暗転に墜ちる流星 ④

 周囲の悪臭に耐え切れず、鼻に布を当ててて何とかやり過ごすオルガを、ガーボンが手にした松明の灯りと共に先導していた。


 縛り上げたならず者達から情報を吐くだけ吐かせたオルガとガーボンは、問い質した通りの順序で曲りくねった水路の通路を分かれ道を進んでいく。


「どうやら嘘は吐いていなかったらしい」


 ガーボンが水路の壁の途中で立ち止まり、松明を掲げる。

 掲げられた壁の先には、人間一人がやっと通れる程の錆びれながらも錠前がしっかりと降ろされた格子製の扉があった。


「そりゃあんだけ痛い目に会えばねえ……」


 布で鼻口を覆ったオルガは先程の光景を思い出して気の毒な顔を浮かべる。


 オークの闘いの|雄叫び(ウォークライ)をまともに浴びた直後に襲われたのは、ならず者達にとっては悪夢以外の何ものでもなかっただろう。

 自業自得とは言えその後でもっと酷い目に会ったのは言うまでもない。


「ああ言う輩は、一度心底追い込まれなければ言う事を効かないからな」


 先程までの悪鬼の形相が嘘に思える落ち着き振りでガーボンが三人組から取り上げた鍵を格子にの錠に嵌め込む。


 錆が引きずると音を立てて奥へと繋がる道が開かれた。

 ガーボンが窮屈そうに入り込みその後をオルガが続くと、オルガは急に動きを止めて探り込む様に鼻を動かしながら周囲を露骨に警戒し始める。


 ガーボンは視線を松明が照らす暗闇の先から逸らさずに、オルガの方へと一歩後退する。


「誰か居るのか?」

「音が聞こえるんだ……それに、この臭いは……っ!?」


 汚水とカビに雑じって急に現われ感じ取った鉄の臭い、そこから更に今朝方別れた友人の匂いも混じっている。


「ブレウス……っ!」

「おい、待て、危険だぞ!!」


 目の色を変えたオルガは友と血の匂いがする方向の暗闇へ躊躇う素振りも見せずに走り出した。

 ガーボンが自体をイマイチ飲み込めていないが、ここで別れてしまう事が如何に不味い事態か、それだけは嫌と言うほどに知っている。


 文句を言う間も無く、追い掛けるしかなかった。




 暗闇の中から僅かに散らばっている光源を拾い上げた視界には、三人の道化師達の動きが良く見え、攻撃の動作も鋭く卓越した技量である事が否が応でも思い知らされる。


 ――三対一は、流石に辛いか!?


 踊り狂う三層の刃がブレウスに急所目掛けて突き穿って来るが、竜の肉体と感覚を擬似的に模倣している今のブレウスには避ける事自体はさして難しい事ではなかった。


 問題は相手の得物と三人がかりで絶え間なく襲い来る手数だ。

 ――軽く振り回せるのに、命中したら必ず相手を殺せるとか狡いな!

