第252話 背教者

 その場は沈鬱な雰囲気に包まれていた。左右に居並ぶ諸侯と、僅かに高い位置より中央を見下ろす偉丈夫。皆の視線が集中する場所には、棒切れの間に布を渡しただけの簡易担架が置かれ、血まみれの男が横たわっていた。

 容体を診ていた軍医が、偉丈夫を見上げて左右に首を振った。男の命の灯が、今にも燃え尽きようとしていることは、誰の目にも明らかであった。


 ここは反逆者グレゴリウス元枢機卿討伐の最前線。王国最北端に位置する宰相アエスタース公爵領と、王国とを塞ぐ形で存在するセプテントリオナリス要塞内にある謁見の広間であった。

 死にゆこうとしている男は、王国に於いて当代随一と名高い斥候であり、要塞への物資搬入が再開されたのを契機に、先行してアエスタース公爵領へと部下を率いて偵察に出ていた。

 しかし、定期的に届けられていた報告が、領主の館へ忍び込むという報を最後に途絶えた。追加で派遣した斥候が見つけたのは、領民の消えた町で倒れ伏した重症の男であった。


 斥候という役目の性質上、正確な報告をするために相応以上の教養を求められ、何よりも生存して情報を持ち帰らねばならないことから戦闘能力も必要となる。

 必然的に斥候を務めうる人材というのは、高度な教育を受けた者に限られ、比較的身分が高い傾向があった。この男もご多分に漏れず有力子爵家の次男であり、最期の報告を直接告げることを許されていた。

 男は失血から来る体温低下に震える体を、介添えの医師に支えて貰いつつ、喘鳴ぜいめい交じりの報告を始めた。


 男の報告を纏めると、以下のようになる。

 アエスタース公爵領内には、四千人近い領民が生活しているはずだが、男が偵察した限りでは一人たりとも見つけることが叶わなかった。

 とはいえ、生活感が皆無というわけではない。確かに多くの人々が、つい最近まで生活していた痕跡が、領内の至る所で見受けられた。

 領民たちは平穏な日常の延長線上から突如として蒸発でもしたかのように姿を消した。争った痕跡などもなく、殺害や誘拐といった非日常が介在する余地がない失踪。

 とある民家では朝食の支度途中だったのか、竈に掛けられたままの鍋が冷たくなっている。テーブルに並んだ食事も手を付けられた形跡がなく、ただ埃を被っていた。

 廃墟と化した領内を探索していた男は、町から離れた小高い丘の上に立つ領主の館の一角に煙が立ち上っているのを発見した。


 領内に入って以来、初めて見つけた変化の兆し。男たちは万が一に備えて一人を報告に戻らせると、互いに死角を補い合うようにして領主の館へと踏み込んでいった。

 館内に踏み込んでも廃墟然とした印象は変わらなかった。しかし、男たちは床に薄っすらと堆積した埃に、濃淡の模様があるのを発見していた。

 つまり、埃が堆積して以降も、何らかが動いた形跡があるのだ。男たちは極力物音を立てないよう、慎重に奥へと歩を進めていった。

 そして、ついに中庭にて煙の発生源を発見した。そこには黒い僧服に身を包んだ聖職者らしき人物が、何かを燃やしている現場であった。

 男たちの位置からは、聖職者の背中しか見えず、ゆったりとした服装も相まって、相手が男性か女性かすら判然としなかった。

 いつまでも様子を見ているわけにもいかず、斥候たちは散開すると、男が代表して聖職者の背中に声をかけた。


「そして、私は見たのです。手配書にあった、背教者フレデリクスの姿を。おぞましくも、干乾ひからびて抜け殻のようになった人らしきものを焚火にくべている姿を……。私の接近に気付いた奴は振り返り、満面の笑みを……浮か……べ……あ、エ?」

 唐突に男の呂律が怪しくなった。苦しげでこそあったものの、淡々と紡いでいた言葉が乱れる。今際いまわきわでは、時折みられる現象ではあるが、どうも様子が違って見えた。

 男の全身が痙攣けいれんを始め、限界まで見開かれた眼球が、左右別個の生き物であるかのように出たらめに動き回る。

 介添えの医師を跳ね飛ばし、その場でブリッジをするかのように反り返ると、唐突にその動きを停めた。男の狂態によって場に満ちた沈黙を破り、水気を帯びた重量物が地面に落ちる音がした。


 男の体は空気が抜けた風船のようにしぼみ、代わりに男の体の下にわだかまっていたものが動き出した。

 漆黒のつるりとした半液状のそれは、滑るように床を這い進むと盛り上がり、偉丈夫に向かって身を起こす。黒い水玉のようであったそれは、見る間に硬化して人の姿を形作った。


「お初にお目にかかります、アルベルトゥス大公閣下。グレゴリウス様は既に皆様への興味を失われました。代わりにわたくし、フレデリクスが全権を任されておりますので、グレゴリウス様のお言葉をお伝えいたします」


