No-body's escape

恢影 空論

#1 バッドランド


 ここら一帯での贅沢といえばせいぜいが気の抜けた発泡酒スパークリング、欠損して横領もできない『鉢植えプランタ』くらいなもので、ふらりと入った街のパブの傷んだカウンターで散乱した色付きアンバーガラスの山を見つけたときは飛び上がるほど喜んだ。


 まぁ、無理な話だったけど。


「ねえ、乗ってみたくない、飛行機って……」


 《司書》がそんな誘いをふっかけて来たのは、三日前のこと。日焼けし損ねたように病的に漂白された童顔をアルコールが足りないと言わんばかりの仏頂面で上塗りしながら、ピックアップトラックの荷台の端でブーツをぶらぶら。酸味マシマシのひどい臭いをまき散らす色付きアンバーガラス瓶の口にボロ布をねじ込むかたわら、へたくそな口笛なんて吹いている。本来なら雄大に響いたはずのメロディを間抜けな感じにズタズタにされているそれは、たぶん映画音楽の類だろう。


「あんたのことだから、どうせロクなもんじゃあないんでしょう」


 一日一缶ルールの医療用栄養液エンシュアリキッドのずんぐりした輪郭にこびりついた砂泥に、息を吹きかける。こびりついた砂は手強い。ましてやテキサスの荒れ地バッドランドから吹き付けられたそれは、手でこすっても落ちるかどうか、というところだろう。


 早々に諦めたわたしはコテン、と横に倒れた。視界が九十度の回転。憎たらしい青い空は左へ、砂塵だらけのトラックの荷台の表面は右の視界を埋め尽くす。


「ヒコウキって、あれでしょ。空、飛ぶんでしょ……」


 《司書》は首を傾げて、


「そうだよ、開発者マスター。プロペラだったり、ジェットエンジンだったり。ブォォォンって飛ぶの。きっとロズウェルあたりまで足を伸ばせば、飛行場だって見つかるだろうし。わたし、セスナっていうのに乗りたいの」


「そういうことを聞いてるんじゃなくて……ほら、あれでしょう。再誕日リミックス・デイからもうすぐ三年になるんだから、間違いなく安全基準が意味を為さないほどガタついてる。誰もいるわけないんだから整備なんてこれっぽっちもされてやしない。もし奇跡的に飛べたとしても、墜落待ったなしってわけで」


 うへぇ、と鼻にシワを寄せてみせる《司書》。どこまでも人工的アーティフィシャル模倣皮膚トレーススキン振る舞いビヘイヴィアに、よく造り込まれているなぁと感心する。荒れ地バッドランドから那由他の針のように叩きつけられる砂嵐ハブーブのまっただなかでも平然と運転していられるのは、その頑丈な皮膚スキンと、手の施しようがない能天気さによるものだ。


 急激な視界の振動。空は再び頭上へ。《司書》が荷台に転がったわたしを縦に戻したのだ。ボールでも拾い上げるような無造作さで、髪の毛を引っ掴んで。ヒリヒリと痛む毛根たちをさすることもできず、ギロリと睨んでもどこ吹く風で、変わらず口笛を吹いている。


「……さっきから吹いてるそれ、なに」


「あっ、うーんとねぇ……二つ前の町のレンタルビデオ店で観た、おっきなトカゲが出てきて人間を食べる映画、だったよね」


 それじゃあ蜥蜴リザードじゃなくて恐竜ダイナソー、それも獣脚類テロポーダだ。こいつ、当時最先端の系統発生知能Phyrogenesis Nousエンジンを積んでるわりには、ポンコツが目立つような。


「……ジョン・ウィリアムズのつもりなら、せめてもう少し唇をすぼめて、指でも鳴らせるようになってからにしてよ」


 昼下がりの照りつける陽光は、わたしの顔面をチリチリと焼いていく。これじゃあ黒化粧ブラック・フェイスだ。あまり気の利いた冗談ではない。せめて定位置である助手席へ戻りたい。けれど《司書》の演奏にケチを付けた後で彼女が素直に従ってくれるかというと……《司書》にはなんらかの至上命令でもあるのか、あまりわたしから離れようとしない。おかげでなにかと助かってはいるけれど。


「ねえ、せめて助手席に……」


「ダメ。せっかく口笛練習しているんだから。付き合ってくれてもいいでしょ」


 あきらかにふくれっ面。黙ってれば儚げな美人で通るのに。《司書》はわたしを「開発者マスター」と呼ぶが、もしそれが事実なら、この顔を作り上げたのも自分ということになり、つまりちょっと気恥ずかしい。身体ボディのあった頃の自分が面食いだと認めるのには心の準備が欲しいところ。


 視界が揺れる。唇を尖らせながら《司書》はわたしを抱き寄せる。デキの悪いマネキンみたいに、わたしはすっぽりと彼女の膝の上へ。後頭部になんか柔らかいのを押し付けてくるのはイヤミかこいつ。殴りたいところだが腕もないので我慢だ、我慢。


