第129話 ヤドカリORヤシガニ

 交易村へと戻るとギリウス氏が待っており、俺が引きずっているヤドカリもどきを見て絶叫し、次にヤドカリもどきが背負っているヤドを見て悲鳴を上げた。

 このヤドカリもどきはこの辺りでは良く見かける生物らしいのだが、ここまで大きいのは初めて見たらしい。基本的にはヤシの実や砂泥に棲むゴカイのような生き物を食べているらしく、妖精族にとっては無害な生き物だったようだ。

 そしてヤドカリもどきの背負っていたヤドになった動物が問題であり、角からも判るようにサイの一種らしい。この角が曲者で、粉末に加工して服用すると少量であっても強い解熱鎮痛作用を示すのだそうだ。

 麻薬じみた強い陶酔感をも齎すことから、骨折や重症の怪我人に使用する薬の材料として常に求められているらしい。しかし肝心のサイは非常に獰猛であり、さらに仲間の死骸から角を食べる習性を持ち、角の入手は困難とされていた。


 そこにきてしっかりと角が残った状態の頭骨が出てきて、嬉しい悲鳴を上げてしまったようだ。まあ俺が持っていても仕方がないし、本当に麻薬成分が含まれていないかを確認したら譲ると言うとギリウス氏は複雑な表情になった。

 物が貴重過ぎて値段を付けられないという事らしい。それならばと俺たちと山妖精の共有財産という事にして、必要であれば削り取って使うようにしようと提案した。

 最終的に地球へ帰還すれば不要になるので、その場合は進呈するとも言うといたく感動された。ギリウス氏に掛け合って、必ず相応のお礼をするのと俺の伝説を末代まで語り継ぐと言われたので丁重にお断りしておいた。

 今になると何故あれほど攻撃的になっていたのか不思議なぐらいであり、武勇伝というには蛮勇過ぎて恥ずかしい。魔物化した際の攻撃衝動なのかもしれないと思うと少し恐ろしい、あの衝動を制御できる自信はない。


 まあそれよりも今は夕食が大事だ。さっそくヤドから本体を引きずり出すと意外な事が判明した。ヤドカリというのは殻の中に入っている部分に甲殻を持たず、尻尾がむき出しになっているのだが、こいつは腹部までしっかりと甲殻を持っているためヤシガニのようだった。

 PDAで調べるとヤドカリも小さい間はヤドを背負っているらしい、成長するにつれて体に合うヤドが無くなるためヤドから抜けるのだそうだ。しかし分類は別にどうでも良く、ようは甲殻類なので味には期待できるが腐敗も早い。手早い調理が必須となる。

 早速献立を考える。ハサミや歩脚は塩茹でが良いと思うのだが、巨大過ぎて火が通るか怪しい。最終的に考えるのが面倒になったので、丸焼きにしてカニ味噌と解した身を汁物にすることにした。


 大鍋に湯を沸かして塩を入れ、沸騰したところに良く洗ったヤドカリもどきの頭を投入して出汁を取る。ヤドカリもどきの本体は周囲を井桁に組まれた木材が囲み、枯葉や枯草を山のように乗せられているところだった。

 着火を促されたので、以前チャレンジして死にかけたアセチレントーチの魔術を使ってみる。魔物化した肉体は高出力魔術にも難なく耐え、乾燥した木材にも一瞬で燃え移った。

 蒼い甲殻が炎に炙られ徐々に赤く染まっていく。火が通るにつれて凶悪なまでに美味そうな匂いが辺りに漂いだす。巨大蟻の時も美味そうな香りがしたが、明らかに一線を画すむせかえる程の香りが充満する。


