若者よ、愛を抱け

 シルヴィアは数時間もしない内に、牢の中へと連れ戻されていた。

 逃げ出した方の牢は格子が折れ曲がり既に使い物にならないので、未だに機能するみすぼらしい方の牢へと連れ込まれる。

 脱走を試みた代償として、足枷を填められ、両手を壁にぶら下げられた手錠によって拘束される。

 身動きがとれず些細な抵抗すらも奪われた状況になってもなお、シルヴィアの紅い瞳からは活力が失われていなかった。


 ユンナが医療魔術を扱う者達に手当てを受けながら、ほくそ笑む。


「貴女はやはり高潔な方だ、自分の身を犠牲にしてまでも彼を助けるとは」


 言葉とは裏腹にユンナは、ブレウスの危機となればシルヴィアが身を呈してでも庇おうとする事は既に把握していた。

 最初からこうなる事を狙ってやったのだ。


「もっとも、あばら骨を砕かれるのは予定外の出費でしたね、多少は呪装で強化された肉体でも、竜の一撃は堪えました、次の教訓と言う事にしておきますよ」

「何故、貴方は……何時も喜んでいないのに笑うのですか?」

「……喜んでいますよ、私は」


 愉快そうに微笑むユンナの心の通わない目を、シルヴィアは疑問と怒りをぶつけずにはいられなかった。

 ユンナはシルヴィアの疑念に固まった顔を見て無味乾燥とした何時も通りの顔つきに戻るが、シルヴィアには別の顔に見えた。

 ――丸で、咎められるのを恐れて部屋の隅でうずくまる子供のよう。


 100年近い歳月を経て人々を見守って来たシルヴィアから見たユンナは、取り返しのつかない事に怯え続け、疲れ果てた罪人の姿と良く似ていた。


 自然とシルヴィアの中で息巻いていた怒りは鳴りを潜め、憐憫の色が滲む。

 ユンナが悲痛に顔を歪めた。


「――そんな瞳で私を見るな!!」


 突如として地下牢に響き渡った、狼狽えるユンナの叫び声、周囲に居た取り巻きの部下達が恐怖で萎縮し、固まった。


「……私をシルヴィアと二人きりにして下さい……」

「りょ、了解であります! では、私達は侵入者達の追走に――」

「追走は最低限で構いません、シルヴィア処刑の繰上げは既にイーサン殿に伝えてあります。当日になったら札の音に気をつけておけば良いでしょう」


 部下が疑問一つ持たない様子で納得し、与えられた指示通りに足早に立ち去っていく。

 一刻も早くその場から離れようと走り去る大量の靴音が過ぎて行くと、ユンナと拘束され抵抗もままならないシルヴィアの二人だけになる。


 動揺するユンナの目が、細波となって震えながらシルヴィアを見詰める。


「――先程言った様に、貴女の処刑の日を急遽、繰り上げました。シルヴィア、貴女は明日の陽が一番高く昇る時と同時に、首を吊られます」

「……そうですか」


 シルヴィアは自分の命が既に一日分の猶予が無い事を明確に突きつけられる。

 しかし、既に覚悟を決めていたのか、ユンナが見詰めるシルヴィアの瞳には些かの感情の揺れも見えない。

 ただ、そこには、自分の信を決めた一人の女性の姿しかない。


「本当に最期まで待つのですね、あの男を……――愛しているのですか?」

「ええ、勿論です」


 死を告げる者と告げられる者、ユンナが暗闇に酔いながらもシルヴィアは暗闇の中で星を見る。


「……なら、冥土の土産です。私の話しに付き合って下さい、女王陛下」


 ユンナが拘束されたシルヴィアの前で頭を垂れて起すと、視線を何も無い壁の空間へと彷徨わせる。


「この国の闇に葬られてしまった歴史の事実を一つ教えてあげましょう。邪竜は、元々この国を最初に治めていた存在です」


 ユンナは軽い口ぶりで秘密を打ち明け始めた。

 シルヴィアの脳裏には、ヴェロキラに伝わる古い御伽噺が過ぎる。邪竜と血を交わし、呪われた力を振るった王族達が誇り高い騎士と智謀に長けた貴族によって打ち倒される物語だ。


