第249話 日本酒と龍

 地妖精と山妖精合作の巨大な木製樽の蓋が開かれた。白を超えて琥珀色に傾いた色味を呈する表面には、僅かな気泡が浮かぶのみとなっている。

 ガイアの環境では発酵が短時間で進み過ぎるため、酸素供給量を絞っているのだが、それでも通常一ヶ月近く掛かる酒造工程が一週間ほどに短縮されていた。

 最初に濁酒どぶろくを仕込むのと並行して、日本酒の仕込みをも実施していたが、何とか一樽だけは清酒へと加工できそうな状態に仕上がっているようだ。


 船を漕ぐオールのような器具を動かし、中身をかき混ぜる。未だ米の形が残っているものも多く、水分の多いお粥のような状態に見える。

 次に持ち手の長い柄杓を伸ばし、表層の液体を掬って茶碗に汲み取った。香りを嗅ぐと、フルーツともヨーグルトともつかない酸味を感じさせる香りがした。

 濁った液体を舐めるようにして舌にのせる。まろやかな米の甘味と、発泡にまでは至らない微妙な炭酸成分のようなものを感じるのど越し。

 お酒など、お神酒か正月にしか飲まない自分では良く判らないが、決して不味いものではない。酒精が強く甘味の薄い甘酒のような味わいだ。


「ど、どうじゃ? これも失敗かの?」


 アパティトゥス老人が恐る恐る訊いてきた。俺は再び柄杓を差し込み、汲み上げた液体を老人へと手渡す。

 自分達でも散々濁酒を仕込んで飲んでいるだけに、彼は怯まずに一息に茶碗を呷った。喉が大きく動いて液体が嚥下され、老人は目を見開くと残りを飲み干した。


「美味い! 酒になっておる! やっと成功したんじゃな?」


「ええ、成功です。他の樽のように酢酸発酵まで進まず、無事日本酒に出来たようです」


「それじゃ、これで完成か!?」


「いえ、まだです。これを搾って清酒と酒粕に分け、更に濾過をしたものに火を入れて完成となります」


 俺が合図をすると、控えていた地妖精たちが酒袋と呼ばれる布袋を持って『もろみ』を汲みだしていく。

 この酒袋も、地妖精に一番細くて丈夫な糸を用意して貰い、それを『エレボス』に搭載された万能織機『アラクネ』で袋に織り上げたものだ。

 複数の糸をり合わせ、平織と呼ばれる帆布用の丈夫な織り方で生地を作っており、濡れても容易に浸透しない特徴を持つ。

 そのため、酒袋に固形物交じりの液体である『醪』を入れても、即座に液体が滴るようなことは無い。


 『醪』の詰まった酒袋が、ふねと呼ばれる木製の木枠の中に交互に折り重なるよう、積み上げられていく。

 本来はこの積み上げ方にも技術が必要なのだが、何分なにぶんにも今回が初めてのことだけに、資料映像の見よう見まねで、適当に積んでいる。

 三段、四段と酒袋が積み重なるにつれ、重みを掛けられた下方の酒袋から『荒走り』と呼ばれる最初のお酒が染み出してきた。

 何故か汲み出し口に待機していたガドック師が、木製の椀で受けて目を輝かせている。


「おお! 僅かに濁っておるが澄んでいる。どれ、味は……っかー!! 美味い! スッキリとしていて、鼻に抜ける香りが実に良い」


 ガドック師を皮切りに、酒好きの山妖精が並んで、次々に味見をしては感想を述べあっている。

 そうしている間にも酒袋が積み上げられ、最後に木製の板が載せられ、重しがどんどんと載せられていった。均等に重しが載せられると、更に木蓋が置かれた。

 この段階になると、槽の汲み出し口からは澄んだ液体が流れ出ている。それを素焼きの甕に入れて貯めておく。

 最後に山妖精謹製の総鉄製ネジ式圧搾機が鎮座した。実は発酵の進みが早いガイアでは、ゆっくり時間をかけて搾るという贅沢は許されない。

 俺自身が圧搾機に取り付いて、自重も掛けつつ剛力でハンドルを回して槽へと圧力を加えた。


 勢い良くほとばしった『中汲み』と呼ばれる一番味と香りの乗った酒が、甕を満たしていく。中ほどまで酒の入った甕は、数人掛かりで運ばれると、湯煎で『火入れ』と呼ばれる低温殺菌工程へと進む。

