第110話 龍の祭壇

 『魔術師』を森都へと送り、その足で交易村にある『カローン』へと戻った。

 『龍の祭壇』での作法については『魔術師』から聞き出してある。各季期の朔日(毎月の1日相当)に『龍の祭壇』へと登り、供物を捧げて龍の来訪を祈願するだけらしい。

 どういった原理で願いを聞いているのかは判らないが、その方法で『魔術師』は実際に龍と邂逅を果たしたという実績がある。


 面会をするメンバーは俺とスカーレットとアベルのみである。龍と敵対する場合を考慮して、最小限の犠牲に留めたいという考えからこの面子となった。

 供物もこれと定まったものは無く、自身が龍に相応しいと思うものであれば良いそうだ。『魔術師』は自身が狩りで仕留めた子羊(牛サイズ)をそのまま捧げたらしい。

 俺たちは折角異世界から来ているのだから、異世界産の品物を捧げようと思う。日本では古来より神様や超自然的存在への供物として酒が好まれてきた。

 定番中の定番であり外すことは出来ない。丁度親友たかしが渡米前にくれた名酒があるので、それを供物とすることにした。また『魔術師』が子羊を捧げたことから獣肉を供えても問題ないと考え、保存の限界も近くなっていた近江牛も使い切ってしまうことにした。


 諸々の準備を整えて2日後、朝日が昇った頃合いを見計らって俺とスカーレット、アベルは『龍の祭壇』へと転移した。

 2日前と全く変わりなく『龍の祭壇』付近は閑散としている。取りあえずバーベキューコンロに火を入れてサーロインとフィレの両方が一度に味わえるTボーンステーキを焼いていく。

 一枚当たり300グラムもあるステーキを10枚焼き上げて用意した皿に盛り、純米吟醸『久保田 紅壽』の口を切って盃が無いためスープ皿になみなみと注いだ。

 日本酒の艶やかな香りと肉が放つ暴力的な香りが混じり、神聖な雰囲気ではなくなったが俺が用意できる最高の供物を捧げる準備が出来た。

 この2日間で作った白木の供物机に供物を載せると、跪き両手を合わせて龍との邂逅を一心に願った。しかし何も起こらない。落雷とともに現れるとか辺りが光に包まれるとか言う演出があると思っていたのだが、どうもそういう訳でもないようだ。


 諦めて目を開くと巨石の向こうに龍が居た。降りてくるでも現れるでもなく、唐突にそこに居た。西洋のドラゴンではなく、東洋の龍に近い巨大な生き物が鎌首をもたげている。

 その龍は目の覚めるような真っ白の体色を持ち、黄金の瞳と三対六本の角を持ち、頭上に冠を戴いているように見えた。

 完全に蛇型の龍ではなく、長い首の後ろに胴体部を備え、手足と長大な尻尾を持っていた。白い鱗と銀の体毛、青白く見える鬣が幻想的な美しさを放っていた。


 白龍は高みから俺を見下ろし、黄金の瞳で見据えると語り掛けてきた。それは言語ではなく、脳裏に意志を直接刻み込むような奇妙なコミュニケーションだった。


【強き願いに様子を見にきてみれば、我が眷属を連れてこの場に臨むとは面白い。奇妙な目を持つ小さき者よ、そなたは何を望む?】


 圧倒的な存在感に体がマヒしたように動かない、威圧されている訳でもないのに言葉が出ない。早く何か返答せねばと焦るが、意識が空転するばかりで体がついてこない。

 遥か高みにあった頭が下りてきて目の前に迫る、巨大な口が開き二又に分かれた鮮やかな赤の舌が伸びると器用に酒を飲みほした。空になったスープ皿を見て、何故か硬直が解け無意識に酒を注いでいた。

 またもぎりぎり一杯まで酒を注ぎ、供物机に載せるとあえて声に出して要望を告げた。


「偉大なる龍よ、我らが願うのはただ一つ、我らの故郷たる『地球』への帰還。『魔術師』が願った際には『地球』の場所が判らないため出来ないと聞いた、私は今も『地球』と繋がっている。これを辿って送り返して貰えないだろうか?」


 白龍の瞳が俺を射竦める。何かが体の表面を這うような奇妙な感覚に総毛立つ。物理的な圧力を持つかのような視線に耐えていると、ふいに圧力が消えた。


【そなたの故郷は把握した。そなたらを送り帰すことは難しくはない、しかし今は出来ぬ。忌まわしき『星喰らい』が活動期に入っておる、それに願いには対価が必要となる。そなたらは釣り合うだけの対価を差し出せるのか?】


 無償で願いを叶えて貰おうなどと虫の良いことを考えてはいない、ここからの交渉が勝負の見せ所だ。


「我らが差し出せるもので、貴方が価値のあると思うものがあれば、可能な限り差し出すつもりです。貴方が望む対価を教えて下さい」


【そなたらがこの地で為したことは先ほどた。神より託されし地を荒らす輩を退治した功績と、我が永き生に於いても味わったことのない美味を捧げたことを以て願いを叶えてやりたいが、出来ぬ理由がある。

 そなたたちが『テネブラ』と呼ぶ存在はこの星を喰らわんとする『星喰らい』。彼奴めの浸透を食い止めるべく、我ら龍族は多くの力を割いてきた。

 しかしここに来て『星喰らい』の活動に変化が現れた。永きに亘り千年に一度の活動期以外は眠ったままであったが、直近の活動期より百年も経たずに活動期を迎えたのだ。

 龍族の殆どは次の活動期に備えて眠りに就いている。眠りを守る龍族は僅かであり、起きているものだけでは『星喰らい』を止められるか判らぬのだ。

 その状況で『地球』との空間を繋げるような大きな力を行使すれば、『星喰らい』に後れをとることになりかねない】


 白龍は駆け引きも何もなく、ただあるがままに俺たちの願いを叶えられない理由を明かしてくれた。おそらく嘘ではないだろう。彼が俺たちに嘘をついたところで、何の得もありはしないのだから。


「つまり空に輝く『テネブラ』を何とかできれば、我らの願いは叶えて頂けますか?」


 恐ろしい突風が吹きつけた、供物台は供物ごと倒れ――直前で龍の舌が皿と酒を絡めとる――ることなく、唐突に風も収まった。

 戻った供物台に肉の乗った皿と酒が戻される。どうやらあの突風は白龍が笑ったらしい。


【面白いことを言うのだな、小さきものよ。それが出来るのであれば、そなたたちの願いは即座に叶えよう。我ら龍族が総出であっても防ぐしか出来ぬことを、その小さき身でどうやって成し遂げる?】


「確かに我らは卑小なる存在ですが、それ故に知恵を磨いてきました。当然私一人ではそれほどの偉業はなし得ません、しかし仲間の協力を得れば実現できるかもしれません。龍族のお力を借りることになるかも知れませんが、その時はお力添えを戴けますか?」


【神より託されしこの地を守ることは我らにとって至上の命題。存在意義そのものと言って良い。勝算があるのであれば力を貸すことを約束しよう】


「では、龍族が知る『星喰らい』の情報と、白龍あなたと連絡を取る手段をご用意頂けませんか?」


【良いだろう。我が眷属を従えし小さきものシュウよ、そなたの名は覚えた。これをそなたに預けよう、この『龍珠』は我と繋がっておる。我が眷属にこれを持たせて呼べば、我はそこに現れよう。我が知識も眷属を経由してそなたに伝わるだろう】


 そう伝え終わると刻々と色を変える不思議な珠を残して、白龍の姿は霞むようにして見えなくなった。

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