第257話 遭遇戦

 時は少し遡り、背教者フレデリクスが最後通牒を突き付けた後、諸侯の代表を集めて軍議が執り行われた。

 当初の計画では北方域アエスタース公爵領に立て籠もる大逆人を討伐する。その遠征を見込んで軍が編成されていた。

 当然相手はアエスタース公爵領の兵士と見込んでおり、フレデリクスのような魔物を想定していなかった。


 敵の戦闘能力が未知数という状況に於いて、大軍を投入するのは愚策である。

 そこで新たに編成されたのが、選抜された精鋭からなる騎兵・重装歩兵混成の直接打撃部隊と、長射程を誇る長弓部隊、攻撃間隔が長いが大火力を実現する宮廷魔術師隊、及びそれらを支える輜重しちょう部隊からなる軍団であった。


 閲兵場に居並ぶ軍勢を前にして、総指揮官たるアルベルトゥス大公が演台へと立った。

 加齢による衰えを窺わせぬ偉丈夫は、その体躯に見合った大音声で呼びかけた。


「よくぞ集まった、精強なる勇士達よ! 此度こたびの遠征は聖戦などではない! この地に住まう人々の庇護者にして、『神樹』の守り手である王家に弓を引いた愚者へと振り下ろされる鉄槌である! 先遣隊が持ち帰った情報によれば、邪悪なる企てを知らぬ無辜むこの領民は、領主であるアエスタース公ヒエロニムス宰相ともども死に絶えたそうだ。大恩ある公爵はもとより、守護すべき領民すらを虐殺するなど、人の所業ではありえない。実際に相対した背教者フレデリクスは、既に人の姿を留めていなかった。魔へと堕した背教者フレデリクス及び、大逆人グレゴリウスは、我ら人類に対する敵対者となった! 今こそ悪辣なるものを誅するとき、邪悪なるものへ正義を示せ! 全軍抜刀グラディウム! 行軍マーチ!」


 閲兵場に大地を揺るがす程の怒号が満ちた。整列した兵士たちが手にした槍の石突で大地を叩き、足で大地を踏み鳴らして進軍を開始する。

 恐ろしく練度の高い一糸乱れぬ行軍が、セプテントリオナリス要塞から吐き出されていった。壇上から兵を見送るアルベルトゥス大公の目には悲哀があった。

 勇壮な檄を飛ばしはしたが、この遠征が成功したところで得るものは少ない。四千人もの領民を右から左へと調達できるわけもなし、彼らが命懸けで取り戻す領地は、十中八九無人の荒野となり果てる。

 それでも背教者フレデリクスをその目で見た諸侯たちは決断した。どれほどの犠牲を出そうとも、今叩いておかなければならない。

 奴らは根本的に人類とは相容れぬ存在であると、その場に居合わせた全員が確信するに足るものであった。奴らとの共存はありえない。どちらかが死に絶えるまで続く絶滅戦争の戦端が開かれた。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 セプテントリオナリス要塞を出発した討伐軍は、重量物を運搬する輜重部隊に行軍速度を合わせるため、ゆっくりとしたペースで街道を進んでいた。

 討伐軍の後方に配されたアンテ伯騎士隊を率いるコンラドゥスは、騎乗したまま晴れ渡る天を仰いだ。討伐軍は先遣隊を逐次派遣しながら着実に歩んでいた。

 当初警戒されていた襲撃などもなく、間もなくアエスタース公爵領の領都へと差し掛かろうとしていた。事前に知らされてはいたが、道中に訪れた村々からは生活の痕跡をそのままに、領民のみが消えていた。

 未だに姿を見せぬ敵の存在が、コンラドゥスの胸に不安となってし掛かっていた。初陣でこそないものの、コンラドゥスにとって大きな戦役など未経験であり、勇名を馳せたアンテ騎士の名を汚しはしないかと気が気ではなかった。


「若様、人間様が落ち着いてないと乗馬も怯えます。騎士団の皆様方も若様の指揮に多くは求めちゃおりません。どっしり構えて状況を判断し、『進め』と『退け』だけ指示できりゃ上等です。若様の身は、このじいめが命を賭してでも守り抜きますので、ご安心下され」


 コンラドゥスの足元から低く野太い声が掛けられた。声の主はコンラドゥスの従士であり、幼い頃より世話役を務めてくれている男であった。

 一応は貴族に数えられるものの、母親の身分が低く妾腹の子であるため騎士を継げないでいた。勇壮さが尊ばれるアンテ伯領において、武勇の才を持たぬ日陰者とされたコンラドゥスの世話役とされたのも、それ故であったのだろう。


