬を引き倒して防壁としたのだろう、それでもなお回り込んだ熱風に焼かれくすぶる屍の山が崩れた。山を構成していた騎士の死体が転がり、黒く炭化した四肢が崩れる。

 屍の山の中央から這い出してきたのは、重度の熱傷を負ったステファヌスであった。露出していた腕の被害は凄まじく、ケロイド状に膨れ上がった皮膚で指が癒着し、一本の棒と化していた。

 そんな状態にも関わらず、彼は革のマントに包まれた何かを抱きかかえていた。彼は激痛に耐えながら、上手く動かない腕を操り、マントを捲って中身を確認する。

 そこには気を失ってはいるものの、常と変わらないコンラドゥスのが姿があった。

 グレゴリウスの攻撃を察知したアンテ騎士たちは、大盾の陰に潜り込み、馬や自らの体をも防壁として、主君を守り抜いたのだ。


「若様、あんただけは死なせやしません! あんたにはここで起こった事を伝えて貰わなけりゃならない。命を賭して主を守った騎士たちの忠誠に応えて貰わねばならない」


 ステファヌスはそう呟くと、コンラドゥスに再びマントを被せ、崩れた城壁へと歩み始めた。

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