第242話 因縁の再会
シャーレに入った着色済み寒天培地が電子顕微鏡にセットされ、自動で試料ステージへと搬送された。
真空中の試料から得られた映像がコンピュータにより処理されてモニターに映し出される。先端に丸い球が付いた棹状構造が集まって一段階大きな同じ構造を作り出す、所謂フラクタル構造が大写しとなった。
「ふーん。まあ、DNA解析で判っちゃいたが、こりゃニホンコウジカビだな。異世界の微生物じゃなくて、シュウが日本から持ち込んだ味噌とかに着いてたのが根付いたんだなあ」
「何か違うのか?」
「そうだな、判り易く言うとこいつは家畜化されたカビなんだ。二次代謝産物であるアフラトキシンの生成能力を失っているんだ。強い発がん性を持つアフラトキシンを生成しない、人類にとって都合の良い菌ってわけだ」
「つまり、何が判ったんだ?」
要領を得ないドクの言葉に、アベルが結論を告げるよう促す。
「要するに安全だって事だ。これから酒造りをするに当たって、安全性を担保する調査報告になるって訳だ。こっちの微生物を培養した挙句に、未知の
「という事は、シュウの依頼作業は一段落したんだな? それじゃ、こっちの作戦のサポートを優先してくれ。間もなく我々は輸送部隊と合流する」
ドクの返事を聞きながら、アベルは通信を終えて周囲を見回した。
アベルをはじめ、ヴィクトルとカルロスの3名が、アンテ伯領の兵士に交じって食料輸送部隊を護衛することになっている。ウィルマは単独で動いており、離れた位置から警戒している。
アベル達の外見上は伯爵領の兵士と同じ装備を纏っており、体格が良いという以外は普通の兵士と変わらない。アベルは革の盾の内側に貼り付けたPDAを確認し、全員のステータスをチェックした。
ドクのサポートによりドローンで空撮された映像が送られてきている。その映像を眺める限りでは、敵対勢力が潜んでいる様子は見られなかった。
徹底した内通者狩りが定期的に実施されている伯爵領側から輸送計画が漏れるとは思わないが、受け取り側から敵側に情報が漏れることは十分考えられる。
その場合、襲撃者側は輸送部隊の規模と警備の程度を確認するため偵察に来ると読んで、斥候を捕らえるために周辺一帯の監視を続けていた。
代わり映えしない空撮映像が突如乱れた。ドローンが予定の進路から逸れて、大きく加速しているのが判る。
「どうしたドク! 状況を報告しろ」
「すまねえチーフ、巨大な熱源が真っすぐそっちに向かってる。予定の進路じゃ、
「つまり、敵は空か!?」
「十分距離は取れたから、そろそろ映像を出せるぜ。ってこいつは、シュウが前に持って帰ってきた化け物鳥じゃねえか……」
ドクが呆然とした口調で言葉を漏らし、高空を滑空する巨大な恐鳥類の姿がPDAのモニターに映る。
「『
拡大された望遠画像がPDAに大写しになると、『牛攫い』の背中に乗馬用の鞍を改造したような物が括りつけられ、恐鳥の背中に人間が乗り込んでいるのが確認できた。
「なるほどな…… 敵のみが航空部隊を持っている。これじゃあ情報が筒抜けになるのも、輸送部隊が的確に襲撃を受けるのも仕方ないな。ドク、背中の人物の手元をもっと拡大してくれ」
画像が拡大され、人物を中心とした拡大映像が表示された。
「この距離だと、この倍率が限界だな。それでもお目当ての物は見つかったんじゃねえか?」
アベルが頷き、隣に寄って来ていたカルロスに目配せをする。
拡大された画像には、『牛攫い』の背後にいる人物が黒い筒状の物体を用いて地表を見ているように映っていた。
「あれは人民解放軍が使う88式狙撃歩槍の固定倍率スコープだな。光学式で4倍と低倍率だが、それ故に視野角が広く観測には向いている」
「現地の巨大生物と地球から持ち込んだ装備を組み合わせて偵察を行っていたのか…… 確かにあのスコープなら消耗品も無いから長期間の運用が可能だな」
『牛攫い』に乗った斥候は、上空を数回旋回すると悠々と飛び去って行く。
「待ってくれ!! 最後の映像を拡大してくれ! 可能な限り背後の人物を拡大して欲しい」
カルロスが勢い込んで叫ぶ、普段自己主張しないカルロスの剣幕に驚きながらもドクが処理した画像を送ってきた。
「どうした、カルロス? こいつに見覚えがあるのか?」
「嗚呼、神は信仰を捨てた私でさえも見捨てはしなかったのだ……。記憶にある姿よりも随分と歳を取っているように見えるが間違いない! 私がこいつを見間違うはずがない!!」
アベルはただならない様子のカルロスを見て、限界まで拡大され画素の粗い人物を注視した。
地球に居た頃、カルロスがチームに加わる条件として抹殺対象となっていた男の姿が、そこにはあった。
「見つからないはずだな、異世界に逃げ込んでいたのか。しかしカルロス、気持ちはわかるが今は作戦が優先だ。奴と我々が敵対している以上、必ず交戦する時はくる」
「ああ、すまない取り乱した。シュウではないが、確かに神というのは存在するようだ。この巡り合わせは運命としか思えない」
探し続けた宿敵との再会に興奮を隠せないカルロスをアベルが宥め、予測される襲撃に対策を講じるべく輸送部隊と距離をとって歩き始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
山の斜面に掘られた横穴に向けて巨鳥が滑り込む。『牛攫い』が地に伏せるような姿勢を取り、背中に括りつけた鞍から命綱を外しつつ男が地面に足を着けた。
簡易型の酸素マスクを取り外しながら、仲間から受け取った肉を『牛攫い』に与えて休ませる。
「どうだった、
「確認した限りでは現地人たちだけの護衛だった。来訪者が介入しないのであれば、何とでもなるだろう。鎧姿の騎士が数名交じっていたから、直接的な交戦は避けた方が良いかもしれない。アンテ伯領の騎士は精強で名高いからな」
ここは彼らが育てた『牛攫い』の飼育場兼発着場になっている洞窟だ。偶然見つけた『牛攫い』の卵を孵化させ、薬品を駆使して命懸けで飼いならし、家畜化した結果であった。
現状で人を載せて飛行可能な個体は3頭であり、まだ十分な戦力とは言えないが、異世界で唯一の航空戦力であるだけにそのアドバンテージは圧倒的ですらあった。
「それじゃあ襲撃は予定通り決行か?」
「そうだ。あの輸送部隊を壊滅させれば、もう王都へと物資の大規模搬入が出来る連中はいなくなるだろう。ところで、我々が遅滞作戦を実施している間に、後方を攪乱すると言っていた聖職者殿は何をしているんだ?」
「未だに報告は無いが、標的である砦に籠ったアルベルトゥス大公軍に動きはないようだ」
「いずれにせよ、これから数日が正念場となる。多数を相手取って長期戦など出来るはずがないんだ、戦況はしっかりと確認するようにしろ」
小強がそう言うと、仲間の男は無言で頷き作業に戻っていく。小強はそれを見送りながら、洞窟から見える空を眺めて嘆息した。
彼らはグレゴリウス枢機卿に忠誠を誓った訳ではない、状況が不利になればいつでも逃げだせるよう準備を整えていた。
こうして因縁と運命が交差する決戦の前日は穏やかに更けていった。
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