第57話 蟻退治01

 1日が地球より微妙に長いためか、十分に睡眠を取り、朝を迎えた。人類の体内時計は24時間より少しズレており、概日サーガディアンリズムというのだが25時間でリセットされるようになっているそうだ。

 夜更かしをしたにも関わらず8時間以上も眠り、固い床に断熱マットを敷いただけだったが意外に快適だったのか、体が痛むこともなく万全の体調となった。

 アパティトゥス老人の親切に報いるべく、朝食はこちらが提供する事を申し出ると、地妖精の例に漏れず好奇心旺盛な夫妻は興味津々で台所を提供してくれた。

 組織に属してからというもの朝はガッツリ食べる習慣がついてしまったため、朝食から比較的重いメニューになることを二人に伝えると、採掘や農業、狩猟などと力仕事が多い地妖精の朝食もたっぷり食べるとのことだった。

 朝と昼をしっかり食べて、夜は食べない一日二食の生活だということだ。それならば遠慮は要らない、俺とハルさんとで並んで調理を行う。


 アベルとヴィクトルのバックパックから食材を、カルロスの荷物から調理器具を取り出す。手早く調理するため下ごしらえの済んだものをパックしたり、タッパーに入れておいたりしているので手間も掛からない。

 キャンプ用の大型ガスコンロでフライパンを熱し、パンチェッタを手早く炒めて油を出す。そこに刻んだ状態でタッパーに入れておいた香味野菜を放り込み炒める。

 ざっと火が通ったら片側に寄せて、魔法瓶から調味済みの卵液を流し込み野菜入りオムレツに仕上げる。生クリームやチーズも入れてあるため、流しいれる前に十分に振って攪拌するのも忘れない。

 塩分が多いメニューゆえに主食は米が望ましいのだが、ご飯は可搬性に難があるためやむなくバゲットや食パンを取り出してハルさんに託す。ハルさんは真空パックされたパン類を取り出すと、台所に備え付けてあった窯に火を入れると金網を置いてパンを炙る。

 ヴィクトルは全員分のカップに固形スープを入れると、順に湯を注いでいく。フリーズドライは奇跡の発明だ、プロの味を手軽に味わうことが出来る。今日のスープはスイートコーンたっぷりのコーンポタージュだ。

 焼きあがったパンとオムレツを配膳し、スープが行き渡ると食事の挨拶をして、各々が猛烈な勢いで食べ始める。しかし俺は調理の手を止めない。

 前日から漬け込んだタンドリーチキンを取り出すと、ハルさんが使って熱くなった窯で金網に乗せて焼きまくる。

 あたりに暴力的なスパイスの香りが漂い、夫妻は何事かと興味津々だ。表面はパリッと香ばしく、中身はジューシーに火が通った段階で、まずはホストの夫妻にサーブする。

 偏食が酷く、パンとオムレツの卵部分のみを食べて、野菜を丸ごと残しているドクの前に命の水ドクペを置いて、一言声をかける。


「こいつを飲みたいなら野菜も食べるんだ、ドク。ビタミンが不足した状態だと嗅覚が衰えるから折角のドクペが旨くなくなるぞ」


 不承不承といった体で野菜を口に運ぶドクにドクペを渡すと、全員にチキンを配って回る。ハルさんは全員のマグカップにオレンジジュースを注いでくれている。

 やっと俺とハルさんも席に着き、両手を合わせて食事に感謝を捧げて、食べ始める。

 最初は朝からこのヘビーな食事に慣れなかったのだが、基礎訓練や倉庫番であれこれ体を動かす機会が増えたのと、若返りの影響もあって今ではこの朝食が当たり前となった。

 まずは甘いスープを一口すすり、ほのかに温かいバゲットにオムレツとチキンを切り取って乗せ、一気に齧り付く。

 バゲットのザクリとした食感に、チキンの肉汁とスパイスが刺激を与え、それをオムレツのクリーミーさが包み込み絶品となった。強い味付けにパンが見る見る減っていく。

 やや野菜が足りないのだが、新鮮な野菜はどうしても嵩張るため、多くを持ち歩けないのが難点だ。


「なんと複雑な味付けじゃ、この肉は鳥かの? 卵を口にしたのはいつ振りじゃろう…… 魔力は一切含まれておらんが、柔らかく香ばしいとんでもない旨さじゃ」


 地妖精が普段どんな食生活をしているのか訊ねてみたところ、地表付近に芋と地下結実性の豆類、根菜類を植えており、地下からそれを収穫して主食にしているらしい。

 食肉の多くはミミズとモグラ、冬には冬眠しているネズミや蛇にイタチなども食べているそうだ。鳥や卵などは稀に地表に出た折に、狩猟したときしか口に入らないご馳走だという話だ。


「我々の住んでいたところには魔力と言うものが無くて、どんなものか判らないのですが、食材に含まれるものですか?」


 そう訊ねると、老人は嬉々として魔術講義をしてくれる。タンドリーチキンを振りかぶり身振り手振りを加えたダイナミックな講義だ。


 それによると、この世界の万物には普遍的に魔力が宿り、それを食事や魔力の輻射を受けることで体内に取り込み、それを使うことで奇跡を起こしているらしい。

 つまり魔力の宿った食材を取り続ければ、我々にも魔法が使える可能性があるということか! アパティトゥス老人のように地中を自由に行動できるなら、貴金属採掘なんかが劇的に楽になると思ったが、どうもそうでは無いらしい。