 お陰で迂闊にこちらから攻撃を仕掛ける事が出来ない。

 ブレウスは無傷でこの場を切り抜ける必要が在るが、道化師達は一撃を確実に当てるだけ。勝負と言うには相互の条件が違い過ぎた。


 ブレウスは短刀の連撃を落ち着いて一歩、二歩、と下がり回避し、壁に追い詰められれば壁を蹴り上げ跳躍して反対側へ距離を離す。


『逃げてばっかじゃ終らんぞ!』

「なら説得してくれよ。どうやら黒竜が原因らしいけど!?」

『頭に血が上って暴れてる竜に近づいたんだから、向こうも覚悟してただろ! 詰まりワシに非は無い!! 暴れてる馬車に解ってて突っ込む方が馬鹿なんだ!』

「さり気無く自分を馬と同列にしたね!?」

「大人しく討たれろ! 邪竜めえええぇ!!」


 道化師の一人が激昂に身を任せ蒼く美しく光る呪装の短刀を投げ打つ。

 ブレウスは眼前に迫る短刀の光を、身を半右回りで顔から逸らし、左の手で短刀の柄を確かに握ると腰をスイッチに逆回転の勢いで短刀を投げ返す。

 出鱈目なナイフスローイングは難なく避けられ、竜の力で投げられた短刀は先程までブレウスがいた壁に砲丸と同等の破壊を行った。


 破壊され瓦礫となっていく壁が砂塵を舞い上げ、後ろから迫るように三人の道化師を飲み込み、その勢いはブレウスの居る所まで届く。


『坊主、今の内に逃げるぞ! 掠っただけでもワシらには致命傷だ、兎に角距離を取って作戦を練るぞ!』

「賛成だ!」


 黒騎士が道化師達を撒く為に地下牢の奥へ駛走する。

 迷宮の様な牢獄の中、丁字路の奥で動く影をブレウスは視界で存在を捕らえる。

 ――亡者か!


 出会い頭に拳を叩き込もうと、スプリングの姿勢を崩さずに左の腕を脇に構える。

 詰められる距離まで到達すると、ブレウスは拳を構えたまま、身を大きく伏せながら、影の足元の死角へ飛び込み、相手の反応が来る前に拳を下から上へと抜き放つ。


「なっ」

「ひえっ」


 相手の顔を確認して逸る気持で拳の軌道を横にずらした。

 外れた拳圧の余波が目の前の手入れが行き届いた毛並みの顔を風圧となって凪ぐ。幾つかの毛が風圧に巻き込まれ散った。


「あわ、はわわわ……」


 オルガが驚きに身を震わせながら衝撃の余りに立ち尽くしている。張り詰めた立ち耳に対して尻尾は力無く下がり切っていた。


「オルガ!? 何でこんな所に!」

「そ、その声はブレウス!? そりゃあ、こっちの台詞だよ! て言うかなんなのさ、その変な鎧姿は!?」

『おい、オルガの後ろから誰か来るぞ!』


 黒竜が警告を向けた方向から松明を掲げたオークが険しい形相で迫り来る。

 構えようとするブレウスをオルガは慌てて抑えた。


「待った! あの人はガーボンさんって名前で敵じゃないよ! 俺、あの人と一緒に来たんだ」

「それにしたって、何でこんな所に……」

「サスキアさんって言うハーフエルフの女性を探しててさ、匂いを辿ってたらこんな所に」

『本当に便利な鼻をしとるのな、お前』


 何故か嬉しそうに照れているオルガの背後に、ガーボンがブレウスと黒竜へ警戒を保ったまま追い付く。

 ガーボンは奇妙なものを目の当たりにした態度でオルガとブレウスの間に割って入る。


「……何者だ? 人間にしては純粋な魔力が溢れているのに、精霊種にしては人間臭過ぎる……亡霊では無さそうだが」

「人間だよ、一応はね」

『なあ、お前ら取り合えず積もる話は後にしてだな――』

「既に手遅れだ、邪竜よ」


 ブレウスの背後に一人の道化師が両手に短刀を携えて立ち塞がる。

 更に通路の反対側に一人、そしてオルガとガーボンが進んできた道にももう一人と、気付けばブレウス達は道を塞がれ取り囲まれていた。


 呪装の短刀が闇の中から存在を誇示する様に耀き鳴るが、ブレウスにはその光りが呪詛を撒き散らす怨嗟の不協和音にしか聴こえない。


「この場所を熟知している我々から、逃げれる道理があるとでも?」

「ふん、あのゴロツキ共はやはり使えぬか。後で替えを用意せねばな」

「お前らの魂も呪装の核にしてくれるわ!!」


 何の前触れも無く、三人組の道化師が息を合わせ、同じ構えで襲い来る。

 必然的に背を預け合わせたブレウスとガーボンの二人が視線を合わせると、丁字路の直線をお互いに反対方向で走り始めた。


「二人ともおっ!?」

『お前さんは必死で殺されないようにしろ! あと耳は塞いどけ!』

「要求が意外と厳しい!?」


 察した表情でオルガは目先の凶刃へと向き直ると、今まさに自分の喉笛を掻き切ろうとしていた。

 上げられない脳内の悲鳴が情けない犬の叫び声を上げて、彼の獣人としての本能が全身を動かす。


 僅かにでも身を逸らそうと頭から体を反り、下から掬い上げる動作で道化師の右手首を掴み捻り上げた。

 制御できない握力が道化師の手首の骨を外す音を奏でるが、道化師は構わずに左の手にある短刀でオルガの胴を凪ごうとする。


 ――う、あっ!

