第34話 命価

 アベル経由で三賢人に提出したレポートは、それなりに彼らを満足させたようだ。

 「SHU」としか名義が記されていない不可思議な銀行口座に370万ドルほどの残高があった。

 日本での知名度は低いがアメリカの銀行でChaseと言えば最大手だ、正確にはJPMorgan Chaseというらしい。


 しかし俺は普段アメリカで買い物をしないし、生活に必要なものは全て組織から支給される。

 それ以外で個人的に欲しい物というのはほぼ全てが日本の品物になってしまう。日本で買い物する度にドルから日本円に換金するのも面倒だし、組織も日本円で支給してくれないかなと思っていたら、俺用のブラックカードが支給された。

 アメリカン・エクスプレス社のブラックカードで、限度額に定めはないらしい。こんな恐ろしいカードを使いたくないのだが、なんとこれがあれば日本円に換金することなく買い物が出来るらしい。超便利!


 三賢人は早速契約を履行してくれた訳だが、一つ条件を付けられた。

 20年を予定していた若返りが10年分に留まった理由を究明せよとの追加オーダーが入った。


 そのために前回同様の茶番をもう一度演じる必要があった、三賢人は俺が罪悪感を抱かないように人選に気を使ってくれているのか、今回も絵に描いたような見事な屑が2名。

 今回は両名とも男性だったが、前回と同じ轍を踏まないためにも、最初からアベルが威圧全開で立ち会ってくれたため、契約作業は非常にスムーズに終わった。

 対価は今回も一人当たり10万ドル、三賢人も一度付けた値段を効果が半分しか出ないからと言って値切るようなケチな真似はしなかったようだ。


 前回の被験者2名は急に羽振りが良くなったため、周囲の屑仲間に目を付けられ身包み剥がされた上に殺されてしまったようだ。

 10年分の老化が発生するのかという追跡調査が出来なくなったとアベルが悔しがっていた。こうもあっさりと人命が失われる事に、平和ボケしている日本人としては戦慄する思いがした。

 アフリカでは3万円あれば暗殺者ヒットマンを雇う事が出来ると、何かの本で読んだことがあるが、日本がぬるま湯だっただけで世界では斯くも命の価値が軽いのかと恐ろしくなった。


 肉体年齢が10年しか戻らなかった現象について結論から言うと、前回俺が立てた推論は後者で的中していた。

 つまり老化を食い止めるだけで10年、そして若返るのに10年必要になるようだ。しかしこれで俺の肉体年齢は18歳相当となった、恐ろしい事にあの小さいハルさんと同じとなる。


 全然関係ないけどルイーゼちゃんも18歳だったな。妙に18歳に縁があるようだ。日本ではジョークとしてもてはやされるのが17歳であるだけに1年足りなくて惜しい感じがする。

 毎日『検診』と称して各種バイタルデータを記録することを義務付けられているが、今のところ目立った変化は出ていない。

 相も変わらず肥満気味だし、活力が急に漲ってくるような気配もない。そもそも肉体年齢という設定項目自体が謎である。何を以て肉体年齢と定義しているのか弄っている本人である俺ですら、皆目見当がつかない。


 三賢人から直接指定され、そのように意識を向けたらズームアップした数値があったから、おそらくこれだろうとアタリを付けて設定しているに過ぎない。

 若返りという現象がどのようなプロセスを踏んで実現されるのかを観測できれば、医学方面からのアプローチでもアンチエイジングが進歩するかも知れない。


 そういう意味では人類全体にとって意義のある実験だったのかも知れない。場末のモーテルで射殺体として発見された二人の人生に勝手な意味を見出していると、俺のPDAが振動し呼び出しを知らせてきた。


「シュウ、悪いがまたスポンサーから最優先ミッションだ。ブリーフィングルームに来てくれ、詳細はそこで話す」


 返事を待たずに通話が切れる。もとより拒否権などないのだ、紛失すると大変だとお買い物チケットブラックカードだけは自室の貴重品入れに戻してブリーフィングルームに急いだ。