 力には二種類あって、自然が本来持つ力を利用する精霊力と、外から力を加えることで変質を促す魔力とがあるのだという。

 精霊力は種族的要素が強く、本人が持つ資質に左右されるが、魔力については万人が用いることが出来るそうだ。試しにとアパティトゥス老人は窯から木片を摘み上げると、何事かを呟いて火をつけて見せた。

 火打石に相当するものが見当たらないと思ったら、そんなものがそもそも必要じゃないわけだ。余談だが調理の際にはオイルライターで火をつけている。夫妻はライターに興味を持ったようなので、100円ライターを進呈した。

 まとめると環境や資質に左右されるが、消耗が少なく大きな力を出せるのが精霊力。全ての現象を魔力で起こすため、燃費は悪いが小回りが利く魔力。これらを用いてこの世界の住人は生活をしているとのことだ。


 魔術も精霊術も行使前に何か呟いていたことから、何らかの呪文詠唱みたいな物が必要なのかと問うと、別に必須ではないそうだ。

 精霊術は自然に対して呼びかけるため、敢えて声に出しているが強い意志があれば勝手に読み取ってくれるらしい。魔術は魔術を伝えた来訪者がイメージの補助とするべく使うのだと言っていたので唱えているようだ。

 なんと魔術を編み出したのは来訪者だったらしい。それまでは魔力というのは体内で勝手に作用し、体調を整え肉体を強化するだけの存在だったが、ドクに良く似た金髪碧眼の魔術師が物理現象に転化する方法を伝えたのだという。


 先ほど見せて貰った炎の魔術も呪文は「Fiat flamma」であり、思いっきり地球のラテン語だ。意味するところは「炎よ、あれ」と言ったところか。聖書の神が云われる「光あれ」の炎版だと納得した。

 その魔術師は存命か訊ねたが、遥か昔にこの地を去って何処に行ったかは判らないらしい。名前を決して明かさず、ただ『魔術師マグス』とだけ告げたらしい。交流にはそれで充分であり、『魔術師』といえば彼を指し、彼に敬意を払い彼以外は決して『魔術師』を名乗らなかった。

 その孤高の『魔術師』は森妖精を捜しに行くと、旅に出たきり戻ってきては居ないらしい。地球人の寿命を考えると生きては居ないだろうが、地球でも魔術はあったのか聞いてみたかった。


 皆が食事を終えて一息ついたところで、改めて全員に沸かしておいたお湯で紅茶を入れて配り、今後の予定について話し合った。


 真っ先に俺たちがしなければならないミッションは、『エレボス』『ニュクス』を含む医療スタッフたちを『闇の森』から脱出させることだ。

 この作業自体は大して難しくも無いのだが、巨大蟻に急襲されると途端に難易度が跳ね上がる。少しでも情報を仕入れるべく、巨大蟻の映像を夫妻に確認してもらった。

 アパティトゥス老人はPDAと動画に驚いたものの、すぐに理解を示すと巨大蟻の姿について詳細に検分した。そして驚愕の事実を告げる。


 この巨大蟻はおそらく女王蟻の幼生だということだ。通常の蟻よりも大きな腹を持ち、翅を生やす必要があるため背中の甲殻が盛り上がっており、容易に判別可能なのだそうだ。

 今でも充分に巨大なのだが、繁殖期になると40メートルにもなり翅を生やして飛び立つと言うから恐ろしい。その際にコロニーから雄蟻が飛び出し、周辺の全てを食らって栄養とし、彼らも翅を生やして飛び立つのだ。

 この新女王となる蟻(王女蟻)を駆除できれば、新たな王女蟻が成長するまで問題を先送りできる。上手くすると次代の王女蟻が生まれる前に当代の女王蟻が力尽きる可能性もある。


 当代の女王蟻はおそらく地中深く、コロニーの最奥に居るため手出しできないが、次代の芽を摘み取るチャンスを逃す手は無い。

 俺たちは当座の目標も無く、地球に戻れる算段がつくまで安全に過ごせる環境が必要となる。来訪者に友好的な地妖精がおり、防壁もある立地を捨てるには惜しい。

 可能ならば蟻を全て駆除したいところだが、地球の蟻と同様の生態を持っていると仮定すると、巣の外に居る蟻は全体の3パーセントに過ぎず、大部分はコロニーで生活している。

 地球ならば毒餌を持ち帰らせて巣ごと一網打尽に出来るのだが、これは相手が小さいから可能な話である。毒物というのは体積に占める割合が大きいほど良く効くのだ。

 一般の働き蟻ですら全長2メートルを超える巨大蟻を駆除できるだけの有害物質はとても用意できない。そもそも魔力という謎の力によって毒物を分解される可能性すらあるため、この案は廃棄せざるを得ない。


 では、どうすれば駆除できるのか? これは蟻の巣が地中にあることを利用する。蟻の巣というのは地中の規模は膨大だが、地上への出入り口は多くても数箇所、一箇所しかないことも多い。

 大地の精霊術を行使する地妖精にかかれば、巣の出入り口を特定するなどたやすいことらしい。これを利用して一箇所を残して他の穴を速乾性コンクリートで封印する。

 その一箇所の穴に向けて、俺の能力で一気に大量の水を流し込み溺死させる。幸い近くに大きな湖があるらしい、これを使わせて貰おう。


 今回のミッションは三段階で構成される。まずは医療スタッフと『エレボス』『ニュクス』の退避。

 次の段階として王女蟻の駆除、そして可能であれば巨大蟻の一掃というシナリオだ。

 アパティトゥス老人も地妖精の議会に諮って、協力を募ってくれるそうだ。作戦の詳細を詰めるべく、チーム全員で協議を開始した。

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