第246話 カウンターストライク04

 驟雨しゅううが大地を叩くような異音と共に、漆黒の颶風ぐふうが横殴りに吹き荒れた。

 大盾の背後に居た騎士以外は軒並み打ち倒され、倒された人々の口から悲鳴が漏れる。

 大地に這いつくばったアベルは横転した勢いのまま、馬車の車輪と車輪の間に体を潜り込ませた。

 そして突如自分達を襲った攻撃の正体を見極めようとした。


 倒れることが出来た人間はむしろ幸いだった。馬車に括り付けられ、身動きの取れない馬が悲痛な叫びを上げる。

 ガンガンと硬質な何かが馬車を叩く音と共に、木材をも削り取るガリガリという衝撃が伝わってくる。

 地面に身を伏せるアベルの前に、ボタリと何かが落ちてきた。


 それは鴉ほどもある蜂だった。全身に体毛を具え、体長に比して異常に巨大な翅を持つ昆虫。

 注意深く観察していると、仰向けに落ちた体を器用にひっくり返し、翅を羽ばたかせると再び飛翔した。


「総員姿勢を低くして障害物に身を隠せ! 殺人蜂キラービーだ!」


 騒音の中でも耳小骨を直接振動させる通信は、はっきりと聞き取れるためチームメンバーのみが転がりながら集まってきた。


「全員無事か!? 解体屋レッカー、害虫駆除に使ったアレは持ってきているか?」


「ありますが、アレを使うんですか?」


「少々の被害は気にするな! 見ろ、このままではいずれ全滅だ」


 アベルが指差す先では、盾の内側で丸くなった騎士はともかく、軽装備の兵士達が蜂に群がられて倒れている。

 亀のように丸まって身を守っているようだが、あのサイズの蜂に何度も刺されれば命を落とす可能性が高い。


「まずは、装備を取り出す時間を稼ぎます。全員目を塞ぎ、耳を閉じ、口を開いた状態で伏せてください」


 ヴィクトルは腰に括りつけたM84スタングレネードフラッシュバンを転がした。

 周囲を塗りつぶす爆光と、耳をつんざく轟音が世界を切り取った。

 至近距離で閃光と爆音に晒された騎士や兵士も気絶するが、一定範囲内の蜂たちも全て行動不能に陥って、地に堕ちた。

 一瞬の空隙を突いてヴィクトルがコンテナに走り、アベルとカルロス、ウィルマが周辺を警戒する。

 誰よりも遠目が利くウィルマの視界に絶望の光景が広がっていた。先ほど墜落した『牛攫いアバクトール』の巨体が、樹木と一緒に大ムカデの体をも轢き潰していた。


「チーフ、大変です! 大ムカデが化け物の墜落に巻き込まれています。奴の仲間も集まってきます!」


「くっ! 死んだ後まで面倒をかけやがる、解体屋まだか!?」


「重すぎて動かせません!」


「構わん、幌を破ってそこで起爆しろ!」


「了解」


 ヴィクトルはコンテナを開き、直上の幌をナイフで大きく切り裂くと、セーフティを解除して装置を起動した。

 スタングレネードの影響範囲外から蜂が押し寄せてきたのか、再び耳をろうする羽音が迫る。

 不意にスポンと言う軽快な音と共に馬車から何かが打ち上がった。

 規定の高度に達したそれは、目に見えて膨張し、限界を超えて破裂した。


 傘状に広がった透明のヴェールが凄まじい広範囲を覆い、重力に引かれるままに落ちてきた。

 妙に粘性の高いゲル状のスライムが上空から滝のように降り注ぐ。

 粘液に絡めとられ、重量も相まって無数の蜂が地に落ち、粘液にまみれて蠢いているが、その動きは弱々しい。

 アベルが顔に張り付く粘液を拭って払いながら、周囲に響くような大声で叫ぶ。


「倒れている連中を引き起こせ! 倒れたままだと窒息して死ぬぞ!」


 意識のある騎士や兵士達も動き出し、気を失った仲間を助け起こし、足をとられつつも何とか態勢を立て直す。


 粘液地獄を生み出したのは、アンテ伯領の小麦栽培拡大を実行した際に、異常発生したカメムシを駆除するためにドクが作り出した対抗措置カウンターメジャーだ。

 原理はオムツや保冷剤などに利用される高分子吸収体の応用だ。地球産のそれと異なり、ガイアの物質から生み出した高分子吸収体は特異な性質を示した。

