第248話 48時間

 虚空に突然ドアが現れた。何の支えも無く宙に浮かぶドアが開き、ドアの奥から男性が飛び降りる。


「あれ? 案外牧歌的だな。さてさて、おっさんはどこだろう?」


 周囲を見渡しながらドクはひとちた。ドクの言葉通り、周囲は自然に満ちていた。

 見渡す限りの大草原が広がり、中央部になみなみと水を湛えた湖があった。その湖畔にポツンと佇むコテージがあり、ウッドデッキに人影が見えた。

 ドクはもっと荒涼とした世界を想像していただけに、興味深げに周囲を見回しながらゆっくりとコテージへと歩いていった。


「おーい! おっさん、そろそろ時間だぜ。満足したかい?」


 ウッドデッキでゆったりと揺れるロッキングチェアに向かってドクが声を張り上げた。

 椅子に揺られながら転寝うたたねをしていた男性が起き上がり、ドクを認めると声を返す。


「すまないな、眠っていたようだ。迎えが来たということは、時間か……。そうだな…… 端的に言えば、飽きたな」


 声を掛けられた男性、カルロスは苦渋くじゅう諦観ていかんの入り混じった複雑な表情で呟いた。


「ふーん、そんなもんか。あんまり期待しちゃいないが、情報は引き出せたかい?」


「悪いが口を開かせると不快だったんでな、何も聞き出してはいない。それは貴様が引き継いでくれるんだろう?」


「俺様は対人交渉が苦手なんだがな。で、やっこさんは何処だい?」


 ドクの問いに対して、カルロスは足元を指さした。ドクもウッドデッキに上がり、ロッキングチェアの下を見て目を見開いた。


「なかなかに悪趣味だな……。おっさんは一足先に戻っててくれ、もうこいつに興味もないだろう?」


「そうだな…… 復讐は果たしても、ついに心が晴れることはなかった……。先達はいつも正しい……が、受け入れる事は難しい。あとは自分の問題だな、機会を与えてくれてありがとう、ドク」


 立ち上がり頭を下げて礼を言うカルロスに、ドクは軽く手を振って応え、去っていく復讐者カルロスを見送った。

 カルロスが去ったのを見届けると、ドクはロッキングチェアをどかし、床面を掘り下げて作られた空間から赤黒い肉塊を持ち上げた。


「うげ…… この上に載せて踏んでたのか…… 恨みってのは凄まじいな」


 肉塊の収まっていた底には、洗濯板のように三角形に尖った溝が並び、血と肉がこびりついていた。

 肉塊側も溝の形に体が削れており、凄絶な有様になっていた。それにしても苦鳴くめいの一つも漏らさないのを不思議に思い、よくよく眺めて見ると、下顎が引き千切られており、短冊状に切り裂かれた舌が垂れている。

 喉も半分ほど引き裂かれており、とても会話が出来るような状態では無かった。ドクは思わず天を仰ぎ、初期化のコマンドを命じた。


 変化は劇的だった。湖畔のコテージも草原も全て消え去り、果ての見えない真っ白な空間が広がった。先ほどまで肉塊だった存在は、東洋風の男性の姿を取り戻していた。


「よう! 元気って訳じゃあなさそうだが、調子はどうだい?」


 男はドクに声を掛けられても、すぐには動こうとしなかった。繰り返された想像を絶する拷問から学んだのだろう。顔も上げずに亀のように丸まり、地面にうずくまっている。


「おっさんはもういねえよ。その様子だと随分と痛めつけられたようだな、俺様は加虐趣味なんて持ち合わせてないから、ちょっと話をしようや?」


 男、小強シャオチアンは恐る恐る顔を上げ、言葉通りカルロスの姿が無いのを確認すると深く息を吐いた。

 長らく言葉を発していなかったのか、ぎこちない発音ではあったが、何とか言葉を絞りだす。


「何が知りたい? 俺は改心した。何でも協力するし、情報も出し惜しみなどしない」


「ああ、そういう駆け引きは要らねえ。あんたみたいなタイプが更生なんかするはずがないし、されても困る。だから取引をしようや、ギブアンドテイクだ。悪い話じゃないだろう?」