「……あの邪竜と血を交わした王族の御伽噺は、真実だったと?」

「いいえ、違います。私達の祖先が都合の善い様に歪曲させて貰いました。子供に国の基礎を教える大切な教材としてね」


 してやったりと、自分が直接関わらなかった事柄をユンナは愉快気に語り続ける。


「遠い昔の話です。世界の支配者が精霊であった時代、勢力を増した人間達が精霊の支配から脱し、新たに覇を唱えようと精霊達と戦争になりました。当初、魔法を扱う術に長けていた精霊達の方が優勢でしたが、人間達に予想外の味方が現われたのですよ」

「……その味方が、竜なのですね?」

「ええ、そうですとも。今となっては本人に聴かなければ真相が解りませんが、竜はどう言う訳か静観を決め込んでいた精霊と人との戦争に、人間の側として立ったのです。当時の精霊達もさぞ驚いたでしょうねえ、まさか自分達の中で一番創造主に近いとされている竜が裏切ったのですから。それからはあっと言う間だったそうです――人が勝利を収め、精霊達が歴史の表から姿を減らして行き、人々は竜を崇拝し、幾つかの国を興したそうです」

「……その内の一つが、ヴェロキラの始まり……」

「何せ歴史だけは古い国ですからね。今となっては、その長い歩みの跡もまた、埋もれて消えてしまいますが……本当に、漸く終りますよ」


 ユンナは自分の心に何かが横切ったのを確かに感じたが、それを黙殺し明かりが届かぬ地下牢の闇へと押し遣る。


「竜の庇護の元、人々は栄えました。竜によって見初められ、血を授けられた人間の代表を王として指導者に置いてね……しかし、竜も結局は人間から見れば精霊で、王族も竜の血を取り込んだ事で、人間からは半ば外れた存在になってしまいました。それを快く思わない者が出るのは仕方ないでしょう、解放される為に戦った存在に、結局は従っていたのですから」

「……ユンナ、貴方のご先祖様はそれを受け入れられなかったのですね?」


 悲しみを湛えたシルヴィアの瞳にユンナはうやうやしく頷く。


「そのようです。当時の文献を読み返せば、嫉妬も多分に含まれていた様ですね。王族の暗殺と黒竜の騙まし討ちは思いのほか簡単に成功したようですが、いやはや何とも、人間の勝ち取り続けようとする野心の果てしない事か! 自分達を救った竜へ仇なすだけでなく、王の座を奪おうとするとは!? きっとその内に、人間の欲望は自分自身も食べ尽してしまうに違いない!!」


 舞台役者を更に気取らせたユンナの口が饒舌に語り、生気の薄い色の唇が忙しなく動かしていくと、今度は糸の切れた人形の様に落ち着きを取り戻す。

 シルヴィアは自分の目の前に居る男が、限界までに擦り切れている事を理解した。


 ただ単にどうしようもない程、見ていられなかった。


「ユンナ、今の貴方はとても辛そうに見えます。私には詳しい事は解りませんが、貴方が使っていた剣からは悲鳴が聴こえました。 呪いの怨嗟そのものです、人間個人が背負えるものでは在りません」

「呪い……そう、呪いですよ。私達の一族もまた、呪いを既に背負っているのです。黒竜を討ち取り、貴方達王族の血を流してしまった時からね」

「一体何を言って……?」

「当時、竜と王に与していた為に追放された魔女が言っていたそうです、竜は何時か必ず蘇ると。先祖は気にかけなかったそうですが、気付けば私の家系に代々残り続ける言霊になりました。偉大な竜を殺した恐ろしい所業として、仕えていた王を殺め、一族を飼い殺した罪悪の証明として……」


 ユンナの肩が戦慄くのをシルヴィアは見逃さなかった。


「貴方は虚勢の仮面を顔に張った裏で、黒竜に怯え続けていたのですね、ユンナ。夜の闇に恐怖する少年のように」

「そう、恐怖ですよ! 何時か、あの竜が復活し、自分達を殺すだろう、あの恐ろしい爪が身を引き裂き、牙で腸を抜かれ! 業火の息吹によってその身を永遠の責め苦に連れて行くのだろうと!!」


