第44話 休題

「うむ。眼福、眼福。ハルさんは今日も可愛いのう……」


 思わず爺口調になってしまうが無理もない。今日のハルさんの服装は、キャスケット帽にニットワンピとか言う恐ろしく裸ワイシャツを思わせる兵器を纏い、足元はスエードのブーツに黒のニーハイソックスという装いだ。

 女性の髪形は良く判らないのだが、レザーカットボブと呼ばれる特徴的な髪型をベースに両サイドだけ長く伸ばしている。それとニットワンピの組み合わせは実に破壊力が高い。

 襟足から綺麗な首筋が見える上に、体の線が良く見える。まあスレンダーで性的とは言い難いハルさんだが、女性特有の優美な曲線が描く背中から腰に掛けてのラインが実に美しい。

 そして何と言っても黒のニーハイソックスだ! 実に判っていらっしゃる! 欲を言えばもうちょっとムッチリしていると更にマーヴェラス!!

 ニットワンピとニーハイソックスの合間に存在する、所謂『絶対領域』と呼ばれる生脚区画が、おっさんにはまぶしい限りだ。


 と、前を歩くハルさんを見ていたら背中を引かれて振り返る。


「シュウおじさん、これなあに?」


 ブボッ! 思わず吹き出してしまった。金髪碧眼の美少女ルイーゼちゃんが手に持っているのは、信楽焼の狸。何処とは言わないが立派なモノをぶら下げた、日本ではお馴染みの焼き物である。


「え、えーと、それは日本の伝統的な焼き物でね。商売繁盛の効果があるという、いわくつきの置物だよ、ノルウェーには狸って居ないのかな?」


「へー、モーヴンなんだ。日本のモーヴンはお洒落なんだね、ストローハットに雑誌とトリールスタッフを持ってるし、シュウおじさんの仲間かな?」


 むむ…… 俺の左目が持つ翻訳能力が上手く機能していない。所々がそのままの発音で聞こえる。日本語に同じ言葉や概念が無いと、そのままになるのかな? 法則性がイマイチ判らない。

 おそらくモーヴンってのは狸だろうし、トリールスタッフ? ってのは狸が持っている杖だろう。三度笠は麦わら帽子に見えるんだな、紐閉じの帳面なんて物はノルウェーにはないんだろうなあ。

 しかし、俺の仲間? 腹が出ているって事か! ちょっとショックだ…… 最近痩せてきたから、あそこまで見事な太鼓腹はしていないつもりなんだが、ルイーゼちゃんから見たら大同小異ってところなのか……


 ふとルイーゼちゃんを見ると満面の笑みを浮かべてこちらを見ている、どうも悪意や皮肉を言っている訳ではなさそうだ。

 ルイーゼちゃんのファッションはシンプルなのだが、実に破壊力が高い。鮮やかな赤いリボンタイが映える白のフリルブラウスに、紫のジャンパースカート、30デニールぐらいの黒タイツに、黒のパンプスといういで立ちだ。

 こういう服装をどこかで見た記憶があるんだが、どこだっただろう? あ! 『童貞を殺す服』だ!

 前回見た時は、髭の配管工みたいなオーバーオールだったので気づかなかったのだが、凄まじいボリュームの胸部装甲をお持ちである。

 フリルブラウスを傲然と持ち上げる膨らみが、ジャンパースカートに引き締められて、それはもう大変なことになっている。確かに童貞男子が見たら前かがみ必至である。


「ルイーゼちゃん、トリールスタッフって何かな? あと狸よりはお腹引っ込んできたんだよ? ほら、ちょっと痩せたし」


「うん、シュウおじさんは前より素敵になったね! えっと、トリールスタッフはね、魔法使いが使う杖だよ。だからモーヴンもシュウおじさんの仲間かな? って思ったの」


 なるほど、そういう意味でのお仲間か。まあ狸が持っているのは普通の旅行杖で、魔法使いでも何でも無いんだが、言わぬが花という奴である。


「ふふふ、体重は15キロほど減ったからね。もうメタボのおっさんから卒業だよ」


 笑いながら引っ込んだ腹を見せていると、ルイーゼちゃんが抱き着いてきた。お腹で凶器が潰れて大変なことになっている。EDじゃなかったら事案発生でしょっ引かれているところだ。


