第191話 閑話:お菓子作り教室

「ハルちゃん!」


「サテラちゃん」「の、お菓子作り教室~!!」


 俺がビデオカメラ片手にエプロン姿の二人がポーズを取っているのを撮影しながら声を当てる。

 チームの備品なのだが誰も使用しないデジタルビデオカメラを持ち出してホームビデオを撮っているという訳だ。

 サテラはノリノリだが、ハルさんは既に顔が赤い。赤面しているハルさんも初々しくて実に可愛い。勿論愛娘のサテラも負けてはいない。

 年齢と不釣り合いに豊満な胸部がエプロンを傲然と持ち上げる様は正に圧巻だった。本人の希望により俺のエプロンを貸しており、サイズが大きすぎるため、エプロンの裾からにょっきりと生足が覗く裸エプロン状態に見える。


「では、今日二人に作って貰うのはこれです! サツマイモのタルトです!」


 そう言いながら冷蔵庫から一晩寝かせておいたサツマイモのタルト(完成品)を取り出し、調理台に乗せた。


「うわぁ!! すごーい! この編み編みはどうやってるの、シュウちゃん?」


「え…… このレベルを期待されても困ります…… お菓子作りなんてやった事がないので」


 サテラは実物を前に興奮しているが、ハルさんは意気消沈してしまっていた。


「あ、いえいえ。これは贈答用に見栄えを良くするため、手間暇かけて作っているのです。ここまで凝る必要はないですよ、割と簡単ですし」


 そう言いながら、一旦完成見本は冷蔵庫にしまう。これは伯爵達に提供するための試作品であり、本番前にもう一度作りなおすため、今日の味見用でもある。

 そしてサテラが言っている編み編みとは、サツマイモのクリームを片目口金で絞り出し、縦横が交互に重なるよう網目状にした飾りだ。

 アップルパイを作る際にも、余ったパイ生地をひも状にして交差するように乗せて飾りを作るが、それを上下交互に立体交差するように見える風に仕上げたのだが、予想以上に好評だ。

 実際には縦に一列クリームを搾り、短く横に交差するようにクリームを搾る。それが出来たら横に伸びたクリームの上に重なるように新たな縦のクリームを搾り、既にある横クリームと段違いになるよう横クリームを搾りだして縦クリームを横断する。

 あとはこれを延々繰り返せば籐製品の元禄編みのような模様がタルト上に出現するという訳だ。手間はかかるが素人でも豪華に見える飾り付けが出来る、ちょっとした小技である。

 日本人の言う簡単は信用ならないと如実に語っているハルさんのジト目に少し怯むが、ハルさんだって半分は日本人なのだ。出来ないはずはない! 元禄編みとは違い、至る所で寸断しているため難易度は格段に低いのだから。


「本当はパートシュクレから作る必要があるのですが、既に僕が作ったものがここにあります!」


 そう言ってタルト生地となるパートシュクレをドンと調理台に乗せた。ラップに包まれたパン生地のような塊にサテラが興味を示す。


「ぱーとしゅくれってなーに? クッキー?」


「あー、うん。クッキーの元みたいな感じかな。このまま焼いても美味しいよ。確かフランス語だったんだけど……」


「pate sucree。甘い生地って言うフランス語ですね。pateが生地で、sucreeが甘いって言う意味になります」


 流石はハルさん、本職だけあって隙が無い。俺は当然知っていたという顔をしつつ、次の説明へと話を進めることにした。


「今回は初心者お二人がやるので、簡単なやり方をご紹介しますね。まずはラップを大きく切って調理台に敷きます」


 手本としてラップを引き出し、適当な大きさにカットしてピッタリと調理台に敷き詰める。

 二人が四苦八苦しながらラップを敷いている間に、パートシュクレを三分割して個別に丸めておいた。


「じゃあ、生地を配ります。これをラップの上に載せて、その上に同じぐらいの大きさのラップを重ねます」


 新たに大きくラップを切り取り、ラップでパートシュクレを挟み込むようにセットする。

 次に麺棒を取り出し、ラップで挟んだ生地をそのまま円形に伸ばしていく。タルト型などと言う気の利いた物は存在しないので、適当な大きさの深皿で代用し、そこから少しはみ出す程度まで生地を伸ばした。