 混迷を極める思考の中で、昨日の事を思い出したオルガは身を道化師の方へ一気に詰めて道化師の両腕を自分の腕と脇で抱え込んだ。

 経験の無い相手の行動に道化師が意表を突かれ、思わずオルガの顔へ視線を向ける。何故か頭を高く振り上げていた。


 ――南無三!

 オルガのヘッドバットが道化師の仮面ごと頭部へと叩き込まれる。


「――かっはあ」


 割れた仮面の中から出て来た鼻と耳を削ぎ落とした顔が白目を向いて現われた。


 オルガは気を失った道化師を恐慌状態で掴んだまま、丁字路の中心に投げ込み、耳を塞いだ。

 直後に体の芯から縮み込み、全身の毛が逆立つ叫びが塞いだ耳越しに木霊した。




 丁字路の直線、ガーボンはならず者達にした様に盛大に叫び声を上げた。


 |闘いの雄叫び(ウォークライ)、オークの特殊な声帯だけが可能とする高等技術であり、戦における鬨の声。

 自らを奮い立たせ、仲間に戦意を、敵に恐怖を抱かせる高地の森で戦う戦士の咆哮は閉じた地下牢の中でも雄々しく響き渡り、鉄格子が振るえ近くに落ちている石畳の砂利が振るえ浮く。


「うっ! くおおお!!」


 ガーボンに相対した道化師がその声に身を震わせながらも、血走った怒りの目で身を高く跳ばして渾身の力を込めた体でガーボンの頭上へ強襲を行う。


 体に上手く力が入らないからなのか、両手で一本の短刀を強く握り締めていた。


「ふん、根性は褒めてやる」


 ガーボンは跳び込んで来る道化師の動作に合わせて、左足一歩出し、それを軸に体を右回転させると跳び込んで来る道化師の胴へと回り込んだ。

 緑色の豪腕が揺ぎ無い力で道化師の胴に組み付くと、その勢いのままに道化師ごと自分の体を捻り回し、猛獣の雄叫びと共に丁字路の中心に放り投げた。




 ブレウスの背中越しにはガーボンの|闘いの雄叫び(ウォークライ)が響いていた。

 ブレウスの方は黒竜の補助が入っているのか、叫び声は聴こえども身の毛がよだつ感覚には程遠い。


『オークの咆哮いいなあ、ワシのと違って結構器用に色々出来そうだし』


 のんびりとした黒竜の声とは裏腹に目の前の道化師は僅かにだが身をたじろがせ、姿勢を崩した。


 ブレウスが風を切る速さで突きを放つが、道化師は曲芸師を彷彿させる様に頭から身を反り、体を丸めて空中で一回転。

 だいぶ離れた後方へと軽やかに着地して一旦下がり、ブレウスとの距離を空ける。


 道化師の奥で揺らめく、愉しむ様な目の色がブレウスを睨む。

 ――薄気味悪い。

 どうやら撤退する気は毛頭無いらしい。


 道化師が再び身を屈めると、今度は壁と牢の格子棒を足場に交互に跳ね跳びながら急速に距離を詰めてくる。

 道化師のローブが一度大きく開くと、その下からは皮の鞘に収められた大量の呪装が耀きを零れさせ、道化師の左右の腕から三本ずつ引き抜かれ、ブレウス目掛けてほぼ同時に投げ込まれる。


