第6話 実験

 早速検証作業に取り掛かるが、その前に一つ確認をしておきたい。


 入院中の暇つぶしに読んでいたネット小説では、こういう能力を得た場合、神のような超越者の介入がある事が多い。

 そしてご親切にも、得た能力に対するガイドというかヘルプというか、そういう物が付随する事が殆どだ。

 更に言うならゲームのような、ステータス表示なんかも付与されている場合が多い。ここはひとつお約束に倣って、一通りのテンプレを確認することにした。


「ステータス! ステータスオープン! チュートリアル! ヘルプ!!」


「どうしました? 小崎さん」


 声に出して確認をしていると、女性の看護師さん(もう看護婦さんとは言わないらしい……)が大部屋を区切るカーテンからこちらを覗きこんでいた。

 ふと我に返ると個室で虚空に向かって何かを呟く患者と、それを見つめる看護師という、痛い絵面が出来上がっていた。


「すみません、なんでもないです。少し寝ぼけていたようです」


 と照れ笑いをしてみせる。看護師さんは怪訝な様子ながらも笑みを浮かべて


「そうですか。起床時刻は過ぎていますし、少し運動をされると気分が晴れるかもしれませんよ。

 じゃあこれ、朝のお薬です。確認しますので、こちらで飲んで下さいね」


 渡された薬を包むラベルに目をやった。医師から指定されている薬剤に間違いがないことを確認したのち、目の前で飲んで見せた。


 うつ病患者に限った話ではないのだが、精神病棟に入院するような患者は薬を飲み忘れる事が多く、看護師の前で飲んで見せる必要があるのだ。

 口を開けて確かに飲み込んだことを確認して貰うと、彼女は「お大事に」と短く言い置いて別の患者へと向かっていった。


 今しがた飲んだ薬はサインバルタという。SNRIと呼ばれる、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬である。

 詳細な原理は割愛するが、脳内神経伝達物質の濃度を上げることにより、興奮神経を刺激する『抗うつ薬』だ。

 副作用として便秘になり易いため、カマと呼ばれる酸化マグネシウム散剤も、併せて処方されている。

 この薬とECTのおかげで、比較的安定した精神を保つことができているのだから、俺の生命線ともいえる。


 それはさておき、院内売店で購入した大学ノートに三色ボールペンを赤にして書き込む。


『超越者の介在や、判り易いテンプレは確認できず』


 まあそんな美味い話は無いとは判っていたさ、そう1割程度しか期待していなかったね! 悔しくなんかないぞ……。


 ボールペンを黒にして、早速色々確認と記録をしていこう。


 まずは能力で干渉可能な範囲を確認する。大部屋に備え付けの洗面台に向かい、流しに栓をすると、蛇口を押して水を溜める。


 検証項目1番 不連続体に対する能力の行使


 水という境界面を持っているが、不連続な物体に対して能力を行使するとどうなるかの実験だ。

 溜まっている水全体に作用するのか、視線の先にある一部のみに作用するのか、注がれている蛇口とつながっている水はどうなるのかを確認する。

 結果は洗面台に溜まっている水全体が浮き上がり、音を立てて落下した。蛇口の水は流れ続けていたので別扱いになっているようだ。


 次はレバーを操作して水を止め、やはり院内売店で購入してきた『ラー油』を水面に数滴垂らす。



 検証項目2番 複数種類の液体(分離状態、混濁状態)に対する能力の行使


 まず水と油が分離して、境界がはっきりしている状態で、油のみを意識して能力を行使してみる。

 結果は油だけを空中に浮かせる事ができた。次は混濁状態にすべく割りばしを使って水と油をかき交ぜる。水と赤い油が交じってまだらの水玉状態になったのを確認して、油のみを浮かせるように意識してみた。

 結果は反応なし。眼球に識別能力などないだろうから、どうも自分がグループとして意識出来るかどうかが、鍵になっているのだろうと推測する。


 徐々に判りかけてきた。とすると原子など認識できる訳もないので、口惜しいが錬金術師の項目には×印をつける。

 が、電子顕微鏡とかで視認したら可能かもと思い至り、未練がましく△印に変更した。


「小崎さん? 何をなさっているんですか?」


 先ほどの看護師さんが、こちらを怯えた目で見つめていた。状況を確認してみる。

 共同の洗面台を占有して水を溜め、あろうことかラー油を混ぜて一心不乱にかき混ぜた挙句に、何かをノートに書きつけるという奇行に走る男が居た。


 俺である。明らかに常軌を逸している行動に言い訳を考えていると、彼女は優しい表情を浮かべて語りかけてきた。


「心配いりませんよ小崎さん、今から先生を呼んできますので、水だけ流しておいて下さいね」


 取りあえず栓を抜いて洗面台を洗い、一人きりで検証できる環境が必要だと思いつつ、主治医に対する言い訳を必死で考え続けた。

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