第10話 空虚な日々/変わる日常 9

「ねぇねぇ、小春ちゃんって呼んでいい?」



「え、ええ構いませんよ」



「やった!いやぁ、それにしても小春ちゃんは小さくて可愛いなぁ」



 ふうこは小春の頭を優しく撫でた。さらりとした髪を弄ぶ。



 古月は完全に自分たちの世界へ入ってしまった二人を遠い目で見つめる。とりあえず大きな欠伸。



 引き気味の小春を他所に一人でに盛り上がるふうこ。ふうこが加入したことで部室が一気に賑やかになった。来るもの拒まずといったスタンスであろうふうこととなら人付き合いに慣れていない古月も仲良くなれるだろう。



 と、もう一つ大きな欠伸をしたところで、再びノックが室内に響く。



「今度はなんだ?」



「どうぞ」



 またまたドアが開く。そこから顔を見せたのは二人の男と女。



「失礼します」



「失礼しまぁす」



 声それぞれに入室の挨拶。中の三人の視線をそれぞれ一身に集める。



 男は背が高く細身で、女受けしそうな顔をしていた。



 女は小春より少し高いくらいの小柄と言える身長で、ふうこに比べておっとりとした印象を受ける。

「何かご用ですか?」



「いや、この部に入部したいと思いまして。よろしいでしょうか?」



「あ、私もです」



 一気に二人も入部希望者が増えたことに喜び半分驚き半分で口をぽかんと開く。



「あらら」



「大盛況だなおい」



「えーと、具体的な活動内容はまだ特に決まってないのですが……よろしいのですか?」



「新設の部活だからですよね。大丈夫ですよ。では自己紹介を。僕は二年の片桐智也と申します」



「私は一年の平塚礼奈です。みなさんの後輩です」



「よろしくお願いします。あー、えー……」



 今度は小春が古月の耳元で相談事を持ちかけた。

 二人に背中を向け、こそこその作戦会議。



「わ、私一気に情報量が増えてパンクしそうです」



「奇遇だな、俺もだ。とりあえず一人ずつ、一つずつ対処するべきだ」



「まさか初日でこんなに増えるとは思いもよりませんでした。やはり私の勧誘センスあってのことですかね」



 薄っすらとした胸を張り、自分の功績を称えさせようとする。



「急に威張るんじゃねぇよ。とりあえず全員一からちゃんとした自己紹介させてからの質問タイムだ」



「古月くんにしては珍しく舵を切った発言ですね。何かありました?」



「いや、どうせこれからずっと過ごさねぇといけない奴らなら第一印象は大切かなっと思っただけだ」



「それなら、ふうこさんへの態度はなんだったんですか?」



「忘れろ」



 小春の額を中指で弾くと、くるりと待たせてある三人の方へ向き返った。痛がる小春を他所に。それから十数秒して復活した小春と共に三人を横一列に並ばせた。



「はい、みなさんこんにちは。部長の一之瀬小春です」



「おい待て、部長は俺だろ?」



「彼は副部長の柳吊古月くんです」



「無視すんじゃねぇよ低身長」



「貴方に人の上に立つ器量はないでしょう?では、ふうこさんから自己紹介をお願いします。あ、どうぞ椅子に掛けてください」



 古月はぐうの音も出ず、しゅんと黙り込んだ。確かに、見栄だけで部長を名乗り出たが、上に立つ気も、立てるとも思えなかった。立つ気にあたっては、さらさらなかった。



 小春に椅子に、促されると、ふうこを残した四人が全員椅子に座った。



 ふうこは手を後ろに組んで自己紹介を開始した。特に焦る様子もなく、落ち着いた様から察するに、こういうものに慣れているようで見ていてハラハラしない。



「二年三組の佐久間ふうこだよ。趣味は楽しそうなことに首を突っ込むことと、体を動かすことかな!」



 初めに見たときから活発な性格だろうと古月は推測していたが、どうやら正しかったようである。



 体を動かすことは得意な古月だが、一見クールを気取っているが故に馬は合いそうになかった。



「柳吊はいつも剣道場でなんかやってたよね。もしかして、私と同じで運動好きだったりする?」



「……好きってわけじゃない。ただ出来るだけだ」



 第一印象は大事だと自ら言ったくせに、友好的な態度はとれなかった。どうしても素っ気なくなってしまう。



「バック転とか出来る?」



「……一応出来るけど」



 筋力量の推移は並程度だったが、古月はバランス感覚に優れていた。故にバック転などの器械体操染みた動きは得意と言えた。



「ほーほー。いいね。あんまりいないんだよね、出来る人。バック転が出来るレベルで動ける人があんまりいないからさぁ、同レベルの人が欲しかったんだー。この部活に入ったのは小春ちゃんがいたのも大きいけど、柳吊がいたのも大きいなー」