 ドクはこの物質をSuperAbsorbentMagicalPolymerと名付け、改良を重ねた結果、物質体積の3000倍もの水分を保持できるようになった。

 親水性が高く、網目構造に水分子を取り込んで架橋し、ゲル状を呈するのは一緒だが、魔力を通すと抱え込んだ水分を放出し、変わりに魔力を包み込んで結晶化する。

 この性質により大量の水分を任意に蓄積、放出できるようになり、爆圧でコラーゲンや界面活性剤と混合して飛散させるよう設計された。


 その結果、広範囲に大量のゼラチン様液をぶちまける、用途不明の謎装置が完成した。

 人間にとっては鬱陶しいだけの存在だが、節足動物や昆虫にとっては致死の脅威となる。

 昆虫類の大部分は腹部に気門と呼ばれる穴があり、そこから空気を取り入れて呼吸を行っている。

 非常に高効率な反面、原始的な肺構造であるため、これが塞がると容易に死に至る。

 台所の黒い悪魔ことGが、中性洗剤を浴びただけで簡単に死ぬのは、体表に纏った油分を界面活性剤に分解され撥水性を失い、気門を通して気管内部まで入り込んだ粘液が呼吸を阻害するのが原因である。


 アンテ伯領で大発生したカメムシ対策としてこれを用い、瞬く間にカメムシを駆逐したのは記憶に新しい。

 昆虫にとっては致命的な物質も、植物にとっては保水性の高い表土代わりに過ぎない。使用されたSAMPは死んだカメムシと一緒に地表を覆いつくす余剰分を撤去され、水捌けの良すぎる土壌を補佐する保水剤として今もアンテ伯の土地を潤している。


「虫けらどもは弱っている! 今こそアンテ騎士の力を示す好機! 総員奮起せよ!」


 騎士隊長自らが先陣を切り、頭をもたげる大ムカデに鉄槌を叩き込んだ。足場の悪い立地での打ち込みゆえか、大ムカデの強靭な装甲に弾かれはしたものの、大ムカデを粘液に叩き落すことは出来た。

 ムカデは節足動物であり、多くの体節を持つためか、呼吸を維持できる気門が多く、即死するには至っていなかった。しかし、騎士隊長の一撃によって頭が粘液に落ち、目に見えて動きが鈍った。


「皆の者続け! この粘液に叩き込みさえすれば、こ奴らは確実に弱る! 体を持ち上げさせるな!」


 騎士隊長が叫び、騎士や従士が呼応して気炎を上げる。

 手に手に得物を持つと、地に落ちた蜂や、動きを鈍らせつつも迫る大ムカデに襲い掛かり、当たるを幸いに攻撃した。

 それは防御を捨てた殴り合いだった。粘液に沈む蜂を踏み潰し、大ムカデの体に跳ね飛ばされながらも決死の打撃を加える泥仕合の様相を呈していた。

 SAMPの副次的な効果として、粘液に塗れた大ムカデは仲間を呼ぶことが出来なかった。大ムカデの体液には仲間を呼ぶフェロモンが含有されているのだが、粘液に絡め取られる事により、飛散することが出来ずその場にとどまってしまった。

 こうなれば大勢は決したようなもの。アベルやヴィクトル、ウィルマも銃撃による支援攻撃を実行し、ようやく活路が見え始めたところに轟音が響き渡った。


「くっ! 機関部に粘液が入り込んだか……すまない、外した」


 カルロスが遊底ボルトを操作し、排莢と次弾の装填を行う。

 しかし、射撃の効果はあったのか、烈風を叩きつけはしたものの、何も投下することなく『牛攫い』は飛び去っていく。

 カルロスは狙撃を断念すると、セーフティを掛けて二脚銃架バイポッドを畳んだ。


「ドク、首尾はどうだ?」


 カルロスの問いに対して、ドクが通信機越しに応える。


「んー……。お、反応があった。命中したフレシェット弾があったようだ。魔導と科学が融合した特殊弾頭は一味違うぜ、うまくネグラまで逃げ帰ってくれよ」


 PDAの地図上に高速で飛び去って行く光点が示される。当然ながら荷台に載せられたレーダーの範囲から外れた瞬間光点が消える。

 それでもドクの笑みは消えなかった。大ムカデの掃討を終え、動く敵が絶えた戦場にドクが手配しておいた保険が舞い降りた。


「大ムカデ退治には間に合わなかったが、後始末は手伝って貰えそうだな」


 上空より舞い降りる救援を見上げ、アベルは一人呟いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る