第250話 龍の祭壇再び

 何度か『龍珠』越しに会話をしていたが、直接まみえるのは二度目となる。二度目の邂逅ではあるが、白龍の圧倒的存在感に慣れることは無かった。

 事前に心構えが出来ていたためか、以前よりも細部までを観察することが出来た。こちらを見据える巨大な一対の瞳は、人間で言う白目部分が虎眼石タイガーズアイのような金色の縞模様を描いている。

 瞳孔部分は夜行性の爬虫類が持つ縦長のそれではなく、人間のように真円を為していた。物理的に触られているかのような錯覚を齎す視線が俺を撫でていく。


 滑らかな光沢を放つ純白の鱗と、光を透過し銀色に輝く体毛。頭頂部から背中に向けて一直線に生え揃う、帯電しているかのようにすら見える蒼白いたてがみ

 その存在全てが余すところなく美しかった。生命が持つ洗練された機能美を更に研ぎ澄ました先にある、宝石じみた極限の美を目の当たりにし、スカーレットの同類だと変に納得出来た。

 暫しの間、呆けたかのように見惚れていたが、我に返ると供物机に進みより、地妖精が用意してくれた巨大な陶製の酒杯に酒を注いだ。


「白龍よ、再びお会い出来て光栄です。本題に入る前に、我らの供物をお受け取り下さい」


 俺は何とかそれだけの言葉を絞り出すと、一歩後ろへと身を引いた。俺を一口で飲み込めそうな巨大なあぎとが開き、先端が二又に分かれた深紅の舌が器用に酒杯を絡めとって口へと運んだ。

 酒杯をした白龍は、他の供物には興味を示さず、鋭い視線を俺に投げ掛けてきた。


【小さき者、シュウよ。我々は供物の選り好みなどしないが、これは以前のものと比べて随分と質が悪いな。選り好みはせぬが、軽んじられたとあっては見過ごせぬ。申し開きがあるのなら、述べてみよ】


 白龍が放つ威圧感が増した。裸でライオンの檻にでも放り込まれれば、今の心境が理解できるのではないだろうか?

 俺が生身の人間のままであったなら、全身の汗腺が開き、冷や汗が流れ出ていたであろう。実際にアベルは膝をついたまま、胸を押さえて苦しそうにしていた。

 体を震わせるような怒気にてられても、俺は不思議と怖いとは思わなかった。龍眼の周囲が赤く染まり、瞋恚しんいの炎が燃え上がっているようで、美しくすら思った。


「白龍よ、お怒りをお鎮め下さい。我々は決して貴方を軽んじた訳ではありません。これは紛れもなく、我々が用意できる最上の供物なのです」


【嘘をいている訳ではないようだが、それにしても見劣りすること甚だしい】


「そう思われるのも無理はありません。以前捧げた供物は、私の故郷で生み出された品。岩が苔むす程の時を掛け、洗練を重ねた珠玉の逸品です」


 そう言いながら、俺は再び酒杯になみなみと酒を満たした。俺は両手に酒杯を捧げ持ち、白龍の前へと進み出た。


「そして、今回貴方に捧げるのは。我々が持ち込んだ品は、数に限りのある一過性のものに過ぎません。しかし、これは違います。我々が持ち込み、この地で根付き、実を結んだ成果です」


【小さき者、シュウよ。未来とは大きく出たな。いずれこの地を去る、旅人に過ぎぬ汝が言う未来とは何だ?】


「この地に住まう妖精族が育む文化です。この酒は地妖精が作りました。原料である米も、この地で収穫されたものを用いています。我々人間は妖精族ほど長命ではありません。それでも文化を受け継ぎ、あそこまでの品を作り上げるに至ったのです。長命の妖精族ならば、いずれ我々を凌駕するに至るかもしれません。今回の供物はその端緒。果てしない未来を目指す、若い味です。今は未だ拙くとも、貴方が見守る彼らは進歩していくでしょう。もう一度味わってみて下さい。この新たに芽吹いた若い味を」


 珍しく長広舌を振るい、少し面映ゆくもあるが、決然と顔を上げて白龍を仰ぎ見た。そして気づく。俺の両手から巨大な酒杯が消えていた。


【未来か……他の品々も、この地に根付いたものだと言うのか?】


「そうです。こちらのうずらは、地妖精が育て始めています。これは、森妖精が作り始めた黒砂糖。これは山妖精が新たに蒸留という手法で作り始めた、蒸留酒ウィスキーになります。これは水妖精が取った海藻から出汁を取り、同じく乾した海産物を煮込んだスープです。そして――」


 俺がそれぞれの供物に関する来歴を説明し、白龍がそれらを味わうと言うやり取りを何度も繰り返した。


【未来。粗削りだが、それ故に若々しい可能性を感じた。漫然と時を経るのではなく、生まれた文化が洗練されていく様を見守るというのは、実に楽しみだ】


 いつしか供物の山は空となり、白龍は穏やかな思念を送ってきていた。俺は胸を撫で下ろし、白龍を振り仰いで告げる。


「『テネブラ』の騒動が片付けば、もう少し妖精族たちと関りを増やすのも良いかもしれません。私の故郷では人知の及ばぬ大いなるものを神とし、それをなだめ鎮めるためにまつるという風習がありました。我々は神の力を当てにするのではなく、荒ぶらず何もしないでくれと願い、何事もなく過ごせたことに感謝を捧げます。人事を尽くして天命を待つという言葉があるように、最終的に運命を天にゆだねることもありますがね」


 俺がそう言うと、かつてのように突風が吹き荒れた。白龍が笑ったのだ。


【そのような関係性もあるのか。汝の捧げた未来、確かに受け取った。それでは約定に従い、汝に龍の力を与えよう】



◇◆◇◆◇◆◇◆



 それから白龍が語った、龍の力とは恐ろしいものだった。始祖龍が遺した『神龍珠』を用いるには、俺自身にも龍の力を宿す必要があるらしい。

 そして龍の力は、与えられたものに遠からず破滅を齎すのだと言う。龍の力は己自身の存在を、自身で定義し、書き換えることを可能とする力。

 肉体という強固な殻に守られた脆弱な精神では、徐々に己の存在を見失い、人格を保てなくなるらしい。その前例を我々は既に目にしていた。

 大陸の王都にそびえる巨木、『神樹アールボル・サークラ』は、始祖龍の力を与えられた原初の妖精族の姿なのだそうだ。


 そして、俺の存在は白龍の目を以てしても、完全には見通すことが出来ないらしい。俺が龍の力を得た場合、どのような変化が起きるのかは未知数となるようだ。

 とは言え、その破滅はすぐに訪れるものではない。龍の力は飛躍的に寿命を延ばすため、百年やそこらの時間では致命的な変化が起きることは無いだろうという事だった。

 そのタイムリミットは人類の寿命を考えれば十分すぎる程に長く、既に人類を止めつつある俺にとってはむしろ好都合とさえ言えた。

 それに既に賽は投げられた。致死のリスクは織り込み済みで動いている今、その程度のリスクを躊躇する訳もない。


 俺とアベルが頷きあって確認し、俺が代表して決意を伝えた。それを受けて白龍は、五指を具えた巨大な手を伸ばし、『神龍珠』を握り込んだ。

 その上で、体を低くすると、俺にも『神龍珠』へと触れるよう促してきた。俺が手を伸ばし、『神龍珠』に触れた瞬間、世界が色を変えた。

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