第11話 空虚な日々/変わる日常10

 二人が部活を作ってから、一ヶ月が過ぎた。古月は多少の違和感があるものの、もうすっかり日常に慣れ、他となんら変わりのない、普通の日々を送っていた。



 この一ヶ月で古月は色々なことを経験した。



 まず最初にしたのは、 部員揃っての次の休みの使い方の相談だった。古月と小春を除いた他の部員から出た案を統合し、以前から計画していたバッティングセンターに行き、その次に書籍や家電といった古月の買い出しの後、どこか外食をしようという計画が練られた。



 バッティングセンターという単語を聞いて智也は苦い顔をしたが、やる気満々のふうこを見ると逆らえず、筋肉痛が心配だとやれやれ顔で了承した。



 それから当日、バッティングセンターで百二十キロのスピードに、経験者であるふうこ以外は手も足も出ず、体を動かすことをずっとしてきた古月は特に悔しかったらしく再戦の念を燃やした。



 小説は礼奈の推すものを、テレビは小春と智也が吟味して決断したものをそれぞれ買った。なお、テレビは後日設置を含め家に配送となった。



 その後はチェーンのファミリーレストランで以前した自己紹介より踏み込んだ話を交わし親睦を深めた。特にふうことは話が合うようで、最初の嫌悪感はどこに行ったのか夢中でお互いの肉体の育成論について語り合った。ふうこは特に筋骨隆々だということはないが。



 ともかく、こうして誰かと話しているうちに喪失感は忘却の彼方へ、徐々に薄れていった。



 その後家に帰り、買ったばかりの小説の一ページ目を捲ってみると、目の前にこれまで見たことのない文学の世界が広がった。休日が明け、放課後になるとすぐに部室へ飛んでいき、礼奈に小説の感想を目をキラキラさせながら語った。



 それでもやはり引っかかるものがあるのか、時々我に返ったかのように表情に影を見せ、目を伏せた。



 そしてそれから数週間経ち、前述の一ヶ月に到達したくらいになれば、時々暗い表情を見せる時もあるものの、今まで知らなかった物達の虜となっていた。



 今日はちょうど一ヶ月の日である。



 クラスメイトともそれなりに話すようになった古月は適当に授業を受け、放課後になると小春と共に部室へと向かった。



 道中、他愛もない話を交わす。



「どうですか?この生活は慣れましたか?」



「ま、大分な」



「それはよかったですね。自分の事のように嬉しいです」



「ああ、お前のお陰だよ。ありがとな」



 古月の素直な感謝を聞いた小春は照れ臭そうに頬をかいた。あはは、とはにかみかける。



 よほど嬉しかったのか、しばらく古月と話している間も口元を緩ませたまま楽しげな様子だった。



「古月くん、なんだか変わりましたね」



「そうか?そんなに変わったか?」



「ええ、変わりました。出会った頃より、一ヶ月前より物腰が柔らかくなっていますよ、今の貴方は」



「そう……かもな」



「今のところは以前の古月くんなら否定しているところだと思います」



「かもな」



 否定することをせず、先ほどに重ねて曖昧な返事をした。自分自身がどう変わったなんてことは自分で分かるべくもない。というより、そこまで自分に対してアンテナを張っていなかった。なにより変わったか変わっていないかの評価は他人が下すものであって、自ら下せばそれはただ変わったと思われたい、もしくは変わっていないと思われたい意識の現れにすぎない。



