第32話 賢者

 『墓地グレイブヤード』の最奥、地下大型駐車場の更に下にその部屋はあった。

 出入り口は一つきり、周囲はコンクリート打ちっぱなしの殺風景極まりない小部屋。中央に演壇のような机と椅子が1セット、それを真正面、左右から囲むように漆黒のモノリスが立っている。

 俺の青春時代に見た某アニメのような、今にも表面に2桁の数字と「SOUND ONLY」の文字が浮かぶのではないかという異様を見せつけている。


「俺が案内するのはここまでだ、シュウ。ここからは君一人で対応してもらうことになる。俺は外で待機しているので、出るときに声をかけてくれ」


 そう言うとアベルは俺を残して部屋を出る。中央の演壇に着くと天井からスポットライトが降り注ぎ、周囲が闇のとばりに包まれた。闇の中に俺だけが浮かび上がっている状態がしばらく続いた後、ブーンという機械音とともに周囲のモノリスが赤く光った。


「お初にお目にかかる。我々が組織のスポンサーだ、演出については日本人である君の方が馴染み深いだろう?」


「我々は素性を明らかにしないことを条件に君たちに出資している。まあこの演出装置はお遊びだが、意外に受けが良くてね。我々からの余興だと思って付き合って欲しい」


「我々は主な出資者の代表であり、東方の三賢人になぞらえてメルキオール、バルタザール、カスパーと名乗っている」


 モノリスに赤く光る文字が浮かび上がる。正面が『M』、左に『B』、右が『C』だ。数字2桁の方が原作に近いのだが、何か拘りがあるのだろうと流す。


「質問なのですが、『SOUND ONLY』の文字は表示されないんですか?」


 俺が演出方法について疑問を投げかけると、三賢人はくぐもった笑い声を漏らした。


「君はなかなか面白いな、オリジナルは君の知るアニメで間違いないのだが、猿真似では沽券に関わるという製作者の意地らしい」


「実は我々も同じことを思ったのだが、わざわざ当たり前のことを文字で表示するなどハッタリにしても間抜けだと言う理由でこうなった経緯があるのだよ」


「ともかく、我々はスポンサーの代表。そして君は出資を受ける組織の従業員という立場だ。簡易版の株主総会とでも思って欲しい」


 随分と外連味の強い株主総会もあったものだ、だが趣旨は理解できた。スポンサーには派閥があり、それぞれがトップを中心に纏まって運営されているらしい。三巨頭による寡頭統治だと考えれば優秀なシステムかもしれない。


「わざわざ君を呼び出したのは他でもない、君の持つ能力についてスポンサー一同が興味を抱いているからだ」


「現在報告を受けているだけでも瞬間移動に臓器再生、欠損部位の再生と目覚ましいものがある」


「直接的な物言いになるのだが、君の能力は上手く使えば巨万の富を生み出す源泉となり得る」


 回りくどい前置きに少しばかりうんざりしていると、彼らは一気に切り込んできた。


「だがね、我々としては小銭を拾い集めるつもりは毛頭ないのだよ。短期間で大きく稼ぎ、それを再投資して不動の地位を確立したいと考えている」


「瞬間移動? 時間をかけて運べばよい。臓器再生? 移植すれば良い。四肢欠損? 義手に義足とカバーする手段は色々ある」


「代替手段のあることでは我々が望むような目覚ましい成果は期待できない。金を持ち、地位を得て、大きな権力を振るえるようになった人間は次に何を望むと思うかね?」


 古来より連綿と続く人類の営みで、既に何度となく模索され全て失敗に終わっている野望。


「不老長寿。延命ではなく若さを維持したままの人生。もしくは若返りと言ったところでしょうか?」


 俺が投げかけられた疑問に対して推論で回答する。その答えに満足がいったのか、我が意を得たりと言わんばかりに踏み込んでくる。


「そう! 時間だよ。これは貧乏人も金持ちも関係ない。万人に等しく訪れる生のタイムリミット」


「我々は莫大なコストを支払うことで環境を整え、安全を確保し、健康を維持している。貧乏人に訪れるリミットを随分と先延ばしにすることは実現できている」


「だが所詮は先送りに過ぎない、いずれ訪れる平等な死の前には金は無力だ。ね。君の例を見ない能力ならばこれをなし得るのではないかと期待している。そして若さの対価としてならば金を惜しまない老人は至る所にいる」


 やっぱりそうきたか…… 人間の欲には限りがない、金も権力も女も健康も手に入れた上に若さをも望む。醜悪の極みとも言える。延々と死なない金持ちが世界を支配し続ける、それは世代交代が途絶えた循環のない腐った澱みでしかない。


