第6話 空虚な日々/変わる日常 5

 お互い話すことは特にない。なのに、それが心地良い。



 夕焼けのオレンジに照らされた小春の顔をちらりと見ると、顔が紅潮しているように見えて、可愛らしい顔がいつもより倍以上に可愛く見える。なんだかんだ小春の容姿のことは認めていた。



 小春の顔をまじまじと見ていると不意に視線が合い、にぱっと微笑みを向けられる。その笑顔にやられてしばらく目を奪われるが、純粋な笑顔からニヤニヤした笑顔に変わったのを期にふい、と視線を逸らした。なんだか馬鹿にされたような気がしたのだ。



 これは雰囲気効果というやつだろうか。小春のいる体の左半分に意識が集中し、体を熱い血が走る。胸は早く強く鼓動を打ち、視界を酔ったようにくらくらさせる。



 多分、この感情は夕日の見せるノスタルジーな風景とそれに騙された心が起こした一時の気の迷いなのだろう。隣にいる小春がたまらなく愛おしく思える。



 今、隣にいる少女はどんな宝石よりも輝いて見える。



 無数にある言葉ですら代えがたい、唯一無二の煌めき。



 だが、これは先の見えない自分の心が見せた幻影なのだ。自分は英雄になること以外に夢中になってはならない、と自分の心に言い聞かせた。

 甘い誘惑に乗りそうになった自分を叱責する……が、今現在別のことをしていたことを思い出し、叱責を取り消した。怒るにしても、もう遅い。



 ――こんな時だからだろうか。面倒なことが舞い込んでくるのは。



「よう、柳吊」



 考え事に耽っていたため気づかなかったが、古月たちの行く道を塞ぐかのように何人もの男たちが道を封鎖していた。



 最初はなんだ、と思ったものだったが、近くにつれ顔がはっきりすると共にその人物たちに心当たる。



「……ああ」



 それは以前、一年くらい前に、剣道場を占拠していた、いわゆる不良達であった。



 古月は一年前、部がなくなり、不良の溜まり場と化していた剣道場を、自分が使うためにその不良達を実力行使で追い出していたのだ。



 教師陣が古月の使用を黙認しているのは、そういった連中に使われるより古月に貸していた方がよっぽどマシだという判断からだった。



 まとめて古月にシメられた後、実に一年動きがなかったのだが、目の前の軍勢を見るにこの日のために頭数を揃えていたのだろう。



 その無駄な努力にある意味感心し、勲章でも与えたくなった。



「で、何の用っすか」



 一応、年上である彼らに形だけの敬意を払いながら、わかっているくせに彼らの用事を聞いた。



「一年前のこと覚えてるか?」



「さぁ、どーでも良すぎて忘れましたね」



「……っとにイライラさせやがるガキだ。こちとら一年前の屈辱が忘れられなかったってのによぉ」



「そうっすか。で、何の用?」



「……見りゃわかるだろ。お前に復讐しに来たんだよ!」



 リーダー格の男は号令をかけると、従えていた者達を一切に古月へと向かわせた。



「こ、古月くん」



「下がってろ。つーか、どっか行っとけ」



 古月は自転車から降り、小春を後ろへと下がらせた。



 あまり、小春に荒っぽいことをしている姿は見せたくない。



 古月は軽く首を鳴らすと、腰を低く構え、戦う姿勢を見せた。



 とは言っても、古月と有象無象とでは、戦いになるとは思っていなかったが。



 ――それは本当に、見事なワンサイドゲームだった。



 まず最初に迫り来た男を、見せしめのために全力の一撃で沈める。それに一瞬躊躇した、二番槍を蹴り倒し、どんどん戦意を失っていく後続達を次々薙ぎ倒していく。



 その戦いぶりは、数の差などをおよそ感じさせないほどに強く、そして暴力的だった。



「……クソっ!相手は一人なんだぞ!」



「アンタらじゃその一人以下だってこと、まだ分かんねぇのかよ」



 古月はうろたえる、リーダー格の男に接近していく。到達するまでにいる男達など歯牙にかけずはっ倒して。



 やがて、古月が男の目の前に立つ頃には、不良達は散り散りに逃げていき、もうその場にはリーダー格の男しかいなかった。



 その男すらも、もう腰を抜かしまともに立ってすらいなかった。



「な、なんなんだよお前はよおおおお!」



「……足りねぇんだよ」



「……は?」



「こんなんじゃ全然足りないんだよ!てめぇらみたいな雑魚をどれだけ殴ったところで、英雄には近づけねぇんだよ!どうせくるなら、世界でも滅ぼすぐらいの気概を持ってこい!そんなてめぇらを俺が、殴って殴って殴って殴って殴って!死ぬまで殴って止めて、英雄になってやるってのによ!ああああああああ!ふざっけんな!なんでてめぇらごときを相手にしなきゃいけないんだよ!あぁ⁉︎」



「な、なに考えてんだお前はあああああ!」



 その、古月の渇望と狂気の片鱗を垣間見た男は逆らう気すら失せ、ただ恐怖してその場から逃走した。



「……ちっ、イライラさせやがる」



 古月の激情が冷めていく。



 もう今まで倒したものたちのことなど眼中になく、早くも頭の中から消え失せそうになっていた。

「だ、大丈夫です?」



 古月の狂気を側から見ていた小春は、怪我をしていないか、と精神的に安定してるか、という二重の意味で大丈夫かと問うた。



 その意味を知るよしもない古月はただ「大丈夫だ」と適当に返答を返す。



「……はぁあ」



 ため息の後に「なにやってんだか」と付け加えそうになる。



 せっかく小春と楽しい時間を過ごしていたのに、せっかく新しいことに手を出そうとしていたのに、これでは台無しである。

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