第192話 エレオノーラ
(ひいぃ…… 近い、近すぎる。何なのこの人!? 距離感がおかしい!)
俺は背中が壁に当たるまで無意識に後ずさっていた。原因は目の前に迫る女性にあった。
オフショルダーのタイトな衣服に身を包んだ貴人。金糸で刺繍が施された深紅のドレスは体のラインがくっきりと出て、女性らしさを強調している。
特徴的なのは二の腕に巻かれ、肘から足元まで垂れ下がる飾り布の存在。西洋貴族の衣装などマリー・アントワネットのイメージでしかない俺には、ゴテゴテしていないドレスに付けられた飾り布は蛇足にしか見えない。
彼女の名前は『
マラキア卿の裏切りと婚約解消により落ち込んでいたのを慰めるべく、お茶会に招待したところ喜んで応じてくれた。
最初の挨拶時は普通の人に見えたが、お茶を飲んでサツマイモのタルトを口にした途端に変貌した。
フレデリクス司教の襲撃時に連れて来ていた料理人たちは、彼女の専属料理人だったらしく、料理内容にアドバイスしたことを耳にしていたらしいのだが、お菓子を作ったのも俺だと知ると詰め寄ってきた。
彼女を最も特徴付けているのは豪奢な金髪でも女性にしてはやや大柄な体格でもなく、途方も無い巨乳だ。
サテラも体格の比率からすると相当に大きいのだが、子供であるため絶対的な大きさはそれほどでもない。だが、彼女は成熟した女性であり、端的に表現するなら『どたぷん』と揺れるのだ。
オフショルダーのドレスゆえに、大きく開いた襟ぐりから果実がまろびでないかとひやひやしてしまう。
「このお菓子もシュウ様がお作りになったのですか? これは当地でも作れるものですの? 他にもお菓子はございまして?」
「姉上! 未婚の女性がそのように密着してはなりませぬ! シュウ殿、ご無礼をお許しください。姉上は美食や美容、服飾に目がないのです」
コンラドゥスの制止を受け、やっと我に返ったのかエレオノーラは赤面しつつ、席に戻ってくれた。
正直に言えば少し恐怖すら感じたが、ホスト側としてはそのような失態を認める訳にはいかない。何でも無かったように流して会話を続ける。
「そこまでお気に召して頂ければ、料理人冥利に尽きるというものです。エレオノーラ様がお尋ねになったレシピですが、砂糖以外はご当地で賄えますよ」
「砂糖ですか…… 大昔の記録には砂糖の記述があるのですが、絶えて久しい甘味ですわね」
「え!? 砂糖はあったんですか? 伯爵もご存知なかったようなので、てっきり無い物と思っていました。じゃあ麦芽糖は要らないかな?」
「なんですの? その『麦芽糖』というのは!? 何か甘味の予感がいたします!」
またしてもぐいぐい迫ってくるエレオノーラから何とか距離を取る。
ハルさんやサテラでは意識せずに済んでいたが、どうも生々しい女を感じさせる女性は苦手だ。
人生に於いてそれほどモテた記憶もないため、女性から迫って来られると腰が引けてしまう。
「えっと、少し離れて下さい。こちらになります。ご当地で取れる大麦の麦芽と、サツマイモで作りました麦芽糖です」
そう言って、ここ数日で無理やり作った瓶入りの麦芽糖を渡す。今日に間に合わせるため加圧して吸水させ、発芽した麦芽を乾燥機で乾燥させて粉砕し、ゲル状になったサツマイモを糖化させて煮詰めたものだ。
製造過程を無理やり短縮したため、茶褐色を越えて黒褐色になっている。それでも味見をした限りでは優しい甘さの水飴状の物体になった。
封を切って皿に垂らし、伯爵、コンラドゥス、エレオノーラにそれぞれ味見をして貰う。
「な! 蜂蜜よりは甘くないが、蜂蜜よりも癖がない」
「これが麦とサツマイモから作れるのですか!?」
「シュウ様! これを使ってこの『サツマイモのタルト』は作れますの?」
