第255話 閑話 ピットマスターのBBQ
「ええっ!! ちょ……チ、チーフ?」
「なんだ、シュウ? 騒々しいな、手元が狂うだろう?」
「いえ、その……それってサーロインのブロックですよね? どうして賽の目に刻むんですか?」
「これを見ても判らないか? ひき肉にするんだよ。旨いぞ?」
アベルは慣れた手つきでアンガス牛のサーロインブロックを刻み、霜が浮く程に冷やしておいたグラインダーに次々に放り込んでいる。
和牛のそれと違って赤身の多いサーロインだが、ただ焼くだけでも美味い部位がみるみるミンチ肉へと加工されていく。アベルは満足げに頷くと、次の作業へと移るべく踵を返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
『龍の祭壇』から戻った俺たちは、早速ミーティングを開いて情報の共有と今後の方針を決定した。
長時間に及ぶタフなミーティングだったが、龍族の協力を取り付けたという好材料が皆の考え方を前向きにしており、それぞれの役割分担に至るまで滞りなく決まった。
このミッションを乗り越えれば、地球への帰還という目標の目処が立つ。チームの各員がそれぞれのタスクを認識したところで、アベルが声を上げた。
「皆、この異界の地で良く頑張ってくれた。次のミッションを乗り越えれば、念願の地球帰還への道が開かれる。ターゲットが天体というバカげたミッションだが、我々ならば成し遂げられると俺は確信している。そこで皆の奮闘に応えるべく、備蓄を吐き出してちょっとした慰労会を開こうと思う」
ヒューッ! と誰かが口笛を吹いた。限られた物資でチームを運用するため、我々は常日頃から節約を言い渡されている。
特に酒類に関する制限は厳しく、酒好きの面々にはストレスが溜まる状況であったのだろう。
「だいたいこういう催しではシュウとハルが調理を担当していたが、今回は俺が腕を振るってやろう! こう見えても本場テキサスのピットマスターだ、子供がいなかった叔父から引き継いだ腕前はちょっとしたもんだぞ?」
アベルの言葉にヴィクトルとカルロスが歓声を上げる。耳慣れない単語に首をかしげていると、隣に座ったハルさんが耳打ちしてくれた。
ピットマスターとは直訳すると『
場所によってはピットマスター協会に所属する認定ピットマスターも存在するが、大抵の場合は父から子へと一子相伝で引き継がれていく技術なのだそうだ。
アメリカの特に南部ではBBQが盛んであり、一回のBBQで十数時間にも及ぶ調理の一切を取り仕切る存在。それがピットマスターなのだそうだ。
家族や招待客を前に、堂々とBBQを取り仕切る姿を見て、子は父を尊敬し憧れるという理に適ったシステムだ。
更にアベルが言うには、ピットマスターとは自前のピット(スモーク窯)を設計出来て一人前らしい。内部の温度を自在に操り、理想の焼き加減を実現するのがピットマスターの役目なのだそうだ。
こうした一連の知識をハルさんが教えてくれた。うちのハルペディアは知識豊富なだけでなく、可愛い上に良い匂いがする。
生活用品はサテラと同じものを使っているはずだが、ハルさんとサテラでは匂いが異なる。男にとって女性は永遠の謎だ。
そんな事を考えていると、アベルがグリルを使ってサーロインステーキを焼き始めていた。2センチ近くはあろうかという豪快な厚みのステーキに焼き色がついていく。
両面に火が通った段階でグリルから下ろし、今度はステーキまでも賽の目に刻み始めた。
「え? えっ!? 折角のステーキを何で刻んじゃうんですか?」
「さっきから煩いな。この場は俺が仕切るんだ、
そう言われては黙るしかなく、すごすごと引き下がって玉ねぎを刻む作業に戻った。隣ではハルさんがピーマンとパプリカを刻み、向かいではウィルマが煉瓦のような巨大チーズを、これまた巨大なチーズおろし器に掛けている。