 ドクの指摘通り、小強の心は復讐心に燃え盛っていた。拷問に屈しはしたが、耐えきったのだ。逆襲の機会だとさえ思っていた。

 小強は殊勝な態度を拭い去ると、不敵な表情を浮かべてドクに告げた。


「俺の要望は、俺を解放して自由にすることだ!」


「OK、それで構わない。正直な話、この施設を維持するのも割とコストが掛かるんだ。ただまあ、掛けたコストに見合う成果が無いと困るわけだ、判るだろう? 今から俺様がする質問に正直に答えてくれれば、48時間後に開放することを約束するぜ」


「何故48時間も掛かるんだ?」


「即座に開放しても構わないが、多分廃人になっちまうぜ? 最初に言ったろ? ここと通常空間じゃ、時間の流れが違うんだ。それを同期させるのに必要な時間がそれぐらいなんだよ。ただまあ、約束を守る意味でも、あんたが質問に答えてくれさえすれば一切の干渉をやめる。あんたは自由だ」


「そういう事なら仕方ない。俺は虜囚だしな、お前を信用する他はない。何が知りたい?」


「そうこなくちゃな。あ、嘘やごまかしは通用しねえぜ? 言ってる意味は分かるな?」


「ここまで異常な事をやらかす奴相手に、出し抜けると思うほど自惚れちゃいない」


 ドクは満足げに頷くと、小強に向かって質問を開始した。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「よし、こんなところか。ありがとよ。たった今からあんたは自由だ。まあ48時間ばかし不自由に耐えてもらわにゃならんが、それは了承済みだしな」


 そう言ってドクは一本のナイフを取り出すと、小強に放ってやった。


「なんだこれは? 何かと戦わせようとでもいうのか?」


「いんや、純粋な好意だよ。正直に話してくれた、あんたへの報酬だ。武器の一つもあった方が、あんたらみたいな人種は落ち着くだろう? さて、俺は行くとするよ。もうあんたの開放プロセスは始まった、誰にも止めることは出来ない。次に会うのは48時間後だ、まあ何にもないところだが暫く我慢してくれや」


 そう言うとドクは立ち上がり、虚空にドアを作り出すとノブを回して立ち去った。

 小強は背後から襲いかかろうかとも考えたが、不首尾に終わった際のリスクを考えて立ち止まって見送ることにした。

 閉じられたドアの向こうから声が届く。


「あ、そうそう。あんたがカルロスと二人で過ごした時間な、あれは現実時間で6時間ほどだ。約120倍に時間を加速させているから、こっちじゃ30日だったわけだ」


「まさか! 48時間後というのは、通常時間でという話か? だましたな!!」


「おいおい、人聞きの悪い事を言うなよ。俺は聞かれなかったから黙っていただけで、騙してなんかいないさ。ついでに、これはサービスだ。左の数字が加速倍率、右側の数字がそっちの世界での経過時間だ。たった48時間だ、我慢できるだろう? じゃあな」


 その言葉を最後にドアは消え去り、声は聞こえなくなった。小強は虚空に浮かぶ数字を見上げた。

 小強から見て左側に浮かぶ数字は『36,000』となっており、右側に浮かぶ数字は1秒ごとに数値が増えていく。

 つまり、こちらの世界で10時間経っても、通常世界では1秒しか経過していないことになる。

 通常世界の48時間後とは、こちらの世界の約200年に相当すると言う事に理解が及ぶと、小強は絶叫した。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 純白の世界に、男が一人横たわっていた。