 ユンナが自身の両肩を掻き毟る勢いで抱く。

 哀れなほどに影が震えていた。

 シルヴィアはここに来て、目の前で震える男の事を一つ理解する。


「だから貴方達の家系は、剣を作る術を手放せなかったのですね? 忌まわしい力と知りながらも、それが蘇った邪竜に唯一対抗する為の術として、残し研究を続けていた……ブレウスが言った様に、大勢の命を巻き込んで…………そんなの、そんな馬鹿げた事は! 手放して終らせてしまえば良かったではないですか! 人は、歩み方を変えられます!!」


 シルヴィアは哀れみと非難が混じった感情で吼え、ユンナが慟哭を返す。


「私にそんな自由があったとでも!? 自分で好きで背負った因果ではないのですよ!! 解りますか!? 怯えながらも、自分は安らかに逝けると実感した祖父と父の顔を見送った私の気持を!!」

「……それなら何故、自分から罪を重ねる様な事を……貴方が家督を継いだ時に、やり様は在ったのではないですか?」

「そんなの決まっているでしょう? 自分の身を護るためですよ。あの邪竜が泣いて許しを請えば助けてくれるとでも?」

「私にはあの黒竜が、恐ろしいものには思えませんでした。少なくとも、徒(いたずら)に人を殺める存在では無い筈です」

「だから言ったでしょう、無かったのですよ、私の立場と環境では……歩み方を変える機会も出会いも……」

「ユンナ……」

「――人は自分の生まれから逃げる事は出来ないんですよ。どう足掻いてもね、貴女もそうでしょう、シルヴィア?」


 ユンナがシルヴィアから顔を逸らし、避ける為に呟いた


「私なりに貴女の事を気に入っていました……出来る事なら、貴女が100歳になった時に用を済ませ、私の剣になって貰う積りでしたが……これでお別れです、シルヴィア。貴方と邪竜、ブレウスを殺して、私はこの忌まわしい国にけりをつけます」


 その言葉に、シルヴィアはブレウスと協力してくれた小さな竜を想う。

 あの竜がシルヴィアへと向けた、懐かしくも親しみを込めた態度。

 もし、あの小さな竜が城を襲撃した際に自分を見て顔色を変えた黒竜であるならならば――シルヴィアの胸には一つの疑問が確信へと移っていく。


「そうですよ、シルヴィア。ご明察の通り、黒竜は貴女に残された唯一の血を分けた肉親です」


 ユンナが歪に嗤う目のまま、暗黒を讃えながら口端を吊り上げた。




 気がつけば、ブレウスは脇目も降らずに中庭を目指して走り続けていた。

 視界の端に映る石畳を抉った巨大な爪痕に焼け焦げた後、大砲を同時に何発も喰らった様に崩れた城の壁からは夜風が強く吹き荒ぶ。


 廊下に蹲る怪我人が赤く腫れた足を押さえたまま苦悶の声を上げ、自慢のカツラが丸焦げになって呆然とする放蕩貴族達を無視し、ブレウスは目的の人物を捜し求める。

 焦燥の色を濃く浮かべた顔は周りの惨事に耳を傾ける余裕は無い。


 ――まさか、あんな生き物が本当に存在していたとは。


 シルヴィアの身を案じる原因の姿が脳裏に再現される。

 向こうには歯牙にもかけられなかったが、自分を含む騎士団全員が、あの生き物と対峙し思い知らされた。


 ――あいつは人間なんかよりも、よっぽど上位の生物だった。


 人は路端に存在する蟻の行進を見ても脅威とは感じない。

 しかし、蟻達はどうだろうか。何時か訳も無く人間に踏み潰されてしまうと、理由も無く殺されてしまうと自覚しているのではないだろうか。

 圧倒的な存在に触れた事で、ブレウスは奇妙な想像を働かせる。


 何の前触れも無く現れた伝説上の存在。

 並みの刃物では通す事の出来ない鱗と、その圧倒的な巨体から放たれる膂力。

 駄目押しと言わんばかりに灼熱の炎を撒き散らす息吹。

 また、意図は不明だが有らん限りの人の言葉を、罵詈雑言として叫んでいた。

 理由は解らないがこちらへの敵意は明確。

 今回は急に引いてくれたが、次に来た時はこちらの壊滅は免れない。

 ――いや、壊滅なんて生温いか。アーケオが本格的に攻め込む前に、国の全てが灰塵に還るかもしれない。


 自国が今際の際に在る事実にブレウスは背中の筋肉を堅くさせる。

 人的な被害は壊された城ほど酷くは無いが、アレだけ人知の外れた存在を前にして、戦意を維持できる兵隊はこの国にどれ位いるだろうか。

 そもそも、竜は人が殺せる相手なのだろうか。


 気がつけば何時もの中庭に辿り着く。

 咲き誇っていた庭園の花は大半が土ごと抉られ、見事に荒れ果てている。

 自分しか居ない中庭で美しいのは夜空だけだ。


 ――信用は出来ないが、ここはやはりユンナ議長の言う秘策に応じるべきか。それに……ああ、くそ! 全部あの怪しい飲食店の女主人の意味深な予言通りじゃないか。彼女は一体何者だ!?

