第2話 異変
心地良いまどろみから意識が浮上する。まず視界に飛び込んできたのは、手術室にあるような無影灯の威容。目を
見慣れた白衣の後姿が見え、親友でもある主治医が端末に向かって何やら作業をしているのが分かった。
「
「意識が戻ったか? お前はナースコールをした後に意識を失い、病室で仰向けに倒れていたらしい」
ここで初めてこちらを振り返った。いつも傲岸不遜を絵に描いたような表情を浮かべる顔に、らしくない困惑の色があった。
「倒れたときに頭を打った可能性があるから、俺が簡易検診をしたんだが、明らかな異常が見つかった」
異常? 今のところ自覚症状は無いが、深刻な状況なんだろうか?
「どんな異常だ? 命に関わるような症状でも構わない、正直に教えてくれ」
俺の必死な問いに、崇は微笑とも苦笑とも付かない曖昧な笑みを浮かべつつ、答えてくれた。
「いや前例が無い異常だが、命に別状はなさそうだ。口で説明するよりも、お前自身が確認すると良いだろう、ほれ!」
そう言いながら、こちらに鏡を渡してきた。鏡を受け取り自分の姿を確認する。ああ……倒れる前に見たのは夢じゃなかったのか……。
自分の左目が収まっていたはずの眼窩は、闇を流し込んだような完全なる漆黒に変貌していた。
「瞳孔を確認しようと瞼を開いたらそれだ。ペンライトをかざして見たが、一切の反射が見られない。お前が意識を失っている間に、色々と検査をしてみたが結果は芳しくない。
まず眼球自体は以前の形状を維持していると思われる。触ってみると球状の表面を確認できるからだ。
取り急ぎレントゲン写真を撮った結果がこれだ。左眼球を中心に映像が白抜けになっているだろう?
考え難い事象だが、その左目はX線を吸収しているのか遮蔽するのか、どちらにせよ透過を許さないため像を結ばない。
表面組織を採取しようとして判明したのだが、異常な硬度を持っている。
普通はスクレイパーというメンボウみたいな物を使うんだが、何も採取できないので色々試した結果がコレだ」
そう言いつつ医療用メスのような、鋭利な刃物であっただろう器具を見せ付けてくる。
先端が欠けたそれは金属質な光沢を持っていた。つまり金属製の刃物が負ける程の硬度を誇る眼球が、左目に収まっているらしい……。
「意識が戻ったのなら話は早い。お前、左目は見えているのか?」
言われてみて意識するが、特に視界に異常は無い。試しに片目ずつ瞑って確認する。右目を瞑る、視界が半分になった。右目を開いて左目を瞑る。視界に変化が無い。
「あー、見えてはいるんだがおかしいな。左目を瞑っても変わらずに見えている」
その後もあれこれと検査した結果、俺の左目について以下のことが判明した。
眼球は存在する。一切の光を反射しないため完全な闇に見える。少なくともステンレスよりも固い。瞼やアイマスク、手で覆っても視界が閉ざされず、物体を透過して見える。痛覚や触覚は一切ない。
明らかに異常だが不都合もないため、とりあえず臭い物には蓋をする方向で対処することにした。曰く見た目が異常で、他の入院患者等が不安に思うだろうから、眼帯でも付けておけとのこと。
「なんかさ、片目だけ眼帯していると中二病のキャラ作りっぽいよな」
半笑いでそう言うと、奴は苦笑しつつ答えた。
「まあ漫画とかではありがちだがな。医療の現場に携わる者として言わせて貰えば、眼帯なんぞ珍しくもない。
病衣を着て眼帯をしていたら、目の病気なんだなって思われるだけで、中二病とか言う感想が出てくる奴はいないさ」
そういうものかと思いつつ、眼球の異常について今後の予定を確認してみた。
「この目だけど、突然こうなった原因ってなんだろう? ECTかな?」
奴は苦虫を噛み潰したような表情になると、歯がゆそうに答えた。
「実際に現場に居たから断言できるが、医療ミスやそれと判る異常は無かった。保身からではなく断言する」
なんだか変な誤解がありそうなので、先回りして答える。
「別にこれをネタに病院を訴えようだとか、賠償金を寄越せとか言う気はさらさら無いよ。
日常生活をする上で不都合はそんなに無いし、原因が判らんことには治るかどうかも判らんやろ?
差し当たって検査をして欲しいんだけれども、スケジュールとか判るか?」
訴訟リスクを当面回避できたことに安心したのか、少し落ち着いて答えてくれた。
「CTとMRIは押さえてあるが、レントゲンを見る限り映像が撮れない可能性が高いな。
目以外の箇所に影響が無いかも併せて検査するから、血液検査と心電図も取ろうか。
可能なら眼球を摘出して調べたいんだがな、何が起こるかわからないから当面は諦めよう」
本人に向かって、恐ろしいことを平然と言う藪医者に呆れつつも、採血して貰うために処置室に向かった。
数日が経ち、おおよそ検査結果が出揃った。
肥満による
眼球についてはCT、MRI、エコーのいずれを以ってしても透視できず、完全なるブラックボックスとなっている。
瞼を閉じても見える弊害で、当初は眠るのに苦労した。しかし、人間何事にも慣れるもので部屋さえ暗ければ眠れるようになった。
物体を透過して見える現象についても検証してみたが、眼球表面から10センチ程度であれば、どんな材質でも関係なく透視できた。放射線遮蔽用の鉛板であっても透過したため、X線視界を見ている訳ではなさそうだと理解する。
壁にべったりと張り付けば、女子更衣室でも覗ける可能性があるが……。向精神薬の副作用なのか、うつ病ゆえなのか、性欲が著しく減退しているため、覗きをしようというモチベーションが湧かない。
男の悲しい
常に眼帯をするという不自由の代償としては、お得とは言えないと自嘲していた。
ちょっと変わった目になったが、それだけで害は無いし、意識することも薄れてきたある日に、それは起こった。
お見舞いに貰った果物籠に入っていた林檎を食べようかと思い、手に持って何気なくじっと凝視していた。
――ズキンッ――
激しい頭痛と共に視界がブレた。思わず目を瞑ったため、左目のみの視界で林檎が二重にブレて見えていた。
鮮やかな赤い表皮を持つ果実に寄り添うように、半ば重なっている
それは蛍光を放つ緑色の林檎型をした影に見えた。細部を見ようと意識を凝らすと、それは微細なアラビア数字の集合体が、林檎の形を取っているのだと理解できた。
常に変化する無数の数字が、立体的に林檎を
手を離れ、重力にしたがって床に向かう林檎を意識した瞬間、無数の数字から一つの数値だけがクローズアップされるように飛び込んできた。
とっさに落下を食い止めようとした時に異変が起きる。クローズアップされ変化し続けていた数値が、ピタリと止まった。
それに対して林檎に起こった事象は劇的だった。凄まじい勢いで斜め上方へ加速すると、残像を残して自壊し、壁を汚すシミと成り果てた。
何が起こったのか皆目見当が付かないが、少なくともこの左目は妙な能力を持っている可能性があるな、とどこか他人事のような考えがよぎった。
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