 背教者フレデリクスを名乗る、人型を模した不格好な化け物が、粘液が泡立つような不快な音交じりの言葉を紡ぐ。

 常軌を逸した光景に皆が戦慄する中、勇猛で知られる大公のみが変わらぬ態度で傲然と言い放った。


人外じんがいへとなり果てたか背教者フレデリクス。凋落ちょうらくしたとは言え、かつては要職にあった貴様に敬意を払い、貴様らの主張を聞いてやろう。申してみよ!」


「グレゴリウス様のお言葉をお伝えします。『私は真なる信仰の末に真理へと至り、しゅの祝福を賜った。汝ら無知蒙昧もうまいの輩なれど、かつての同胞として温情を与える。我らに干渉しないのであれば、この地での生存を許す』と仰せです」


「はっ! 大言壮語も、ここまでくると愉快よな。貴様らは所詮咎人とがびとに過ぎぬ! 貴様らを匿っているアエスタース公ヒエロニムス宰相は、なんと申しておる? 申し開きはせぬのか?」


「ああ、そういえばお伝えし忘れておりました。ヒエロニムス宰相閣下は天に召されました。我々を王都へ突き出すと仰られたもので、残念ながら我らの食糧になっていただきました」


 フレデリクスは、まるで昨日の天気を語るかのように何でもなく言い放った。自らの拠り所にして、最大の庇護者たる公爵を弑逆しいぎゃくしておいて悪びれるどころか、記憶に留める価値もないとする精神の在り様は、確かに人類から逸脱したものであった。


「王族である私を前にして、王族に連なるアエスタース公爵を弑逆したと放言するとは、貴様は命が要らぬと見える」


「はて? 命云々はさておき、大公閣下は狩りで得た獲物の出自をお気になさいますか? 『この野兎は兎の王やもしれぬ、食わずにとむらってやろう』などとは仰いますまい?」


「そうか、獣に人の道理を押し付けようとした愚を詫びよう。しかし、人にあだ為す害獣は駆除せねばならぬ。その様子では無辜むこの領民四千は、貴様らの手に掛かっておろう?」


れた果実は収穫するが道理。むざむざ腐り落ちるのを待つ馬鹿がおりましょうか? 可能な限り美味い時に喰ってやるのが手向けとなりましょう。では、どうあっても我らと敵対されるおつもりですか?」


 フレデリクスを名乗る化け物の表面が波打った。一定の間隔でリズミカルに波打つさまに、辛うじて笑っているのだと判断することが出来た。


「何が可笑おかしい?」


「いえいえ、では閣下のお言葉をグレゴリウス様にお伝えしましょう。我らは特に準備することなどございません。何時でもお好きな時に参られよ、お相手して差し上げましょう」


 そう言うとフレデリクスは、再び不定形の粘液と化すと背を向けて退出しようとした。


「交渉決裂の証は使者の首であったか? 貴様らが始めたことだ、よもや己がそうならぬと思っていた訳ではあるまい? やれ!!」


 アルベルトゥスの号令を受け、炎を纏った幾本もの投槍がフレデリクスに殺到した。油を染み込ませた布を槍身に巻き付け、火をつけてから投げ放たれた幾条もの火箭かせんは、狙いあやまたず不定形の体ごと床に突き立った。

 黒く艶めいた不定形の体は、槍にその身を穿たれようが活動を停めない。しかし、炎を取り込んだ際に水分を失ったのか、幾分その体が小さくなったように見えた。

 壇上から降り、護衛に周囲を守られつつも、その様子を見抜いたアルベルトゥスが叫ぶ。


「その化け物には炎が有効だ。油壷を投げよ!」


 号令一下、今度は素焼きの壺が投じられた。壺の中には液状化した硫黄や、黄燐、植物油にアルコール等が入れられており、燃え盛る槍の傍に落ちて割れた中身が炎を吹き上げると、周囲は瞬く間に火の海と化した。

 流石の化け物も、粘性の高い可燃物と炎の輻射熱に炙られ、進退きわまったかのように思えた。


 ボッ! と音を立てて、炎の壁を突き破った黒い塊が転げ出た。炎上する体を切り離し、小さくなったそれは驚くべき速度で地面を這い、垂直の壁を登り切って高い位置に設けられた明り取り用の窓へと辿り着いた。

 窓枠に張り付いたそれは、再び人の顔を形作ると、眼下の人間たちに向かって声を放った。


「挨拶に出向いた使者を殺そうとするとは、なんと野蛮な生き物なのでしょう。とはいえ、晴れて敵同士となりました。最早遠慮などしますまい。次に相まみえる時が、あなた方の最期と知りなさい」


 そう言い捨てると、フレデリクスは黒い体を翻し、屋外へと消えていった。未だ炎を上げ続ける謁見の広間につどった諸侯たちは、言い知れぬ不安に沈黙する他なかった。

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