 絶え間無く降りかかる疑念と災厄の渦にブレウスの思考は出口の見えない袋小路を彷徨う。


 目指すべき出口の光は何処だ――。


 夜空を大海として照らす星々を仰いでも疑念の答えは浮かばない。ブレウスの光明は、もっと身近な所から来た。


「ブレウス! ご無事ですか!?」

「あ、――シルヴィア」


 何時の間にか、思考の袋小路から見失っていた捜し求めていた女性の姿が、向こうから現れた。

 何時もの控えめな服装に土埃や血の痕らしきものがついているが、見た限りにシルヴィア自身の外傷は無いようだ。

 ブレウスは、シルヴィアが負傷者の手当てに奔走していたのだと気付いた。


 ブレウスがまともに反応を返すより早く、シルヴィアが鎧越しなのを構わずにブレウスへと抱きついた。


 鎧が浅く軋む。

 震える細い肩に、ブレウスは罪悪感と共に感謝を覚える。


「よかった……無事だったのですね……」

「はい、ご覧の通りに五体満足でどこにも酷い怪我はありません」

「お願い、顔をこっちへ」


 涙を含んで輝くルビーを思わせる瞳がブレウスの顔を確認する様に見上げ、生気に富んだ美しい手肌がブレウスの頬を愛しみを持って撫でて行く。

 ブレウスは自然とシルヴィアに合わせる為に身を屈め、二人で額を重ね合わせてお互いが確かにそこ居る事を喜んだ。


 安堵の溜め息を泣きくぐもった声で吐くシルヴィアに、ブレウスは迷いの霧を晴らし自分の芯に力をくれる輝きを確かに見た。


 ――なんだ、とても簡単な事じゃないか。


 あの日の月下の誓いは未だに色褪せずこの胸にある。

 ならば――。


 ブレウスは鎧に包まれた体越しで、シルヴィアを抱き寄せた。

 ――そうだ、鎧越しで構わない。


「ブレウス……?」

「……とんでもない事態になってしまいましたが、どうやらユンナ議長に秘策があるようです。何でも、僕が一番の適任だとか」

「え……何の事ですか?」


 ブレウスは少しだけ二の句を次ぐのに迷い、それを口にする。


「僕が、あの竜を討ちます。貴女がいるこの国を、滅ぼさせる訳には行きませんから。独りで行くのは少し心細いですが……なに、あの計算高いユンナ議長の秘策です。本当に勝算があるのでしょう……ちょっと怪しいですが、僕にも当てが無い訳でもない無いですし」


 軽い用事で暫く留守にする口振りとしては、ブレウスの目は決意に満ちている。


「……そんな、そんな駄目です! ブレウス! 無茶ですよ、死ぬ積りですか!? お願いします……私を、置いて行かないで……」


 向日葵の様なブレウスの微笑みに、シルヴィアは顔から血の気を引き、夜に輝く銀の長髪をめいいっぱい振り乱した。

 何処にも行かせまいと、体格差を気にせずシルヴィアはブレウスの体を更に強く抱き締める。


 ブレウスからはシルヴィアの体温は伝わらないが、その心が、温かい涙が、泣きたくなる程に嬉しかった。

 シルヴィアの気持を裏切らなければ行けない悲しさを忘れない様に、自分の決意が何であるかを刻み込むために。

 ブレウスもより深くシルヴィアを抱き寄せた。

 銀の髪から香る匂いに落ち着きを得る。


「あの日の夜、独り泣き腫らしていた僕を君が勇気づけてくれた時、君は僕にとって掛け替えの無い人になったんだ。――貴女の事が好きだ、シルヴィア。君を守る為に、僕はこの国を護る、護る為に邪竜と戦う。――だからこれは、僕の一方的な我が侭だ」