「私の能力ではお望みの目的を実現できるかわかりませんよ? 少なくとも私はチャレンジしていないし、対価として何を支払う必要があるのかすらもわからない」


 牽制として、時間に逆らうという不自然に対する対価の存在を仄めかせる。中年に差し掛かっている自分だけに若さについては憧れもある。かつての輝きを取り戻せるならと空想したことも一度や二度ではない。しかし自然の摂理に逆らってまで我意を通そうとは思わない。


「我々には君が考えていることが手に取るようにわかる。醜悪な老人の妄執だと辟易していることだろう」


「隠さなくても良い。我々にも醜悪なことをしている自覚はある」


「38だったか? 年若い君には想像もつかないだろう。老いとにじり寄ってくる死の気配は高徳の聖者すらも容易に狂わせる。ちょうど君の国で死の床にあった高僧が死にたくないと懇願したことがあっただろう?」


 今わの際に死にたくないと言った高僧と言えば、一休禅師かな? 彼は割と破戒僧で高徳の聖者とはかけ離れた俗っぽい人物だったのだが、まあ話の本質はそこではないだろうと思い続きを待つ。


「今まで当たり前に出来ていたことができなくなる。今日眠りについて明日の朝目覚めがくるかわからない。老いとはそういうことだ」


「そこで我々は考えた、君の能力をどのように活用すれば若さが手に入るかを何日もな」


「君は永遠の命を約束するものと言えば何が思い浮かぶかね?」


 不老長寿の妙薬と言えばすぐに思い浮かぶのは人魚の肉だ。八百比丘尼やおびくに伝説にあるように人魚の肉を食べれば、老いることなく八百年に亘って若い姿を保ち続けたという昔話が語り継がれている。


「私が知っているのは『人魚の肉』ですね。その肉を食せば若いままに永遠を生きることができると言う伝承が我が国にはありました」


 そう返すと、三賢者たちは少し戸惑ったようだったが、しばらく間を置いたのちに語りだす。


「洋の東西では多少文化が異なるものだね、我々の文化圏だと永遠の命を約束し、甘言を弄する悪魔の契約が有名だ」


「そしてこれは何も突飛な発想ではないのだよ。契約による命のやりとりは世界中の至る所で今もなされている」


「悪魔の寓話が示すのは夢物語でも教訓でもない。厳然とした事実を含んでいる。雇用契約などまさに命の契約だ、若い時間を労働力として金銭を対価に老人へと売り渡している。我々老人はその命を用いて事業を為し、生活の糧を生み出しているわけだ」


 なるほど、そう言われれば確かにそういう側面はある。自分にない物を他者から補うという手法はありふれている。金はあるが若さも情熱も体力もない老人が若い命を使って事業を拡大している。真理の一端がそこにはあった。


「間接的な命のやりとりは既に成立している。間接的に留まっていたのは直接的にやり取りする手段が存在しなかったからに過ぎない」


「そして君の能力は直接的に命をやりとりする手段になり得ると、我々はそう睨んでいる、いや確信さえしている」


「双方合意のもとに契約を交わせば、君の眼はきっと命の橋渡しをしてくれる。若い命の提供者や環境は我々が用意する。これは命令だ、あらゆる命令に優先する最上位のミッションとして命のやりとりにチャレンジしてもらう。拒否権はない、そして若返るのは君だ」


 俺が!? 俺は別に若さなど欲してはいない。他者から奪った寿命で長生きするなど悪夢でしかない。


「君の研究ノートは見させて貰ったよ。ユニークじゃないか、そして常に最初は自分で試している。それから他者に展開する、そうだね?」


「命のやりとりに関しての成否は確信を持っているが、我々もいきなり自分の身で試せるとは思っていない。言葉は悪いがまずは君で試し、問題がないかを確認した上で我々に適用して貰いたい」


「さしあたっては20年分の寿命を用意した。快く寿命を提供してくれた若者には寿命1年に付き1万ドル(約100万円)、10年で10万ドルを先払いしてある。2人の若者から都合20年の寿命を君に無償で与えよう。悪い話ではあるまい?」


 声しか聞こえないというのに、声の主が異常な熱意をもって話しかけているのが解る。ここが分水嶺だ、対応を誤れば俺の存在は無価値と判断され、彼らを失望させた俺は最悪使い潰される可能性すらある。


「ここで私が存在価値を示せば、あなた方は組織に、ひいては私に便宜を図ってくれるという訳ですか?」


「無論だとも。我々は信賞必罰を旨としている。功労者には相応の報酬を以って応える必要があると信じているし、実践してもいる」


「君はそれほど金銭に固執しないと聞いている。我々が提示する報酬として金銭はもちろん、裁量権の拡大を以って君の働きに応えたいと思っている」


「具体的には前金として100万ドル、更に日本とこことの往復に関する自由を原則認めよう。許可だけは取って貰うが、よほどのことがない限りは却下されることはないと思って欲しい。更に成功報酬で200万ドルを支払う予定がある」


 300万ドルというと日本円にすれば3億円近い大金だ。まったくもって現実味がない。宝くじでも当たったらこんな気分になるのだろうか?


