第245話 カウンターストライク03
異臭。街道を進む輸送部隊が最初に気付いたのは、周囲に漂う甘い腐臭。
動物の死骸が放つそれが風に乗って運ばれることはままあることだが、吐き気を催すような濃度で辺りに充満するというのは異常だった。
「隊長、この強烈な臭いはいつものことなのか?」
アベルの問いに隊長は答えあぐねる。熟練の荷役夫にも確認を取ったが、こんな臭気が立ち込める事態は未経験のことらしい。
どうにもきな臭い。アベルの勘が緊急事態の到来を予感していた。
「ドク、広域警戒から近距離周辺重点警戒に変更だ。動体検知を最優先、赤外線探知も温度の閾値を下げて深く洗い出せ!」
アベルは隊長に指示を飛ばし、輸送部隊を停止させると周辺警戒を密にする。
誰もが不可視の敵に対する緊張を高めていると、アベルの耳にドクからの報告が届いた。
「やられたぜ。チーフ、周辺を囲まれている。妙に低い体熱を持つ大型の移動体が周囲に潜んでいる。数は不明。蛇なのか何なのか妙に長い個体か、もしくは群体だ」
「良くやったドク。そちらへの対処は我々が行う。敵は必ず波状攻撃を仕掛けてくるはずだ。遠距離、特に上空からの接敵を警戒してくれ」
PDAのマップ情報が更新され、マップ上に灰色の存在が浮かび上がった。体熱放射が少なく、輪郭が定まっていないが、その移動体の大きさは優に5メートルを超えている。
その巨大生物は輸送部隊を中心に7匹が取り囲み、円を絞り込むように輪を縮めようとしていた。
「
「いえ、何も――!! 見えました! 赤い甲殻と黄色の歩脚、連なる体節。
ウィルマからの報告を共有すると、古参の輸送部隊員が警告を発した。
恐らく部隊を取り囲んでいるのは大ムカデであり、強固な外殻と致死毒を持つ危険な生物であるらしい。
しかし、積極的に馬車が主体の輸送隊に襲い掛かるような習性は無く、小動物や動物の屍骸を食べる食性をしているらしい。
この奇妙な臭いに惹かれて集まっている可能性が高く、迂闊に攻撃を加えると大変なことになると言ってきた。
なんでも大ムカデは攻撃されると仲間を呼ぶ習性があり、うっかり傷を付けて体液を飛び散らせようものなら、広範囲から恐ろしい数の大ムカデが集まってきて収拾がつかなくなるらしい。
「聞いたな? 大ムカデに対する攻撃は極力避けるように行動しろ! 嫌忌剤を散布して安全圏を確保し、大ムカデを誘引している臭気の発生源を探るぞ!」
アベルが幌を掛けられた荷台から軍用コンテナを引き出し、中から嫌忌剤のスプレー缶を取り出して配布していく。
「スプレー容器は捨てるなよ! 薬剤よりもはるかにコストが掛かるからな、空中に噴霧するんじゃなく、地面や樹木など対象を取って吹き付けろ」
武装した騎士を護衛に、男達が周辺に嫌忌剤を噴霧して自陣を拡大していく。
その間にもウィルマが部隊に合流し、ヴィクトルと共に臭気の発生源を探り始めた。
ウィルマは犬科の動物がするように、高鼻を使いながら周回するように歩き、一点を目指して走り出した。
「チーフ! 発見しました。樹木の
「お手柄だ、狩人。しかし、人間らしきものとはどういうことだ?」
「接近して調査します。その間、バックアップをお願いします」
ウィルマの要請に応えてショットガンを構えたヴィクトルが背後で警戒態勢をとった。 洞を隠すように配置された枝葉を掻き分け、内部が日の光に晒される。
そこには異常に膨れ上がり、人間としての輪郭が崩壊しつつあるものが押し込められていた。
簡素を通り越して粗末な衣服から露出した肌が盛り上がり、皮膚の内側に黒い何かが蠢いているのが見えた。
「チーフ! 何かに寄生された人間です。腐敗と消化が進んでいるのか、この奇妙な臭気の発生源になっているようです」
ウィルマが報告している間にも、限界を越えて膨張した皮膚が破れ、内部から茶色く変色した体液と共に巨大な蛆虫がこぼれ落ちた。
溢れた液体が強烈な腐臭を放つ。これが大ムカデを誘引しているのだろう。這い出した蛆が洞の上部へと進んでいく。
フラッシュライトで洞の上部を照らしてウィルマは絶句した。そこには蛹と化した蛆たちが並び、黒く成熟した蛹から成虫が孵ろうとしていた。
この成虫が何の虫にせよ、そいつは人間に卵を植え付け、苗床に変えてしまう肉食生物なのだ。
「下がれ狩人! チーフ! 敵性生物のコロニーを発見、既に羽化が始まっており、早期殲滅が必要です! 許可を!!」
「構わん
ヴィクトルは了解と短く答え、ウィルマを後方へと押しやると洞に
くぐもった爆発音が響き、内側から崩壊した樹木が音を立てて倒れていった。
「臭気の濃度からして、ここ一箇所だけじゃないはずだ! 周囲の太い樹木を確認するんだ!」
動ける人員総出で、慌しく周辺の樹木を確認して回る中、アベルのPDAから警告音が響いた。
「チーフ! 悪い知らせだ。例の『
「
「予想進路と高度のデータを寄越せ! 最悪でも片方は落とす!」
カルロスが
「射線が通らない! バックアップが必要だ!」
「よし! 俺と解体屋で弾幕を張る! 隠者はそのまま狙撃しろ!」
「あんまり良くねえ状況だな。こっちでも保険を掛けておくから、暫く耐えてくれ」
アベルとヴィクトルがアサルトライフルに持ち替えると、上空に向けて銃弾を連射する。
反動で跳ね上がる銃身を押さえつけながら、バースト射撃を続ける二人の横合いから、落雷のような轟音と共にマズルフラッシュの閃光が放たれた。
カルロスは結果を見届けず、ボルトを操作して排莢と再装填を行い、再びスコープを覗き込む。
胴体に着弾し、騎手もろとも錐もみ状態で堕ちていく『牛攫い』以外は視界に入らない。カルロスはスコープから視線を外し、肉眼でもう一方のターゲットを探しつつ叫んだ。
「片方を撃墜。もう一方を
カルロスの声を受け、アベルが全員に注意を喚起し、待機していた大盾持ちの騎士が壁を作る。
敵の侵攻方向に対して真っ向から楔を打ち込むように展開される盾の列。上空から烈風を叩きつけるようにして『牛攫い』が通過した。
角度を付けて立てられた大盾に、何かが叩きつけられ潰れる、鈍い音が全員の耳に届いた。
再び高度を取って飛び去る『牛攫い』と対称的に、周囲の木々を押し潰しながら墜落する『牛攫い』の巨体。
飛行するため軽量化された体は、障害物との激突で壊れ、破れた皮膜や折れ曲がった首が衝撃の凄まじさを物語っていた。
大穴を開けられ、引き裂かれた胴体に辛うじて繋がっていた後ろ肢に、括りつけられた物体が衝撃に揺れていた。
それは翅を毟られ、肢を残らず千切られた巨大な蜂に見えた。黒と黄色の鮮やかな体色と、割れた大顎から伸びる口吻が蠢いている。
先ほど大盾に叩きつけられたのも、この蜂だろうかとアベルが考えていると、驟雨が大地に打ち付けるが如く凄まじい羽音が耳を圧した。
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