 最優先ミッションなどと言うからには、例によってまた寿命絡みの仕事なんだろうとアタリを付ける。

 もしかして肉体年齢をマイナスにするとどうなるかとか、明らかにやばい事を考えていたりしないだろうな……

 戦々恐々としながらブリーフィングルームの扉を開く。室内にはアベルとヴィクトルという珍しい組み合わせが先に待っていた。


「すまない、遅くなった。私物を自室に置きに戻っていたから、待たせたかな?」


「いや、構わない。コード・レッドでもない限りは余裕を持って呼び出しをかけている。常識の範囲内で急いでくれればそれで充分だ。

 さて、今回のミッションについて概要を説明する。ヴィクトルにも前2件のあらましは伝えてある、今回もまたスポンサー肝いりのミッションで若返りの依頼だ。

 若さを提供するのは例によって社会の屑だ、そしてその若さを得るのは彼だ」


 そう言ってアベルはPDAを操作する、連動してスクリーンに一人の老人が映し出される。


「彼の名前はカルロス。若返った後は我々のチームに所属するため姓は無くなった。

 コードネームは『隠者ハーミット』だ。ヴィクトルは彼と一緒に作戦行動をしたことがあるため今回のミッションに加わって貰った。


 彼は米軍において伝説的な腕前を持つ狙撃手スナイパーだ。いや、狙撃手だった。

 加齢により視力と筋力が落ちた事から、精密射撃をできなくなったのを機に除隊している。

 彼は老後を静かに家族と暮らす予定だったのだが、かつての上官が金欲しさに彼の情報を共産圏のとある筋に売り渡した。


 数々の困難な狙撃を成功させてきた彼だけに、恨みを持つ連中は両手では足りない。

 彼の家族は、彼本人の前で拷問され殺された。彼自身も瀕死の重傷を負ったが軍の救出部隊が間に合い、幸いと言って良いのか彼だけは命を取り留めた。


 彼は家族の復讐を誓い、己の財産全てを投げうった上に、借金すらしてこの作戦に参加する資格を得ている。

 彼は己に対するあらゆる人体実験にも応じると三賢人に申し出て、対価として彼を売った上官の居所を捜して貰っている。


 そこでシュウ、君は彼に60年分の寿命を注いで30年の若返りを仲介して欲しい。彼は現在52歳だから22歳相当になる見込みだ。

 今回の『情報層』を操作する際に、君には複数の契約書で若返りの実験をして貰う事になる。

 これについてはそれぞれの契約ごとの意味と狙いを書いた紙面を用意してある、移動中の車内で確認してくれ。車酔いは問題ないか?」


「俺は車内で本を読んでも酔わないタイプなので、そこは別段問題ありません。場所はまた例のホテルですか?」


「ああそうだ。今回は提供者が6人も居るからな、余計な問題を起こさない抑止力として、強面の俺とヴィクトルが同行するという狙いがある。

 『情報層』の操作に時間を要する事が予測されるため、可能な限り迅速にことを運ぶ必要がある。各自で資料を読み込んで、手順をしっかりと確認して欲しい。それでは質問が無ければミッションスタートだ」


 三人で地下の駐車場へ降り、いつも通りの手順で契約倉庫に飛び、アベルが運転席に座りヴィクトルが助手席、俺は例によって後部ハッチに缶詰めとなる。

 

 ホテルまでの移動中に渡された資料を確認する、なるほど三賢人はよほど俺が信用ならないらしい。

 『情報層』における肉体年齢の項目は、俺がかつて距離として表示されたプロパティを三次元軸に分解したように、生命に関するいくつものプロパティからなる複合項目だと推測し、これを他人が弄るのに必要な条件を段階的に確定しようとしているのが判る。


 提供者側には『情報層』全ての操作に関する同意を契約内容に忍び込ませているため操作できているが、これをとにかく最低限の権限移譲によって実行したいという意図が透けて見える。

 まあどの段階で操作できたかなど俺にしかわからないから、偽るつもりも無いが俺が嘘をつけばそこまでだと思っていると、資料の最後にポリグラフを用いた報告を要するとあった。


 ポリグラフは判り易い表現で言うならば『嘘発見機』である。

 呼吸・脈拍・血圧などをモニターして精神的動揺を機械的に判断する装置だが、これは嘘をつくことに何ら痛痒を感じない訓練された嘘つきには効果が薄い。

 反面俺のように幼少の頃から正直は美徳であり、嘘つきは唾棄すべき存在だと教え込まれた人間には効果覿面である。


 『健康診断』でのモニター傾向から、ポリグラフにも良く反応するだろうと思われていると思うとやるせなくなったが、彼らほどの権力者からすれば信用などという言葉は何の意味も持たないのだろう。

 常に他人を疑い、裏切りを前提に行動する。猜疑に歪んだ暗い瞳の老人が脳裏を過って憐れに思った。同病相憐れむの例じゃないが、他人を信用できない人生というのは存外堪える。

 資料を読みながらそんなことを考えていると、車がスピードを落として停車した。さあ開演だ、孤独な老人相手の喜劇を踊って見せるとしよう。

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