第4話 空虚な日々/変わる日常 3

「では、どうしたんですか?」



「……なあ、放課後にしようとしてた話、今してもいいか?」



 辛抱出来なくなった古月は、放課後に回そうとしていた話を今しようと決意した。



 放課後になれば、決心は鈍るかもしれない。考える時間が増えれば増えるほど迷いは大きくなっていくのだ。



「もしかして、それが関係してるんですか?」



 いつもとは違うしおらしい態度に豹変した古月を見て合点がいったようで、真剣な、古月の話を聞く態勢になおった。



「どうぞ、話してみてください」



「ありがとう」



「古月くんからお礼を言われるとなんだか寒気がしますね」



「うるせぇ」



 うるさいと言ったものの、それで心の整理が出来たのか、リラックスした様子でため息を吐いた。古月は何かをするとき大きく息を吐く癖があった。心中を吐露したいという表れかもしれない。



 古月は最後に一瞬迷ったような表情を見せた。話すことを完全に納得しているわけではないらしい。が、それもたかだか一瞬。すぐに小春に向き直って話を始めた。



「俺は英雄になりたいって常日頃思ってる。それは知ってるよな?」



「はい。常々言ってることですから」



「忘れられてたら話す手間が増えるところだった。……こんなこと言うと失望されるかもしれないけど、英雄って言うのが何かわからなくなってきたんだ。どう目指すか、何を到達点とするか」



「……続けてください」



 一旦話を区切ったにも関わらず、小春はその先を要求した。



「現実が見えてしまったって言えばいいのか、明らかになれないものを目指している現状に俺は何をしているんだ、と思ってしまったんだ。情けない」



「情けないなんてことはありません。躓くことは誰にでもあることです」



「躓く……ってことなのか?これは。最早挫折に近い気分だよ」



「まだ挫折ではありませんよ。貴方の瞳に映る灯火はまだ消えてはいない」



「ああ、まだ諦めたわけじゃない。ただ、どうすればいいかわからないんだ。なぁ、小春。俺はどうすればいいんだろう」



 古月の質問に小春はすぐ答えることをせず、顎に手を当ててじっくりと考え込んだ。



 沈黙が訪れてしばらく、頭の中で話がまとまったようで、ゆっくりと会話を再開させた。



「……古月くんは今までこんなことはありましたか?」



「なかった。だから困ってるんだよ」



「そうですか。なら、これを機に迷ってみればどうですか?」



「迷ってみる?どういうことだ」



「そのまんまですよ。この機会に、別のことをしてみるんです」



「馬鹿なこと言うんじゃねぇよ。今更別のことなんて……」



「今更だからこそです。貴方はこれまで夢を追うこと以外のことを何一つしてないんでしょう?どうせ」



「どうせってなんだよ。……まぁ、そうだよ」



「そうですよね。ここまで愚直に夢一筋で来た貴方の努力は素晴らしいと思います。ですが、現実的に考えれば貴方の夢は叶わないでしょう。貴方には英雄としての到達点が見えていません。見つかる方がおかしいとは思いますがね。ともかく、明確な目標が見えていないままこの先歩いて行くのは非常にリスクが高いでしょう。四十代ニート(英雄志望)なんて考えたくないでしょう?」