チーズは薬味として使うと言っていたはずだが、ウィルマのすりおろしたチーズは既に山になっている。煉瓦サイズのチーズが半分程になっているが、誰もそれを異常だと思わないようだ。
そうこうしていると材料が仕上がったらしく、アベルが巨大なホーロー鍋に刻んだベーコンを放り込み、炒め始めた。
事前に油すら引かない豪快な調理だが、ベーコンから溶けだした油で程よく炒められ、猛烈に食欲を掻き立てる香りが立ち始めた。
次に俺が刻んでいた玉ねぎを一気にぶちまけた。少量ずつ加えるなどというまどろっこしいことはせず、男らしくも皿一枚分の刻み玉ねぎが鍋に投入される。
アベルはすりおろしたニンニクを加えながら鍋を掻き回しているが、使っているのがヘラなどではなく、肉を刻んだナイフである。
ホーローに傷が入りそうで冷や冷やするのだが、余計な口を挟まないで見守ることにした。
次に加えられたのは挽きたてのサーロイン肉だ。これも豪快にナイフで皿から鍋へ投じられるが、野菜にはない敬意が払われているのか、少量ずつ様子を見ながら加えていた。
具が多すぎて鍋の半分ほどが肉に埋もれている状態を、アベルがナイフでかき混ぜる。その度にナイフがなべ底を叩く、カンカンという音がして、小心者の俺の精神力が削られる。
次に投入されたのは大皿一枚分の刻まれたピーマンとパプリカだ。やはり野菜は一気に放り込む主義なのか、皿を傾けて一気にざーっと流し込んでいる。
ピーマンがしんなりし始めたのを見たアベルが次なる暴挙に出る。瓶ビールの栓をナイフの背で器用に開け、中身を鍋にドバっとぶち込んだ。
日本で言う調理酒代わりなのだろうか? ビールで煮込むという時点で味の想像が出来なくなった。アメリカでは割と一般的な調理法なのか、ヴィクトルもカルロスも何も言わない。
次に登場したのはアルミホイルに包まれて保温されていたサイコロステーキだった。アレはアレ単独で食べるのかと思っていたのに、やはり豪快に鍋の中へと落とし込まれていく。
俺はゲンナリしているのだが、アベルやヴィクトル、カルロスは盛り上がり、口笛さえ吹いていた。
もう鍋の中身は肉だらけと言った凄まじい有様だったのだが、そこへ更にホールトマトがまるまる2缶もぶち込まれた。
鍋の全容積中の8割以上を具が占めるという、日本では絶対にお目に掛かれない状態になっていた。はらはらしながら見守っていると、野菜やトマトから出た水分が染み出し、鍋から溢れそうになった。
そら見た事かと思っていたら、アベルは慌てることなく巨大なスプーンのような器具で煮汁を掬い、ホールトマトが入っていた缶に取り分ける。
ぐっと水分が減ったところに、今度はトマトピューレを大量に流し込む。折角減った容積が再び戻り、鍋の中のカオス度合はますます高くなった。
アベルはそれを巨大なスプーンでかき混ぜながら、調味料を使って味を調えていく。事前に小さなカップに取り分けていたのだが、カップ一杯分のクミンパウダーがバサリと鍋に投じられて目を剥いた。
カイエンペッパーやSPG(塩胡椒とガーリック粉末)、スモークドパプリカパウダーにチリパウダー。全部が一気に投じられ、豪快に掻き回される。
俺の常識では味見をしながら少量ずつ加えて味を調えるのだが、アベルは目分量を一気に投じて味見をすることがない。鍋の味付けが一気に不安の材料へと変わる。
「
アベルは自信たっぷりに男らしい笑みを浮かべるが、俺は鍋から漂う刺激的な香りに不安を覚えてしまう。アメリカ文化に慣れた面々は不安を抱くどころか、ウィルマに至ってはアベルの男らしい調理を熱い目で見守っている。
確かに豪快で男らしく、女子供の介入する余地のない炎との戦いだ。逞しい父の背を見て、幼い男の子は憧れを抱くというのも判る気がした。
ふと見るとアベルが鍋にウスターシャーソースを入れていた。日本のウスターソースと同じかと思って、前に味見をさせて貰ったのだが、味が濃くて酸味が強く、さらりとしている。
更にどんな味になったのか不安になる。そこへトドメとばかりに最後の具である茹でた黒豆が大量に投じられた。
