第33話 契約

「スポンサーとの面会はどうだった、シュウ? ああ、その顔つきだと好感触と言う訳ではなさそうだな」


 アベルはそう言うと苦笑して見せた。当然と言えば当然だ、意に添わぬ命の略奪をせねばならない。


 三賢人たちは快く寿命を提供してくれる若者と言っていたが、普通に考えてそんな奴が居るはずがない。まさに彼らの言う通り悪魔のように甘言を弄して騙し、欺いて僅かばかりの金と引き換えに若き日の10年間という、人生で最も輝ける時を差し出させたのだろう。

 命の価値は一様ではなく、彼らが手にする金が無ければその先の10年など絵に描いた餅でしかないのかもしれない。

 自己責任と言えばそこまでだが、それは冷徹な強者側の理屈でしかないと思う。強者側に立ち、その走狗に成り下がっている俺が何をか言わんやというところではあるのだが。


「まあそう嫌ってやるな。彼らは貪欲だが正直だ。命や金が常に賭け皿に乗っている戦場に跋扈している連中と比べれば、欲するところを隠そうとしないだけマシだ」


「気の進む任務ではないが、目の前に人参をぶら下げられた以上はせいぜい上手に踊って見せるさ」


「ほう! 好条件を提示されたか、シュウがやる気を出す報酬なんてハルか食べ物しか無いと思っていたが、彼らはちゃんと把握しているようだな」


「うーん、ある意味食べ物に釣られた形になるのかな? アベルにも関係あるんだが、『ホーム』と日本の移動を自由にしてやろうと言われたよ。歓迎会で使った肉は買い上げてもらったから懐は痛まなかったんだが、現物はなくなってしまったからね。気軽に日本の食材を買い付けにいけるというのは食事しか楽しみが無い俺には嬉しい報酬だよ」


「WAGYUか、あれは確かに美味かった。衝撃的でさえあった! 値段も衝撃的だったがな、あれだけの量しかないのに1000ドルを超えるとは驚きだ」


「いや、あんなに脂っぽい部位ばっかりをバクバク食えるのはアベルぐらいじゃないのか? 現にドクはステーキ2枚とドクペを暴食した挙句に腹を壊して寝込んでいるんだろう?」


「カロリーは取れる時に取るのが鉄則だ。あの程度で体調を崩していては戦場では生き残れない。それよりも日本の食材が手に入るなら、ヴィクトルが独り占めしているアレを買ってきて貰えないか? 俺は一個しか食べてないんだ」


「ああ、アレか…… 結局ヴィクトルが独占しちゃったのか。何が琴線に触れるのか判らないもんだね」


 ここで言うアレとは、日本では比較的メジャーなチョコレート菓子に日本酒味というのがあったのを見つけた俺が、面白そうだなと一袋だけ買ってきた物になる。

 チョコレートと日本酒の組み合わせを考えてキワモノだと決めつけた俺は、受け狙いに一袋だけあれば十分だろうと考えたのだが何故か取り合いになるほどに受けた。これに異常に執着したのがここに居るアベルとヴィクトルの2人だ。

 他のお土産から一切手を引くことを条件に独占し、半分ずつにすれば良いものを相手の分まで奪おうと夜遅くまで賭けポーカーをやっていたようだ。

 大袋の中に個別包装されたチョコレートが入っているため、チップの代わりにチョコレートを積み上げて相手を睨み付けながらトランプを繰る2人はチームの仲間ではなく、不倶戴天の敵同士のようにすら見えた。


