第241話 米と新しい可能性
程よく手入れの行き届いた貯水池に大勢の地妖精が集結していた。それぞれが腕まくりをして貯水池から伸びるロープを掴むと、掛け声をかけながら一斉に引っ張る。
精霊術に長けた老人たちは貯水池に腰まで浸かりながら術を行使して泥から蓮根を掘り出し、男盛りの地妖精達が岸へと引き上げるのだ。
女たちは引き上げられた蓮根についた泥を落としつつ、適度な長さに切り揃えて収穫をしていく地球とそれほど変わらない蓮根収穫の風景が広がっていた。
「いやあ、なかなかに壮観ですね。こちらの蓮根はこんなに太くなるんですねえ、歯ごたえがあり過ぎたりして……」
以前俺が勧めたためか、今まで種子しか収穫していなかった蓮から地下茎をも収穫することが決まり、試験収穫を済ませた後の一斉収穫が今目の前で行われている。
「お前さんが言うたように軽く下茹でして皆で食べてみたが、概ね好評じゃったぞい」
俺の懸念をアパティトゥス老人が笑い飛ばす。蓮根はそれほど保存がきくわけではないが、今まで可食部と見做していなかっただけに純粋な食材増に地妖精達の表情も明るい。
それらを眺めつつ、あえて意識から逸らしていた現実をようやく直視することにした。
「何と言うか…… 竹ってイネ科の植物だったんだなあって思える光景ですね。品種改良が悪い方に作用したのか……」
俺がアディ夫人に託して貯水池の浅瀬で育てて貰っていた種籾は、水面から突き出る竹林のようになっていた。
しかし、如何に巨大化しようとも米であるため茎の強度が足りず、稲穂の重みで盛大に垂れ下がって水面に稲穂が浸かっているものすらあった。
稲穂が水に浸かってしまうと、変色したりカビが生えたり、籾が発芽してしまいそもそも収穫すらできなくなってしまう。
アディ夫人が気付いて対処してくれたため全滅は免れているが、全体の3割程度は使い物にならないだろう。
そうして稲穂の状態を確認しながら収穫するものと、それ以外とを選り分けていると一定の確率で稲穂に黒い団子のような物が交じっているのに気が付いた。
泥にしては変だし、カビにしてはまばらすぎる。取りあえずPDAを使って稲の情報を探していると、稲穂に付着する麹菌が作る黒い菌の塊『稲麹』であるという事が分かった。
情報によると、この『稲麹』から黄麹菌を培養することが出来れば、日本酒造りに欠かせない種麹を作ることができるらしい。
その時、俺の脳裏に一つの案が浮かんだ。以前白龍に捧げた供物は、地球から持ち込んだ特上の牛肉と特級の日本酒だった。
それは素晴らしい品質だが、所詮は外来のものである。だが、目の前にある稲麹と稲穂で日本酒を造ればどうだろう?
こちらの世界に根付いた稲作文化の一端、その成果として白龍に神域の島の可能性を提示できるのではないかと思い至った。
俺が持ち込んだ米の品種は酒造りに適した物ではあり得ないが、将来性を示すと言う意味では十分用を為すはずだ。
俺は老夫妻に自分の考えを伝え、収穫した米の一部を酒造りに流用することを了承して貰った。
ここで酒造りというのが予想以上に地妖精達の興味を引いた。地妖精達にとって酒というのは山妖精から購入するエールを意味し、自分達で造るという考えは無かったようだ。
そこで実験も兼ねて希望者を募り、一緒に酒造りをやろうという事になった。
老いてなお好奇心旺盛なアパティトゥス老人は勿論、何処から話を聞きつけたのか山妖精のガドック師までが加わり、予想以上の大所帯となっていた。
数の暴力を以て巨大な稲の収穫から脱穀し、本来なら天日干しをしてゆっくりと乾燥させるのだが、彼らのギラギラとした目を見ていると待てというのも酷に思え、『カローン』と同型車両である『ニュクス』の設備を使って強制的に乾燥を行った。
乾燥工程を終えた玄米を取り出して見ると、改めてその粒の大きさに驚かされる。我々日本人が思い描く米粒の10倍はあろうかと言う巨大さであり、米というより豆に近い印象を受ける。
