第5話 空虚な日々/変わる日常 4

 それから時間は流れ、ぱちりと古月が目を覚ましたのは、眠りに落ちた時より若干日が落ちていて、良い塩梅な時間だった。スマートフォンで時刻を確認すると、午後四時半。授業が終了してから一時間は過ぎていた。



 寝ぼけ眼をこすり、肩に乗っている頭を見た。この調子ではまだ起きていないのだろう。肩が痛い。



 余程眠かったのだろうか。そんな状態で相談に乗ってくれたことに改めて感謝する。



 再び小春の顔を見つめる。これまたなんとなく、頭を撫でたくなったので、欲望に従って頭をなでなでと優しく撫でた。



 そしてふと思った。



「もしかして、こういうのがやりたいことってやつなのかな」



 興味のまま、欲望のまま動く、そういうことなのだろうか?



 一瞬そう考えたが、その考えを否定した。本能のまま動くというのは畜生のすることで、人間はもっと利口な生き物だ、と思ったところで、自分のやりたいことごときにそこまで高尚な理由付けをする必要はないと考えるのをやめた。



 色々な考えが頭を巡る。未知の世界に足を突っ込むことに対して膨らむ胸の期待と、夢を放り出してこんなところで何をやっているんだという焦燥感。相容れないはずの矛盾した感情が入り混じる。



 俺の真意はなんだ?何が本当にやりたいことなんだ?俺は英雄になりたかった筈だろう?なのに、なんで道を見失っているんだ?昔から一直線だっただろう?それ以外のことはどうでもよかった筈だろう?俺は今何をしようとしている?今までどうでもよかったことに何故今更手を伸ばそうとしている?それがなんでこんなにも楽しみなんだ?



 と、ずっと同じような考えをぐるぐるとしているうちに、一つの結論へと辿り着いた。ただ、その結論は全く別のことに対する事で、決して古月の真意などではなかった。



 辿り着いた結論とは、自分は悩んでいるときは一人では何もできない、という事。そして、小春のお陰で自分は完全に道を失わずにいられているということ。

 小春がいなければ、進むべき方向が見えないまま休むことなく死の行進を続け、挙げ句の果てに枯れきった、英雄志望の四十代という未来も考えられなくはない。



「……今は考えるのをやめよう。闇雲に動いて得るものは無駄な結果くらいなもんだ。いずれ決断のときは来る。それまで、ゆっくりと考えるんだ」



 英雄を目指し続けるのか、諦めるのか。



 諦めたくはない。が、理想が現実に追いついていない。ビジョンが見えていない。そもそもチャンスがない。



 と、また考え事をしている自分を省みて、心底呆れ返る。考え事は止めようと決めたばかりだろうに。



「ん……」



 と、考え事の無限ループを繰り返している間に救いの女神が目を覚ました。



 半開きの目でぼーっとただ前を見つめる。



「おはよう」



「おはよう……ございます」



 古月と同じように寝ぼけ眼をこすり、大きな伸びをしてあくび。「ふぅ」と一息つく。



「今何時ですか?」



「俺が見たときは四時半だった。それほど経ってないし、それくらいの認識でいいだろ」



「ふわぁ……そうですかそうですか。それでは、行きますか」



「起きたばっかなのにいいのか?」




「大丈夫です。もう目は覚めました」



 歯を出して笑い、ダブルピースをした。何故したのかはわからない。



 そして立ち上がり、もう一度大きな伸びをした後に剣道場の真ん中に転がっている鞄を手に取った。古月も同じように鞄を肩に担ぐ。



「まずは服からでしたね。とりあえずショッピングモールにでも行きましょう」



「あいよ」



 がらりと剣道場の戸を開け、数時間ぶりに外へと出た。寝起きに吸う新鮮な空気が体の中を爽やかに通る。大きく深呼吸すると、口内がすぅっとしてとても美味しく感じられた。



 誰も侵入などしないだろうが、きっちりと戸締りを済ませ、早退したという設定なので、教師たちに見つからないよう注意して自転車に乗り、学校から出た。

 自転車の荷台に小春を乗せ、指示通りに自転車を走らせる。古月はショッピングモールの場所など知らないのである。



「いつもありがとうございます」



「気にすんな」



 下校時、いつも古月は小春を後ろに乗せて家まで送っている。小春は何故かいつも古月が剣道場から出るのを待ってから帰るようにしているので、暗くなってからでは危ないという理由で古月が送っているのだ。



 幸い、学校から小春の家はさして遠くない。更に、古月の家から小春の家もそう遠くない。なので、別に大した徒労ということもなく送っているのだった。



 そうしていつものようにしばらくキコキコキコキコと自転車を漕いでいると、ショッピングモール、大きな図体をした建物が見えてきた。



「あれか?」



「はい。お疲れ様です」



「お前のクソ軽い体重じゃ大した苦労にもなんねぇよ」



「それは褒め言葉ですか?悪口ですか?」



「素直な感想だ」



 古月のセクハラ紛いの発言をするりと聞き流すあたり人間が出来ている。



 駐輪場までもそこまで遠いということはなく、すぐに到着した二人はちゃっちゃと自転車を停めて鍵を閉め、自動ドアを通過して衣類が勢揃うショッピングモールを目の当たりにした。