「俺が寝る前に見た限りじゃ、7対3ぐらいでアベルが優勢だったじゃないか。あそこから逆転されたのか?」


「聞いてくれよシュウ! 絶対あれはイカサマだって! フルハウスに続いてストレートフラッシュが揃うなんてありえないだろう?」


「え? テキサス・ホールデムでやっていたんだろう? 相手の役が強そうなら降りれば良いじゃないか」


「こっちの手札も良かったんだよ…… 最後は隠し持っていた1個を除いて起死回生のオールインをジョーカー入りのスリーカードで奪われて終わりさ。熱くなり過ぎたよ」


「アベルって賭け事には向かないタイプだな。でもあのチョコレートは期間限定だと思うから、日本に行っても手に入るとは限らないぞ?」


「なんてこった! それじゃ少しでも早く任務を終わらせて日本に飛んでくれ! さあ急ごう! グズグズしている暇はないぞ! というか今なくなった!」


 急に張り切りだしたアベルに苦笑しながらも、彼の後ろについて駐車場へ向かう。

 目的地はフェニックス郊外にあるホテルの一室になる。『健康診断』の際は米兵が同乗したため遠回りを強いられたが、俺とアベルだけならばそんな必要はない。

 アベルはそもそも『墓地グレイブヤード』の正確な位置を知っているし、俺は自分の位置座標を確認するだけでおおよその位置にアタリを付けられるからだ。


 俺の能力を利用して瞬間移動をするかしないかの判断基準は、移動に要する時間が3時間を超えると検討されるようだ。存在を秘匿したい施設への出入りについては当然瞬間移動を用いている。

 今回も地下駐車場からフェニックスの外れにある契約倉庫までは瞬間移動で、そこからホテルまでを車で移動する。

 『墓地』と契約倉庫間の移動は俺が絡まない場合も頻繁に要請されるため、ブックマーク機能でもあればなとぼやいていたらドクが一晩で作ってくれた。

 日中の反射が厳しい砂漠にあって必須アイテムであるサングラスに、GPSと連動した投影機能とカーナビのような地点登録機能を持たせてあるらしい。サングラスのフレームに偽装されたスライドスティックを操作して、契約倉庫の経緯度を表示させれば準備は完了だ。


「アベル、今から移動するが準備は出来ているか?」


 一応能力を発動させる前に、一声かけて確認をとる。ふと見るとアベルは真っ黒な布袋のようなものを抱えていた。

 かなりの大きさがあり上腕二頭筋の膨れ方を見る限り、かなりの重量もありそうだった。中身が気になったが、説明されないという事は知らなくても良いのだろうと判断して視界から外す。


「問題ない、シュウ。やってくれ。ただし、倉庫内に動体反応があった場合は即座に撤収するからその準備をしておいてくれ」


 自身のPDAを操作しながら、そう指示するアベルに不穏なものを感じつつも、いつでも元の座標に戻れるよう心構えをして移動する。

 アベルは視界が急に切り替わる際に発生する眩暈を回避するため、目を瞑って移動しているが俺はそういう訳にもいかない。目を瞑ろうが眼帯をしようがお構いなしに左目は見えているからだ。

 視界が撹拌されるような気持ち悪さに耐えて、アベルの反応を待つ。


「クリア。よし問題ない、直近6時間以内にセンサーが感知した動体は存在しない。杞憂だったか、俺が運転するからシュウは後部ハッチに行ってくれ」


「毎回思うんだが、なぜ後部に移動するんだ? 別に助手席でも良いだろう?」


「これもスポンサーの意向だ。万が一にでもシュウを交通事故で失わないための措置らしい。

 RPGが直撃して車が丸焦げになっても後部ハッチの内部は安全だ。


 彼らにとってシュウ以外は、所詮替えの効く部品に過ぎない。しかし替えの効かない状況を甘受し続けるほど彼らは無能ではない。

 必ず何らかの手を打ってくる、油断するなよシュウ。俺は割とお前の事を気に入っているんだ」


 アベルの善意からの忠告に頷き、素直に後部ハッチに向かう。

 重厚な音を立てて扉が開き、内部に入った事を確認した後にロックされ車が発進する。壁面に備え付けられたシートに腰掛けると、やることがなくなり手持無沙汰となる。

 PDA内部に溜め込んだ電子書籍を読みながら時間を潰していると、車がゆっくりと停車するのが判った。目的地に着いたらしい、ここからは感傷は捨て非情になりきらなければならない。