 サテラは嬉々として大雑把に生地を伸ばし、ハルさんは几帳面に真円になるよう調整しながら伸ばしている。


「伸ばし終わったら片面のラップを剥がして、深皿を覆うように置いて貼り付けてください。はみ出した分はこうやって切り取ります」


 伸ばした生地を深皿にしっかりと押し付けて、容器の縁からはみ出した部分に麺棒を転がし容器からあふれた分だけを切り取った。

 余った生地は回収して一つに纏め、冷蔵庫にしまって次の機会を待つことになる。


「じゃあフォークを使ってパートシュクレにピケします。こんな感じですね」


 そう言ってザクザクと底面にフォークを刺して満遍なく穴を穿っていく。


「ぴけ?」「piquer。これもフランス語ですね。英語だとstingですかね? 刺すとか突くとかそう言う意味です」


「へー、そうだったんですか。てっきり穴を開けるって意味だと思っていました」


「え!?」


 あ、しまった。思わず口に出してしまった。慌てて取り繕って説明する。


「えっと、これをすると焼いたときに生地が膨らんでデコボコになるのを防げるんですよ。先人の知恵ってのは凄いですよね」


 満遍なく穴を穿ったパイ生地を示しつつ、英語で槍を示すpikeだと思っていたのを誤魔化してしまう。

 こっそりPDAの辞書で調べると他動詞で「突き殺す」という物騒な意味が載っていた。少し方向性は違うけど、それほど外れてもいないんじゃないかな?

 そんな事を考えつつも二人の作業を見守ると、やはりと言うか仕上がりに性格が如実に出ていた。

 ハルさんは一定間隔で満遍なくピケしているが、サテラのそれは粗密があって明らかに穴が偏っていた。

 ここで指摘するのは簡単だが、どうせ食べるのはチームの人間だ。サテラの手作りお菓子と言えば、カルロス辺りは喜んで食べてくれる。

 本人は厳しくしているつもりらしいが、やはり一度老齢に達しているためか、子供には滅法甘い。

 彼女たちが作業をしている間に、次に使う材料を準備して並べていく。

 

「それが出来たら次はクレームダマンドを作ります。これは知っているんですよ! アーモンドのクリームです!」


「アーモンドなのにアーモンドって言わないの?」


 サテラの指摘に脳が空転する。クレームは多分クリームだろ? ダマンドがアーモンド? フランス語でアーモンドってなんて言うんだろう? バラ科の種子の仁だから……

 俺がてんぱってしまっているとサラリとハルさんが補足してくれた。


「それもフランス語でcreme d'amandes。cremeがクリーム、d'amandesはde amandesの省略形でアーモンドを意味しています。deは前置詞で英語だとofとかfromに相当します」


「おお!! 流石ハルさんハルペディアを名乗れますよ!」


 そう言いながら計量して分けた材料を並べていく。お菓子作りの肝は計量と温度管理にあるので、ここだけを俺が押さえれば初心者でもそこそこ美味しいお菓子が作れるという寸法だ。


「材料はこちら! バター、グラニュー糖、全卵、アーモンドプードル。これだけです」


「ぷーどる? 犬を食べるの?」


 む、サテラは犬のプードルを知っているようだ。日本の教材じゃ出てきた記憶は無いが、米国基準の教科書だと登場するのかな?


「犬じゃないよ。えーと、これもお菓子用語で、粉って意味なんだよ。多分フランス語」


「そうですね。そこだけ語順が入れ替わっているのが謎ですが、poudre d'amande。プードルダマンドと言うのが正しいのでしょう」


 因みにチームの備品にアーモンドプードルなどと言う製菓素材が含まれている訳がなく、お酒のおつまみとして備蓄されていたやつを失敬して加工している。

 塩味が付いている製品だが、加工途中で茹でて皮むきするため問題ない。割と量が必要だったので、ドクの工業用粉砕機を使わせて貰ったのだが、事前に徹底洗浄が必要になるから今後はやめて欲しいとお願いされた。

 しかしその甲斐あってかきめ細かく上質なアーモンドプードルが手に入っている。


「まずは常温のバターをボウルで練って、半分ずつグラニュー糖を混ぜます。次に溶いた全卵を少しずつ流しいれて混ぜ、最後にアーモンドプードルをふるい入れればクレームダマンドの完成です」


 目の前で実演して見せるとサテラが興味津々で聞いてくる。


「どうして少しずつ混ぜるの? プードルはどうして網を通して入れるの?」


 子供特有のどうして攻撃だが、この攻撃は予測済みだ。しっかり調べて対策を練ってある。できるだけ賢そうに見えるよう、眼鏡の位置を直すようなジェスチャーを交えつつ解説する。


「少しずつ入れるのは均一に混ぜるためだよ。材料を全部一気に入れて混ぜるとダマって呼ばれる塊が一杯出来て、美味しくなくなっちゃうんだ。

 粉を振るうのもそうだね、ストレーナーを通すと空気を含んでふんわりとした口当たりになるんだよ。折角作るんだからサテラも美味しい方が良いよね?」


 俺が答えてあげるとサテラは尊敬の目線を向けてくる。頑張って予習して良かった。父親の威厳は保たれたのだ!


