第56話 アスガルド

 俺たちは老人に招かれるままにアスガルドに踏み入った。老人はアパティトゥスと名乗り、一応地元の名士なのだそうだ。

 俺には『大地の活力』という風に聞こえるのだが、ハルさんや他の人にはアパティトゥスと聞こえるらしい。

 地妖精についてもハルさんにはゲノーモスという風に聞こえているらしく、偶然にもギリシャ語で『地中に住むもの』と言う意味となり、アメリカではノームと呼ばれる妖精ではないかと言っていた。

 地球で言うところのノームはせいぜい身長15センチ程度の小人だと言うことだが、アパティトゥス老人はどう見ても150センチはある。同一の存在とは思えない。

 今の時刻は夜であり、皆は眠りについていると言うことで、アパティトゥス老人のお宅にお邪魔することになり、そこでこの世界の情報を仕入れることにした。


「アディ! お客人を連れてきたぞい。すまんが、飲み物を用意して貰えんか?」


「なんですか、夜中に大声出して。あらあらまあまあ、大勢のお客様ねえ。狭いところだけど、良かったらゆっくりしていってね」


 地妖精の住宅というのは、陶器のようなつるりとした棒状の石材で組まれた、ログハウスと言った趣の建物であった。

 アパティトゥス老人のお宅は日本基準からするとかなり大きい部類だが、アメリカ基準だと別荘程度の認識なのだろう、誰も狭いところという話に違和感を抱いていない。

 通訳している俺のみが狭くないよね? 充分広いよね? と思っているのは滑稽な感じがする。

 アディと呼ばれた地妖精の女性は、アパティトゥス老人の妻らしい。正式にはアデュラリアと言うのだが、専らアディと呼んでいるとのこと。外見はアパティトゥス老人が地球人の尺度で60歳ぐらいに見えるのに比べて、アディ夫人は40歳ぐらいにしか見えない。

 体型もアパティトゥス老人がハンプティダンプティのようなずんぐり体型だというのに、アディ夫人は田舎のおっかさんという感じでふくよかではあるが地球人と大差ない。


 出された飲み物に手を付けないのも失礼かと思い、『ラプラス』で成分を読み取り、PDA内部のデータベースと突き合わせをしている間に香りを嗅いでみる。

 あ! これドクダミ茶だわ! 日本で飲んだ、お茶の匂いがする。既知の毒物が存在しないことをアベルに伝え、まずはアベルが一口飲む。独特の臭気に露骨に顔をしかめたが、慣れれば問題ないとのことだ。

 好き嫌いの激しいドクは陶器でできたカップを置いて飲もうともしなかったので、俺から老婦人に謝意を伝える。そして一息つくと、この世界の情報を仕入れるべく色々聞き込んだ。

 好々爺然とした外見とは裏腹に碩学でもあったアパティトゥス老人が、この世界について詳しく教えてくれた。


 この世界は『冠を頂く龍の土地ファス・ド・ラ・ヴィア』と言うらしい。

 2つの太陽を持ち、大きい方をソラス、沈まぬ方をテネブラと呼ぶ。一周期と呼ばれる期間のうち、半分は昼夜があるのだが、半分はテネブラが沈まず明るいままとなる。地球で言うところの白夜が続くのだ。

 このテネブラが沈まない間は世界に魔力が満ち、魔物の大発生や、生物の巨大化などが起こるのだそうだ。


 そう! この世界には魔力や魔法があるのだと言う。アパティトゥス老人がやってみせた地面に穴を開けたのがそれらしい。我々はスロープを少し降り、あとはまっすぐ歩いてきたつもりだったが、ずっと沈降を続け地下30メートルほどに達しているそうだ。


 そして龍。ファンタジーのお約束、龍が存在する。しかし知性を持った龍は稀であり、若い竜は獣と大差なく本能に任せて行動する。光る物を集める習性があり、『カローン』に乗った我々に警告をしたのはそのためらしい。

 500周期を数える頃には知性を持ち、龍となる。伝説によると龍とは創造神より、この地の管理を任された存在であり、それゆえの『龍の土地』だという話だ。

 それにしても神である。安易に宗教的存在を否定や疑問を呈すると、揉め事になるのは必至であるため、あえて言われるがままに受け入れる。伝説によると、神はこの地を龍に託し、最後の愛し子を育む揺り籠を作るため、この地を去ったのだという。

 その後神を見たものは居ないため、所謂創造神話として語り継がれているらしい。


 会話に時々現れる『周期』という概念が気にかかり、時間の捉え方について質問してみた。

 面白い事にこの世界でも一日を24分割して時間を管理しており、水時計で基準を示し、各自がぜんまい式手巻き時計で時間を知るのだそうだ。

 ドクが電子時計と比較して差を求めたところ、地球で言うところの28時間で1日となっており、微妙に地球基準の1日より長いことになる。

 一ヵ月に相当する季期は60日をまとめて1季期とし、12季期で1周期となるため、公転周期が地球で言うところの2年と少しになる。


 アパティトゥス老人が我々を『来訪者』と呼んだことから、この地に住まう生命体について色々と聞いてみた。

 来訪者とは我々のように、稀にこの世界に迷い込む存在を言うらしい。アパティトゥス老人が最後に見たのが200周期前ということは、400年以上前のことになる。

 地妖精という種族は長命で、平均して500周期程度生きるらしい。1周期で1つ歳をとる年制で、アパティトゥス老人が約400歳だと言うから驚きである。アディ夫人は約300歳とかなり若い。いや、ここまでスケールが大きいと誤差なのか?

