第3話 空虚な日々/変わる日常 2

 古月のスタンス的には話さないべきであろうが、一応心を許している、友人が皆無な古月にとって、ほぼ唯一と言っていい友人である小春である。話しておいたほうがいいかもしれない。



 だが、夢を失いかけているなどと抜かせば失望されるかもしれない。古月はそれが怖かった。



 意外と臆病なのである。



 しばらく考えていると、小春の顔が段々ニヤニヤと小馬鹿にしたような表情に変わっていった。



「うぜぇな」



「あはは。まぁ、話すか話さないかは好きにすればいいんですよ。先ほどああは言いましたが、私、貴方に失望はしません。するとすれば、少しの期待です」



「失望しないのかよ。くそ、見透かしたかのようなこと言いやがって……」



「あらら。あたかも失望してほしくないかのような言い方。適当に言ったことでしたが、貴方の心中が見透せてよかったです」



「適当だったのかよ、ちくしょう」



 古月は頭を掻きむしった。そして、完全に考えを見透かされていたことを受けて、今の現状を話してしまおうという方向に気持ちが傾いていた。



 小さい深呼吸とともに瞳を閉じ、また開けたときに意を決して話そうと口を開いた。



「あのさ」



「ああ、もう教室なのでまた放課後にでも聞かせてください。どうせ今日も剣道場にいるんでしょう」



「……タイミング悪りぃな、クソッ。……ああ、剣道場にいるよ」



「では、後ほど」



「つっても、クラスも選択授業も昼も全部一緒じゃねぇか」



「私は別に無理してまで古月くんと一緒にいなくてもいいんですよ?貴方は私以外の友達がいなそうですし、一人だと寂しいでしょうから一緒にいるんですが」



「いや、一緒にいたくないとは言ってないだろ……。ありがたいと思ってるよ」



「あはは、悪戯が過ぎましたね。では、今度こそ後ほど」



「ああ、またな」



 小春がとてとてと自分の席へと向かった。それと同時に、周囲の友達であろう少女達と挨拶を交わす。その様子を古月はしばらく呆然と見つめていたが、不意に古月のほうを向いた小春と目が合い、ひらひらを手を振ってきたのを皮切りに視線を断ち切って自分の席へ座った。



 程なくしてチャイムが校内に鳴り響いた。未だざわざわとした教室の中に教師が戸を開けて入ってくる。



「おーい、早く席に座れー。出席取るぞー」



 教師の名は里中。古月と小春の担任である。ジャージを着ている、大柄のむさ苦しい男だ。



 語末を伸ばしてクラス中に聞こえる大声を張り上げる。大声に驚いた生徒達はみんな慌てて自席へ座った。



 ざわついていた室内も、しぃんとした、教師に

とって心地よい静寂に包まれた。



「偉いぞお前ら。さて、今日の休みは誰かなっと」



 里中は教室全体を見渡した。



 新年度が始まってあまり経っていないというのにぽつぽつ空席がある。



 高校に入ってからの一年で変なサボり癖がついた愚か者がいるのだろう。



 やがて出席確認を終えた里中は連絡事項だけ伝え、さっさと教室から出て行った。里中も自分の授業があるゆえ、当然のことである。



 それは授業が始まるまでの束の間の休息だった。古月はポケットからスマートフォンを取り出した。



 電源をつけると真っ白の背景に数少ないアプリケーションがぽつぽつと映し出される。非常に人間味に欠けた、古月を写したかのような画面である。



 自らの叶わない夢を無駄に追いかけている現実を思い浮かべて、この自分というものがない画面を見ると、自分は何をやっているんだというやるせない気持ちになった。



 が、長年追い続けてきた夢を今更捨てるのもなんだか情けなく、寂しい気持ちになる。そんな狭間で揺れる今の古月には、チャイムは鳴ったものの、授業など真面目に受けようと思えるものではなかった。



 しかし、まだ完全に英雄になるのを諦めていないままで勉学を放っておくわけにはいかない。英雄とは力の強さだけではいけないというのが古月の自論だった。



 だが、モヤモヤした気分でまともに頭の中に知識が入るだろうか。入るわけがない。



 放課後が待ち遠しかった。



 新年度早々に行った席替えによって運良く主人公席を引き当てたラッキーボーイ古月はノートとシャープペンを投げ出して窓の外を見た。



 本当に退屈な世界である。



 もっとも、古月が世界を退屈だと思うのは、今まで古月が夢を追う以外のことを殆どしたことがないからである。誰かと楽しみを共有するという経験を長年していない古月は喜怒哀楽のうち喜と楽の感情に乏しくなっている。



 しかしそれは怒りやすく哀しみやすいというわけでもなく、それこそ滅多に怒らない、クラスの中でも空気のような存在である。



 が、哀だけは別で、現に好転しない現状に嘆き悲しむことだけは一丁前に出来ている。それを誰かと共有することはないが。



 しかし、今日本当に久方ぶりに古月は他人に自分の心中を吐露しようとしている。精神的にかなり参っているのだ。



 それも当たり前である。禁欲に禁欲を重ね、尚且つ自分の体を酷使した、様々な欲望に溢れる高校生らしからぬ生活を送っているのだ。無理もない。



 とにかく誰かに話したかった。だが、これまでずっと一人でトレーニングに励んでいた古月には友達はいない。友達と呼べる友達は、剣道場や柔道場を勝手に使っていたところ、注意しに飛んできたのが出会いだった小春ぐらいのものである。