 苦も無く計六本の短刀の投擲をブレウスは避けるが、気付けば投げて来た道化師は更に距離を詰めて投擲する短刀の確度を上げてくる。


「しゃら――くさい!」


 ブレウスが間近な牢の錆び切った格子扉を掴むと、力任せに引き千切る。

 強引に取り外された格子の錆が衝撃で浮き欠片を舞わせる束の間、黒騎士は格子扉を両腕で横回転に力任せに道化師の方へと放り投げる。


「っ!? なんと言う馬鹿力!」


 道化師が黒騎士の膂力に驚くが、飛んでくる格子扉の動きが単調すぎたのか、難なく見図り鉄格子を踏み台にして更に身を加速させ様とした。

 下を見たその僅かな隙が決定打だった。

 撹乱と共に距離を詰めようとした格子棒から壁へと跳び移ろうとした先には、自分同様に黒騎士が壁を足場にこちらへ跳び込んで着ていた。


 感情の見えない筈の黒い無貌には無辜の命を踏み躙った者に対する尊厳な怒りが垣間見えた。


「しまッ――」


 燃える義憤の炎に当てられたのか、道化師の動きが鈍るとブレウスはローブを強引に掴み上げ、道化師ごとローブを丁字路の中心に放り投げる。


 生身の人間には到底適わぬ竜の腕力が出鱈目な速度で道化師の身を乱雑に投げ飛ばしていき、ブレウスに投げ飛ばされた道化師は、何とか反撃しようと右腕を使い懐から短刀を三本抜き出す。