 小春は古月の言葉をぶった切って自分の言葉を重ね、一気にまくし立てた。



「う……想像しただけでぞっとするなそれ」



「というわけで、何かいつもと違うことをしてみたら如何ですか?例えば、どこかに遊びに行ってみるとか。貴方は気分転換をしなさすぎる」



 小春が黙ったことによって、それ以降一旦話は途切れた。



 古月は手に持っている菓子パンを齧った。甘いクリームが口の中に広がる。



 小春もそれを見て弁当の卵焼きを口に入れた。

「そうだなぁ……」



 いままで感じたことのない感情だった。まるで心の中に穴がぽっかりと開いて、すべてのことを投げ出したくなるような空虚な感情。



 まだ食べかけのパンをビニール袋の中にしまい、ごろんと四肢を投げ出した。天井を見上ようとしたが、窓から射す日の光が眩しくて目を開けていられなかった。



「……あら、もうこんな時間ですか。もうすぐ昼休みが終わりますよ」



 小春がふと時計を見ると、もう授業開始の五分前になっていた。



「なんか授業受ける気にならねぇなぁ……」

「サボりですか?関心しませんね」



「別にいいだろ?」



「良くありませんよ。……どうせサボるなら、ちゃんと学校の許可を得てからです」



 小春は保健室のある方向をちょいちょいと指差し、すくりと立ち上がって保健室へとぱたぱたと駆けて行った。



 スピード感溢れる行動だったので咄嗟に反応できずに何も言えなかったが、小春の姿が見えなくなって五秒後に「サボるのはいいのかよ」と乾いた笑いを浮かべた。



 それから起き上がり、あぐらをかいて小春の帰りを待っていたが、大した間も無く小春は帰還した。



「突然熱っぽくなって苦しいと言えば早退させてもらえました」



 したり顔でピースをする姿に軽い苛立ちを覚える。

「そうか。ありがとう。んじゃ、とりあえず俺はここにいるから授業行ってこいよ」



「私もサボっちゃいました」



「お前もかよ!なんでまた」



「たまにはいいじゃないですか?それにあんな話を聞いたんです。とりあえず一緒にいるのが友達でしょう?」



「ありがたいけど……なんか悪いな」



「いえいえ、というか、私ちょっと眠くて……」



「そっちが本音だろお前」



「そんなことありませんよ?」



 そう言うと小春は古月を立ち上がらせ、壁際まで連れて行った。そこで古月を座らせ、自らも隣に座る。



そして、古月の肩に自分の頭の体重を預けた。



「おい、寝る準備万端かよ」



「では寝るまでの間、お悩み相談といきますか」



「くそ、俺の悩みを子守唄代わりかよ」



「そういう訳でもありませんよ。……さ、どうぞ」



「ちっ」



 本気ではない、返事代わりの舌打ちをした。



 今回は話し始めるのに時間がかかった。



 暫しの間沈黙が続き、小鳥の囀りが聞こえるくらいに静かだったが、やがて古月がそれを破った。



「さっき、俺に何か別のことをしてみろってお前は言ったけど、俺は何をすればいいんだろう」



「さぁ、とりあえず、興味のあることはなんでも手を出してみれば如何です?」



「興味、なぁ……」



 興味を持つことなど今までなかったものだから、いまいちピンとこないのだ。しかしそれより、もう別のことをしてみる方針に傾いている自分に驚きだった。

自らの軟派な思考に苦笑する。



「スポーツなんてどうですか?野球、サッカー、バスケットボール、テニス、バレー、水泳」



「どれも授業でやったことあるな。そうだなぁ、スポーツか。スポーツなら、野球が楽しかった」



「なら野球部に入ってみては?」



「ボールも触ったことのないど素人の二年生が入ってどうなるってんだ。楽しかったけど、俺みたいなのが中途半端に部に入ったら野球部に迷惑だ」



「それもそうですか。それじゃあ、次の休みにバッティングセンターにでもいってみましょうか」



「そうするか」



 とりあえずは次の休みの予定が埋まったことに安堵する。特訓を一時中断してこのままだと、何もしない日が来るところだった。



「文化部はどうでしょう?料理とか、茶道とか、吹奏楽とか、芸術とか、漫画とか」



「料理は結構楽しそうだな。体験にでも行ってみればいいのか?」



「行ってみましょうか?いいですよ。ただし、全員女の子ですが」