「すげぇな、服しかねぇ」



「当たり前でしょう。ここを何だと思ってるんですか」



「いや、そういう馬鹿みたいな意味で言ったんじゃねぇよ」



「ではどういう?」



「察しろよ。本当に服しかねーなーみたいな意味だよ」



「一緒じゃないですか、それ」



「……うるせぇ」



 ぷい、とそっぽを向き、そのままその辺りの服を物色し始めた。



 しばらく何着かの服を凝視していたが、ぱっと小春の方へ向き直し、頬をかいた。



「どんな服選べばいいか全っ然わからん」



「はぁ、まぁそうでしょうね。初めてですからね、わかるわけありませんよね。なので私が古月くんに似合いそうな物を選んで差し上げましょう」



「な、なんか恥ずかしいな」



「あら、そうですか?友達同士で服を見繕うのは当然かと思っていましたが」



「そんなもんなのか?」



「そんなものです。友達のいない貴方にはわからないかもしれませんけどね」



「友達なんざ作ろうと思えばいつでも作れる。今まで作ってこなかっただけだ」



「なんで強がるんですか?意味ないでしょう?」



「……それもそうだな」



 古月の反論がなくなったのを確認し、小春は真剣な眼差しで辺りを見回し始めた。そして、めぼしい服を見つけると、古月の腕を引っ張り、とててと駆けて行った。



「こんなのはどうですか?」



 小春が選んだのは、白のカッターシャツのようなデザインの男物のブラウスに黒のネクタイ、それらの上に前が開いた黒のノースリーブパーカーを羽織らせたものであった。



「似合うと思いますよ」



「よくわからんけど、お前がこれがいいってならこれにしよう」



「わからなくてもいいです。いろんなものを見て自分の感性を養ってからまた買いに来ればいいんですよ」

「自分の感性ねぇ……。培えるもんか?んなもん」

「勉強のようなものじゃなくて、勝手に身についていくものなんですよ、そういうのは」



「うーん、わからん感覚だ」



 古月は首をかしげながら件の服を受けとり、更に同じ服を三着も四着も手に取り始めた。



「ちょっと、何してるんですか?」



「いや、服買おうとしてんだけど。見て分かれよ」



「その服は一着あれば十分でしょう。他のものにしません?」



「……その方がいいのか?」



「勿論」



「あー、もうわっかんねーなこれ」



「こちらこそ理解不能ですよ……。まさかそんな馬鹿みたいなことをするとは」



 小春は口をぽかんと開けて珍妙な生き物を見るようなめで古月を見た。古月はそんな小春の視線を掻き消すように腕を振るった。



「知らないからわからねぇんだよ」



「貴方は引きこもりか何かですか……。いくら服を買ったことがないとはいえ、小学生やそれくらいには親とでも来たことあるでしょうに」



「ないんだよなぁそれが。小学生の時は親が全部買ってきてたし、高校入る前に親は俺に愛想尽かして出てったし」



「行ったことすらありませんでしたか……。でも、同じ服は一着あれば十分じゃないですか?毎日同じ服を着るのは漫画の中だけですよ?」



「一着でいいじゃねぇか。めんどくせぇ」



「まぁまぁ。服を替えるのは気分を変える意味もありますし。例えば、嫌なことがあった時も嬉しいことがあった時も同じ服なんですよ?酸いも甘いも同じ服で一緒くたになっているのはちょっと嫌じゃないですか?あっ、この服を着た時、こんないいことがあったなぁ。この服には嫌な思い出があるなぁ、懐かしいなぁ。なんて、思い出の一種でもあるんですよ。みんなただ単にいっぱい持ってるってわけでもないんです。買っておきませんか?」



「うーん、なぁーるほどなぁ……。確かに、ずっと同じジャージばっか着てたけど、ずっと同じだからトレーニングしてたって記憶しかねぇや。他にもいろんな事あったと思うんだけど」



「でしょう?そういうことになるんです。私が選んで差し上げるので、他のものも見てみましょう。貴方のセンスも考慮しましてね」



「んじゃ、頼むわ」



「はい、喜んで」



 にこりと古月に微笑みかけた。合わせて古月もふっと鼻から空気を漏らした。



 それから一時間程度、二人でお互いの服を吟味し、古月の服が五着程度になったところで買い物を終了した。



 決して安くない金額を払う事となったが、必要なものだと割り切ってしまえば全く痛くなかった。とはいえ、うん万円が痛くないわけないが、他にお金を使う場面といえばトレーニング機材や食費や光熱費程度のものなので、別に困ったことはないのだ。



「ありがとうございました」



 店員の見送りを受け、自動ドアを通り抜けて外に出ると外はもうかなり日が落ちており、空は夕焼け色に染まっていて、情緒を刺激される。わいわいとまだ遊んでいる子供たちの声が背景にマッチして妙に感慨深かった。



「私も小さい頃ああやって男の子に混じって遊んだものです」



「お前がか?想像できんな」



「そうですか?変身ベルトを腰に巻いて『変身!』とか叫んでいましたね」



「お前が活発な奴ねぇ」



「活発でなければ生徒会長なんてやってませんよ。ちなみに、古月くんはどんな子供だったんですか?」

「今と変わんねーよ、確か」



「……昔からそんな感じだったんですか?」



「ああ、そのはずだ」



「英雄になるって言ってたんですか?」



「言ってたな。あの頃はまだ子供の戯言として認識されてたけどな」



「よく今まで折れずにいられましたね」



「今折れてりゃ世話ねーよ」



 自分を卑下するかのようにため息をつくと同時に自転車のスタンドを上げる。そこで鍵を閉めていたことを思い出し、後から解錠した。



 小春が乗る用に敷いた、荷台の上のクッションをポンポンと叩き、乗れと促すが小春は首を三度横に振った。それで小春の意図を理解し、小春の横に並びカラカラと錆びたチェーンの音を立てて自転車を転がしながら歩き始めた。

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