第214話 宗教裁判(前哨戦)

 査問会。それは現代の裁判で言うところの予備審問に当たる手続きを言う。

 地球では刑事訴訟を審議するに足りる証拠が出揃っているかを判断するのだが、ここでは教会側が後だしジャンケンに勝利するため、相手の手札を晒させる場となる。

 そもそも宗教裁判には推定無罪という考え方がない。地球の刑事裁判であれば有罪が確定するまでは、無罪として扱われる。

 逆に宗教裁判では容疑が晴れるまで有罪として扱われ、無罪とされることは稀であった。


 更に言うならば弁護士制度も存在せず、相手が貴族でない場合は告発理由も告発者も知らされることはない。

 楽園教枢機卿が務める異端審問官は裁判官でもあり、検事でもある。今回も信者に相応しくない行いをしたとして、異端審問に懸けられる訳だが、先ほどから声高に糾弾してくる相手は枢機卿ではなかった。


「では、アンテ伯は訴状の内容を事実ではないと仰るのですな?」


「無論です。我々はフレデリクス司教の領主襲撃という事件があってさえ、楽園教教会の維持を図りました。

 今更教会を焼いて何になりましょう? それに我々は火事に気付いた後、消火活動を行っております。放火したのであれば放置するはずでしょう。

 難民にしてもそうです。わざわざ呼び寄せて奪う程の財貨が難民にあるとでも?」


 検邪聖省の事務官が起訴事実を確認し、アンテ伯代理たるコンラドゥスが反論するというやり取りが繰り返される。

 査問会には枢機卿たる異端審問官が臨席するはずだが、その席は空席のまま尋問は進行している。問われた事以外への発言は認められないため、問い質すことすら出来ない。


「しかし、どちらの事件にも証人がおります。教会襲撃から助祭や修道士がその身を犠牲に救い出した司祭が、アンテ伯の関与を証言しております。

 難民虐殺では衰弱していたため遅れて移動していた難民が、アンテ伯領の騎士団による虐殺を目撃したと証言しました」


「それは妙な話ですね。我々の懸命な消火活動により、教会は全焼を免れておりますが、教会関係者の死体は一人として見つかっておりません。

 更に言うならアンテ伯領の騎士たちは『人狼』による難民の虐殺を食い止め、数多くの生存者を領内に抱えております。

 その証人とやらは本当に信用出来るのですか? 是非伯爵代理たる私にも証言を聞かせて頂きたいものですな」


 あからさまな難癖に臆する事なく、コンラドゥスは堂々と反論している。しかし事務官は道理の通じる相手ではなかった。


「異端審問官である枢機卿が信用できるとされたのです、証拠としては十分でしょう。

 逆に伯爵が事件に関与していないという証拠の提出を求めます」


 やっていない事の証明。これは俗に悪魔の証明とも呼ばれ、現代司法では推奨されないが、割と頻繁に持ち出される。

 悪魔の存在を証明するには、実際に悪魔を一体連れてくれば良い。しかし悪魔の不在を証明するには、世界中をくまなく捜査しつくし、その結果としていなかったと示すしかない。

 明らかにかかる労力が違いすぎることから、通常であれば存在すると主張した側に、その立証責任があるのだが、ここでは枢機卿の権威を笠に着て立証済みであると強弁している。


「教会襲撃及び教会関係者殺害については、教会関係者を領外へと脱出させた救貧院の院長が、その生存を証明いたします。

 神の名の下に真実のみを語るとした宣誓書に署名をした上で、自らが犯した罪と脱出させた教会関係者の一覧を記したものを提出いたします」


 コンラドゥスは羊皮紙に記され、伯爵の紋章で封を施された書状を提出する。


「次に難民の殺害及び財産の収奪に関しては、当地を訪れた難民の名簿及び、その生死及び持ち込んだ財産に関する報告書を提出致します。

 この目録をご覧頂ければ、伯爵家が私腹を肥やさんと収奪するほどの価値がないとご理解いただけるはずです」


 ついで紐で綴じられた目録をも提出した。


 事務官は次々に提出される証拠に怯んだが、証拠品の受け取りを記録して査問会は幕を閉じた。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 俺たちは査問会を終えると、王都に先行していたフラウド商会のボニファティウスと協力し、精力的に動き回った。

 査問会はいわば前座であり、王族に連なる伯爵家ゆえに法王が臨席し、枢機卿が揃い踏みする裁判が予定されている。

 少しでも有利な立場を勝ち取るべく、あちこちへと根回しをし、敵の狙いを探ることに奔走していた。


 そして瞬く間に時間は過ぎ去り、後の世に『人狼裁判』と呼ばれる法廷は開かれた。

 今回の裁判では被告席にコンラドゥスだけではなく、俺とアベルをも伴っている。

 明らかに異形の存在である俺と、暴力の気配を濃厚に漂わせるアベルが臨席できているのは、ひとえにコンラドゥスの保証があってのことだ。

 初めて俺を目にする教会上層部たちのざわめきを他所に、俺は淡々と己に課せられた作業を進めていく。

 パンタグラフ式の支持台にスクリーンを架け、プロジェクタにスピーカーと集音マイク、カメラを据え付けてPDAと接続した。


 俺たちの準備が終わった事を告げると、中央に座した老人が厳かに告げた。


「これよりアンテ伯マーティエル卿の異端審問を審議する。告発人は罪状を述べよ」


 老人の名は法王コンスタンティヌス不変4世。法王が執り行う宗教裁判が幕を開けた。

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