エンプティー/ヒロイズム
南元 暁
第1話 プロローグ
非日常は突然訪れる。
誰も彼にも訪れる予想外な出来事、覚えのないものはいないだろう。
事実は小説よりも奇なりと言うが、事実も小説も人の手より生まれる奇である。どちらかを軽んじて見るのは好ましくない。
が、どちらも人によって生み出されたものにも関わらず、人は自分の前に訪れた非日常、奇を受け入れられないとき、事実は小説よりも奇なりと評するのだ。
かといって、小説に起こりうるような非日常が現実で起こるのだろうか。
断言すると、その確率は限りなくゼロに近いだろう。
身の回りで殺人は起きない。従って、優秀な探偵も狡猾な犯人もいない。
曲がり角で美少女とぶつからない。学校のアイドルなんて存在はいない。
空からヒロインは落ちてこない。ヒロインを狙う組織もヒロイン自体も空想の産物である。
事実というものは恐ろしく平凡である。繰り返し繰り返す日々に非凡な転機など訪れず、ただただ同じような日々を同じように過ごすのみ。
人は奇に飢えている。
平凡が一番などと悟ったつもりでいる者も、退屈と平凡をいつしか同一視し、平凡、平和などと抜かす口を通じた心の奥底では突拍子も無い奇が訪れることを心待ちにしている。
だが、いざ非日常を迎えた人間は、必ずといって良いほど狼狽える。あんなに恋焦がれていた、現状を打開する千載一遇のチャンスだというのに。
つまり、人間が非日常に憧れるのは、それが現実に起こり得ないことだからこそ、現実の枠外だからこそ、妄想の産物だからこそなのだろう。想像で止めておくのは一番楽しいというのはわかる人も多いだろう。
と、長々とどうでも良さそうな事をつらつらとスラスラと述べていたわけだが、これらに意味がないわけではない。
大人数、大多数、過半数の人間が選択する、安寧の選択を選ばない人間がいるとするならば、それは変わり者か余程の天才かどちらかだろう。
変わり者か天才かは紙一重の判定となるだろうが、普通の人間ではないことは確かである。
非日常を追い求める紙一重。追い求めるたくても体が竦む凡人。
しかし本当のところ、凡人などと悪く表現したが、それが普通で、そうでないとおかしいのだ。むしろ正解と言える。安易に別世界へ踏み込むべきではない。馬鹿は無考に踏み込む故に馬鹿。天才は天才で計算外のことが起きることを計算にいれない。知的好奇心には勝てない。
とある街に一人の少年がいた。彼は馬鹿でも天才でもない普通の人間であった。
ただ、彼の持つ夢、野望は馬鹿と天才と凡人の想像するそれを遥かに上回っていた。
その野望は馬鹿と天才と凡人の誰から見ても無謀、そもそもふざけているとしか捉えられないような途方もない、お花畑が頭に密集しているかのような野望に思われた。
だが、少年が持つ野望に対して少年は、別の叶えたい夢を持つ馬鹿、天才、凡人に比べて純粋で切実で、どこまでも真っ直ぐな思いでいた。
いつか、目指す者へとなれるようにと並大抵どころか努力の人と呼ばれるような努力家をも凌駕する程の努力を重ねていた。
少年が夢を持ったのは幼き、小学生の頃であった。きっかけは語らないが。
しかし、夢を叶えることが出来ずに月日は経ち、いつしか少年は高校生へとなっていた。
今でも夢を叶えるために弛まぬ努力を重ねながら。
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