第2話 空虚な日々/変わる日常 1

 照らす朝日が行き交う人々を鋭く刺す、なんともキツイ始まりの一日だった。



 春にしては暑く、太陽光を遮る雲もないので、まさに刺すという表現が似つかわしかった。



 燦々とというより斬々と照りつける太陽を人々は恨めしく思い、パタパタと胸元から風を送り込む。



 そんな、暑さに苦しむ人々をよそに、一心不乱に木刀を振るう少年が一人。



「ふっ……ふっ……ふっ……」



 リズミカルに繰り出される呼吸と共に木刀が空を切る音。周囲にそれ以外の音は一切しない。



 寡黙に訓練を続ける少年の名は柳吊古月ゆつりこづきという。年は十六の高校二年生。年の割には背が高く、それなりに筋肉質な肉体の持ち主である。



 古月が木刀を振るうのは学校の剣道場。剣道部が廃部になっているので、誰も使わないならと無断で使用している場所である。



 結構な広さがあるこの場所では古月が夢を叶える為の特訓が存分に出来る。



「ふっ……!……ふぅ」



 最後にリズミカルな呼吸を止め、大きな息をつくと、古月は素振りを終了した。決めている数に達したのである。



 早朝に生徒の誰よりも早く登校し、剣道場で素振りをするのが古月の日課だった。毎日朝五時に学校へ忍び込み、ホームルームの十分前、八時二十分に鍛錬を終える。これを済ませないと古月の一日が始まらないと言っても過言ではない。



 古月は乱れた制服を整え、木刀を元あった位置に戻す。ここまでして日課である。



 時刻はもう既に登校時間となっており、がやがやと外から到着した生徒の声が聞こえていた。



 頃合いを見計らった古月も教室へ行く準備を始めようとした。



 しかし、奇しくもそれは剣道場の戸が開いたことで阻まれることとなった。



 今日もか、と古月は内心ため息をつく。



「今日も精が出ますね」



「よう、生徒会長。そっちこそ同じ台詞繰り返して、毎朝飽きねーな」



「それは此方のセリフですよ。何が楽しくてそんなに体を鍛えるんですか?」



「いつも言ってるじゃねぇか。僕の夢を実現するためだよ」



 戸を開けて現れた少女はわざとらしく首を傾げ、これまたわざとらしく質問を投げかけた。



「僕、ですか?いつもの一人称は俺ではありませんか?」




「なんか文句でもあるのか?」



「いいえ。ただ、貴方の口調から推測するに、あまりに不似合いな一人称だなーと」



「僕は僕と俺両方使うんだっての。文句あるか」



「あら、そうでしたか?」



「そうだよ。って、毎朝してんじゃねーかこれ。本当に飽きねぇのかよ」



「全然飽きませんね。貴方のようなお馬鹿を見ていると」



「黙ってろ」



 綺麗な、非常に長い黒髪を二つ結びにし、先端は軽くカールしている。癖なのだろう。



 細く、比較的小さな体躯を持った彼女の名前は一之瀬小春いちのせこはる。



 先ほど古月が呼んだ通り、古月と同学年ながらこの学校の生徒会長を務めている。



 古月と比べて、比べなくとも小柄気味な体を動かして古月に接近する。



「ほら、行きますよ。もうすぐホームルームが始まります」



「わかってるっての」



 古月は心の中で、お前が来なければとっくに教室に到着してる、と毒づいた。心の中にとどめているのは、小春はああ言えばこう返してくるタイプだからである。



「お前、なんで毎日来るんだよ。無表情かつぶすっとした顔で来られたらこっちの気が滅入る」



「失礼ですね。私にも保ちたいキャラがありますし」



「キャラ作りでもしてんのか?」



 その質問を待っていました、と言わんばかりに小春はにたりと笑うと、口元に人差し指を立てて話し始めた。



「そりゃ誰でもするでしょう。人は誰でもキャラクターという仮面を被っているんです。友達の前、親の前、先生の前、と次々仮面を入れ替え、キャラ作りをする。貴方の前にいる私はどんな偽りの仮面を被っているんでしょうね」



