第256話 月に叢雲、花に風

「ヘイ! くつろいでいるところを悪いが、良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」


 食後に姿を消していたドクが戻ってくると、唐突に皆を見回して声をかけた。映画なんかでよく聞く定番のセリフだが、実際に言う奴がいるとは思わなかった。


「リスクマネジメントに関わるからな、悪いニュースから聞こう」


 アベルが全員を代表して応えた。するとドクは背後に回していた手から、布に包まれた何かをテーブルに置いた。

 メガネ拭き用のマイクロファイバーを思わせる布の上に鎮座しているのは、真っ二つに割れた濁った水晶玉だった。


「こいつ『共振球レゾナント・スフィア』が割れた。暫く様子を見守ったが、色が抜ける気配もない。まず間違いなく大陸で厄介ごとが起きている」


 ドクの言う『共振球』は、『龍珠』と『神龍珠』とを研究する過程で造り出された副産物である。純粋魔力結晶の中心部分を球状に削り出し、2つを同一人物が魔力で満たす事によりペアリングをすると、互いに共鳴するようになる。

 片方を割れば、どれだけ距離が離れていようと、もう片方もリンクして割れるのだ。それだけだと誤って割った際に、間違ったシグナルとして伝わってしまうため、誤操作の場合は魔力を排出して色抜きを行う手筈になっていた。

 純粋魔力結晶は相応に値の張るものであり、それを削り出して使う『共振球』も漏れなく高価である。とある事情から、神域の島には大量に存在する魔力結晶だが、大陸には殆ど存在しないため貴族でもおいそれとは手が出ない価格となる。

 今回チーム全員が神域の島に戻るに際して、万が一の為にとペアリング済の片方をアンテ伯に託し、もう1セットは王家が買い上げた。

 そして割れたのは、アンテ伯に託した物である。緊急の場合のみに割るよう伝えてあるため、良くないことが起こっている可能性が高いと言えた。


「緊急事態が発生したか、もしくは貴重品が破損しても構う余裕がない状態にあるということか。最悪な状況だな、それで良いニュースはなんだ?」


「ああ。さっきから歯に挟まってたビーフジャーキーが取れた」


「HAHAHA! そいつはご機嫌だ!」


 アベルが豪快に声に出して笑って見せるが、目はちっとも笑っていない。だが、ドクの場違いなジョークでも多少場は和んだようで、30分後にミーティングをすることを告げ、皆が撤収準備に掛かった。

 上機嫌で酒を飲んでいた面々は、今や渋面になりつつ撤収作業に掛かっている。その原因は、体内に残存するアルコールを強制的に分解する薬剤『正気の運び手Sanity Bringer』を注射されたためだ。

 この薬剤は体内のアルコールを強制的に脱水・分解し炭酸ガスと水へと変えてしまう。これだけ聞くと素晴らしい薬剤に思えるが、服薬者に極めて強い催吐感と頭痛を齎す。

 つまり通常のアルコール分解過程を高速化するだけであり、触媒のような働きしかしないのだ。限界を超えて酷使される内臓は悲鳴を上げ、アセトアルデヒドの毒性をもしっかり受ける。

 極めて短時間に作用するため、少量のアルコールであっても深酒による二日酔いと同程度の苦痛を味わうことになる。


「折角ご機嫌なディナーだったのに、一気に最悪の気分ですよ。このツケは緊急事態の元凶に払って貰いましょう!」


 基本的に理性的なヴィクトルが珍しく怒気を放っていた。普段物静かなタイプの方が怒らせると怖いという法則は、異世界の地でも健在のようだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 BBQ会場が即席ミーティングルームへと変化し、アベルがスクリーンの前に立ってブリーフィングが始まった。

 アベルもそれなりに呑んでいたため、頭痛を堪えるような仕草が度々見受けられる。それでも酔漢たちの目には理性の光が戻り、ブリーフィングは着実に進められる。


「さて、改めて状況把握だ。我々は神域の島に戻ってきているため、大陸での状況を知るには『共振球』の状態から推測するしかない。そして『共振球』の状態は当初から変わらず、割れたままで魔力が抜ける様子はない。状況はかなり悪いとみて良いだろう」


「我々がこちらへ戻る際にヒアリングしていた予定では、王国北方に位置する宰相アエスタース公爵領へと討伐隊派遣するって言う状況でしたよね?」


 俺が神域の島へと戻る直前の状況を確認すると、アベルが詳細を補足してくれる。


「ああ、そうだ。航空部隊による通商破壊作戦が行われなくなったため、正常にセプテントリオナリス要塞へと物資が搬入されるようになり、部隊の編成を行って宣戦布告するような手筈だったようだ。しかし、緊急事態の発生は当初の見込みよりも早く起こっている。何かしらのアクシデントがあったと見るのが妥当だろう」


「そうなると、安全地帯の設定が難しくなりますね。我々は非戦闘員を抱えていますし、直接紛争地域に全員で乗り付けるのはリスクが大きいでしょう」


 ヴィクトルが言うように、今回は戦場が何処になっているのか、何処までが影響範囲なのかという情報がない。

 無策に全員で乗り付けるよりは、機動性重視の斥候部隊を送り込んで偵察を行い、しかる後に拠点構築が望ましいと判断された。

 今回選抜された斥候部隊は俺とウィルマという異色のコンビとなる。情報収集と隠密性を重視すると、必然的にこの組み合わせに行きつくのだそうだ。


「それで、対となる『共振球』の位置は特定できたのか、ドク?」


「ああ、それなんだが、少し妙な位置にあるようだ。俺たちは王都にある、アンテ伯邸地下に構築した基地に設置するよう言い置いて出発したが、共振位置はセプテントリオナリス要塞内だと推測される」


「つまり、王都に留め置かれたアンテ伯領の騎士すらを増援に加えないといけない状況に陥っていると?」


「騎士の矜持とやらで、志願したんじゃなけりゃそうだろうな」


「ふむ。状況評価は後で行うとして、まずは主戦場と目されるセプテントリオナリス要塞を偵察するしかなさそうだな。いけるか、シュウ、ウィルマ?」


「脅威の発生源をアエスタース公爵領と仮定し、主戦場をセプテントリオナリス要塞北方とみて、要塞南方数キロぐらいの位置から偵察を開始するというのはどう?」


 アベルの問いにウィルマが応える。俺は戦略的な視点を持てないため、最悪の場合に備えて自動で退避できるよう転移のプログラム構築を開始する。

 チーム全員が未知の脅威に対する準備に取り掛かる。すんなりと物事が進まない状況に思わず愚痴が口をついて出た。


「月に叢雲、花に風か。昔の人は上手い事を言ったもんだな」


「良いことは邪魔が入り易く、長続きしないって言う故事成語でしたっけ? 他にも『好事魔多し』って言うのも同じような意味ですよね?」


「流石はハルさん、物知りですね。まあ、僕が物事をスマートに解決出来たためしはないので、せいぜい泥臭く足掻いてみせますよ」


「はい。シュウ先輩が無事に帰って来られるよう、サテラちゃんとここで待ってます」


 そう言って俺を送り出してくれるハルさんへ手を振り、俺はウィルマと共に戦場となった大陸へと渡ることとなった。

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