「本当だ! お父さんと同じぐらいだね!」


 にぱっ! と彼女特有の無防備な笑顔が眩しい。流石に肉親じゃない男に抱き着くのは無防備すぎると思っていると。


「ルイーゼさん、シュウ先輩が困っていますから離れて下さい。日本じゃ軽々しく抱き着いたりしないんですよ?」


 と、ハルさんが窘める。いつもにこやかなハルさんにしては珍しく険のある表情を浮かべている。


「うーん、残念。ルスの時はあんまり近づけなかったから、せっかくだし甘えたかったんだけどね」


 ルイーゼちゃんは少しファザコンの気があるのかな? なんだかおっさんが好みらしい。ルスの時に近づかなかった理由について聞いてみたところ、あの特徴的なオーバーオールはルスの期間中洗ってはいけないらしく、臭いと思われたら嫌だったらしい。


 両手に華という、この現状について説明が必要だろう。

 ルイーゼちゃんがお父さんに連れられて来日し、崇が歓迎会を催したのが昨日の事である。そこでルイーゼちゃんに再会し、ノルウェー語も堪能であったハルさんが通訳を買って出てくれたため、崇とオルセン氏が商売の話をしている間、俺とハルさんでルイーゼちゃんを連れて日本観光をしているところである。


 と言っても所詮は滋賀県、京都程の観光名所がある訳でもなく、田舎では比較的大きいという程度のアウトレットパークに来ているという訳だ。

 信楽焼の狸なんかが置いてあるとは夢にも思わなかったがな! しかし、ルイーゼちゃんは明らかに人の目を惹く異国の美少女だし、ハルさんも良く見るとビックリするぐらいに可愛いので、通りすがりの人々がちょくちょく振り返っては、連れの男性である俺に訝しげな視線を向けてくる。

 二人に比べたら冴えないおっさんだという自覚はあるから、その誘拐犯を見るような目線はやめて欲しい。


「二人とも、そろそろお腹空かないかい? 実は既にお店を予約していてね、買い物に満足したなら、そろそろご飯食べにいかないかい?」


「そう言えばお腹空いたかな? シュウおじさんは、お腹減ったの? お父さんもね、私と歩いているとすぐに疲れたって言うの、シュウおじさんもかな?」


 ルイーゼちゃんがおかしそうにクスクス笑う。


「そうですね、ここは人通りも多いですし、少し静かなところの方がゆっくりできそうです」


 ハルさんも賛同してくれた。よし、同意とみなして移動しよう。


「じゃあ、僕は車を回してくるから、少しの間ロータリーのところで待っていてもらえるかな?」


 そう言い置いて、自分の車に向かった。自分の車に母親や妹以外の女性を乗せるのって何年ぶりだろうと、悲しいことを考えながら車を向かわせる。

 離れていた時間は5分も無かったはずなのに、見るからにチャラい兄ちゃん二人が、ハルさんとルイーゼちゃんに声を掛けている。

 クラクションを鳴らして注意を引くと、兄ちゃん二人に声をかける。


「その二人は僕の連れなんで、変なちょっかいかけないで貰えるかな? しつこいようなら国家権力のお世話になることになるよ?」


 自分で言っていても虎の威を借りる狐状態で恰好悪いが、そもそも俺には迫力という物が足りない。警察の存在をアピールするのが、一番効果的なのだ。

 チャラい兄ちゃんはあからさまにこちらを睨んだあと、舌打ちをして去って行った。そして二人を車に乗せて出発する。

 助手席にはルイーゼちゃんが座り、ハルさんは後部座席に収まった。何故かシートの中央に座っていて、ルームミラーに目をやると真正面にハルさんが見える。


「ごめんね、二人とも。ほら、二人とも滅多に居ないぐらい可愛いから、若い野郎が舞い上がったんだよ、あんな軽薄な野郎ばっかりじゃないんだよ?」


「ううん、気にしてないよ。ノルウェーでもピックアップナンパは変わらないもん」


「合衆国でもそうですね、日系人が珍しいのか、割と良く声を掛けられます、不本意ながら迷子と思われることも多いですし」


 いかん、ハルさんの目からハイライトが消えている。なんとか話題を変えないと!


