第92話 森都の受難
カレーパーティーを終えても
その日は森都に滞在させて貰い、数は少ないものの存在する空き家を借りて夜を明かした。干し草の俵みたいな物に草の線維を編んだ布のようなものが掛けられたベッドは女性陣に使って貰い、男どもは床に断熱マットを敷いた上に寝袋に包まって眠った。
樹上の住宅は思ったよりも快適で、女性陣はベッドと持ち込んだ毛布を掛けただけで快眠できたようだ。男連中も湿気や有害な動物・虫などの心配をせずとも良い環境だったため十分に疲れを取ることが出来た。
薄い樹冠に覆われた森都は明るい『ソラス』が姿を現すと、緑のヴェールに覆われたようになり幻想的な朝の景色を生み出していた。
定刻通りの6時起床で順番に洗顔を済ませ、食材を眺めながら朝食のメニューを考えていると、アリエルさんがやってきた。
「おはようございます、来訪者の方々。良く眠れましたか? 申し訳ないのですが、本来昨日戻るはずだった『魔術師』が未だ戻りません。
朝食の後に捜索隊を組織し、森の奥へ向かうつもりです。何か事故が起こっていないと良いのですが……」
そう言って美しい顔を曇らせている。美人の憂い顔と言うのも絵になるのだが、個人的には笑顔の方が好ましい。昨日黒トリュフを貰った事もあるし、折角なので朝食をご一緒しないかと誘ってみた。
彼女は未だ朝食を取っていなかったようで、ご馳走になりますと快諾してくれた。どうも俺の料理を高く評価してくれているようで、曇っていた表情が華やいでいる。
カレー用に持ち込んだ食材の残りと、採取した黒トリュフを使ったメニューを決定するとハルさんと手分けして調理を始める。
ハルさんはスープとお茶担当、俺がメイン食材を担当することになった。ハルさんはキャベツ、にんじん、玉ねぎ、じゃがいもを手早く食べやすい大きさに切ると、固形スープのコンソメを温めたお湯に溶かし野菜を煮込み始める。
俺はその間に寸胴鍋にたっぷりのお湯を沸かし、フライパンを熱してパンチェッタを炒めて油を出す、少しオリーブオイルを足した後に玉ねぎのみじん切りを入れ透き通るぐらいに炒める。
ハルさんの様子を見るとスープに仕上げのウインナーソーセージを入れて、塩胡椒で味を調えていた。スープはほぼ完成だろう。
俺は沸騰したお湯に塩と森豆粉で作ったパスタを放り込み、先のフライパンに生クリームを流しいれ沸騰しないように煮詰めていく。ここで香りに変化を付けるため『
茹で上がったパスタをフライパンに入れてソースと絡め、巨大な黒トリュフの表面を捨てブロック状に切り出した塊をスライサーで薄切りにして混ぜ込んだ。
その状態で少し煮て香りが馴染んだら完成だ。『森豆と黒トリュフのクリームソーススパゲティ』を各自の皿に盛った後、テーブルの中央に置いた大皿にこれでもかと山盛りにする。
ハルさんが具だくさんのコンソメスープとコーヒーに紅茶を用意してくれたところで朝食となった。
各自がそれぞれに食前の祈りを捧げる、アリエルさんも何やら祈っていたところを見ると、森妖精にも食に感謝する文化があるようだ。
俺は真っ先にハルさんお手製のスープに口を付ける。キャベツの甘みとウインナーの旨味、にんじんと玉ねぎの香りが出て純粋に美味しい。
火の通りにくいじゃがいもは早い段階から煮始めたのかホクホクとした甘みの中に、しっかりとコンソメが染み込み贅沢な味になっていた。
アリエルさんの様子を窺うと口を押えて絶句していた。動物性の油を多用したから美味しくなかったかな? と思っていると。
「これが猪しか食べない『黒土茸』だなんて信じられない! このスパゲティというのも森豆をどうしたらこんな風になるのか……」
良かった、口に合わなかった訳ではないようだ。安心して自分でも一口食べてみる。森豆のスパゲティは小麦粉のそれよりもコシが強く、噛みしめると適度に歯を押し返す弾力が心地よい。
まったりとしたクリームソースと、塩味のきいたパンチェッタの旨味が良いアクセントになっている。黒トリュフの鮮烈な香りは煮たことで弱くなったが、姫茴香と馴染んで甘く野性的な芳香となって鼻を通り抜けていく。