「じゃあ、これをさっきのパートシュクレに流し込んで、ヘラで形を整えて一段落だよ」


 サテラとハルさんが一生懸命にクリームを練っているのを眺めつつ、次のフィリングの準備に取り掛かる。

 サテラには綺麗に混ぜるのが難しいのか、ハルさんが教えながら二人で混ぜている姿が実に微笑ましい。極力自分がカメラに映り込まないよう避けつつサツマイモを準備した。

 サツマイモの中心部分を残して、端っこを2センチ角のサイコロ状に刻んで水に浸けておく。残したサツマイモはラップに包んで電子レンジで加熱し、その間に二人の様子を窺うとクリームを無事充填出来たようだ。


「綺麗に出来たね! じゃあ、これはちょっと冷蔵庫で休ませておこうね。次はフィリング、詰め物だね。それを作るよ」


 そう言ってレンジからサツマイモを取り出し、オーブンでタルトを焼くため余熱を開始する。


「このサツマイモを潰すんだけど、割と力が必要だから僕がやるから見ていてね」


 皮を剥いたサツマイモをボウルに入れ、ガラスコップの裏をマッシャー代わりに使って潰していく。

 満遍なく潰れたところで生クリームを加え、濾し器シノワで裏漉しして滑らかにする。2回ほど濾すとペーストの感触が変わったのを実感できた。

 ボウルに戻したペーストにバニラエッセンスを数滴加え、キルシュが無いので『魔術師』が作った杏のお酒を風味付けに加える。

 そしてこれも森妖精達に貰った蜂蜜を加えて、生クリームで固さを調節しながら練り混ぜる。

 溶けだしたバニラアイスのようなクリーミーさになったらフィリングの完成だ。


「美味しそう、シュウちゃん味見したい!」


「んー。これだけ食べてもそんなに美味しくないんだけど、少しだけだよ?」


 そう言って小皿に少し盛って二人に差し出す。口に入れたサテラの表情がぱあっと華やぐ。ハルさんも驚いたように目を見開いていた。


「美味しい! バターの代わりにこれを塗ってパンを食べたい!」


「本当に美味しいです。びっくりするぐらい滑らかで、でも優しい甘さ。ピーナッツバターよりは断然こちらの方が美味しいです!」


 フィリングはかなり多めに作ってあるので恐らく余るから、二人が言うように朝食用に使っても良いかも知れない。


「じゃあ余ったら朝食に使おうね。あ、余熱終わったみたいだ。それじゃあタルトを焼いていくよ」


 タルトをオーブンに入れて焼成している間に、サイコロサツマイモを調理する。

 フライパンにバターを入れて、サイコロ状のサツマイモを放り込んでカリカリになるまで炒める。

 炒め終わったらお皿にあけて粗熱を取る。サテラの様子を見るとオーブンの窓から膨らんでいくタルト生地を一生懸命見つめている。


「あんまり顔を近づけると危ないから、もうちょっと離れて見ようね? まだあと2つも焼くから、じっくり見られるよ」


 搾り袋に片目口金を取り付け、サツマイモクリームを充填した。ボウルに生クリームとグラニュー糖を入れてホイップし、残っているサツマイモクリームと合わせて練り混ぜる。


「シュウちゃん! 焼けたよー!」


 サテラの声でオーブンへと向かい、焼き上がったタルト生地を取り出し、静置して粗熱を取っておく。続いて別のタルト生地を投入し、連続して焼いていく。

 粗熱が取れたパートシュクレ・ダマンドの表面をスプーンでこそぎ取り、そこにホイップクリームと合わせたサツマイモクリームを塗り込んでいく。

 その上に炒めたサツマイモブロックを散らし、更にホイップサツマイモクリームで塗り固め、ヘラを使って均していく。

 次に搾り袋を取り出して、例の網目状の模様を作る作業へ取り掛かる。単純な作業なのだが、サテラとハルさんには珍しいらしく、魔法を見ているような目で見つめているのがこそばゆい。


「はい、これで完成。ね、簡単でしょ? 後はこれに卵黄を塗って照りを出し、表面を少し炙ったら完成だよ」


「簡単じゃないよー! ね、ね、もう一回やってー?」


「シュウ先輩。これは一回見ただけでは無理です。私とサテラちゃんで一回はやりますので、是非もう一回お願いします」


 請われるままにもう一度同じ作業を繰り返し、搾りだすところで二人に交代しながらもう一つのタルトも仕上げる。

 最後のタルトはサテラとハルさんだけで仕上げ、少し歪になっているがそれもご愛嬌というものだろう。

 二人も苦労して仕上げたタルトを見てご満悦だ。出来立てを食べさせて上げたいが、一晩置いた方が味も馴染んで美味しくなるので、事前に準備しておいた完成品の方を取り出して、作った方は冷蔵庫にしまう。


「じゃあ、これを切り分けるからお茶にしようか。コーヒーと紅茶どっちが良いかな?」


「ホットミルクがいい!」「あ、じゃあ紅茶をお淹れしますね。銘柄はダージリンですよね?」


「ありがとうございます。じゃあサテラのホットミルクは僕が作るよ、砂糖は入れるよね? お姫様」


 ミルクパンを片手にサテラに問いかけると、サテラは満面の笑みで応えてくれた。お茶会の準備をしつつ、忘れられたビデオカメラがその一部始終を記録し続けていた。

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