「ありがとう、ステファヌス。そうだね、僕みたいな武官もどきが上手くやろうなんて思うのが間違いだった。野戦の経験なんてないから、判断に迷ったら力を貸してくれるかい?」


「お任せください、若様。私も騎士団では最古参、従軍経験だけなら誰にも引けを取りません。若様はどんと構えておいて下され」


 古強者の老兵はそう言って太い笑みを浮かべて見せた。かつての日陰者であったコンラドゥスは、伯爵から後継者に指名され、日の光の下へと連れ出された。

 本来ならば二人の関係性は、この時点で途絶えるはずだった。しかし、コンラドゥスは最も信頼を寄せる副官として、ステファヌスを取り立て、直属の従士とした。

 かつて筆頭騎士だったマラキアの従士がコンラドゥスであったように、筆頭騎士の従士というのは政治的に重要な位置を占める。

 この人事に異を唱える者も多かったのだが、コンラドゥスは個人の我儘わがままとして押し通した。そういった経緯もあって、二人の信頼関係は身分の差を超えた強固なものとなった。


 王都で来訪者たちと別れる前に、出兵の要請が届いていたため、ステファヌスを連れて挨拶に赴いた際、彼らの中でシュウだけが異様に驚いていた。

 なんでもステファヌスの名前は、来訪者が操る英語ではスティーブンとなり、更にスペインという国の言葉ではセバスチャンと変化する。

 シュウの故郷ではセバスチャンとは特別な意味を持つ名前であり、温厚篤実にして有能な執事に授けられる名前なのだそうだ。

 コンラドゥスがステファヌスに退役後は伯爵家で執事をしてみるかと訊ねると、酷く狼狽しながら辞退していたが、打診されたこと自体は満更でもなさそうそうだったのが印象的だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 悲劇は討伐軍全体が石壁に囲まれたアエスタース公爵領都へと踏み込んだ時に始まった。

 凄まじい轟音と共に討伐軍を飲み込んだ城壁が崩れ落ちた。そして探すまでもなく、その破壊を生み出した元凶は、瓦礫の山と化した元城門の上からこちらを睥睨へいげいしていた。

 その姿は巨大な甲虫に見えた。艶めく漆黒の甲殻に覆われた巨体は、城壁の高さの半分ほどにも達していた。大鎌のように湾曲した巨大な一対の大顎をそなえ、自身の前兆にも匹敵する長大な触覚が揺れる。

 全体的にシャープな印象の頭部と胸部に比べて、異様に肥大化した腹部が全体の印象をアンバランスなものとしていた。

 恐るべき巨蟲は、全員の視線を引き付けておきながら突如として掻き消えた。


 次の瞬間、いくつものことが同時に起こった。立っていられない程の激震が走り、断末魔の悲鳴が響き渡る。爆ぜた大地が無数の石つぶてとなって周囲を襲い、視界を覆いつくす土煙が立ち込めた。

 煙が晴れた時、討伐軍の兵士たちの目に飛び込んできたのは、えぐれた大地の中央で身を起こす巨蟲の姿だった。なんのことはない、巨蟲はその凄まじい脚力を以て、瓦礫の山からここへ飛び込んだに過ぎない。

 たったそれだけで、これだけの大惨事を引き起こして見せた。それはおおよそ戦闘と呼べるものではなかった。虐殺ですらない、無差別の破壊だけが存在していた。

 周辺の人間を挽肉に変えた巨蟲は、ギチギチと関節を鳴らしながら身を起こし、くぐもった不快に濁った声で話しかけてきた。


「遠路はるばるようこそ参った。かつての同胞のよしみとして、貴様ら地を這う愚かな猿どもに、等しく滅びをくれてやろう」


 金属同士を擦り合わせるような不快な音交じりの哄笑が響く。そして騎士の一人が大声を張り上げて、巨蟲の頭部を指さした。

 皆の視線が一点に集中し、巨蟲が持つ触覚の付け根に大逆人の顔を見出した。騎士の誰かが叫んだ。


「大逆人グレゴリウス……」


 その返礼は激烈であった。音速を超えて振るわれる死の瀑布、長大な触覚を叩きつけられた騎士は文字通り爆散した。


「歯向かわぬなら慈悲を与えるという温情を無視し、身の程知らずにも私を殺せると思いあがったのであろう? さあ、その矮小な身で私に一矢報いてみよ!」


 グレゴリウスの一声と共に、巨大生物と討伐軍の絶望的な戦闘が幕を開けた。

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