第198話 凱歌

 ホースで冷水をぶっかけるという乱暴なシャワーを浴び、俺は激戦のあったオリエンタリス砦へと戻ってきた。

 全身血塗れかつ、あちこちがほつれた戦闘服で戻ったため、アベルに問い質されるわ、サテラとハルさんに泣かれるわと散々だった。

 正直疲れていたので着替えも億劫であり、破損した戦闘服を預け普段着で戻ってきている。

 おっさんらしくブーツカットのストレッチチノパン、Vネックのカットソーの上から薄手のジャケットを着るというありきたりな恰好で登場したのだが、鎧姿が当たり前の砦では異常に目立った。


 砦のあちこちに即席の竈が作られ、解体された七面鳥が焼かれている。

 崩れた城壁や胸壁は応急処置として土嚢を積んで補修され、即座に外敵の侵入を許すような事は無さそうだった。

 俺が現れると騎士たちは立ち上がって最敬礼をし、伯爵とコンラドゥスが待っている事を告げられた。

 ラフな恰好を選んだのは失敗だったと思いつつ、今更着替えに戻るわけにもいかないので、そのまま従士に先触れと案内を頼み、砦内を歩く。

 俺の感覚では高校生ぐらいに見える従士が興奮しながら、俺の戦果を称えてくれるのがこそばゆい。


 執務室で俺を迎えてくれた伯爵とコンラドゥスだが、俺の恰好を見て驚いているようだった。

 確かに戦闘服からいきなりラフな格好なので、咄嗟に言い訳を口にする。


「申し訳ありません。返り血で一張羅が汚れてしまったため、普段着でのお目汚しをお許しください」


「いや、斬新な意匠の服装に驚いたまでで、気を悪くしないで頂きたい。それにこちらは礼を言う立場です、お掛けください」


 椅子を勧められ、サポートフレームを忘れてきたことに気が付いた。このまま椅子に体重を預ければ、ほぼ確実に椅子は破損する。

 腹筋に力を込めて空気椅子状態で耐えつつ、椅子に掛けているように装う。


「さて、シュウ殿。此度のご助力に心より感謝する。あれほどの魔獣を一騎打ちで仕留められるとは、噂に違わぬ武勇は後の世まで語り継がれましょう」


「いえ、初動が遅れ少なくない犠牲を出しました。もっと早く動いていれば助けられた命もあったのではと後悔しております」


「何を申されます! 戦場での死は騎士の宿命。民を守るために命を懸けて戦うからこそ貴族として遇されるのです。それにかの者の盾を用いて魔獣を屠って頂けた。奴も天の国で誇っておりましょう」


 身分差のない世に生まれた俺には馴染まない考え方だが、ノブレス・オブリージュという奴だろう。高貴なる者の負うべき義務なのだ。

 彼らは身を以て義務を果たし、民に安全を齎すからこそ尊敬される。その潔い生き方が俺には好ましく思えた。


「しかし、我々がシュウ殿の献身に対して十分な報酬をご用意できないのが心苦しい。故郷への帰還を望まれている、貴方達にとって領地や爵位など無用の長物。

 我らより優れた文物をお持ちのあなた方に、我らが差し出せるものなど必要とはされますまい。

 かと言ってこれ以上の家畜や食料の譲渡は、領民の生活を考えると厳しいのです。何かあなた方が欲する物があれば教えて頂きたい。可能な限り便宜を図らせて頂くつもりだ」


 これは安易に答えることが出来ない問題だ。俺一人では判断できないため一旦持ち帰り、後日正式に回答することにさせて貰った。

 個人的には降りかかる火の粉を払っただけだが、俺とカルロス、ウィルマが命を懸けて作戦に従事した以上、正当な報酬は信賞必罰の原則に照らしても受け取るべきだろう。

 その後、実験農場の作付けに関して少し話し込み、一区切りついた頃に席を辞した。


 広場に戻ると騎士たちが殉死した騎士と従士の遺品を囲み、酒を酌み交わしながら歌を歌っていた。

 それは戦士のいさおしを称える勇壮な歌であり、仲間との別離を惜しむ哀切の歌でもあった。

 共に戦ったとは言え、故人を悼む輪に加わるのも無粋に思え、冥福を祈って黙とうを捧げていると、横合いから声が掛かった。

 振り返るとカルロスとウィルマが焚き火を囲んでおり、俺もその場に加わることにした。


「カルロス、ウィルマ。無事で良かった。魔獣が反撃に出た時は肝が冷えましたよ」


「心配をかけたな、シュウ。獣が相手だとどこか油断があったのだ。まさか遠距離から反撃してくるとは思わなかった。ウィルマが助けてくれなければ危ういところだった」


 そう言ってカルロスはウィルマに酒を注いだ。陶器の壺から注がれるそれは、恐らくこの地で作られたエールなのだろう。

 ウィルマはそれを一息に飲み干すと、カルロスへと返杯し、当時の状況を語ってくれた。


「銃撃を受けた魔獣がこちらへ振り向いたとき、背筋が凍るような殺気を感じたのです。確実にこちらを攻撃する未知の手段があると判断し、カルロスを抱えて階下に駆け降りました。

 直後に砲撃を受けたかのように上階が崩壊し、瓦礫に圧し潰されないようカルロスと必死で逃げました。中々に肝が冷える体験でした」


 淡々と語られる口調からは緊迫感が伝わらないが、その表情には興奮と少しの恐怖が浮かんでいた。

 怪力を使った重量物の投擲というのは侮れない威力を発揮するようだ。俺の投槍も予想以上の威力だったし、今後は投擲も選択肢に入れても良いかもしれない。


観測手スポッターがウィルマじゃなければ、あのまま潰されていただろう。今後は狙撃した後の移動についても、しっかり意識せねばなるまい」


 カルロスはそう独りごちると、ぐいっと酒杯を呷る。妙に旨そうに見えるので、俺も少しだけエールを飲んでみることにした。

 陶製の酒杯に注がれたエールは焚き火の光を受け、麦わら色に輝いて見えた。恐る恐る口をつけると、予想していた苦みはなく、むしろ甘く香ばしい。

 炭酸が少ないのか泡も少なく、どこか麦茶を彷彿とする不思議な味わいだった。麦茶を薄めて炭酸と少しだけ砂糖を加えれば、こんな風味になるのかもしれない。


「あれ? ビールよりもこっちの方が飲みやすいですね。何だか清酒に対する濁り酒みたいで、クリーミーって言うのも変ですけど、とにかく美味しいです」


「ラガーも悪くないが、伝統的なエールも良いものだろう? 日本のビールは喉越しが素晴らしいが、種類が乏しいのが難点だな」


「私は日本のビールも大好きですが、一押しはベルギーの木苺フランボワーズビールですね。フルーティーで爽やかで、美味しいですよ」


 フルーツとビールという組み合わせが上手く想像できないが、日本にも酎ハイがあるのだから似たような物だろう。

 滅多にお酒を飲まないので、その方面には詳しくないが、焙った七面鳥を齧りながら飲むエールは格別だった。

 七面鳥の肉は鶏よりも脂が少なく、少しパサパサするものの、旨味が濃くて塩味と相まっていくらでも食べられる味となる。


 今日を生き延びた喜びを謳歌し、散っていった仲間を偲ぶ。薄暮の世界を照らす火を囲む人々を、『テネブラ』はずっと眺めていた。

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