 ホテル最上階にあるペントハウスに着くと、アベルが声を立てずに近くへ来るように合図する。マジックミラーになっているらしい鏡面越しに隣室の様子が窺える。

 豪華な調度品で高級感あふれる内装に仕上げられた部屋に不似合いの一組の男女が居た。


 服装からして安っぽく、下卑た表情から育ちの悪さがありありと見て取れる。これから俺たちと会うというのに備え付けのミニバーから高級ワインを取り出し酒盛りの真っ最中だ。

 少しだけ良心の呵責が薄れた気がした俺も充分に俗物なのだろう。彼らの人となりなど知ろうと思わないが、外見だけで判断して搾取されても仕方ないと見下したのだ。


「あれが対象となる二人だ。若さだけが取り柄の屑だ、薬物常用者でもあり、2名とも22歳という若さながら二人合わせて6回の逮捕歴がある。

 窃盗、恐喝、強姦に住居不法侵入。殺人は犯していないが、いつやっても不思議ではない正真正銘のろくでなしバスタードだ。

 俺個人としては、あんな連中に金を持たせてもろくなことにはならないと思っているが、任務に私情を挟むつもりはない。いくぞ」


 アベルと連れ立って隣室へ続くドアへ向かい、俺が先頭に立ってドアをノックする。男の反応を待ってから室内に入り、声をかける。


「わざわざご足労頂きありがとうございます。私は渉外担当のリチャード・ウォンと申します。こちらは私の護衛です、最近は何かと物騒ですのでご了承下さい」


 堂々と事前に決められた偽名を名乗り、偽の身分証を提示して見せる。

 俺が東洋系の外見をしているため身元不明死体などに付けられるリチャード・ロウを適当にもじった胡散臭い名前である。


 対する二人は圧倒的厚みを持ち、凄まじい威圧感を放つアベルに目が釘付けになっており俺の話を聞いているかすら怪しい状況だ。

 なんであれ決められた仕事はこなさねばならない、そう割り切ると持参したアタッシェケースを開き中から数枚の書類を取り出して二人の前に並べる。


「早速ですが、こちらの書類にそれぞれサインを頂けますか? 内容は既に確認されたものと同一です。報酬はお受け取りになりましたよね?」


「そこだよリチャードさん。いやね、寿命を10年もくれてやるのに10万ドルぽっちじゃ割に合わないと思ってね」


 男の方がふざけた事を言い出した途端にアベルから物理的な衝撃を伴うかのような殺気が叩きつけられる。

 傍に居るだけでも胃を鷲掴みにされたかのようにすくみ上る。俺ですらこのざまだ、二人はどうなったかと目を向けると女性の方は失禁していた。男はこちらを指さして口をパクパクと開いているだけで音になっていない。


「これは失礼しました。私の護衛は少々気が短いのです。

 ですが、報酬を受け取った後に値段を吊り上げようというのはいけません。

 貴方がたは本当に失われるかわからない10年の寿命を渡すという書類にサインする。わたくしどもはサインをするという行為に対して10万ドルという破格の報酬を支払う。


 これでご納得いただけたはずですよね?

 いえ、お支払いした10万ドルを即座に返却して頂けるのであればサインは結構です。さて、どうされますか?」


 一応は質問の形式を取っているが、彼らが金を使い込み返す当てなどあろうはずがない事は事前に知っている。

 まあ温和な表情の小太りの中年だ侮られても仕方ないとは言え、面白いはずもない。

 こんな胸糞悪い仕事は早く終えて、『ホーム』でハルさんの手料理を味わう妄想をしていると男は激昂して書類を腕で薙ぎ払った。


「ふざけんなよ! 不当な契約には拘束力がない、これは法律で保証されている! 子供でも知っていることだ! あと10万ドルだ、それだけ寄越せばサインをしてやるよ!」


 中々面白い事を言う。俺も現役SE時代に課長就任こそ逃したものの、いくつもの契約をこなし場数を踏んでいる。

 まあ流石にこんなDQNドキュン相手の契約なんぞしたことは無いが、圧力をかけられたり土壇場で条件を変更したりと無茶をしようとする輩は少なくはあったが居た。


 こちらにはアベルという圧倒的暴力装置が控えている以上、押し切るのは容易だが、ゴネた事を報告されれば三賢人のメンツを潰した馬鹿二人の短い人生はさらに短くなってしまうだろう。

 もう無いも同然になってしまった良心の呵責が最後のチャンスを与えてやれと囁いた。


「これは正当な契約ですよ。お掛けください。我々は10万ドル支払った、あなた方は書類にサインする。難しい事ではありません、受領証明のようなものです。それにいかにお金を得ようとも、命が無ければ使えませんよね?」


「俺を脅そうって言うのか! 脅迫は犯罪だ! 犯罪者との契約もまた無効だ!」


「いえいえ、一般論を申し上げたまでです。そうでしょう?