健啖家揃いの我がチームは大皿から物凄い勢いでパスタを取り分けては瞬く間に平らげてしまっている。香りなど気にしているようには見えないが旺盛な食欲を見せてくれると、作った側としては料理人冥利に尽きるというものだ。
一足早く食べ終わったサテラが、赤い食材をと言う事でスカーレット用に切り分けた林檎をつまんで、せっせと食べさせてやっている。
スカーレットの朝食はにんじんのグラッセとウィルマの仕留めた何かの肉(生)、デザートの林檎だ。林檎以外は既に皿から消えている。
皆がそれぞれに好みの飲み物を口にして寛いでいた。アリエルさんは麺の作り方を知りたがったので、森豆を挽いた粉と塩に卵、油を加えて練って寝かせたあとに、食べやすい大きさに切れば出来ると教えておいた。
紅茶の味をいたく気に入ったらしいアリエルさんにPDAでお茶の木とお茶の葉を見せて、似たような植物が森に無いかを聞いているところに慌ただしい足音が飛び込んできた。
「大変です、アリエル様! 蜂蜜採取に行った仲間が一人戻ってきて、岩のような化け物に襲われ立ち往生していると知らせてきました」
「なんですって! 急いで案内してください、詳しく話を聞いたらすぐに助けに参りましょう」
長閑な朝食は終わりを告げ、鉄火場のような非日常のヒリついた気配が忍び寄ってきていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
『魔術師』が絡むことだけに我々もアリエルさんに同行させて貰い、仲間の窮地を知らせた森妖精のところへと向かった。
彼は両腕をあらぬ方向に捻じ曲げ、ひどく衰弱していたが懸命に残された仲間たちの状況を知らせてくれた。
彼が言うには森妖精は『魔術師』が伝えた養蜂の概念によって旧式ではあるものの、巣箱を用いた養蜂を行っていたらしい。
近代式の取り外し可能な巣箱ではなく、採取する際には煙で燻して蜂を追い払い、その間に巣板を回収するというものだ。
今回もいつも通りの手順で生木を燻していたところ、その化け物が襲い掛かってきたらしい。強固な岩のような外殻を持ち、熊のような長い爪を持った化け物は丸まると恐ろしい勢いで転がり、戻ってきた彼を跳ね飛ばした。
加速がそれほどついていない状態で撥ねられたため腕の骨折で済んだが、充分に勢いが乗った状態で轢かれていれば命は無かったことだろう。
そして仲間は彼を助け起こすと逃げるように促し、あえて逆方向に化け物を誘導していったという。逃げながら遠目に見えた光景は、大樹の樹上へと逃げ延びた森妖精たちを狙い、大樹に体当たりを繰り返す化け物の姿だったそうだ。
そして我々はその化け物に心当たりがあった。意識が朦朧としている彼を励まし、PDAに映る化け物の死骸を見て貰う。岩石のような外殻に熊のような中身、長く伸びた鋭い爪を見て間違いないと断言した。
かつて俺も襲われ、辛くも撃退した『
あの化け物が全力で樹木を攻撃すれば、大樹であろうともそれほどに持ちこたえられない事は明白だ。彼は仲間の大まかな位置を告げると、ついに意識を失った。
我々の痛み止めが効くかは判らないため、久しぶりに『
今回はヴィクトルの時のような生命が抜けていく脱力感がなく、彼のねじ曲がっていた腕は通常の状態へと復元した。念のために副え木で固定し、安静にさせるように伝えると救出部隊に加えて貰うようアリエルさんに頼み込む。
アリエルさんとしても化け物について知識がある我々が加わってくれれば嬉しいと歓迎され、森妖精の有志と共に昨日泊まった住居で作戦会議を開くことにした。
あの化け物を退けるのは生半可なことでは叶わない。我々の武装については俺が『カローン』まで往復すれば取ってこられる。聞いたところでは一頭のみだが、複数いる可能性も考慮して作戦を模索せねばならない。
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