 鍋の方も甲殻が赤く染まりつつあった。道中のメニューで使いそびれた白菜を全て放り込み、椎茸、にんじん、大根を一口大に切って放り込む。

 スープを一口味見してみる。このままでも既に美味いのだが、最後の材料が揃うまで我慢して煮込み続ける。


 程なくして焼き色を監視して貰っていた山妖精から声が掛かり、甲殻が真っ赤を通り越して焦げ始めたところで本体を引きずり出す。

 脚は山妖精たちに任せて斧で割って貰うことにし、俺は本体に取り掛かる。海老鉈を叩きつけてはこじって甲殻を開くと暴力的とさえ言える香りが溢れ、意識が飛びそうになった。

 開いて驚いたのは何だか良く判らないクリーム色の謎物体がぎっちり全身に詰まっていること。ムースのような半分溶けた脂肪のような、なんとも言えない組織が全身を覆っている。

 よく判らない物はおいておいて、まずはカニ味噌を採取する。時々カニ味噌を脳みそだと思っている人がいるが、これは中腸線という組織であり、人間でいうところの膵臓と肝臓を合わせたような役割を持っている。

 濃緑色のペーストはヤシガニもどきの巨大さに見合った莫大な量があり、蒸気を上げて翡翠色に輝いている。何はともあれ味見をしない事には始まらない、スプーンで掬って一口舐めてみる。


 それは俺の知るカニ味噌の味とは別次元の存在だった。命を凝縮したような濃厚な油の甘みとフォアグラのような強烈なパンチ力をもった肝臓の味が舌を蹂躙する。端的に表現するなら痺れる程に美味い。

 早速お玉で掬って鍋に半分ほど放り込み、本体についた身を鉈で掻き出して投入する。そして味を見ながら地球から持ってきた味噌を溶いていき、潮の香りと濃厚な旨みに味噌の味が釣り合った瞬間を見極めて完成を告げる。

 残ったカニ味噌は大皿に盛って、これを美味いと思う人は焼いた身に塗って食べても良いし、更に汁に足しても美味いよと説明して夕食となった。


 恐ろしく分厚い甲殻は何かに利用するつもりなのか、関節部分で神経質なまでに綺麗に割られていた。勇者の権利とやらで一番美味いというハサミを頂いた。

 関節部から中身を掻き出して頬張る、ブリッブリッと音を立てて弾ける繊維と溢れ出す旨みが凝縮された汁。カニ肉のステーキとでも評するような密度の肉が口中を満たす。

 そこにすかさずカニ味噌汁を啜り込む。甘さとジューシーさが際立つ身と対照的に濃厚でこってりとした汁が口の中で混ざり合い、同一素材ゆえか喧嘩せずにお互いを引き立て合って美味さを一段階上へと押し上げる。

 余りの美味さに汁と身を交互に食べるのが止まらない。気が付けばあれほど巨大だった爪の中身はスッカラカンになっており、味噌汁も残りわずかという状態になっていた。


 大皿に盛ったはずのカニ味噌は既になく、数人の山妖精がヤドカリもどきの殻に集まっていた。彼らはカニ味噌片手に俺が手を出さなかったムース状の何かを食べては感激している。

 何だかわからないムース状の組織はとにかく大量にあるため、俺も倣って少量を貰いまずは単体で味わってみる。それは不思議な味だった。

 甲殻類特有の香りと仄かな甘み、ほんのわずかな渋みを含み、全体としてはマッタリとしていて淡雪のように口の中で溶けていく。

 これ単体では物凄い薄味の海老のビスククリームと言った感じだ。そして山妖精がやっているようにカニ味噌と一緒に食べてみる。

 ああ、納得の味わいだ。カニ味噌の旨味が加わると一気に化ける。カニ味噌のややもするとクドく感じる濃厚さが、クリーム状の何かと合わさることで絶妙に緩和されスッキリと味わえる。

 生臭さも大幅に軽減され、これならば初めてカニ味噌を口にする人でも病みつきになりそうだった。カニ味噌を敬遠していたヴィクトルもこれには舌鼓を打っている。


 呆れる程に巨大だったヤドカリもどきがすっかり全員の腹に消えても宴は終わらず、俺とヤドカリもどきの激闘を肴に最後の薪が燃え尽きるまでいつまでも続いていた。

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