 この『火入れ』をしないと、搾った後でも発酵が進み、最終的には酢酸発酵によって臭い上に酸っぱくて飲めたものではなくなってしまうのだ。

 何度か酒袋を積み直したりして、最後まで搾り切ると、ようやく一息つくことが出来た。埃を立てないよう、隅っこで床に座ると、アディ夫人が試飲用の『中汲み』を持って来てくれた。

 俺は礼を言って受け取ると、その透明な液体の香りを吸い込んだ。強い酒精に交じって、僅かに桃のような香気が感じられた。


 出来立ての酒を口にすると、若々しくも荒々しいパンチの利いた味がした。やや端麗辛口に傾いた呑み味と、喉を焼く酒精の感覚が堪らない。

 五樽仕込んで、成功が一樽のみという惨憺さんたんたる成績だが、皆の顔に悲壮感はなかった。火入れを待たずに生酒を呷るガドック師や、彼をたしなめる弟子たちが笑い合っている。

 アパティトゥス老人は全ての工程の酒を少量ずつ飲み比べ、最後に搾り出された酒を持ってこちらへやってきた。


「ついに出来たのう……わしらの酒が。この最後の一雫を含んだ一杯が堪らん。わしには濁酒に近い、こいつが合っておるのかもしれん」


 そう言って老人は上気した顔をほころばせ、酒臭い息を吐いた。俺は老人と酒杯を合わせると、残りの液体を流し込んだ。

 共に苦難を乗り切った際に感じる特有の感覚が、最高のスパイスとなり、後味に酔いしれた。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 俺は一仕事終えて戻ってきたアベル達と合流し、かつて白龍と相まみえた『龍の祭壇』に立っていた。

 俺が荷物を取り出し、アベルが白木の供物机を組み立てている。以前に供えた際は、名酒と名高い一本だったが、今回持参したのは手作りの品だ。

 果たして白龍は満足してくれるだろうか? 若干の不安と、それ以上の自負を胸に供物の数々を机に並べた。


「しかし、色々と準備したものだな。シュウが仕込んだ酒に、これはターキーの丸焼きか? こいつは黒糖だろうし、これはなんだ?」


「惜しいですね、チーフ。ターキーじゃなくてうずらです。こっちの鶉は大型なので、七面鳥みたいですよね。最後のは乾物です、水妖精がくれた海産物を干物にしたんです。他にも、山妖精が作った初のウィスキーもありますよ?」


「ウィスキーも作ったのか! しかし、熟成が足りんだろう?」


「確かに、まだまだとげとげしい味らしいですが、将来性を感じさせる出来だそうです。今回のテーマにはぴったりでしょう?」


「確かにな」


 アベルは太い笑みを浮かべると、最後に『神龍珠』を置いて後ろに下がった。

 俺は周囲を見回し、チェックリストを指さし確認しながら漏れがない事を確かめ、大きく深呼吸をすると通信で全員に声を掛けた。


「これより、白龍を呼び出します。ドクもパッシブな観測は構わないが、アクティブな探査法は控えてくれよ?」


 俺はドクに釘を刺すと、両目を閉じて白龍へと呼びかけた。目を瞑ったところで、左目の視界は開けているため、白龍の登場を見逃さないようにする。

 俺の『管理者の目アドミニサイト』には、まず尋常ならざる情報の塊が出現したのが見えた。高密度の球状をした情報は、紐のようにほどけ、互いに縒り合わさるようにして巨大な蛇体を為していった。

 次いで『情報層』から『物理層』へと干渉が始まり、物体としての白龍が全身を現した。凄まじい存在感と、熱波のように吹き付けてくる威圧感が体を震わせる。


【小さきもの、シュウよ。よくぞ来た。時は満ち、始祖の遺産も戻った。この奇跡の邂逅を以て、汝に龍の力を与えん】


 白龍の空気を震わせない、無音の思念が脳に直接伝わってくる。二度目の直接対決が始まった。

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