 どうやら、ふうこの中ではもう古月は友達という認識のようだった。仲が深まっていないというのに、ぐいぐい来られると困る。実際古月は困った。



「うーんと、それと……もう特に言うことはないかな。これからよろしくね!」



 ふうこはあまり頭が回る方ではないようだ。口調と話すテンションがそれを物語っていた。



 ぱちぱちとまばらな拍手が起こる。もっとも、数が少ないので仕方のないことだが。



 順番を察したのか、次は隣に座っていた智也が立ち上がる。入れ替わるようにふうこが席に着く。



「二年二組、片桐智也です。えーっと、普段は敬語ではないので……外していいですか?」



「最初から敬語じゃなくていいんですよ。つい後輩さんかと思ってしまいましたよ」



 小春はもう三人を受け入れたようで、他愛のない話も出来るようだった。



「ははは。初対面の人にはまず敬語って決めててね。……それでは話を戻して。趣味はパズルやボードゲームかな」



 口調を変えた智也は自己紹介を開始した。ふうことは打って変わって知性溢れるが、快活さに欠けた風だった。



「なるほど、インドア派ですか」



「そうなりますね。それはそうと、女の子の率が高くて少し肩身が狭いですね」



 肩をすくめて古月の方にアイコンタクトを送るが、古月はこれまた素っ気ない態度で視線を逸らした。



 やれやれと同じように肩をすくめ「ともかく、よろしくお願いします」と智也は一礼するとそれ以上何か言うこともなく座った。



 少し間が立って自分の番だということに気が付いた礼奈は別段焦ることもなくゆっくりと立ち上がった。



「一年二組の平塚礼奈です。趣味は読書です。あと、可愛い女の子とおしゃべりするのも好きです。密着してたいくらいに。特に小春先輩のような……」



「ひっ」



 小春の背中に何故か悪寒が走った。



 礼奈はこちらから干渉しなければ別段干渉してこなさそうだったので、気が楽だった。



「運動はあまり得意ではないですが、嫌いなわけでは ないです。それじゃあよろしくお願いします」



 三度目となる拍手を送り、それが終わると小春が咳払いをし、自らの自己紹介をすべくしずしずと立ち上がった。



 流石生徒会長だけあって演説慣れしているようで、毅然とした態度で臨んでいる。



「こほん。私は二年一組、現生徒会長を務めています一之瀬小春と申します。この部の部長でもあるので、お見知り置きをお願いします。趣味は特にありません。が、どんなこともやってみる性質なので嫌いなことも特にありません。気軽になんでもお申し付けくださいね。では、私からは以上です。よろしくお願いします」



 流れるような自己紹介だった。まさに完璧と言えるレベル。



 再び拍手が発生すると、口角を上げて微笑んでから淑やかに座った。



 次は古月の番であるが、古月は自己紹介を始める様子はなかった。



 眠いのか、大きな欠伸をした。しかし、周りから視線が集まっていることに気づき、慌てて姿勢を正して座り直し、更に自分の自己紹介の番だと気づいても今度は慌てることもなく、かったるそうに立ち上がった。



「あー、えー、柳吊古月……です。趣味は……」



 そこでいい詰まった。他の四人に倣って趣味を話そうとしたが、古月には趣味などない。小春もないと言ったが、それはまた別のベクトルだ。それに傾倒した好みがあるか、何を好めばいいかわからないかの方向性の違いである。もちろん古月は後者。



「……柳吊古月。趣味はない」



 それっきりなにもフォローをしないので、部室内がしぃんと静まり返る。



 古月はすとんと落ちるように座ると、極めて濃厚なやっちまったと後悔の念を抱いた。



 中学に入りたての時の自己紹介で英雄になるという夢を堂々と宣言した時に嘲笑されたのと同じ空気を感じた気がした。



 しかしそれは古月の思い込みだった。



「あ、終わり?なら質問オッケー?」



 ふうこが右手を挙げ、質問をしたいと躍り出た。



「お、おう。どんとこい」



 どうやら、唐突に終わったので終わったかどうかわからなかっただけのようだった。そのことにほっと胸をなでおろす。



「いっつも剣道場にいるけど、剣道は趣味じゃないの?」



「あれは趣味じゃなくて……そうだな、趣味じゃないな」



「なんかありそうだねぇ、まぁついきゅーはしないけどさ」



 追求されないことは古月にとっても都合が良かった。今更英雄になるのを諦めたからだなんて言えない。



「趣味がないなら作ればいいんだよ。こういう為にこの部活があるんだろう?」



「そうですよ。この部は貴方の為に作ったんですから」



「献身的ですね。私、小春先輩のこと好きになっちゃいそうです」



「あ、ありがとうございます」



 その好きになりそうに若干の不安を覚え、さりげなく椅子に乗せた尻を少し動かして礼奈から離れようと目論むが、細やかな抵抗は失敗したようでさっきよりぴったりとくっつかれることとなってしまった。



 自分を嫌いそうな人間がいなさそうなことに安堵した古月は背もたれに体重を預け、一息ついた。



 ほんの少しずつ。本当に僅かではあるが日常に溶け込んでいく自分に嬉しさを感じつつ、もう二度と目指すことが出来ないだろう夢に対して申し訳ない気持ちも抱く。



「どうしました?古月くん」



 顎の下を撫でられ、礼奈の胸の中に顔面を埋める、さしずめ猫の様な態勢を取ることを強いられている小春から心配の声が飛んでくる。逆に心配したくなる。



「いや、なんでもない」



 実際他愛のないことだ。個人の感情を一々他人に吐露する必要はない。



 小春は古月の態度に何か引っかかるものがあったようだが、礼奈の責め苦を前に他人を気にしている様子はなかった。すぐに礼奈に気を取られて苦笑した。そのほんわかした空間を見ておもわず笑みが零れる。



 昨日より楽しみが一つ増えた。



 これから自分がどうなっていくのかわからない、未知なる好奇心。しばらくはその好奇心の赴くままに、身を委ねてみよう。その結果がどうなろうが構わない。酸いも甘いも経験してみよう。



 一先ずは、明日の休日。昨日小春と計画したことを話してみよう。

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