第31話 歓迎
厨房に肉が焼ける香ばしい匂いが立ち上る。今焼いているのは部位で言うとサーロイン。柔らかい肉質と網目のように脂肪が走り、肉本来の味わいと豊かな脂の甘みが強烈なパンチを喰らわせるステーキ向けの部位である。
先に十分に熱しておいたフライパンに片面を強火で1分半、裏返して弱火で2分半の都合4分をかけてじっくりと焼き上げる。
勿論事前に塩コショウを怠るような間抜けな真似はしない。高価な肉には相応の敬意を払うべしというのが俺の持論である。手抜きは許されない。
厨房を占拠し、コックの真似事をしているのには理由がある。休暇を費やし日本で物資を買い込んだ俺は、朝のミーティング時にアベルから連絡事項として以下の事を告げられた。
歓迎会を開いてくれるのは非常に嬉しいのだが、ケータリングサービスと聞いて不安が過る。巨大なピザに山盛りのフライドポテト、そして群れをなす大量の加糖飲料。
折角の歓迎会で出された料理に手を付けないというのも失礼な話だが、40手前の俺にはあの料理は厳しい。そしてアメリカには率先して何かの役割を担えば仲間と認められ易いという文化があると聞く。
そこで仕入れたばかりの素材を提供し、和食を振る舞うブースを設けて、そこを俺が担当するという事にして貰った。歓迎される当人が料理を作るのは日本だと変な感じだが、アメリカでは良くあることなのかむしろ歓迎された。
そして俺が今焼いているのがチームメンバー用のスペシャリテとなる霜降り和牛のサーロインステーキだ!
アベルにドク、ヴィクトルの分は大きめに、俺とハルさんの分は小ぶりにカットされたステーキを並べて一斉に焼いている様は正に圧巻だ。
焼いている最中に滲み出た肉汁も回収してグレイヴィー風味の照り焼きソース大根おろし入りという俺の特製ソースを作り、ソース皿に入れて完成だ!
「待たせたな、腹ペコ野郎ども! これが食の国JAPANが誇るWAGYUだ! 『
味付けは左からシンプルに岩塩、俺の特製ソース、サッパリとした味が売りのおろしポン酢だ。どれで食っても美味しいと思う、味わってみてくれ」
俺がそう言って全員にステーキ皿を渡すと、
「シュウが折角作ってくれたのに悪いんだが、これっぽっちじゃ足りないよ。このサイズなら最低でも3枚は欲しいところだ」
「私は軍に居たころ、上官に連れられてWAGYUのKOBEと言うのを食べましたが、見た目は似ていますが匂いが全然違います!凄く美味しそうだ!」
ヴィクトルは和牛を食べた経験があるらしい、だがまがい物が横行するアメリカのそれと、本場日本でも高級とされる近江牛。どちらが上か勝負といこう!
「肉なんて腹に入れば何でも一緒さ、俺はこいつさえあればご機嫌だよ」
ドクは相変わらず
「シュウさんがわざわざ作ってくれたんです、冷めないうちに頂きましょう」
ハルさんがそう促すと全員が思い思いに肉を切り取り口に入れる。そして全員が固まった。よし! これは俺の勝ちだ!
「シュウ。すまない訂正する。これこそが肉だ!俺が今まで肉だと思って食っていたのはビーチサンダルの底だったんだ……」
「神よ!! これ以上ないと思っていたWAGYUよりも美味い肉に出会えたことを感謝いたします」
「なんだこれ!! 肉が口の中で溶けてなくなるぞ!! 極上の肉味スムージーか!! 美味すぎる!!」
「すっごく美味しいです!! ポン酢で食べると酸味が口の中をサッパリさせてもう一口食べたくなる凄いお肉です!!」
圧倒的に素材が良いので、別段俺の手柄という訳でもないのに得意満面になった俺は特大の地雷を踏み抜いた。
「サーロインは多く仕入れたから、まだまだ余裕があるよ。食べたい奴は言ってくれどんどん焼くから」
和食と言えば健康志向の強い料理で、味についてはそれほどでもないと敬遠していた支援要員の皆さんがアベル達の反応と漂う肉の香りに釣られて大挙して押し寄せた。
そこから俺はひたすらに下ごしらえをして、肉を焼き、ソースを添えて肉を出すマシーンと化した。
いくら沢山買ったとは言え50人分は流石に賄い切れず、サーロイン以外の部位も別部位だけどと断ってから提供した。
結局冷蔵庫を占領する程に買ってきた肉は残らず皆の腹に収まってしまった。そう言えば俺は一口も食っていない。
アベルはきっちりサーロイン2枚と特大のランプステーキを1枚、ヴィクトルはサーロインとフィレという黄金コンビを、ドクでさえサーロインを2枚平らげてしまっていた。
途中から調理を手伝ってくれていたハルさんの姿が見えないなと、辺りを見渡すと今まさに厨房から出てくるところだった。
もう注文は捌けたと思ったんだが、まだ何かあったのかと思っていると。
「はい、これ。シュウさん料理ばっかりしていて何も食べてなかったでしょう? せっかくなのでシュウさんの分を準備しておきました。良かったら食べて下さい」
そう言ってハルさんが差し出してくれたのは、お椀に盛られた白飯と和牛の各部位を少量ずつ焼いた焼肉、付け合わせの温野菜に味噌汁という俺が欲した夕食だった。
「ハルさん…… 貴女は天使だ……」
「大げさですよ。 せっかくなので温かいうちに召しあがって下さい」
彼女の作ってくれた味噌汁は大根の細切りに油揚げ、アクセントに白ごまを加えたシンプルな物だったが心の底から美味いと思えるものだった。
ああ、彼女が何を目当てにしていようと構わない。この味噌汁を作れる人に悪い人は居ないと俺は信じることに決めた。
全ての料理を美味しく頂いたあと、今後もよろしく頼みますとお願いして嵐のようだった歓迎会は終わりを告げた。
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