第91話 カレーの魔法

 森都の中央広場を借りて、テーブルを広げ、ガスコンロを配置し、『水妖の盆ウンディーネベイスン』を用いた水回りも準備する。

 調理台にシンクとコンロが揃ったところで調理台や調理するメンバーをアルコール消毒してミッション開始だ。

 今回作る料理は市販のカレールウを用いた日本風カレーライス、カレー粉を使ったタンドリーチキン、スパイスから作りあげるインド風カレーの3種類だ。

 大量に作るため役割分担をして作業を進める。メインは俺とハルさんが調理を行うが、米の炊飯に関してはヴィクトルが、ナンの焼き上げはアベルが担当し、カルロスはパパドを仕上げ、ウィルマには野菜の下ごしらえを手伝って貰う。


 市販のカレールウを使ったレシピはシンプルに鶏肉と茸のカレーだ。

 鶏の胸肉を取り出し、筋を切った後軽く叩く。肉に塩と調理酒を振りかけて蒸し、粗熱が取れたらそぎ切りにする。

 寸胴鍋にサラダ油を熱し、ウィルマが一口大に切った玉ねぎ、にんじん、小房に分けられたブナシメジ、薄切りのエリンギを入れて炒める。

 軽く火が通ったら水を入れて煮込み、あくを取りつつ火が通るまで煮詰める。ここから先はカレールウを投入し、最後に鶏肉を入れてひと煮立ちさせれば完成なのでハルさんに作業を引き継ぐ。


 タンドリーチキンは既に漬け込み済のものをタッパーに入れて持ち込んでいる。これは純粋に焼くだけなので、炊飯器をセットし終わったヴィクトルに任せてしまう。


 ドク謹製の大型バッテリーを信じて、既にたこ足配線気味になっている炊飯器へのコードを掻き分け、ソケットにフードプロセッサーの電源プラグを差し込む。 

 フードプロセッサーの蓋を開き、サラダ油と食材ではなくスナック類に分類されていたカシューナッツを放り込みカシューナッツバターを作る。

 フードプロセッサーが頑張ってくれている間に、バターチキンカレーを作った時と同じスパイスに『月桂樹の葉ローリエ』を加えたものをサラダ油と一緒に炒って、油に香りを移す。辛さに耐性が無い可能性が高い森妖精に合わせて蕃椒チリペッパーの量を少なくしている。

 例によって桂皮シナモンだけは取り除き、みじん切りにして貰った玉ねぎを入れ、じっくりと飴色になるまで炒める。

 炒め終わったら磨り下ろして貰っていたニンニクとショウガを加え、鶏ひき肉を入れて色が変わるまで炒め続ける。

 色が変わったらトマトピューレと作っておいたカシューナッツバターを加え、水をひたひたになるまで入れて煮込む。この時に軽く味を見て塩を加えて味の調整をする。

 水気が少なくなってきたら、圧力鍋で柔らかくなるまで煮込んでおいた森豆を一口大に砕いて加え、最後に粉末状のクローブ、シナモン、カルダモンを振りかけたら『特製森豆のキーママタール』の完成だ。


 既に辺り一帯は暴力的なカレースパイスの香りで支配されていた。初めて嗅ぐ刺激的な香りだが、猛烈に食欲をそそる香りに誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。

 しかし守旧派の森妖精は互いに牽制しあっているのか誰も近づいてこない。こちらから声を掛けようかと思ったそのとき、グローディス様が俺の前に来て一言告げた。


「この素敵な香りがするお料理を頂けるかしら?」

「喜んで!」


 俺は用意した深皿にキーマカレーをとりわけ、アベルが焼き上げたナンとカルロスが炙ったパパドを平皿に乗せ、食べ方を説明してグローディス様に渡した。


 皆が固唾を飲んで見守る中、彼女の細い指が焼き立てのナンをちぎり、カレーに浸して口に入れる。超然としたアルカイックスマイルが崩れ、驚愕の表情から花開くような笑みへと変遷していく。