 古月は小春のことをとても信頼している。何故なら、古月の夢を聞いて、笑い飛ばさなかった数少ない人間だからである。



 小春は馬鹿にしたような態度を取りながらも古月のことを見守っている。だから剣道場と柔道場を勝手に使っても何も言わなくなったのだ。



 教師達に黙認されているのも小春の協力があってこそだ。



 小春もまた古月に一目置いている。どれだけ馬鹿にされようがめげず、挫けず、ただ愚直に自分の夢を追いかけることが出来るのをある意味羨ましいとも思っていた。古月の目指すものに対する覚悟が生半可なものではないということが分かったからこそ、見守っているのである。



 ただ、その愚直さすら失わそうではあるが。



 焦りが古月を追い立てる。だが、どうにもならない。



 どうすればいいんだろう。



 そんな思いが古月の思考を飲みこんでいく。他に考えなど纏まらなかった。



 と、その時だった。授業終了を告げるチャイムが響いた。



 夢から覚めたような気分できょとんと目を丸くした。



 そして、深いため息をついた。



 まだ一時間目が終わったところなのか、と。



 それから同じようなことを何度も何度も繰り返し、四回目の授業終了のチャイムが鳴ったところで、長ったらしく、いまいち要領を得ることが出来ない授業もようやく三分の二が終了した。



 授業を真面目に受けるわけではなく、かといって何かすることがあるわけでもない古月にとって、今日ほど苦痛な日はなかった。



 しかも、昼休みが終わったら五時限目六時限目、合計百分の地獄の授業が待ち受けている。ぐったりと机にうつ伏した。



「大丈夫ですか?」



 可愛らしい声と共に、ことりという、固いものがお互いをぶつけ合わせた音が聞こえた。何かと思い、顔を上げてみると、突然ひんやりとした冷たいものが頰に当たった。びくりとして跳ね起きる。



 何かと思いよく見るとそれは、自販機に売ってある冷たい缶コーヒーだった。



「そんな反応をしてくれると思ってました」



「こんの野郎……」



「まあまあ。それは差し上げますから。お昼、食べましょう」



「……ああ、そうだな」



 がたりと席を立った。いつも昼を食べているところは剣道場である。



 なんたって、誰も使わないのだから。最早二人の私物のようなものだった。



 しかし、移動する時にいつも困ったことがある。



 何故か、ヒソヒソと自身の事を囁かれているのだ。



 耳はいい方なのでそのほとんどが聞こえるが「なんであんなのが一之瀬さんといつも一緒にいるんだ?」「なんか怖そうだし、脅されてるの?」「もしかして付き合ってるとか?あれが?」などといったあまり良い印象を持たれていない事を思い知らされるからである。



 そもそも自分が悪いのではあるが。



 他人から良い印象すら抱かれない自分に更に自信を失っていく。



 何度ついたかわからないため息を吐く。



「どうしたんですか?」



「いや、なんでもない」



「なんでもないことはないでしょう。……まぁ、それも含めて後で聞きましょうか」



 言いたいが言えない状態にあることを察したのか、放課後という暴露タイムまで引き延ばしてくれたことに感謝した。



 やがて剣道場へと到着した。静かで誰もいない。正に穴場である。



 勝手に拝借した鍵で戸を開け、中に入る。



 電気はつかない。誰も使わないから、そもそも通してすらいない。



 つまり、光源は射す日差しのみの、少し薄暗くもそれらしい雰囲気の中で食事をすることになる。古月はこの空間を大変気に入っていた。世界には自分達しかいないかのような錯覚が心地良い。



「相変わらず静かだな」



「そうですね。こんないい場所に誰もこないのが不思議です」



 誰も来ないのは楽しげな二人が常に占拠しているので寄り難い、というもっともな理由があるからである。そもそも、基本使用禁止である。



 古月は買ってきた菓子パンの封をびりっと破った。いつもと同じ物である。



「またそれですか?たまにはちゃんと栄養のあるものを食べないとダメですよ?ただでさえ貴方は普通より多くエネルギーを消費するんですから」



「朝晩はちゃんと食ってるから大丈夫だっての。それより、お前こそそんなちっせー弁当箱で足りんのかよ」



「私の体格を見てわかりませんか?これ以上食べたらパンクしてしまいます」



「まぁ、要所要所が小さいからな。見たらわかる」



 古月は小春の体をジロジロと、部分部分を見つめた。



「どこを見てるんですか?もしかしてセクハラですか?」



「てめぇの体になんざこれっぽっちも興味ねーよ。俺はロリコンじゃない」



「ほんっと失礼ですね。これでも十六歳なんですよ?それを幼女呼ばわりなんて。私なら良いですが、他の人に同じような事を言ったらすぐに嫌われますよ?」



 小春が放ったのは何気ない発言だったが、嫌われる、という箇所で古月は痛いところを突かれ、目を伏せた。



 その様子を不審に思い、小春は古月の顔を覗き込んだ。



「どうしたんですか?もしかして、今ので傷つけてしまいましたか……?」



 今までにない反応を見せられて不安気な表情を浮かべる小春を気遣い、古月は「そんなことねぇよ」とフォローを送る。

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