第254話 敵対者の生誕

 生けとし生きるもの全てが絶えた後の静寂。死の気配に支配された霊廟に騒音が響き渡った。

 危険を知らせる半鐘を出たらめに乱打するかのような大音響が、玄室へと続く羨道えんどうから吐き出される。

 霊廟に戻っていたフレデリクスは異変に気付くと、護衛の騎士を前方に立たせて音の発生源を睨みつけた。

 金属を叩きつけるガンガンという騒音と共に飛来した何かが、羨道を隠していた祭壇を破砕した。


 恐ろしい勢いで祭壇を破壊し、ついでとばかりに護衛の騎士を撥ね飛ばし、壁面を穿ったそれは『星の玄室』を封じた扉であった。

 次いで羨道から吐き出されたのは光沢を宿し、黒く湾曲した巨大な刃。左右で対を為す重厚な大鎌に続いて、鞭のようにしなる二条の触角。

 霊廟内の明かりに映し出されたのは、巨大な甲虫の姿であった。忌まわしい事に、触角の付け根にグレゴリウス元枢機卿の顔面が存在し、眼窩を突き破って触角が生えていた。

 巨大な甲虫は、その巨躯に似合わぬ俊敏さで地を駆け、長大な触角を護衛の騎士に向かって振り下ろす。何かが破裂するような、パンという乾いた音が響いた。


 フレデリクスと甲虫の間に立ち塞がっていた騎士は、鎧を残して血煙へと変じた。甲虫の振り下ろした触角の先端が音速を超え、大質量と高速が齎すエネルギーを余すところなく叩きつけた結果だった。

 目前に迫る死の形を前に、フレデリクスは懐から取り出した壺を甲虫に投げつけた。磁器のような白く滑らかな壺が割れ、内包されていた粘液が甲虫の装甲を伝う。

 と、突然粘液が波立ち、瞬く間に体積を増やしながら甲虫を飲み込まんと襲い掛かった。その隙を突いて逃げ出し、柱の陰に隠れたフレデリクスが甲虫に向かって声を張り上げる。


「グレゴリウス閣下! どうか正気にお戻りください。それは楽園教の秘儀が生み出した『忌み子アヴェルシオ』、魔力を喰らって際限なく増える肉腫です。今ならばお救いする手立ても――」


 フレデリクスの叫びは激しい衝撃によって中断された。恐ろしい勢いで増殖を続ける『忌み子』を纏わりつかせたまま、甲虫がフレデリクスの隠れる柱に突進したのだ。

 甲虫の前面を覆っていた『忌み子』は柱との間で圧搾され、柱を迂回してフレデリクスをも飲み込んだ。フレデリクスが最期に目にしたのは、柱ごと自分を切断せんと迫る甲虫の大顎の姿だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「――めよ……目覚めよ」


 タールのように粘つく暗闇から意識が浮上した。何かが自分を呼ぶ声が聞こえる。ともすれば霧散しそうになる意識を掻き集め、声に集中した。


「目覚めよ我がしもべ、フレデリクスよ」


 名前を呼ばれたことを契機に、急速に意識が鮮明になった。そうだ、私はフレデリクス。楽園教を追われ、背教者の汚名を着せられた男。

 自分を認識すると、次に声の主を探った。すぐ傍に巨大な甲虫が鎮座していた。長大な触角と、大きく湾曲した凶悪なフォルムを持つ一対の大顎。無機質な輝きを示す複眼の間に、人間の顔面を貼り付けた化け物が居た。

 絶叫して然るべき状況にも関わらず、不思議と恐怖を覚えなかった。それどころか化け物の細部までをじっくりと観察する余裕さえあった。

 黒光りする艶やかな甲殻、大きく3つに分かれた体節。巨大な大顎を具えた頭部と比して、無駄なく絞り込まれた胸部、体長の半分以上を占め、左右にも大きく張り出した異様に巨大な腹部。

 大質量を支えるに相応しい、逞しい三対六本の歩脚。これもまた体長の半分ほどもある長大な触角が揺れている。頭部の前面中央に存在する人面に見覚えがあった。


「グレゴリウス閣下……そのお姿は一体……」


「目覚めたか、フレデリクスよ。私はしゅ恩寵おんちょうを賜り、この体を得た。それに貴様も人の事を言えた義理ではないぞ」


 そう言われて自分の姿が気になり、視線を下に落とす。そこには見慣れた身体が存在しなかった。半透明の黒いゲル状の物質があり、手を動かそうと意識した途端、粘液から触手が伸びて拳を形作る。

 完全に人間から逸脱したというのに何の感慨も無かった。それどころか、人間であった頃よりも機敏に反応し、どんな形状にでも変化する己の体の万能感に陶酔する。


「なんと素晴らしい……鈍重な人の体を捨て、生まれ変わった気分です」


「その通り、貴様は生まれ変わったのだ。私が主より賜った奇跡により、貴様は『忌み子』と呼ばれた肉腫と一体となり、新たなる命を得た」


「それでは……」


「貴様の素体となった『忌み子』の特性は引き継いでいるだろう。魔力を喰らい、肉を喰らい、存分に殖えるが良い。天におわす主は仰った、『産めよ、増えよ、地に満ちよ』と。不肖の子であった人の時代は終わり、我らの時代が到来したのだ」


 甲虫の巨大な大顎が天を指した。釣られてフレデリクスも天を仰いだ。いつの間にか『星の玄室』に戻っており、天頂に冴え冴えとした玲瓏な光を放つ『テネブラ』が浮かんでいた。

 青白く視界を染める光を受けると、脳裡に大いなる意思が流れ込んできた。それは言語化されないイメージであり、自己の存在を絶対的に肯定し、思うがままに振る舞えと後押ししてくれるように感じた。

 フレデリクスは歓喜に震えた。この大いなる存在は人間から爪弾きにされた己を認め、赦し愛してくれている。それは生命に対する賛歌であり、そこにフレデリクスは神を見出した。


「理解したか? フレデリクスよ、我々は最早咎人とがびとではない。愚かなる人類に代わる新たなる霊長。主の恩寵が満ちるこの大地を汚す人間どもを根絶やしにすることも容易いが、私は主と更なる対話を試みることにした」


 甲虫の頭部に存在するグレゴリウスが天を仰ぐと、再び光の柱がほとばしり、溢れた光が玄室を満たす。


「私は主との対話を続け、主の御心みこころに触れ、更なる恩寵を得るだろう。王を僭称せんしょうする愚物どもに邪魔されるのも不愉快だ。フレデリクスよ、貴様に使命を与える。奴らに伝えよ、『私の邪魔をしないのなら、同郷のよしみで見逃してやる』と」


「はっ! 確かに拝命致しました」


「ああ、そうだ。我が領内に穢れた人類は不要だ。貴様が喰らって糧とせよ。では、行け!」


 グレゴリウスの言葉を受け、フレデリクスが玄室を後にする。天地を繋ぐ光の柱は輝きを増し、甲虫の巨体をも覆い隠す。

 フレデリクスは不定形の体を器用に操り、人間であった頃の体を再現すると、二本の足で歩み始めた。手始めに、このアエスタース公爵領の領民を喰らおう。

 それを為した後、こちらに討伐軍を差し向けている王へグレゴリウスの言葉を伝え、抵抗するようなら大陸の全てを平らげれば良い。そのやり方は既に理解していた。

 個にして全、全にして個である群体としての特性を得たフレデリクスに数的優位は何の意味も持たない。終焉を迎える人類の時代と、自分達の黄金時代の到来に、フレデリクスは胸を躍らせていた。

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