 もっとも、古月はそのような踏み込んだことは微塵にも考えていなかったが。



 素っ気ない態度は変わらなかったものの、十分な進展といえる。



 やがて部室へと到着した二人は、小春の解錠によって、憩いで愛しの第二の我が家のような感覚の部室に入り、ちゃっちゃと定位置の椅子に座った。



 部費で購入したテレビの電源をつけ、昼間の、お世辞にも面白いとは言えない番組をBGM代わりに垂れ流す。



 暫しの間何をするでもなく画面をぼーっと見つめていたが、突然小春が話を切り出した。



「そういえば、今日は私たち二人だけみたいですよ」



「へぇ、そうか。智也になんかボードゲームのルールを教えてもらおうと思ってたんだけどな」



「なんなら私が教えますよ……久しぶりですね、二人きりというのは」



 一ヶ月の間、部室には二人の他にふうこ、智也、礼奈の三人がいるので、なかなか二人だけになるという状況がないのだ。



 別段どぎまぎすることはないが、最近では滅多にないことなので懐かしい気分ではある。



「では隣に失礼して、と」



 古月の隣に座ると、小春は古月の肩を人差し指で軽く突いた。以前より柔らかくなり、筋肉がなくなった故についた脂肪が、筋肉とは違う反動を返してくる。



「筋肉落ちたんじゃないですか?」



「一応トレーニングはしてるんだけどな、前ほどはしてないから落ちるのは当然だ」



「なんだか勿体無いような気もしますが」



「前までがやり過ぎなんだ。これでもそれなりにあるほうだっての」



「まぁ、今がちょうどいいくらいかもしれないですね」



 小春はティーバッグを入れた急須にポットの湯で茶を作り、湯呑みに茶を注いで古月の前に置いた。



 立ち上る湯気をこれまたぼーっと見ていると、これまた小春が話を切り出した。



「最近ぼーっとしてること多くないですか?」



「そうだなぁ。何かに追われることがなくなったからなぁ……」



 と言ったところでカッと目を見開き、表情に影を落とした。具体的には、『追われることがなくなった』と言ったところである。



 ここ最近、小春が見るに、その回数が最初より多くなっている気がした。



「今のは忘れてくれ」



「何か……あるんですか?」



「何もねぇよ」



 はぐらかそうとする古月の事にこれ以上深入りしても欲しい情報は手に入らないだろうと踏んだのか、それっきり追求はやめる姿勢を見せた。



「貴方が何もないというなら詮索はしませんが、忘れないでくださいね?私はいつでも貴方の味方ですから」



「……ああ、ありがとう」

 声には出さなかったが、いつか必ずと話すと心に決めた。



 古月は差し出された茶をすすった。濃い味が口の中全体に広がる。



 背もたれに体重を預け、肺に溜め込んだ空気をため息として吐き出した。



 そして、そのまま思索に耽る。



 思索といっても、考えるのは過去のこと。既に過ぎ去った、変えることの出来ない事象である。



 いつも最初に浮かぶのは約束を交わしたあの場面。死に体の体で弱々しく掠れた声で話す、ベッドの上から動けない者との記憶。



 そして次々に蘇ってくる、その者との幼き日の思い出。



 と、そこまで思い出したところで古月は考えるのをやめた。思い出すと、後ろめたい気分になる。



 古月の表情がどんどん暗くなっていく。それは隣にいる小春から見ても明らかで、空気が重いものへと変わっていった。



 小春は気分を変えさせようと、すくりと立ち上がった。それを古月が目で追う。



「少し、歩きましょうか」



 それが何を意図するかはわからないが、小春がこういうことをするときは何かあるということはこの間の公園の件でわかっていたので、素直についていくことにした。



 部室の鍵をかちゃりと閉め、ドアノブを押して鍵がちゃんとかかっていることを確認すると「行きましょう」と古月に微笑みかけた。赤く染まったドラマチックな夕日の効果でいつもとは違って見えた。どう違っているかは古月に表現する術はなかったが。



 それから階段を下って校舎の外に出ると、暖かい春風が二人を迎えた。



 グラウンドからは野球部のボールを呼ぶ声や、サッカー部の声の掛け合い、更に今出てきた校舎からは吹奏楽部の美しい楽器の演奏、体育館からはバスケットボール部がボールを床につく音、バレー部がアタックして床にボールが叩きつけられる音、放課後になって下校する生徒達の喋り声。色とりどりな音が混ざり合って、一つの青春という音を奏でていることに胸を打たれる。



「なんだか、青春って感じがしますね」



 同じことを考えていたのか、それとも今の自分達がやっていることが青春なのか、古月にはわからなかったが、両方とも同意出来ることなので「そうだな」と返事をしておく。

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