第251話 原初の火

 それは奇妙な感覚だった。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚と言った、人間が外界を知る感覚の他に、新たな感覚器をねじ込まれたような違和感。

 第六感とでも呼ぶべき、未知の感覚が脳に直接情報を齎した。視覚や聴覚、嗅覚などもそうだが、人間の感覚器は、外界の一瞬を切り取って知覚する。

 しかし、この新たに生じた感覚器は、時間経過を超越した情報を与えてくる。表現をするのが難しいが、定点撮影の早送り動画を好きな時に再生できるような、客観視点から時間の流れを俯瞰する圧倒的情報量を持っていた。


 その感覚を通して知覚する世界の在り様は、神秘に満ちていた。今まで見ていた世界が、時計の盤面を回る針の動きだけとしたら、この感覚を通して得る情報は、文字盤の裏にある針を動かす仕組みを覗いているようだった。

 世界を世界たらしめている法則が手に取るように理解することができる。龍という高度に発達した知性体が、神という概念的な存在を頑なに信じている理由が納得出来た。

 世界を存続させている法則、それは余りにも愛に満ちていた。それは幼い我が子を想う母の無償の愛に似ていた。

 例えば、茫漠ぼうばくたる虚無に取り込まれてしまわないよう、あらゆる物質は引き合う法則が定められていた。それでいて、全てが混ざり合い混沌へと却って仕舞わぬよう、他者との境界を担保する法則も定められていた。


 俺はこの知覚を通して、余りにも巨大な神の思惑の一部を知ることが出来た。神は我々とは比較にならない程巨大な存在であるが、決して全知全能の存在ではあり得ない。

 余りにも巨大過ぎるため、神には被造物の区別という物が存在しない。全ての存在を等しく愛し、それ故に個に対する無関心という絶対の平等で包み込む。

 全ての存在を等しく愛し、全てが無へと還らぬよう、己の存在を用いて世界を回す巨大な歯車。それが俺の知覚できる神の正体であった。


【これが、我ら龍族が持つ感覚。法を知覚し、世界を定義する力。我ら龍族は、幼生を経て成体へと至る際、この感覚を以て己を定め、真なる龍へと成るのだ】


 俺は白龍の思念に触れ、初めて己自身を知覚できない事に気が付いた。この感覚が支配する世界に於いては、己を定義できない限り、その存在がどんどん揺らぎ、希薄に拡散していってしまう。

 辛うじて白龍の力が、俺を人の形へと押し込めていてくれるのが理解出来た。


【小さき者、シュウよ。この世界はお前にとって、致命の毒となる。少しでも早く『神龍珠』と感覚を繋ぎ、通常の世界へと舞い戻るのだ】


 脳に刻み込まれるような白龍の思念を受け、俺は何かの存在へと導かれていた。それは神が創りし、始まりの蛇。観測者の役目を負った、原初の獣。

 始祖龍の遺した存在の核。『神龍珠』に確かに繋がったという感覚があった。次の瞬間、かつて『龍珠』に触れた時のような思考が加速する感覚に襲われた。

 俺はその全能感に酔いしれた。その気になれば原子を構成する素粒子の一つ一つすら知覚出来た。主観的な時間は完全に停止しており、俺は自分自身が世界に薄く広がっていくのを感じていた。


 本当に何気なく、俺はある思い付きを実行してしまった。自分が理解し得る原理で、最も巨大なエネルギーを生み出す手段の一つ。

 最初に4つの水素原子を生み出した。それらの原子が存在する空間自体を、原子4つ分の大きさよりも小さく定義する。

 すると原子同士に作用し、反発する電磁気クーロン力の『斥力』によって、互いに距離を取ろうと退け合う。しかし、世界が極端に小さく設定されているため、充分に距離を取ることが出来ない。

 これは極端な高圧下の状態と酷似しており、原子間の距離に反比例する力が熱エネルギーへと変換されていく。これらの動作を無限に近い回数繰り返すことにより、空間内の温度が1000万度を越えると『原初の火』が灯る。

 水素原子同士が『核力』により融合し、安定したヘリウム原子へと変化する。所謂核融合が発生し、この際に生じた余剰の質量全てがエネルギーへと還元される。

 しかし、水素原子4個が結合し、ヘリウム原子1個になった場合に生じるエネルギーは大雑把に計算して、4*10^-12[J]となる。

 1[J]≒0.2[cal]程であるため、生み出されたエネルギーは微々たるものだ。これを水素原子1[g]程に規模を拡大すればどうなるだろう?