「……やめとこう。俺には荷が重い」



「でしょうね。バッティングセンターに行った後か前に何か作ってみましょうか?」



「そうしてみるか」



 運動部と文化部両方入れそうにないことに少しガッカリするが、やってみようと思うことは増えた。今はそれは喜ぼう。



「他は……何かありますかね?」



「そういえば俺、漫画とか読んだことないんだけど、面白いのかあれは」



「私もたくさん読む訳ではありませんが、なにぶん数十年前から続いている文化です。人を惹きつける何かがあるのでしょう」



「よし、なら漫画も買ってみるか。ついでに小説も」



「着実にやってみようと思うものが増えていってますね。いい傾向です」



「なら、調子に乗ってゲームも買ってみよう。テレビも無いしそれも」



「お金はあるんですか?」



「小遣いは小学生の頃から貰ってたけど、一度も使ったことないから相当溜まってんだよ。今も親が生活費送ってくれてるけど、俺一人が生活するにはかなり余るから、それもな」



「この時の為にお金を貯めてきたと考えましょう。楽しくなってきましたね」



「まぁ、そうだな」



 あまりよくはわかっていないものの、とりあえず生返事はしておく。



「そういえば、服はどんなのを持っているんですか?」



「ジャージくらいしか持ってねぇなぁ。後でなんか買いに行くか」



「ならそれもお付き合いします」



「ああ、助かる」



 やることが増えてきた。小春が言うことなのだから、退屈なのではないだろう。



「とりあえずはこれくらいでいいでしょう。では、そろそろ寝ますね。私が起きたら服、買いに行きましょうか」



「ああ。ありがとな」



「いえいえ、それでは……くぅ」



 小春はにっと微笑んでからすぐに眠りに落ちた。よっぽど眠かったのだろう。



「悪いな、付き合わせて」



 返事があるわけもないが、なんとなくそんなことを言ってみたい気分だったので言わずにはいられず、ぽつりとそう漏らした。



 古月はスマートフォンを取り出し、ロック画面を解除し、写真フォルダを開いた。わかっていたことだが、数枚しか画像が保存されていなかった。その全てが小春が送りつけてきた写真である。いつのまにか小春が撮っていた、二人で写っている写真か、剣を振るう自分のフォームチェックを頼んだ場合のどちらかである。スマートフォンを持っている意味があるのかと問われれば、ないと即答出来るレベルで使いこなしていない。



 せっかく色々出来るのだからこの機会に何かやってみようと少し考えてみた。



 が、何が出来るかすらわからないので画面のスライドを繰り返すだけで時間は経っていった。



「というか、こいつが起きるまで何も出来ないじゃねぇか、これ」



 肩に頭を乗せられているので、動くに動けない。恨めしい目つきで呑気に眠っている小春を見つめた。



 が、すやすやと無垢な表情で眠る小春を見ているとそんな思いを抱いているのが馬鹿らしくなり、ふいと違う方向を向いた。スマートフォンの画面を再び注視する。画面には先ほどと同じ、写真フォルダが映し出されていた。



 そこで一つ思いつき、カメラを開いた。



 そして、こっそりと音を立てないようにカメラで小春の寝顔を撮った。



 スピーカーを指で塞いだが故のかしゃりという小さな撮影音が本体から漏れる。



 流石にそんな小さな音では起きるわけもなく、寝息を立ててぐっすりと眠っている。



「嫌がらせかなんかに使えるかな」



 寝顔を保存すると、スマートフォンの電撃を切った。特にやることもないからである。



 スマートフォンをポケットにしまうと、膝を立てて一息ついた。



「退っ屈だなぁ……」



 今まで暇になれば腕立てや調べ物をしたりしていたので、こうにも気が抜けて迎える暇というものはなかったのだ。



「……俺も寝るかな」



 いつ起きるかわからない小春を待ち続けるのはあまりに途方もない。寝るという判断が下るのは当然とも言える。



 古月は目を瞑った。どうせ誰もこない場所である。



誰に憚ることなくゆっくりと眠ろう。



 そう決めて数分後、古月はゆっくりと眠りに落ちていった。



 この先何が起こるか、少し楽しみにしながら。

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