 貴方は激昂している、左腕にある注射痕を見る限り健康には不安がおありでしょう?

 激昂を引き金に心臓発作が起こるかも知れない、そういう事です。貴方はここへ来る事を誰かに話されましたか?

 欲をかいて更なる金を独り占めしようと誰にも話さないで来たはずだ。


 そしてここは誰の目も無い密室です。いえいえ、あくまでも一般論ですよ?

 不幸な事故が起こる可能性を示唆しているだけです。ここらでご納得いただけないでしょうか?

 その方が双方にとっても幸せな結果になると思うのです。


 私個人は別にどちらでも良いのです、ただ少々後片付けがだと考えているだけで」


 含みを持たせて語り、凄んでも迫力が無いため逆に微笑んで見せる。

 これは一定の効果があったのか、彼は不貞腐れると女を起こして書類に大人しくサインした。

 確かに二人のサインに間違いないことをアベルに目線で確認を促す、彼が小さく頷くのを確認して書類をしまい、二人の『情報層』を操作する。


 肉体年齢に相当するプロパティをきっちりと10年分、二人に加算して自身のプロパティを20年分戻そうとする。しかし、10年分は戻るのだがそれ以上は数値を戻すことができない。


 咄嗟に仮説を立てる、一つは彼らの寿命が20年に満たないため戻らない可能性が一点、もう一つの可能性として肉体年齢を変化させずに留めるだけで10年分を消費し、更に遡るのに10年を消費したためそれ以上は使えないという推測が一点。

 どちらにせよこの二人は既に用済みとなった。詳細はレポートに仕立てて三賢人に報告する必要があるが、これ以上悪臭漂う不愉快な部屋に居たくはない。


「ありがとうございます。良い取引が出来ました。10年分の寿命がどのように影響を及ぼすかは当方の関知するところではございませんのでご承知おきください。我々はこれで失礼します、この部屋は22時まで自由に使って頂いて結構ですのでごゆっくりお寛ぎ下さい」


 そう言うとアベルを伴って足早に部屋を出る。部屋を出て駐車場に戻り契約倉庫に着くまでは双方無言だった。『墓地』に帰りついた瞬間、盛大に息を吐きだしてアベルに語り掛ける。


「ぷはーっ、緊張した! 慣れない事はするもんじゃないな、すげぇ怖かったよ。主にアベルが」


「上出来だよ、シュウ。君は存外交渉人ネゴシエイターに向いているのかも知れない。最後に怪訝な表情をしていたが、何かあったか?」


「そうだね、仮説でしか無いんだけども」


 そう前置きした上で、自身が体験した事をアベルに説明する。アベルは少し考え込む素振りを見せたが、それでも笑ってこう言った。


「まあ初めての試みだ、不測の事態が発生するのは仕方ない。それよりも寿命を他者から拝借出来るという事実を裏付けられただけでも大きな前進だ。

 後は肉体年齢が10歳若返ったというのがどの様に反映されるかを見守っていく必要があるな。シュウがせっかく頑張ってくれたことだし、あの二人がサインの直前にゴネたことは報告しないで置く」


 そう告げるとアベルは三賢人に報告すべく駐車場を後にした、残された俺は久しぶりに締めたため苦しいネクタイを緩めて天井を仰ぎ見る。これで良かったのかという思いはある。

 が、既に状況は走り出した。ならば行きつくところまでは走り抜こう。そう決意を新たにし、疲れを癒すべくハルさんの待つ厨房へ足を向けた。

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