 直後、道化師の背後には同様に投げ込まれた他の二人の道化師達も示した様なタイミングで飛んで来て、ブレウスに投げ飛ばされた道化師と衝突した。


「くァ」


 反撃を試みようとした道化師がぶつかった衝撃で、三本の短刀を自分達の頭上に放り投げてしまう。

 短刀が宙を舞い上がり、一度鳴くと刃先を道化師達の方へ向けて重力任せに落ち、三人の道化師達の眉間、首裏、肩を貫いた。


「ひゅッ――ああアァ」


 刺さった短刀の威力に道化師達が空気が抜ける様な声を上げて体を痙攣させていく。

 呪装の短刀が毒気を吸い上げて行くように、刃先から黒煙を巻き上げ神聖に輝く筈の刀身が徐々にその身から光を喪って行く。


 絶命した道化師達の体が急速に皺枯れて行き、道化師の仮面が外れ、眼球が萎んで落ちて溶け消えてしまう。

 気付けばその場には、干からびたミイラが三つ蹲っているだけだった。


『人を呪わば穴二つってな』

「漸く回収された命の負債だ、せいぜい噛み締めて貰うとしよう」




 道化師達との交戦を終えたブレウス達はオルガを頼りに地下牢の奥へと向っていた。

 先程の戦いで何かを感じ取ったのか、亡者達は遠巻きとなってブレウス達を警戒するだけだった。


 気がつけば種族の違う三人組が形振り構わず、目的地へと急ぐように地下牢を走り回っている。


「俺、まだ生きた心地がしないよおぅ」

『しっかりしろ、犬っころ。お前はやれば出来る子だ』

「頼む、オルガ。早く見つけ出さないと、時間を掛け過ぎた」

「……うん、ここまで来たんだから絶対に助けないとね……匂いはだいぶ近いんだ。他にも人がいるみたい」

「――そうか!」


 ブレウスの声に確かな喜びが滲む。

 三人の足取りが一気に速くなる。


 流れる水路の音を聞き届けると、松明の灯りが辺りを包む開けた場所に出た。

 松明の灯りが牢の中にいる人影を映し出す。


 急な来訪者に牢の中の影達がざわつく。


「サスキアー!! どこだあああァ! 返事をしてくれえええ!!」


 ガーボンの血が滲むような声に人影が怖気づき身を奥へと引く、その中で一つの牢が逆の動きを示した。

 声に反応して飛び出してきた影は、松明の明かりによって本来の姿である人間離れした金の髪に、精霊の血を示す紅い瞳が照らされる。


「その声……ガーボン! ガーボンなの!?」

「おおお、おおおおおお!! サスキアアアァ!!」


 恋焦がれた相手に会えたガーボンが猪となってサスキアの居る牢へと突撃して行き、牢屋を握力任せに折り曲げると中に入り、お互いを優しく受止め熱い抱擁を交わした。


 ガーボンの顔が涙に溢れ、笑みと共にふやけ切って行く。


「よかった、よかったああぁ……怪我は無いか?」

「うん、何度か血を抜かれて体力が落ちちゃってるけど、貴方の顔を見ればそんなのどうでもいいわ」


 オークとハーフエルフが頬を寄せ合いお互いの存在を確かめ合い続けている。


「俺、道化師達が持ってた鍵で他の人達の牢を開場できないかちょっと試してくるね」

『いざとなったらブレウスがぶち破るから程ほどにな、遠くに行くなよ!』


 黒竜とオルガの会話を他所にブレウスは縋る気持で辺りの牢を手当たり次第に一つ、一つ、覗き込んでいく。


「シルヴィア、一体何処に……」

「――そこにいるのは、誰なのですか?」


 牢の最奥から聴こえた高潔で温かみのある女性の声、ブレウスは不意に始めて邂逅した夜を思い出す。

 声の方向へいても立ってもいられない、想いの衝動のままにブレウスは駆けて行く。


「まあ」


 突然自分の目の前に躍り出た黒騎士の姿に、最奥の牢で閉じ込められていた女性が驚く。

 ブレウスが押し止め切れない想望の念で鉄格子へと鋭い手を掛け、中にいる銀の髪を揺らめかせている紅い瞳をした女性を見詰めた。自分が生涯の忠誠を誓った唯一人の女性、王女のシルヴィアだ。


 シルヴィアは数日間の間に薄汚れてしまった格好で不思議そうに、そして懐かしげに歪な黒騎士を見上げている。


「まさか、ブレウス……なのですか?」

「今空けます、牢から離れて下さい」

「は、はい……」


 シルヴィアが素直に言う事を聞いて、ある程度の形式が整った牢の壁へと向う。

 ブレウスが牢の格子を粘土の様に折り曲げると、シルヴィアに威圧感を与えないよう気をつけて中に入っていく。


 長躯の黒騎士が静にシルヴィアを見下ろし、シルヴィアは現実感の伴わない瞳で見詰め返していた。


「……ブレウスなんですね?」

「遅くなった事、誠にお詫びします。――シルヴィア、お迎えに参りました」


 黒騎士が仕える者としてシルヴィアの目の前で跪いた。

 その仕草に自分の騎士を見たシルヴィアが、押し止め続けていた感情を湧き出すように顔を歪め、黒騎士に抱きついた。


「――っ待ち侘び、ましたよ……」


 万感の思いで抱擁してくるシルヴィアの熱い涙が黒騎士の無貌を伝い、流れて行く。

 今は泣く事が出来ないブレウスにとって、それがどうしようもなく在り難かった。

 ――ようやく、シルヴィアの元に帰って来れた。


 鎧越しにでも確かに伝わるシルヴィアの柔らかい温もりにブレウスは堪え切れずに抱き返そうとして、自分の姿がそれをするのに適していない事を思い出し、留まる。


「黒竜、この鎧を一回解く事は出来ないかい?」

『今の坊主だと一回解いたら今日はもう戻れなくなる。我慢しろ』

「せめて顔だけでも……」

『出来るが駄目だ』

「何故?」

『兎に角駄目だ!』

「だから何故?」

『やかましい! とっとと目の前にいるやしゃ――じゃなかった、シルヴィアを連れてずらかるぞ! おい、竜の血を引く娘よ、体力は大丈夫か?』


 黒竜がブレウスの鎧の隙間から這い出し、妙に刺々しい言葉をブレウスに浴びせた後、シルヴィアを気遣う様に覗う。


 喋る小さな黒トカゲと言う奇異な存在に声を掛けられたシルヴィアが、涙の跡をそのままに驚きで開けた小さな口を自分の両手で覆った。


「はい、大丈夫ですが貴方様は一体……?」

「ただの通りすがりの精霊もどきだよ、娘さん。うーむ、見れば見るほどリドリーに良く似ているのお……懐かしいわい」

「さあ、黒竜、早くここから脱出しよう! 積もる話しは後だ」


 シルヴィアへ遠慮無しに近づいて来る小さな黒トカゲをブレウスは摘んで自分の鎧の中に放り込む。

 自分から先に一歩、牢へ出て踵を返すと鋭い漆黒の爪をシルヴィアへと差し出す。


「お手をこちらに――」

「――はい」


 シルヴィアのか細い手が、恐れる事無く握り返した。

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