第253話 星の祝福

 大陸唯一の国家、メッザニーネ王国の四百年に亘る歴史に於いて、一度壊滅の危機に瀕したことがあった。

 建国二百年を目前に控えたある年、過去に類を見ない規模の大旱魃かんばつが大陸を襲った。広大な耕地を潤す川は涸れて久しく、乾いた大地は無数の亀裂を晒していた。

 不幸と言うものは往々にして重なるもので、王国の生命線とも言える穀倉地帯を蝗害こうがいが直撃する。空を黒く覆いつくす程の飛蝗ひこうが津波のように押し寄せ、ありとあらゆる緑を奪い去った。

 命綱であった水と作物を奪われた当時の人々は、生存の可能性を新天地に求めた。王都の最東端に領地を持つ辺境伯が声を上げ、建国の祖である『魔術師マグス』もこれに応えた。

 人類未踏の森林を切り拓き、そこから得られる森の恵みで僅かなりとも人々に糧を齎さんと、決死の覚悟で東へ東へと進んでいった。


 しかし、この二百年で増えた人口に対して、森から齎される恵は十分ではなかった。それでも諸侯達は『魔術師』が見たという、豊かな海を目指して東へ東へと進んでいった。

 彼らの決死の努力にもかかわらず、その歩みは遅々として進まず、人々の飢えは深刻なレベルに達していた。そんなある日、当時の楽園教法王を務めていたコンスタンティヌス不変が、王都の北部に天と地を繋ぐ光の柱を見たという。

 座していても緩慢な死を待つのみと悟った法王は、信徒に動員を掛け、神の奇跡にすがるべく北を目指した。

 果たして、万年雪に覆われた極寒の土地であるはずの場所に、莫大な水量をたたえた湖が生まれていた。如何なる神の奇跡か、周辺の雪は溶かされ、緑が芽吹く大地が広がっていた。

 そして更なる調査の末に、光の柱が突き立ったと思われる場所が発見される。そこは山の中腹を垂直に掘り、先端部分を球形にくり抜いたような奇妙な構造になっていた。

 その中心部に辿り着いた法王らは、真球の巨大空間にそびえる玉座を見出した。その玉座で一晩神に祈りを捧げた法王は、まさしく奇跡の力を授かっていた。


 法王が祈りを捧げると、大地に巨大な溝が刻まれた。それを幾度繰り返したことだろう、遂に法王らは北部から王都まで続く水路を作り上げた。

 巨大湖から既存の枯れた河川へと水路を繋げただけとは言え、その総延長は20キロにも及んでいた。法王は水路の開通を見届けると息を引き取り、彼は聖人として列聖されることとなる。

 法王が奇跡の力を授かった玉座は聖地となり、また山全体を楽園教の総本山に認定し、法王の霊廟が建てられた。彼らの齎した水は人々の命を繋ぎ、法王は中興の祖として語り継がれることとなる。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 時は少し遡り、王国最北端に位置するアエスタース公爵領を支配下に置いたグレゴリウスの耳に、囲っていた来訪者達の全滅という一報が齎された頃。


 グレゴリウスは焦っていた。天然の要害という地形的優位性に加え、反撃を受けぬ空からの一方的な攻撃という必勝の策が崩壊したのだ。

 補給を断ってしまえば少数の軍しか動員できず、その少数では必勝の策を突破し得ないと踏んでいたからこそ討伐軍との決戦を覚悟したのだ。

 彼が動員できるのは、王都から連れてきた者や、領地で取り込んだ八百程の兵と、収穫を終えた領民足手まといが四千に過ぎない。


「それで中興の祖、初代コンスタンティヌス法王が禁じた聖地を暴かれるのですか?」


「そうだ! 魔力の素養を持たなかった法王でさえ伝説となる力を得たのだ。宮廷魔術師に匹敵する魔力を持つ私が祈れば、物分かりの悪い王都の有象無象共を蹴散らせる力が宿るはずだ」


 グレゴリウスはフレデリクスや護衛の騎士を伴い、法王の霊廟を訪れていた。かの霊廟は法王が力を得た玉座、『星の玄室』を封じるように羨道えんどう(玄室へと続く横道)を塞ぐ形で建てられている。

 それは亡き法王の遺志であり、以来守り続けられた禁であった。偉大なる先人が定めた掟など、己の破滅という差し迫った脅威に怯えるグレゴリウスには何の抑止力にもなりはしなかった。

 フレデリクスが持つランタンに照らされ、闇の中に浮かび上がった霊廟の最奥。そこには装飾の一切ない厳めしい門があり、楽園教の聖印でもある『ポロメオの輪』が刻まれていた。