「朝からつまらん話を聞かせんな。お前の哲学じみたうんちくはうんざりだ」



 小春は時々、哲学的を齧ったような話をしてくる。

 古月はしばらく同じ時を過ごして分かったが、彼女は概念的な感覚が好きなようだった。



 答えのない結末が好き、答えに至るまでの過程が好きなのである。



 あまり答え自体に興味はなさそうである。



 本人は分かっていないが、小春が古月のそばにいるのはそういうのが理由だったりする。



「貴方は常に素のままっぽいですね。不器用で、愛想がなくて、心の奥が見えなくて」



「お前はそのきったねー心の奥が見え透いてるよ。小さい癖に、大人びてて可愛くない」



「貴方に可愛いと思われなくても気にしませんし」



 小春はぷい、とそっぽを向くとそれっきり黙りきった。古月に可愛いと思われなくてもいいが、女子としては可愛くない、と言われるとプライドを傷つけられるのだった。



 そんなどうでもいい一連の会話を済ませた後、せこせこと急いで片付けを済ませ、小春と共に剣道場から出た。



 これまで剣道場によって守られていた古月は、外に出た途端に日の刺々しさに目を細めた。



 運動後であったまった体には今日の日差しは少々暑すぎた。すぐにブレザーの袖を捲る。



「制服はしっかり着てください」



 一応生徒会長である小春から注意が飛んだ。しかし、古月は改善する様子もなくまるで聞こえてないかのようにただ前だけ見て歩いていた。



「暑いんだよ」



「制服を着崩すくらい暑くなるのなら辞めてしまえばいいのに」



「駄目だ。僕は辞めない」



「古月くんの言う夢……英雄になる、ですよね」



「そうだ」



「相変わらずバカ丸出しですね」



「そうかもな」



 自身の夢を馬鹿だと罵られた古月は激昂するかと思いきや、案外あっさりとした態度でいた。



「あら?怒らないんですか?」



「言われ慣れてるからな」



「ああ、そうでしたね」



「みんな馬鹿だと思っとけ。それが僕が英雄になるのを諦める要因にも原因にもならないからな」



「……最初はただの馬鹿だと思いましたが、愚直とはいえ、直進を続ける古月くんを見て意見が変わりましたよ。叶っても叶わずとも、貴方は真剣なんですから。真剣な人は笑えません」



「真剣に挑まない夢なんて夢とは言わねーよ」



「はい。私もそう思います」



 小春も古月と同意見のようで、澄ました顔でそう返事した。



 いちいちお高くとまっている小春に自分のペースを乱されることを嫌った古月は小春に嫌味ったらしい表情を向けた。



 だが、そんなことは小春には全然効かないらしく、真顔で「変な顔」とだけ返された。



「悪かったな」



 逆にダメージをもらった古月はチンピラのような態度の悪い声色で返事をした。



「……はぁ」



 ひとしきりの会話を終えた古月は綺麗な桃色の桜の花弁が散り舞う青い空を見上げた。



 ――なんとも退屈で張り合いがなく、恐ろしく普通すぎる世界である。



 俺には夢がある。英雄になるという夢が。



 古月は心の中でいつも思い描いている自分の夢を再度確認した。



 英雄になる。それが古月の夢だった。



 馬鹿だと一蹴されて当たり前の、子供じみていて尚且つ現実離れした途方もなくふざけた響きの夢だった。



 戦乱、群雄割拠の世が世であるならば、野心と意欲に溢れた古月のような者にとってはまさにうってつけの時代なのだが、いかんせん平和な現代である。白兵戦で英雄になれる時代でも、力の強い者が英雄と呼ばれる時代でもない。そして、英雄と呼ばれた人々のように超人的な力と類稀なる知力と、ついでに英雄には付き物の乗り越えるべき困難もない。



 更に致命的なことに、古月本人の『英雄』という存在がかなりあやふやで、なにをもってして英雄なのかという定義が未だ持てていないのだ。



 未来のビジョンが見えないこと程行き詰まった状況はない。



 目指しているものの明確なビジョンが見えない。なんと滑稽なものか。



 完全に手詰まりで、先ほど行っていたトレーニングもただ漠然としているだけの、ただのルーティンワークになりつつあった。



 あろうことか、ルーティンワークを繰り返しているうちに、ただでさえぼやけていたビジョンの曇りが加速し、あまつさえ夢を追うことにすら諦めの色が漂い始めていた。勿論、小春にはそんなこと一言も話していないが。



 辞めない、と宣言した手前言いにくい。



 とにかく、現代という時勢では英雄になるということは困難どころか不可能に近いのである。そう、一般にいう英雄には。



 古月は非日常に飢えていて、それこそ発狂しそうだった。

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