「あ! ほら、見えてきたよ。ここが僕オススメのお店『毛利沙樹もりさき』、きっと気に入って貰えると思うよ」



◇◆◇◆◇◆◇◆



 前回崇と訪れた時と同じ部屋に通される、落ち着いた和室と窓から見える枯山水風の日本庭園に、外国人である二人が見入っている。

 俺には縁が無かった高級店ゆえに、どんな料理を頼めば良いか判らず、料理長お任せの会席料理と言うコースを頼んである。


「すごい! 可愛いお庭だね! 地面の模様はどうやって描いてるの? あの振り子みたいなのはなあに?」


「地面は石庭と言って、海を表しているらしいですよ。フォークみたいな道具を使って手作業で描いているらしいです。あれは鹿威しと呼ばれる、水を利用して一定時間ごとに音を出す害獣避けですね。お料理屋さんにあるのは謎ですが」


 若い女の子がキャッキャとはしゃいでいるのを微笑ましく眺めていると、殺伐とした日々が嘘だったかのように心が癒される。

 暫くすると食前酒のノンアルコールワインと、先付が運ばれてきたので、二人を呼び戻す。


「二人とも、食事が届いたよ。あ! 今更だけど二人とも生ものって大丈夫かな? ダメだったら、違う料理に替えて貰うけど」


「大丈夫だよ! 昨日もお寿司を食べたもん! それにサーモンのお寿司はノルウェーと日本の合作なんだよ、生ものは慣れてるよ」


「日本のお料理は信用していますから、チャレンジしてみます。シュウ先輩はここのお料理美味しいと思われたんですよね?」


「うん、崇と一回来ただけなんだけども。凄く美味しかったから、ぜひ二人にも食べて欲しいんだ。取りあえず、日本式に乾杯しようか」


 そう言って、ワイングラスに注がれたノンアルコールワインで乾杯する。シャルドネスパークリングというシャンパンに良く似た味のソフトドリンクだ。

 先付として出された料理は、ワイングラスに盛られた近江牛のユッケ。卵の黄身を中央に、周囲を花のように牛肉があしらわれている。

 アクセントにネギと松の実、サニーレタスと野菜のフライドチップが添えられていた。


「うわっ! 美味しい!! しっかり味付けされているんだね! このナッツも香りが好き!」


「話には聞いていましたが、生卵って食べられるんですね…… 強い味付けのお肉をまろやかにしていて、すごくおいしいです」


 まずは好感触のようだ。生卵を食べるのって日本だけなのかな? なんか表情が引きつっているけど、味は気に入ってくれたようだ。

 次は透明なガラスの器に盛られたエディブルフラワーとローストビーフが配膳される。


「ダイリ(おいしい)!! こんなに美味しいローストビーフって初めて!」


「凄い…… 半生の部分しかないローストビーフなんてどうやって作るのかしら? それにソースもあり得ない美味しさ……」


 二人の反応は対照的だ、純粋に喜ぶルイーゼちゃんと、料理人らしく分析しつつ味わうハルさん。ハルさんの手料理がこのレベルになったら、お店が出せると思う。

 そして次の皿が運ばれてくる。今度は先ほどより広く四角いガラスの器に近江牛のたたきと季節の野菜、一口サイズの牛肉コロッケが載っていた。


「この茶色のジュレってオショーユ? お肉と一緒に食べると口の中で蕩けるの!」


「醤油だけじゃないですね、グレイビーソースのように肉汁と醤油を合わせて、酢の味もします、日本料理は奥が深すぎる」


 ハルさんは先ほどから時々メモを取っている。喜んでくれているようで、連れてきた甲斐があるというものだ。

 先付、八寸ときたら次は酢の物が定番なのだが、陶器に盛られたこれはどう見ても、焼き茄子と薄切り焼肉にカイワレ大根が載っているだけに見える。


「ええっ! 火を通したお肉のマリネなんてあるの! これも美味しい!」