「こんなに美味しい物を食べたのは、この世に生を受けて以来初めてです!」


 彼女の一言が引き金となった、皆が思い思いの料理へと群がりカレーパーティーが幕を開けた。

 地球の料理を味わったことのあるアリエルさんたちは、それぞれの料理を少量ずつ受け取り全メニューを制覇するつもりのようだ。

 真っ先に日本風カレーライスを口にしたアリエルさんがその味を絶賛する。


「辛いのに甘くてまろやか! こんな味の食べ物があるなんて…… そして土台の白い粒、仄かに甘いこれのねっとりとした食感が未知の体験です!」

「アリエル様! これに入っている茸は先日食べた茸です! あの料理だけでも衝撃的だったというのに、これは更に上を行く味です」

「上に掛かっている汁に気を取られがちだが、アリエル様の仰るようにこの白い粒こそが全てを支えているのだ! 汁だけでは濃すぎる味を柔らかく受け止め、甘みで包みこむこれが無くては、この料理は成り立たない!」


 殊のほか米が好評だ。欧米人であるアベル達は粘りの強い米の食感をそれほど好まなかったのだが、アングロサクソン寄りの容姿をしている森妖精が気に入るとは予想外だった。

 料理を配りながら周囲を見ると、カルロスが必死にパパドを炙っている。イケメン揃いの森妖精がパパドの軽い食感を気に入ったのか、キーマカレーをパパドで掬って食べている。

 数秒で仕上がるとは言え、次から次へと消えるためカルロスが珍しく焦っているのが面白い。


 タンドリーチキンの売れ行きはどうだろうと目をやると、骨から外したタンドリーチキンをナンで挟み、メキシコ料理のタコスのようにして食べている。

 おかげでナンの消費スピードも早く、アベルもドクが作った即席タンドールに張り付いたままになっていた。

 試食したときの反省を踏まえて、油を多く含ませているため甘くてふんわりとした食感の実に美味しいナンに仕上がっている自信作だ。

 火の通りも早く、1枚当たり1分半ほどで焼きあがる。即席タンドール内には3枚まで貼り付けられるため、相当量を提供できるのだがストックが出来るほどには余裕が無いようだ。


「ああ、なんて美味いんだ…… ただ塩を振って焼いただけの肉とは全く違う、これが料理! これこそが食べるということだ!」


 タンドリーチキンを掲げて大げさな事を言っている森妖精まで居る。怜悧な容貌の滅多にお目にかかれないイケメンなのだが、両手に持ったタンドリーチキンが全てを台無しにしている。


 グローディス様の様子を窺うと、いつの間にか彼女はライスだけを貰ってきており、ご飯とキーマカレーを組み合わせて幸せそうに頬張っている。地球人の我々から見れば信じられない程の時を過ごしたというのに、自由な発想を持っているのには驚かされる。

 俺の視線に気づいたのか、グローディス様が話しかけてきた。


「これらの料理に私たちが食べ慣れた森豆が使われているというのは本当ですか?」

「本当です。アリエルさんに分けて頂いて少し研究させて貰いました。本当に素晴らしい素材です、まだまだ色々な料理に応用できる可能性を秘めています」


 彼女は俺の言葉に驚き、自分たちが食べる事を重視しなかったことが、森豆の可能性を埋もれさせてしまっていたことに気が付いたようだった。


「ありがとうございます、来訪者の方々。我々は変わらねばならない時に来ているのかも知れません。そしてこの味を知った我々なら変わる事ができるでしょう」


 そう言うとにこやかにほほ笑んだ。それは非人間的な仏像じみた笑顔ではなく、年頃の女性が浮かべるそれのような見るものを和ませる美しい微笑みだった。

 最終的には持ち込んだ素材が全てなくなり、用意した料理は全て食べ尽されカレーパーティーは幕を下ろした。

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