 全ての水素原子が反応し、ヘリウム原子へと変わったと仮定すると、6.62×10^11[J]≒1.58×10^11[cal]もの熱量が発生する。

 これは50メートルプールに満たされた水温0度の水、丸々2杯分を瞬時に蒸発させるだけの熱量となる。

 本来、核融合という現象は、超高温かつ超高圧下で発生する現象だ。途方もない量の水素原子が集まり、その重量ゆえに収縮し、発生した熱によって膨脹を繰り返し、徐々に反応を進ませる。

 我々地球人に馴染み深い例として『太陽』を例に取ると、『太陽』は毎秒約5600億[kg]近くの水素を融合させていると考えられている。

 概算を求めると、『太陽』は毎秒3.6×10^26[J](360抒[J])もの莫大なエネルギーを生み出している。これは人類史上最強の核融合型爆弾ツァーリ・ボンバ(TNT換算で50メガトン)の17億倍に相当する。

 任意に核融合を起こすことが出来ると言うことは、小さな太陽を持ち歩いているようなものだ。人類が核融合を実現しようとすると、超巨大な施設が必要となる。

 しかし、成龍や俺は違う。小さい世界を定めることにより、反則的な手軽さで核融合を実現できた。


【面白い力の使い方をするものだ。世界を変容させ得る力を以て、そのような極小の力を生み出してなんとする?】


「そうですね、確かに小さな力です。しかし、これは種火に過ぎません。自分の扱い得る最も効率の良い、極小の種火、『原初の種火』ってところですね」


 俺はそう言いながら、定義した世界を無に帰した。この力を以てすれば、反物質を生み出し、対消滅という究極効率のエネルギー取り出しも可能になるだろう。

 しかし、水素原子の核融合でエネルギーに変わるのは質量比にして0.7パーセントに過ぎない。対する対消滅では、その質量のほぼ100パーセントがエネルギーに還元される。

 この反物質というのは極めて不安定な存在だ。万物は原子(陽子と中性子)と電子で構成されているため、反物質を構成する反陽子、反中性子、陽電子はあらゆる物質と反応することになる。

 不純物を一切含まない世界を構築できるなら、安全に運用可能かもしれないが、エネルギーを解放する際にうっかり現実世界の物質と反応されれば自爆してしまう。

 何せ、僅か1[g]が反応しただけでも、広島型原子爆弾の3倍近くに匹敵する、脅威のエネルギー量を解放してしまうのだから。

 余談だが、最近の研究によると、この反物質というのは意外に身近に存在するものらしい。詳細は割愛するが、落雷の際にも反物質は生成され、対消滅によって莫大なエネルギーとガンマ線を放出しているらしい。


【その力は余禄に過ぎない、本題はこれからだ。始祖の力を以て、眠りし龍族へと語りかけよ】


 俺は白龍に促されるまま、龍族全てに届くよう念じつつ呼びかけた。それに対するいらえは、世界を動かす歯車一つ一つから齎された。

 眠りし龍族は、その存在を世界を動かす法則へと変え、世界の破たんを食い止めつつ永き時を掛けて力を蓄える。

 それがため、通常の手段では休眠状態にある龍族へと呼びかけることは叶わない。非常用の連絡手段たる『神龍珠』を通した呼びかけを用い、俺は現状説明から『テネブラ』対策に関する情報を交換した。

 最終的には、作戦決行までに龍族同士の存在を連結し、白龍を端末とする演算装置を造り出すことになった。俺は白龍と繋がることにより、それらを利用して『テネブラ』と対抗することになる。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 現実世界へと帰還すると、俺はアベルから衝撃の事実を告げられることとなった。かねてより人間離れしていた俺の容貌は、更なる変貌を遂げていた。

 暗黒を湛えた左目ではなく、常識の範囲内であった右目から白目部分が消えている。本来白目であった部分が、金色に染まった龍眼となり果てていた。

 確かに龍の因子は俺に刻み込まれ、同時に破滅へと向かうカウンドダウンも始まった。

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