 そして地妖精に共通する性質として手先が器用で、好奇心旺盛、勤勉な性格をしているそうな。文明度合もガス灯やぜんまい式懐中時計を持っていることから、近世ヨーロッパ程度の文化が定着しているようだ。

 彼ら以外に人型の知的種族が存在しないか訊ねたところ、火山帯で生活する山妖精、森と共生する森妖精、水中に都を構える水妖精などが居るらしい。

 進歩的なのは地妖精と山妖精のみであり、森妖精や水妖精は旧態依然とした生活を頑なに守っているらしい。

 他にも巨人族が居るらしいのだが、個体数がとにかく少ないため、滅多に遭遇することが無いそうだ。


 次に我々が最初出現した森について聞いてみた。あの森は『闇の森』と呼ばれ、魔の領域となっているらしい。創世神話に出てくる神が齎した『孵らぬ種の卵』なるものが存在し、それが放つ力を受けた結果として、あのような成長を遂げているそうだ。

 『孵らぬ種の卵』についてはアパティトゥス老人ですら見たことがなく、彼の曾祖父がその目で見たとして記録が残っているらしい。直径1メートル以上もある黒い球体で、黒瑪瑙オニキスが透明感を持ったような物だという事だ。

 創造神はその卵から様々な生命を生み出したとされており、孵すことが出来れば神に至る足がかりになるとされているのだそうな。なんとも壮大かつ夢のある話だ。


 『闇の森』で遭遇した巨大蟻についても話したところ、老夫妻の顔色が悪くなった。理由を問いただしてみると、巨大蟻の出現はスタンピードの前兆であり、巨大蟻の大発生が目前に迫っているらしい。


 以前は地妖精たちも地表に畑を作り、地底と地表の両方で生活を営んでいたそうだ。

 100周期ほど前に『闇の森』から巨大蟻が溢れ、街が飲み込まれそうになったことがあった。たまたま逗留していた巨人族の鍛冶師が外壁を作ってくれたため、街に立て籠もって応戦した。

 しかし巨大蟻は次から次へと湧きだし、ついには全長40メートルにも及ぶ超大型かつ、翅を持つ女王蟻の出現が報告され、街の放棄を決定した。

 おおよそ作物や木材などの食べられるものは全て蟻に食われ、街全体が蠢く蟻で黒くなっているところを離れた位置から絶望混じりに眺めていると、空より龍が舞い降りた。

 龍は女王蟻の首に噛みつき、そのまま『闇の森』へ無造作に放り投げた。衝撃で頭と胴体が分離した女王蟻に巨大蟻が群がり、巨大な蟻玉を作り上げたところに龍が火を噴いた。

 龍が放つ灼熱の息吹は『闇の森』ごと蟻玉を消し飛ばし、大地を黒く染め上げた。そうすると、もう用は済んだとばかりに龍は飛び去り、後はまばらに残った巨大蟻と焦土と化した大地だけが残った。


 その後地妖精は、巨大蟻の命が尽きるまで地底で過ごし、1周期を過ぎたころ地表に戻ると、街には蟻の侵攻にも耐えきった防壁と巨大蟻の残骸だけが残っており、他には何も残っていなかった。

 完全に黒く染まった大地は再び生命を育み、僅か1周期しか過ぎていないというのに森を形成しつつあった。

 このままではいずれ同じことが起こると考えた地妖精たちは、地表を捨て完全に地底で暮らす生活へと移行した。


 今度は以前と異なり、地上に食料が存在しないため、巨大蟻は素通りしていくのだろうと思われる。しかしそれがいつまで続くのか判らないため地表にある作物を収穫したり、備蓄をしたりと準備をしなければならないらしい。

 その話を聞いて、『闇の森』に置き去りとなっている医療スタッフと『エレボス』『ニュクス』の回収を急ぐ必要があると、地表に戻して貰うようお願いしたのだが、テネブラが沈まない期間は蟻が活発に活動し、ソラスが姿を現すと眠りにつくため、朝を待つ方が良いと諭された。


 チームで話し合った結果、アパティトゥス老人の提案通り、朝を待って救出に向かうこととし、今夜は老人宅に泊めて頂くこととなった。

 しかし7人もの大人数が眠れるだけの寝具が無いとのことだったが、アベルとヴィクトル、カルロスの3人が背負ってきたバックパックに断熱材と毛布があり、寝具は女性陣が使用することにして、男たちは断熱材を敷いた上で各自毛布に包まり眠った。


 最悪の時期に異世界に渡ったタイミングの悪さを呪いつつ、眠れぬ夜を過ごした。

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