「火を通すことで脂が溶けだし、強い味の酢と合わせても負けない味になるんですね、すごい工夫です。このハーブも凄く爽やか」


 あれ? 合衆国じゃカイワレ大根って無いの? そういや見た事ないな。今度聞いてみよう。

 次に運ばれてきたのは、白い釉薬が雪景色を彩って美しい皿の上に笹の葉を敷いて、三種類の近江牛を使った握り寿司が並んでいる。

 左から順に炙り、生、味噌漬けとなっていた。少し脂がキツイのかワサビとネギがネタの上に載せられている。


「これお肉だ! お肉のお寿司なんてあるんだね! トゥーンフィッシュマグロよりこっちの方が美味しい!」


「半生になるように火を通してあるだけで、こんなに味が変わるなんて…… それにこの濃い色になったお肉は、どうやって味を付けているの?」


 生の牛肉を味噌漬けにして熟成させたあと、火を通してから握るとこうなると教えてあげると、目を輝かせてメモを取るハルさんが微笑ましい。

 そしてついにメインがやってきた。近江牛ロース肉の鉄板焼きだ、地元の名産品である赤こんにゃくと椎茸、エリンギ、ピーマンが添えてある。

 見事にサシが入った霜降り肉に振りかけられた胡椒が散っている。日本ではお馴染みである固形燃料のコンロに火が付けられ、肉が脂が焼ける匂いが周囲に漂ってくる。

 ルイーゼちゃんは固形燃料のコンロが珍しいのか、先ほどから何枚も写真を撮っている。ハルさんも固形燃料に興味津々だ。

 まあアメリカだとガスバーナーで一気に加熱するもんね、こんなまどろっこしい手段を取ること自体が珍しい。


「さっきのお寿司よりもっと美味しい!! 私、今日はビックリしてばっかりだよ!」


「これがWAGYU。『ホーム』で食べたお肉よりも更に美味しい…… 切り方、焼き加減、塩胡椒の具合、まだまだ工夫できる余地があったんですね」


 ルイーゼちゃんは若者らしい旺盛な食欲でどんどん食べ進めるのが気持ち良い。ハルさんは茫然自失となっていた。まあ同じお肉を使っても、素人料理とプロの料理人が作る芸術品じゃ味も違って当然だ。

 お腹も膨れてきた頃に、温物と飯物として、茶碗蒸しの肉そぼろ餡かけ、近江牛の炊き込みご飯と漬物が供される。


「このプディング凄く美味しい! 私、これ大好き!」


「諦めました。今日は大人しく味わうことに専念します。本当に美味しいです! シュウ先輩、連れてきて頂いてありがとうございます」


 ついにハルさんが匙を投げた。ここの茶碗蒸しは異常だった、茶碗蒸しとは思えない濃厚さを持っているのにしつこくない。それなりに料理を知っている俺から見ても、どうやって作るのか皆目見当がつかない。

 炊き込みご飯も脂が多い牛肉と一緒に炊き込んだためか、添えてある薬味が山椒の葉になっていた。濃厚な脂を爽やかに雪いで、涼風が吹き抜けていくような実に巧みな工夫だ。胡瓜の浅漬けが塩味と酸味で印象を引き締める。最後まで計算され尽くしたコースを堪能する。

 最後にデザートとして柚子のゼリーに生クリームとミントの葉が乗ったものが出された。トドメの酸味と甘みですっかり満足してしまった。


「シュウおじさん、ごちそうさまでした! 本当に美味しかった! 私、日本に来て本当に良かった」


「ご馳走様でした。このレベルに達するのは難しいですが、炊き込みご飯とお漬物で少しヒントが見えました。シュウ先輩、待っていて下さいね!」


 二人とも喜んでくれたようで、ご馳走した側としても喜ばしい限りだ。料理長は良い仕事をしてくれた、今後も贔屓にさせて貰おう。

 お茶を飲んで寛ぎながら、三人で思うさまに語り合い、日本の夜は更けていった。

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