 扉には鉄製のプレートが掲げられ、『汝等なんじらここを訪れしもの一切の望みを棄てよ』と銘打たれているのが皆の目に飛び込んできた。

 グレゴリウスは一つ舌打ちをすると、配下の騎士に命じてプレートごと扉を封じているかんぬきを破壊させた。


「自分に並び立つ者を排そうとする実に狭量な脅し文句よ。伝説の偉人などと持ち上げて見ても、一皮剥けばこの通り、所詮は後進の成長に怯える老害に過ぎない!」


 自分を鼓舞する意図もあったのだろう、グレゴリウスの声は幾分震えてはいたものの吐き捨てるように叫ぶと、打ち捨てられたプレートを踏みつけ先へと進んでいく。

 傍らを歩くグレゴリウスと並びながら、フレデリクスは漠然とした不安を払拭できないでいた。自らの命を捨て、信徒に尽くした聖人が、自分の業績を不変の物とするためだけにこんなものを設置するのだろうか?

 フレデリクスの疑問に答えてくれる存在はなく、やがて一行は広大な空間へと辿り着いた。伝説にあったように球状にくり抜かれた空間に、木製の橋が渡されている。

 予備知識のない彼らでは知りようもないが、現代人が見れば玄室の底面と玉座の位置関係が、パラボラアンテナのような形になっていることに気が付いたことだろう。


 玉座の直上は吹き抜けになっており、今しばらくすれば『テネブラ』の光が差し込み、玄室を照らし出すだろう。

 グレゴリウスは体に命綱を巻き付けると、フレデリクスからランタンを受け取り、そろりそろりと一人で玉座へと軋む床板を踏みしめながら進んでいった。

 皆が見守る中、何事もなく玉座へと辿り着いたグレゴリウスは背負っていた荷物を床に降ろすと、手にしたランタンで円を描くように合図した。

 合図を受けたフレデリクスは、護衛の騎士2名のみを残して霊廟へと戻ることとなっていた。これからグレゴリウスは神との対話を試みることになる。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 グレゴリウスは玉座の前にひざまずき、天におわす父なる神へと祈りを捧げていた。聖句を呟き、かつてない程の真剣さで一心不乱に祈りを捧げる。

 ランタンの中で燃える蝋燭のみが淡い光源となっていた世界に、一条の光が闇を切り裂いて降り注いだ。時と共に光は大きさを増し、玄室内の闇を駆逐していく。

 そして天頂部に冴え冴えとした冷たい輝きを湛える『テネブラ』が姿を現した時、玄室に変化が現れた。天から降り注いだ光が玉座へと集まり、再び天へと還っていく。

 かつて法王が見たという光の柱がグレゴリウスの眼前にそそり立っていた。闇に隠されていた玄室の壁面は、ガラス質の何かに覆われ、天より降り注いだ光を集めて玉座の一点へと集中させている。

 眼を閉じて跪いていたグレゴリウスは立ち上がると、何かに誘われるかのようにフラフラと光が満ちた玉座へと歩み寄っていった。


 グレゴリウスの眼は圧倒的な光量にかれ、完全にホワイトアウトしていたが、彼は迷うことなく玉座へと進む。

 玉座に腰を据えたグレゴリウスは異界の旋律を耳にしていた。それは一度も聞いたことのない音の連なりでありながら、明確に祝福のメッセージを含んでいた。

 グレゴリウスはいつしか涙していた。めしいた両目からとめどなく涙が溢れる。グレゴリウスは大いなる幸福に包まれていた。

 己の全てが肯定され、輝かしい祝福された前途が示された。彼の喉を突いて慟哭とも咆哮ともとれる叫びが放たれる。護衛に残された騎士が自由意思を持っていたなら、その後の展開は異なっていたかもしれない。

 しかし、実際には意識を奪われ、指示されたことを盲目的に実行する半死人に過ぎず、異変は黙殺された。


 変化は滂沱ぼうだと流れる涙から始まった。透明だったが赤色に染まり、内側から膨れ上がるとはじけ飛んだ。

 眼球を突き破り、内部からドロリとした硝子体に濡れた黒い物が現れた。艶光りするそれは昆虫の触角に見えた。眼球の残骸を押しのけて、内部からぞろりと這い出した触角は長大だった。

 光の柱に包まれたグレゴリウスは徐々にその姿を変えていく。口からは哄笑とも絶叫ともつかぬ声を発し、全身を軋ませながら人から逸脱していった。

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