既に鍋の中身は一杯で溢れんばかりになっており、掻き回される度に表面張力を試される状態になっていた。
アベルが鍋に蓋をすると、良い笑顔を浮かべて言い放った。
「よし、いい具合だ。この状態で2、3時間煮込むぞ」
単位が豪快過ぎて開いた口が塞がらない。しかし、その間にも銘々にビールを飲んだり、余った肉をつまみ食いしたりと、各自がそれぞれ自由に過ごしている。
全部の料理が仕上がって客を呼び、さあ食べましょうと言う日本の方式ではなく、丸一日掛かりのBBQというイベントを全員で楽しむというテキサス方式なのだろう。
皆の空腹が最高潮に達したころ、アベルが鍋の蓋を取り、コーンミールを投じてとろみをつけた。そしてトルティーヤを一枚手に取って、その上に砕いたコーンチップを振りかける。
そこへ鍋の中身を豪快に掬って取り、大きな手で鷲掴みにしたチーズを振りかけ、くるりと巻いてかぶりついた。
「あっ! てめえ、この
それを見咎めたドクが喚くが、アベルは取り合わずに咀嚼すると、こちらに向けてサムズアップして見せた。
「黙れ、これは
アベルの声を皮切りに、各自が鍋へと群がった。戦場のような有様を遠目に見守り、一段落した頃にハルさんとサテラを伴って俺も向かった。
全員の皿に料理をとりわけ、各自が思い思いにトッピングを凝らす。やってみて気付いたのだが、意外にこれが楽しいのだ。
ちらりとヴィクトルの皿が見えたが、チーズが山盛りになっていて、本来の料理が見えない程になっていた。チーズを食うのか、肉を食うのか判らない状態だが、彼は一口頬張って叫んだ。
「
幸せそうなので、俺もアベル謹製の料理を味わってみることにした。俺のトッピングはチーズとサワークリーム、ハラペーニョの酢漬けを少々。
まずは何も加えないプレーンな状態を一口頂く。アベルはこの料理を『
口に入れて驚くのは、あの豪快な調理からは想像も出来ないまろやかな味わい。トマトの酸味と肉の脂と旨味、それらをチリが纏めて一段階上の味わいへと導いている。
これはアレだな、日本だとチリコンカーンの名で知られる料理だ。古い西部劇の映画なんかでカウボーイたちが食っているアレだ。
暴挙と思えたサーロインのひき肉も、煮込まれたステーキ肉もそれぞれに異なった肉の旨さを引き出していて、実に考えられた完成度の高い料理であると理解できた。
「シュウちゃん、からーい!」
サテラ姫が料理の辛さにご不満のようだ。俺は苦笑しながら生クリームを少量入れて、味わいをマイルドに調整してやった。
トルティーヤを一枚手に取って、薄くマヨネーズを塗り、その上にステーキと豆のチリ煮を載せて、たっぷりのチェダーチーズを振りかけて巻く。
それをサテラに差し出すと、雛鳥のように大きく口を開けて、食べさせろと無言の催促をする。まだまだ子供だなあと思いつつ、小さな口に一口大に千切った料理を放り込んでやる。
「うん、これだと美味しい!」
小さなお姫様はご満悦のようだった。スカーレットは俺の隣で、特別に焼いて貰ったサーロインステーキをモリモリ食べている。
猛烈な食欲を見せる軍人チームは、何度もお代わりに足を運び、グリルの上に置かれた鍋の中身は見る見る減っていっている。
俺たちはアメリカ料理のダイナミックさと、エンターテイメント性の織りなす楽しい時間を満喫していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
俺たちが野外での食事に夢中になっている頃、ドクのラボ内に置かれていた不透明な水晶玉のようなものがひとりでに割れた。
完全に無人であり、外部から一切の衝撃が加わった様子など無いというのに、パキンという甲高い音を立てて真っ二つに割れたそれらは、その鋭利な断面に不吉さを漂わせていた。
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