 小強は最初こそ、罵声を吐いたり暴れたりしていたが、一切の反応がない事を知ると諦めて横になった。

 そのままじっとしていたが、喉の渇きを覚えて視線を上げる。デジタル表示の経過時間は3時間程が経過したことを告げていた。

 しかし、喉の渇きを癒そうにも、ここの世界には自分以外何も存在しない。

 白衣の男が虚空から物体を取り出していたことを思い出し、水を出そうと念じるが何の反応もなかった。

 恐ろしい考えが脳裏を過るが、小強は一切の思考を放棄して眠ることにした。


 幾度それを繰り返しただろうか、経過時間を眺めると72時間が経過しており、喉の渇きは耐え難い苦しみを生んでいた。

 空腹も相俟あいまって、衝動的に叫びだしたくなる。苦痛に耐えるべく体を丸めると、鋭い痛みが走った。

 握ったままになっていたナイフが、体を丸めた際に頬を浅く切り裂いたのだ。傷口から血液が流れ出た。


「水だ……」


 垂れてきた血液を指で拭い、口に運ぶ。鉄臭い香りと粘つく感覚に吐き気を覚えるが、何とか飲み下す。

 ほんの僅かに渇きが遠のいた気がした。一度気が付いてしまえば、歯止めは利かなかった。

 渇きに耐えられなくなれば血管を裂き、極限の飢えに耐えかねて己の肉を口にした。

 不思議な事に、どこを切っても一定時間で血液の流出は止まる。失血死する事もない代わりに、傷口が癒えることもなかった。


 最初は左足を切った。昼も夜も無いここでは歩く必要などないため、利き足でない方を犠牲にした。

 絶叫しながら己の足首にナイフを突き立て、何度も何度も切りつけて骨を露出させ、右ひざの上に乗せると体重をかけてへし折った。

 視界が赤く染まる程の苦痛に耐え、傷口から溢れる血を啜り、己の左足の肉を貪った。

 おぞましい行為だが、それ以上の苦痛を齎す飢餓にさいなまされ、やむを得ず何度も繰り返した。


 やがて両脚がなくなると、次は左腕を犠牲にした。片手ではナイフを振るう事も出来ず、ついには右手に直接噛みつき、口が届く範囲の全てが消えた。

 絶え間なく襲い掛かる飢えに堪えるため、食べ残していた骨にすら齧りついた。発作的に経過時間を見上げる。

 ようやく1年が経とうとしていた。これがあと200倍近くも続くなど、到底耐えられなかった。

 命を断とうにも、とうに舌は噛み切って食べてしまい。頬の肉や唇といった可食範囲は全て欠損している。

 小強は全てを呪い、只管ひたすらに死を願った。こんなに苦しいのなら、脳を抉りだしてしまえばよかったと後悔するが、もはやそれすら叶わない。


 小強は今まで歩んできた人生以上の時間を、常に致死の渇きと飢えに苛まされ続けながら耐えるしかなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――ピピッ!

 唐突に鳴り響いた電子音にドクが反応する。端末を操作してスケジューラを確認すると、約束の時間が経過したことを教えてくれた。

 ドクは次々とモニタ上を流れていくサマリ情報を流し見て、誰にともなくつぶやいた。


「なかなかに気合の入った悪党だな。常人なら1年とたない予想だったんだが、7年ほども活動情報がある。さて、それじゃあ俺様も約束を守るとするか……」


 そう言ってドクが見やる視線の先には、液体の満たされた透明で円柱状の培養ケースがあり、そこに各種ケーブルに繋がれた東洋人の生首が浮かんでいた。

 小強がドクの研究室ラボまで運ばれてきた時点で、既に体組織の殆どが『吸血鬼』の細胞に侵されていた。『吸血鬼』研究の副産物である、抑制剤を投与したが『吸血鬼』細胞が脳に達するのは時間の問題だった。

 抑制剤で限界時間を引き延ばし、その間にカルロスと加速した仮想空間で同期させ、復讐を支援した。その後は、『吸血鬼』細胞の浸食と、小強の免疫機能との戦いを観察していた。

 体を蝕む何かに対して自決用のナイフを渡したのだが、ログを見る限りそれは飢餓と言う形で現れたようだった。その結果がどうなったかは誰にも判らない。途中から脳は一切の精神活動を停めていた。


「お疲れさん、ゆっくりと休みな。約束通り、お前さんを解放しよう」


 ドクがキーを叩くと、培養ケースから液体が排出され、繋げられていたケーブルが運んでいた輸液もストップする。

 血液の供給が断たれた生首は、下部の方から徐々に灰白色へと変色し、硬質な骨格を残して筋肉部分が萎縮して剥がれていった。

 最終的に残った残骸も、ロボットアームに掴まれ、焼却炉へと消えた。

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