 ブレウスは少しだけシルヴィアから身を離すと、そっと、浅く触れ合うようにシルヴィアと唇を重ね、直ぐに離そうとする。

 すると、今度はシルヴィアが形振り構わずに強く唇を押し付け、惜しむ様にゆっくりと離していく。


「こんな時に言うなんてずるいです、ブレウス……私にとっても貴方は初めて出来た大切な友人で、私が知らなかった人と触れ合う温かさをくれた子で……気付けば、掛け替えの無い、愛する人になっていたんですよ……」


 シルヴィアとブレウスはゆっくりと身を離して、最後まで惜しんでいた重ねた手をも振り解く。


 祈る様に、シルヴィアがブレウスへ向き合う。


「お願い、必ず帰って来て。例えその身が滅んでも、どんなに変り果てても、私は貴方を待ち続けます。私自身の、魂の一片が朽ち果てるまで」

「なら僕は、この国が戦火に飲まれる前に竜になって君を攫いに行くよ。悪い竜はお姫様を遠い遠い場所へ、連れて行くものだから」

「……その時は必ず、攫いに来て下さいね……」


 強がりにも似た笑みをブレウスは崩さずにシルヴィアに向き続け、シルヴィアが寂しさを隠しきれない笑みで応える。ブレウスは背を向き、迷わない為に前を向いて歩き続ける。


 中庭から城の廊下へ戻ると、視界の全てが色褪せたセピア調に枯れて消えて行く。

 全てが自分を置いて虚無の白へと消えて行くが、それでもブレウスは歩みを止めずに進み続ける。


 時間も空間も解らぬ白亜と静寂が支配する世界。

 一匹の巨大な黒竜が、打ちひしがれる様に、翼と尾を畳み込みながら丸くなっていた。


 相方を見つけたブレウスが表情を柔らかく崩す。

 気付けば髪と目は黒に戻っていた。

 ブレウスはもう、夢から覚めていた。


「どうしたんだい黒竜、そんなにしょぼくれて。君らしくないよ?」


 黒竜が閉じていた大きな眼を開き、ブレウスへと向ける。

 詫びる様に視線を逸らした。


『すまない……今の記憶を覗き見して気付いた……みんな……ワシのせいだ……ワシを友と呼び、血を交えた王族達が殺されたのも、ワシを祖父として慕ってくれたリドリーが、ユンナの扱っていた呪装の贄にされたのも……お前が、玄孫のシルヴィアと仲を引き裂かれ、今まさに死に掛けて――った!?』


 ブレウスが篭手で浅く握った拳の甲を振り下ろし、黒竜の鼻先を軽く小突いた。


「僕はまだ、ここにいるぞ、黒竜。寝惚けた事を言ってないで、手を貸してくれ」


 力強く笑窪を作るブレウスに、黒竜は珍妙な生き物を眼にしたかの様に丸くする。


「まだ、何も終っちゃいないんだよ、黒竜。僕と君はまだ何も諦めちゃいなくて、シルヴィアは未だに囚われているなら、やる事は何も変らない。シルヴィアを攫いに行く! そう、約束したんだ」

『……お前、案外に前向きな馬鹿だな』

「自分の信じたものを、胸を張って堂々と護る事。それが僕の騎士としての誓いだ」


 ブレウスは躊躇う事無く、ユンナによって切り落とされた筈の右手を黒竜へ差し出す。


「まだ、何か手はある筈だろ? 何て言ったって君は伝説の体現である竜だ。こんな所で燻っているのは性に合わない筈だ」

『……無い事も無い。ブレウス、完全に人間を止める覚悟はあるか?』

「愚問だよ、黒竜。君とシルヴィアと同じになる事に、僕が躊躇うとでも?」


 ブレウスがもう一度力強く、真っ直ぐに黒竜へと右手を差し出す。


「黒竜、決着をつけよう。僕達でこの国の悲しい事を全部、終らせてやろう。シルヴィアがこれから、笑って新しい一歩を踏めるように」


 黒竜が牙を僅かに剥き出して笑う。


『お前の熱意には負けたよ、ブレウス。流石は、ワシの玄孫が惚れただけはある』


 黒竜は顎を広げると、ブレウスが差し出した右手から腕の根元まで喰らいついた。

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