反応を見る限りなかなか好評のようだ。コンラドゥスとエレオノーラの質問には返事をせねばならない。
「ええ、数日水を吸わせて芽が出た麦と、サツマイモからデンプンだけを取り出して作ればもっとスッキリした味わいの麦芽糖になりますよ。
砂糖に比べて甘さが抑えめになりますので、サツマイモのタルトを作るにはかなり多くの麦芽糖が必要になると思います」
例によって飛び出してきたエレオノーラをコンラドゥスが手を引いて座らせている。
「まあ、その辺りのお話はお茶の後にしませんか? 折角のお茶も冷めてしまいますし、タルトのお代わりもございますがいかがでしょう?」
「「「是非!」」」
喜んでもらえているようで作った甲斐があったというものだ。ホールサイズのタルトをカットし、一人分ずつ切り分けると皿に載せて給仕に渡していく。
衝撃的な味だったのか、瞬く間に食べてしまった1個目と異なり、今度は全員がゆっくりと味わっている。
ティーコゼーで保温してあった紅茶のポットを取り出し、給仕に渡すとそれぞれにサーブして貰い、皆の様子をじっくりと観察した。
「ああ! 外側はカリッと香ばしく、上面のクリームは雪のような儚さで口の中に溶けていく。あえて固さを残したサツマイモが歯ごたえを加え、全てを甘く包み上げる芸術品ですわ!」
「いえ姉上、この底に詰まっているものこそが真髄でしょう。
「いやいや、この見事な細工はどうだ。焼き菓子を絵に見立てたような素晴らしい腕前。王都の甘いだけの菓子なぞ足元にも及ばぬ出来だ」
口々にタルトを褒め称え、少しずつ大事に食べている様は作り手にとって嬉しい時間であった。
しかし、和やかな時間は唐突に終わりを告げることになる。
カーンカーンカーン! カーンカーンカーン!と激しくけたたましく繰り返される六点鐘。
耳にしたことのない警報に弛んでいた空気が引き締まる。コンラドゥスが立ち上がり、側に控えている騎士へと目配せをすると、騎士は踵を返して駆けだしていった。
「この鐘は一体何事ですか?」
「これは緊急の大規模襲撃を報せる警報です。時期的には七面鳥の繁殖期かと思うのですが……」
「七面鳥? え? あの鈍くさい鳥が危険なんですか?」
「え!? 鈍くさい!? 七面鳥ですよ?」
「七面鳥ですよね?」
何かが食い違っている。通訳出来ていることから、同じ生物を指しているはずだが、異世界の七面鳥は性質が異なるのだろうか?
やがて先ほどの騎士が戻って来て跪き、コンラドゥスに詳細を報告した。
「シュウ殿。大変申し訳ないのですが、我々はこれにて中座させていただきたく思います。やはり七面鳥の襲撃が予想されます、早ければ今日にも襲撃があるでしょう。
騎士団は各方面の砦へと急行せねばなりません。このお詫びはまた後程いたしますので、どうかご容赦を」
「いえいえ、お詫びいただくには及びません。緊急事態でしょうし、お急ぎ下さい。我々も微力ながらお手伝いできるかも知れませんよ?」
そう言ってアベルに目配せすると、カルロスとウィルマが戦闘装備で待機しているのが見える。
「シュウ。俺とヴィクトルがここを守る。カルロスとウィルマはシュウに付いて行ってやれ」
アベルの許可を受け、カルロスとウィルマは伯爵達の馬車と共に砦へと向かっていった。俺はコックコートから野戦装備に衣服を着替えると、愛用の海老鉈を腰に吊るしてブーツの紐をきつく締めた。
そう言えば大陸の七面鳥は狂暴だとか『魔術師』が言っていたような気がする。そんな事を考えながら、動きを止めたカルロス達の位置へと座標を定めて自らを転移した。
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