第43話 閑話
小崎さんが戻ってきた。うつ病患者さんには良くある事なのですが、症状が軽くなり退院し、ストレスから症状が悪化して再び入院するという事を繰り返す方が、相当数居られます。
小崎さんも例に漏れず、再入院される際に様子を見た限りでは、かなり症状が悪化しているなと判りました。
少し痩せられたのもあって、顔色が悪く、表情も抜け落ちていました。更に外部に対する応答性が著しく下がっていて、呼びかけに反応されるまでに数分を要する状態でした。
しかし、当院に入院されてからの回復は目覚ましく、今ではかつてのにこやかな表情を取り戻されていて、看護師一同喜んでいました。
愛の奇跡だと!
ところが、大道先生と小崎さんの純愛に水を差す、不届きな小娘が現れるようになったのです。
何処の中学生かは判りませんが、週末の度に病室を訪れ、着替えを届けるだけならまだしも、暇なのか一日中付き添う始末。
彼女が現れるようになってから、大道先生は彼女に遠慮をされているのか、あまり病室にも近寄られない……
これは良くない傾向だ。『
◇◆◇◆◇◆◇◆
――――『紫百合の会』
それは大道会医院に勤務する妙齢の看護師有志によって秘密裡に運営される組織。
紫は古来より高貴な色とされ、禁忌を意味する色でもあった。転じて、紫百合は禁断の尊い関係を見守る乙女たちを意味する隠語となった。
「そう、それは由々しき事態ね。同志KSGがもたらした情報は大変貴重です。その小娘は一体何者なの?」
「いえ、村田師長。私は小杉です。変な呼び方しないでください。大道先生たちの会話を聞いたのですが、信じられないことに小崎さんの同僚だそうです。年齢も18だとか、絶対サバを読んでますよ。どう見ても中学生ですもん!」
「18…… そう18ね、許し難いわね。死刑が妥当かしら。彼らは酸いも甘いも噛み分けた
「同志MRT書記長のお怒りはごもっともですわ。あの憎き小娘は若さと、ほんの少し可愛いというだけで、病棟のアイドル気取りです。高齢の入院患者さんたちを誑かして、あんなにお世話した私が見向きもされないなんてありえないですわ!」
「そう、他の入院患者さんたちにも取り入っているの。同志KSG、入院患者さんたちの彼女に対する印象はどうなの?」
「小杉です。そうですね、トイレで困っているところを彼女に助けて貰ったとか、年寄りの長話にも嫌な顔をしないで付き合ってくれるとか、談話室でお茶を溢したときも率先して片付けてくれたとか、概ね好意的な意見が多いです。
いつも明るくにこやかでハキハキと話し、動作もキビキビと小気味良いと、男性職員からも好かれているようです」
パキリ…… 乾いた音が響く。同志MRT書記長と呼ばれた女性が持つカップの取っ手にヒビが入っていた。
「そう、患者さんたちだけに飽き足らず、数少ない男性職員にまで色目を使っているのね、その泥棒猫は……
皆さん、これは粛清が必要ではありませんこと? 若さと女を武器に医師や男性職員にまで色目を使うとなれば見過ごせません。
しかし、直接手を下すのは下品です。あくまでも自滅するように差し向けるのです。
その泥棒猫を徹底的に調査しなさい。絶対に猫を被っているはず、陰では薄汚い本性を晒しているはずです。それを暴きなさい」
「なんだか本来の趣旨から外れているような? いえ、なんでもありません! 了解しました。この小杉、早速情報収集してまいります!」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「はい、シュウ先輩。こっちの紙袋に下着や靴下なんかが、こっちにはタオルとかハンカチとかの小物です。着替えは鞄に入れておいたのと、ロッカーにも掛けておきましたよ」
「ハルさん、本当に何から何までありがとう。わざわざ俺のためだけに病院に来ることないんですよ? 受付に荷物を預けて貰えれば、もっと自分の時間が持てるでしょうし」
「いいえ、私が好きでやっていることですから。それにシュウ先輩の様子を見ることを条件に、日本滞在と長期休暇を貰っていますから、本当に気にしないでください。私はこうやって誰かの役に立てることが嬉しいんです」
「ええ子や…… ほんまにハルさんは天使やで……」
「どうしてそんな変な口調になるんですか? 大したことはしていませんよ、それに私、ずっと一人だったから、こうして誰かのお世話を出来るのが楽しいんですよ。もっと私を頼って下さいね」
「ダメです、ハルさん。それは弱っている男に言ってはダメな台詞です! 男は単純だから、そんなこと言われたら5秒で惚れてしまいます、もっと自分を大切にしないといけません!」
「え? 惚れて貰えるなら嬉しいです。別に誰にでも優しいわけじゃあないんですよ?」
「だからダメです! そういう事言うと男はすぐに勘違いするんですから!」
「ンンッ! ゴホンゴホン! えーっと小崎さん、検温です。それと身長・体重も測って下さいね」
「ああ、すみません。すぐ行きます。ハルさん、ごめんなさい。ちょっと看護師さんに呼ばれているので、行ってきますね。本当にありがとうございます、せっかくのお休みなんですし、俺なんて放っておいて日本を楽しんできてくださいね。
でも検温って朝にしたような気がするんだけどな……」
「判りました。いってらっしゃい、私はここで荷物とか整理して待っていますから」
確定です。ここまであからさまだと誰でも判ります。会話を聞いているだけで、口から砂糖を吐き出しそうになりました。
あのハルとか言う子は小崎さんに気があるみたいです。幸い小崎さんはその気がないようですが、当然ですよね、彼の
18の小娘が色気づきやがってチクショウ! お肌もプルップルで表情もキラキラしていて、もう見てられない!
私も10年前ってあんな感じだったのかなあ…… 出会いがないから、最近恋してないなあ、心が枯れそう……
でも、なんだか良い子そうなのよね…… 大道先生のことが無かったら、彼女と小崎さんの歳の差恋愛を応援するのに……
いけない、私たち『貴腐人』の誓いは絶対。彼女の動向は、小崎さんの担当看護師である私がしっかり見張らなきゃ!
◇◆◇◆◇◆◇◆
「何だか前回入院の時よりも、一層看護師さんに見られている気がするんだよ。これって俺の気のせいかな? ハルさんと一緒に居ると、特に視線を感じるんだけども」
「気のせいだろ。うちの看護師だって、そんなに暇じゃないさ。それよりお前の女、独身連中に評判が良いみたいだぞ。うかうかしていると取られるぞ?」
「だから、そんな関係じゃないって。まあ独身男性諸氏が惚れるのは判る。良い子だもんなあ、でも彼女はアメリカに帰る身だからね。海外まで追いかける気概が無いと、とてもじゃないけど交際は認められない!」
「別にお前の許可は要らんだろう。なんだ? 関係ないって言っているのに独占欲はあるのか?」
「いや、違うって! これはなんというか、そう! 娘を想う父親の心境みたいなモンだよ!」
「まあ、そういう事にしておこうか。独身連中には俺から言っておいてやるよ、怖い父親が娘はやらんって言っているってな」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「やっぱり小崎さんは、大道先生と一緒に居るべきなのよ! 凄く楽しそう! ねえ、みんな?」
「「「ええ! とっても」」」
大道会医院の看護師は、今日も腐っていた。
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