第130話 エウリーン

 水妖精との交易村は喧噪に包まれていた。入り江付近に設けられた桟橋のような場所に山妖精達が露店を設営しているのだ。

 今日から数日間だけ海の水位が上昇し、人魚である水妖精たちが水路を通って交易村へとやってこられるらしい。

 『テネブラ』が夜間も関係なく照らしている関係で気が付かなかったが、この星ガイアにも衛星があり、それが潮の満ち引きを発生させているのだろう。

 10日に一度ほど大潮となるという事なので、衛星の公転は地球の月よりも速いのかも知れない。そして地球で言う一か月に相当する期間が無いのも何となく理解できた。

 一周期(約2年)の内、半分もの間姿を見せない存在を指標として使うのは不便だからだろう。『テネブラ』をガイアから切り離せれば一か月に相当する言葉も生まれるかも知れない。


 ギリウス氏に水妖精の拠点へと赴くことは出来ないかと訊ねると、彼らは拒絶しないだろうが息が続かないよと言われた。つまり潜水装備を使えば訪問可能という事になる。

 海底にある水妖精の拠点は『水中都市ヴァッテンスタデン』と呼ばれており、万を越える人口も相まって相当に巨大な施設らしい。

 チャプチャプという水音に入り江へと視線を向けると、目に見えて水位が上昇してきていた。海水が流れ込み水路と桟橋が櫛の歯状に並ぶ、地球にも良くある港の景観となった。

 干潮時は水路の底が見えるため奇妙な景観になっていたが、こうなると船が無いだけの港に見えるから不思議だ。ギリウス氏が合図をすると身の丈程もある木槌を背負った山妖精が進み出た。


 何をするのかと見ていると突堤にある妙に丸い大岩へ向けて、持っていた木槌を振り下ろす。コーンと言う良い音が響き、山妖精は一定のリズムで殴打を繰り返す。

 10分ほども延々叩いているので何をしているのか疑問に思っていると、海面に変化が現れた。陽光を眩しく反射する美しい貝が浮上していた。

 巨大な二枚貝の片方のみが浮いている奇妙な光景を観察していると、水面に人が顔を出した。あれが水妖精なのだろう。外見は若い女性に見える。水に濡れて波打つ長い髪の毛とイルカのようなつるりとした尻尾を持っている。

 人魚と言えば鱗がある魚類の下半身だと思っていたのだが、意表を突かれた形になった。まあイルカも哺乳類だし、妖精族も哺乳類だ。より近い方へと進化するのは良く考えれば当たり前だと思えた。


 近づいてくる彼らと共に貝殻の内側に彫られた模様が目に入る。俺がここに踏み込む際に持ち込んだ友好旗と同じ模様が刻まれていたのだ。

 海中では布など容易に腐食するため、腐食に耐える素材として貝殻が選ばれたのだろう。生活の知恵だなと感心していると、ギリウス氏が突堤の大岩まで進み出て代表者らしき女性と会話をし始めた。

 数十人は居るであろう水妖精の集団を眺めて、奇妙なことに気が付いた。男性が居ないのだ。ここに来ているのは年若い女性のみであり、老人や子供、男性が一人もいない。

 交易は女の仕事とされているのか、それとも女性しか生まれない種族的特徴を持ってしまったのかと思案していると、ギリウス氏が俺を手招きする。おそらく俺たちを紹介して貰えるのだろう、ヴィクトルと連れ立って突堤へと足を運ぶ。


 堂々と歩くヴィクトルに対して及び腰の俺。自分の体重で突堤が崩壊しないか気が気ではないのだ。別に水に浮かばない訳ではないのだが、施設を破壊することが恐ろしく、慎重な歩みになってしまっていた。

 下半身を水中に残したまま、突堤に肘をついてにこやかに微笑む美しい女性に向けてガリウス氏が紹介する。


「エウリーン殿。こちらが来訪者のお二方になります。後ろの方で奇妙な歩き方をしているのがシュウ殿、こちらの色が黒い方がヴィクトル殿です。お二人が是非エウリーン殿にお会いしたいと申されまして、突然ですがお連れしました」


 エウリーン! それは『魔術師』が助けて貰った女性の名前だ。まだ存命でこれほど若いとは思わなかった。可能な限り接地面を増やして体重を分散し、這うようにして突堤へと急ぐ。

 ギリギリまで近づこうとして体に抵抗が掛かった。ガツリと言う音と共に何かが突き刺さったような衝撃が加わる。あ! 角を忘れていた。今まで無かった器官だけに距離感が掴めない。

 丸岩を穿うがった角を引き抜いていると女性が鈴を転がすような声を立てて笑っている。まあ大の男がハイハイで近寄ってきた上に、角を突き刺してもごもごしていたら笑うのも仕方ない。


「シュウ殿はご覧の通り面白い方ですが、なかなかお強いのですよ? あれが見えますか? アレを一人で狩った英雄です。力自慢の我々が束になっても出来るか判らない事を成し遂げられたのです!」


 何故かギリウス氏が自慢げに胸を張り、赤くなったハサミと頭部のみが飾られているヤドカリもどきを指し示す。エウリーンと呼ばれた水妖精はあんぐりと口を開けると驚いていたが、勢いよく俺の手を取ると話しかけてきた。


「来訪者の方にお会いするのは初めてです。エウリーンと申します。私たちは強い男性に憧れを抱きます、是非仲良くしてくださいね」


 そう言って茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせる。意外と軽いノリに驚きつつも、なんとか頷いて見せる。

 そしてはっと我に返ると背負っていたリュックを探り、エアクッションでしっかりと梱包してあった荷物を取り出す。

 美しい琥珀色の液体を閉じ込めたガラス瓶を梱包材から取り出し、彼女の手に握らせると『魔術師』の想いを伝えることにした。


「エウリーンさん、これは以前貴女にお世話になった『魔術師』という来訪者が作った彼の手によるお酒です。命を助けられたお礼にと預かってきました。貴女に救われた事に大変感謝していました」


 そう伝えたのだが、彼女は不思議そうに小首を傾げている。するとギリウス氏が俺の肩を叩き、事の次第を教えてくれた。

 水妖精は名前を継承するのだそうだ。エウリーンというのは陸上との交渉者代表を示す名であり、彼女自身の固有名では無いと言う事だった。

 がっかりしているとエウリーンさんが意外な事を言いだした。


「心配には及びませんわ。もうずっと長い間エウリーンは私の家系で受け継がれています。その『魔術師』さんを助けたのも私の家系の誰かなのでしょう。確かにお受け取りしました、その方によろしくお伝えください」


 そう言ってニッコリとほほ笑んでくれた。肩の荷が一つおりてホッとすると同時に恐ろしい事に気が付いた。水に濡れて肌に張り付いていた髪の毛が渇いてきたのか、肌から浮き上がり彼女の胸が露出する。

 そう彼女たち水妖精には胸を隠すという風習がなく、トップレスなのだ。悲しい男のさがで、どうしても目が吸い寄せられるようにそちらを見てしまう。

 意識して視線を上へと逸らし彼女の髪の毛を観察する。今気づいたが不思議な髪の毛の色をしていた。全体として茶色か濃い赤系統の色に見えるのだが、角度によっては青系統の色味も見せ、紫色に艶めいて見える。

 ヴィクトルがこれが本当のマーメイドカラーですねと面白くもない事を言って、一人で笑っていた。


 衝撃的な出会いとなってしまったが、これから水妖精たちとの交流が始まるという事に期待と不安が入り交じった奇妙な気持ちを抱いていた。

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