ピーナッツすら超えてアーモンドサイズの玄米は機械で強制乾燥したためか細かいヒビが入っており、この状態で二日間程水に浸けて浸漬する必要があるとあった。
当然二日間も待って貰えるような雰囲気でないため、これも設備を使って圧力を掛けた状態で強制的に浸漬を行う。
そうして出来上がった玄米、およそ5キロを蒸し上げて清潔な布の上に広げていく。米を炊いた時特有の強い香りが漂い、俺とハルさんは陶然としていたのだが、地妖精達は所謂『ぬか』の香りが苦手な様子だった。
布の上に広げた玄米の温度を計測しながら、例の『稲麹』と森妖精から貰ってきたお茶の木を焼いた灰を少量混ぜ込む。当然のことながら『稲麹』には黄麹菌だけではなく、雑多な菌が混じっている。
ここに木灰を混ぜることにより環境がアルカリ性に傾き、黄麹菌だけが活動し易くなるのだそうだ。この際に混ぜる灰も椿の木を燃やした木灰が望ましいとあった。
しかし、そんなものを探す時間もないため、同じく椿科のお茶の木なら流用できるんじゃないかと思い調達した訳だ。
そしてそれらの原料をアルコール消毒したプラスチック容器に入れ、温度計のプローブを差し込んだまま清潔な布を被せてゆっくりと休ませる。
『ニュクス』内の設備で温度を30度程度に保つよう設定し、発酵による温度上昇を感知したらアラームを鳴らすよう設定した。
こちらの世界では菌類の活動が活発なようなので、一晩程度でアラームが鳴るのではないかと予想し、俺が地球から持ち込んだ日本酒の試飲会をしながら待つことにした。
「っかー!! なんと強い酒だ! 口に入れた瞬間はトロリと甘いのに、喉を通る際に焼けるようだ。そして最後に鼻を抜ける香りはどうだ! こんな酒がさっきの妙な物から作れるのか!?」
いつの間にか目ざとく『越乃寒梅』を見つけて飲んだガドック師が吼える。流石に初手からこれ程完成度の高いお酒は出来るはずもないのだが、夢を抱くのは自由であるため黙っていることにした。
一般に飲まれているエールのアルコール度数は4パーセント程度であるため、16パーセントを越える日本酒の酒精はさぞかし強く感じるのだろう。
酒好きかつ無類の酒豪である山妖精のガドック師は平然としているが、地妖精達は皆赤ら顔になっており、今日はこれにてお開きとするかなと考えていると、俺のPDAが電子音を響かせた。
けたたましく三度吠えて沈黙したPDAを確認すると、温度計から送られてきている数値が48度を記録していた。
酒が入った連中も慌てて冷水を流し込んで頭を冷やすと、全員が様子を見に着いてきた。
布を少し持ち上げて、蒸米を掬い取って手に広げる。既に玄米の表面に白い菌が広がり、僅かにかび臭い甘い香りが漂っていた。
一粒を口に含んで噛み砕くと仄かに甘みを感じ、狙い通りの発酵が進んでいることが見て取れた。
「ど、どうじゃ? その麹とやらは出来ておったか?」
アパティトゥス老人が迫ってくるような勢いで訊ねてくる。俺はサムズアップして見せて順調な事を示す。
「ここからは定期的にかき混ぜたりしながら様子を見守る必要があります」
こうして全員で交代しながら休憩を取りつつ、種麹造りを行っていた。時々雑菌が繁殖するのか、黒い菌が見つかる度に取り除いて面倒を見続けること二日間。
やっと待望の種麹が完成した。プラスチック容器から清潔な布の上に種麹を広げるとモワッと胞子が立ち込め、独特の香りが漂う。黄麹菌と言うのに黄緑色に見えるが、まあ名前なんてそんなものだろうと割り切った。
「明らかにカビが生えて腐っているように見えるが、これで成功なんじゃな?」
「そうです。そしていきなり日本酒造りは敷居が高いので、取りあえず
不安そうなアパティトゥス老人に俺は太鼓判を押して、酒造の第一歩を提案した。
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