 《司書》が再び歌い出す。干からびることもできないプラスチックとゴムの唇が震えて、熱砂を巻き上げる乾いた風と混じり合う。


 “それは美しき嘘It’s a beautiful lie……それは完全なる否認It's the perfect denial……信じるに足る美しき偽りSuch a beautiful lie to believe in……”


「……聴くに耐えない」


「せめて、もう少しアドバイスをちょうだい」


 実際、こいつの歌唱力ときたらひどいもので、わたしに脚が残っていればそそくさと逃げていたに違いない。それも叶わないというのであれば、このリサイタルを隔絶させる。手も足も文字通り出ないのだから、せめて鼓膜くらいは大事にさせてほしい。


なんて美しい、その美しさこそがわたしをSo beautiful, beautiful it makes me……"


 《司書》に目配せして、独唱会は一旦中断。両手でわたしを掲げた彼女と無理やり目を合わせられながら、丁重に懇願する。


「イヤホン、付けてくれない……」




——————




 ——現人類ホモ・サピエンス最後ぜつめつの日。それは案の定あっさりと訪れた、らしい。


 らしい、というのはつまり、わたしにはその日の記憶がない。というかおそらく、


 七十億のニンゲンが喪われた日。それはきっと、人間という生物の輪郭だけを的確に憎悪した犯罪、与太話トールテイルのような規模スケールの殺人事件。首だけになったわたしは、そんな感想を抱いている。身体ボディをまだ持っていたころの「わたし」がどんな気持ちでその日その時を迎えたのか。恐怖はあったのか、反抗的だったのか。朝食には何を食べ、誰に会いに行こうとしたのか。あるいは誰とも会おうとせず閉じ籠ったのか。いまわの際に、なにを知覚したのか。それらを知るすべは、永遠に失われたままだ。


 結論から言うことは簡単だ。人間は人間としての輪郭を保てなくなった。


 みんな一斉にホモサピエンスであることを止め、社会性生物であることを止め、ひとであることを止めた。


 「再誕日リミックス・デイ」の詳細は依然として不明。だが、再適応Re/for:meを経たヒト、というかヒトだったものの生態自体はいくつかのタイプに分別できる、とわたしたちは考えている。


 TYPE-Ⅰ、無機固形適応型。通称「肉家具フィクスチュア」。


 TYPE-Ⅱ、有機植物適応型。通称「眠り草ナルコレプシー」。


 TYPE-Ⅲ、有機動物適応型。通称「乱喰い牙インファンティサイド」。


 TYPE-Ⅳ、上記に当てはまらない型。たとえば、首=わたし。


 揃えて並べるとしたらまぁだいたいこんなもので、系統を重視しているわけでもないし、そもそも系統的な再適応Re/for:meなんてあるわけもない。推論をするにも不便な世の中になってしまったが、いくらか生息地の傾向くらいはつかめはする。それも「森には樹木っぽい眠り草ナルコレプシーがたくさんいる」だとか「ゴミ箱のそばにゴミ箱型の肉家具フィクスチュアがある」だとかで、ひどいものだとプレハブ建築まるまるひとつがそういう姿かたちの肉家具フィクスチュアだった、なんてこともある。カートゥーンネットワークのアニメみたいだな、と愚痴ると《司書》は搭載されている持ち前の好奇心を発揮して無人と化したレンタルビデオショップに強制連行してくれた。以来、彼女の前で不用意な発言は控えようと決心することになったわけで。


 だからわたしは、本当はロズウェルなんて行きたくなかった。


 ましてや、ある意味世界でもっとも有名な飛行場があるだなんて、知られたくなかった。




——————




 心地よい圧迫から、粗雑な音の棄却。


 体温と同じシリコンの離れていく空洞に、乾いた風の声。


「ちょっと、いきなりなんなの……」


 抗議の声をあげるわたしに、引っこ抜いたばかりのイヤホンをぶら下げた《司書》は声をひそめて、


「吠え声が聞こえた。食肉目に近いけど、ちょっと違った」


「違ったって、なにが……」


。たぶん『ぴゅーまさん』、しかも群れてるみたい。ここを出よう、今シートベルトするからね……」


 “それは美しき嘘It’s a beautiful lie……それは完全なる否認It's the perfect denial……信じるに足る美しき偽りSuch a beautiful lie to believe in……”


 さっきまで《司書》のへたくそな唇が乗せていたメロディの断片フラグメントが、獣の響きとともに荒れ地バッドランドを震わせる。サーティーセカンズトゥマーズの「A Beautiful Lie」。その歌声はまるで、遠吠えのように。内心で舌打ちしつつ、顎の下へシートベルトが通されるのを絞首刑を受ける罪人のように受け入れる。フロントガラスから見える陽は傾きつつあった。

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