「過分なご配慮いたみいります。必ずや結果を出してご期待に応えてお見せします」


「我々からの話は以上だ。退出してくれて構わない。ミッションの詳細についてはアベルに聞いてくれたまえ。段取りも踏まえて彼には詳細を伝えてある」


 俺は促されるままに部屋を後にした。闇の中に不気味に浮かび上がる赤い光を見て鬼火のようだなと思いつつ、扉を閉めて退出した。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 暗闇に取り残された赤い光は明滅しながら、それぞれに意見を交わしている。


「さて、彼をどう判断する? 皆の意見を聞きたい」


「危険だな。物事を感情で判断する俗物だ、話にならない。報告書に依るとたった一度の挫折であのざまだ。あれは残りの人生を余生と考え、波風を立てずに生きていきたいと考える負け犬の目をしている」


「野心もなく、流されるままに惰性で生きる屍のような男だが、バカではないようだ。自身の信条はともかくとして、現実と折り合いをつける処世術は心得ている」


「問題は不安定かつ危険な人物だが替えが効かない一点ものだということだ。スペアプランはどうなった?」


「比較的境遇や環境が似ている人間を集めてECTを施術したが、能力発現に至った例は皆無だと報告を受けている」


「『健康診断』で取得した各種データから興味深いことが判明している。彼は遺伝学的に極めて稀有な存在だ。通常発生しえない遺伝形質を引き継いでいる」


「どういうことだ? 血の繋がった両親からも健康診断と称してデータを集めたが、極めて普通の日本人でしかなかったぞ」


「突然変異なのか彼のみ特異であるようだ。両親の持つありとあらゆる劣性遺伝子がすべて発現している。卑近なところでは色覚異常の色弱があり、血液型に至っては世界で彼以外には存在しない型になっているらしい」


「通常の検査ではRh-のO型となっているが、何か特異な性質があるというのか?」


「人類の血液型はメジャーな分類だとRh式、ABO式になるが、マイナーな物を含めると900億種類以上に分類できる。事実上まったく同じ血液型の人間など双子以外には存在しないという事になる」


「つまり? その例だと別に彼だけが特異な訳ではあるまい」


「ここでも劣勢遺伝が関係してくる。Q式、MN式、ルイス式、ルセラン式など様々な検査でことごとく劣勢を示した。つまり交差試験をした場合、あらゆる血液に反応して凝固する。逆に彼の血液から血清を作れば誰にでも使用可能な万能血清となる」


「結論として彼本人が特異体質の塊であり、同様の実験を繰り返したところで同じ能力を獲得する人間が現れる可能性はほぼ無いという事だ」


「我々が利益を得るためにはあの不安定な男を使い続けるしかないということか……」


「少なくとも我々が若さを取り戻すまでは何があってもあの男を失うわけにはいかない。幸い彼の価値を理解しているのは我々だけだ、合衆国首脳部も知り得ないことになっている」


「日本政府にも気取られる訳にはいかないな。日米間の移動自由を提示したのは早計だったかもしれない」


「彼に組織や米国に対する忠誠心を期待するのは間違いだ、本人は意識していないようだが彼は日本を愛している。我々が若返れば世界は一夜にして変貌するだろう、誰もが命の源泉を求めて血眼になるのは確実だ」


「彼には我々のみに忠実な存在でいて貰わないと困ったことになる。彼の家族や友人は30年程度の間は保険として機能するだろうが、そこまでだ。その先を保証する存在が必要になる」


「わかり易く女を宛がってみてはどうだ? 我々が支払う金と女、相応の地位を与えてやれば我々が利益をもたらす限りは裏切ることはないだろう?」


「残念なことに彼はED不能だ。しかも精神を病んだ際に手酷い裏切りを受けて女性不信にもなっている。ハニートラップは効果が薄いだろう」


「今後100年を安泰にするため、彼の安全は何を差し置いても確保して我々の手元に置き続ける必要がある。そのためには彼が好むあらゆるものを調査しろ、食べ物、音楽、思想信条、読む本の傾向に至るまで徹底的に洗え」


「彼の好みを分析し、我々の手の内で囲い込み、ご機嫌を取って躍らせて、褒めてやる事が重要になる。人格など持たない薬でさえあれば良いものを迂遠なことだ」


「しかし、世界を牛耳るには必要なプロセスだ。不老を得ても不死ではありえない、無数の愚者を少数の賢者が管理する世界の実現は遠く険しい。だが第一歩は踏み出せた」


「継続して観察していく必要がある。彼の幹細胞からのクローニングプランを第二スペアプランに昇格し、推進するように。これが成功すれば彼の方が予備となる」


「「「世界を我ら賢人会議の手に」」」


 全ての光が消えうせ、闇の中に静寂が満ちた。悪意を色濃く残した闇は拡散され薄く広がっていった。

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