暗転に墜ちる流星 ③

 オルガはガーボンを兵士もどきの二人が消えた地下水路の入り口へと連れて来た。

 先程まで悲しみに打ちひしがれていた筈のガーボンの目つきは沸騰させた血管が走り回っており、今直ぐにでも飛び出してしまいそうだった。


 オルガはそんなガーボンの様子を見て毛並みの良い耳と尾を萎ませる。


「な、なあ、衛兵には言った方がいいんじゃないのかな? ガーボンさん一人で行くのは幾らなんでも無茶だよ、そりゃあ、オークなら人間より多少は頑丈だろうけど……あいつ等どう見ても堅気じゃないよ」


 背を向けたまま表情を見せないガーボンを思いとどまらせようとオルガは説得を試みるが、オークの巨体は地下水路の奥へと身を進めて行く。


「ちょ、ちょっとお」


 食い下がるオルガに向ってガーボンが自分の手ほどの包み袋を投げる。

 すかさずキャッチしたオルガの手には、袋の大きさ通りの重さと硬質な円形の感触が伝わる。慌てて開けると、中には金銀銅に彩られ貨幣がぎっしりと詰まっていた。


「礼金だ貰ってくれ」

「そんな! こんな大金を!?」

「それだけの事を君はしてくれたんだ。君が手伝ってくれなかったらここに辿り着く事も出来なかった」

「でもこれガーボンさんの手持ち全部じゃないか! これじゃ丸で死にに行くみたいだよ!?」

「サスキアと無事に二人で出れたら、また一から稼いで行くさ」

「……そこまでして助けたい人なのかい?」

「言ったろ、俺とサスキアは隣にいるのが自然なんだ――オレが餓鬼だった頃は、オークの中で小さい方でな。それが原因で同い年の同属からはよく虐められていたんだよ。よく独りで、里外れにある森で泣いてたもんだ『どうしてオークなのに自分はこんなにチビなんだ』っとな」


 ガーボンは立ち止まると他愛の無い思い出話を始めた。

 それがガーボンにとっては十分に死地に向う為の理由なのだとオルガは悟る。


「そんなある日、何時も通り泣いていると不可侵条約を結んでいたエルフの村の方面から、同じ様に泣いている少女が来て言ったのさ『私も居場所がないから此処で一緒に泣いてもいい?』かと、どうやらハーフ・エルフだからと、あの釣り目釣り耳の連中から除け者にされていたらしい」

「それが……サスキアさんなんだね?」

「そうだ。気付けば二人で一緒に故郷の森を飛び出していたよ、随分昔の話しだがな……」

「そんな事ないさ、素敵な話しじゃないか……よし、覚悟決めた! 返すよ、これ」

「な、おい!」


 オルガはガーボンに向って貨幣が詰まった袋を投げ返すと、軽快な足でガーボンを追い越して地下水路の先導を始めた。


「俺が先に行くよ、ガーボンさんより夜目は効くし。こう見えても隠れて進むのは得意なんだよね、狩りの成否が生活に直結してたからさ。それによく言うじゃないか、情けは人の為ならずって」

「本気か? 犬死にするかも知れんないんだぞ?」

「別にいいさ、だって俺、犬だしね」

「……ありがとう」


 オルガの態度で落ち着きを取り戻したガーボンが例を言うと即席の亜人コンビが地下水路の奥へ奥へと踏み込んでいく。


「どういたしまして。あ、そうだ一度オークかエルフに訊いて見たい事があったんだ、教えてよ」

「何でも応えよう」

「歴史だと、オークとエルフは何度も協力して自分達の縄張りを人間から護っているのに、普段はお互い不可侵貫いてるのって可笑しくない?」

「互いに趣味が合わないから隣に居たくないんだ。俺らオークから見れば、エルフの長い釣り耳釣り目と痩せっぽちな体つきが不気味だが、エルフからすれば俺達は見ているだけで吐きそうな気分になる筋肉デブらしい」

「それ、サスキアさんは当て嵌まらないんだ……」

「サスキアは半分が人間だ、彼女の魅力を解らないで邪険にしていたエルフと一緒にしたら駄目だ」

「ご、ごめん」


 地下水路と言うだけあって道は複雑に入り組んでいるが、オルガは顔を顰めながらも人間には感じる事の出来ない臭いを、途方もなく敏感な嗅覚で男達の通った跡を追跡していく。


 人間からすれば灯りが必要な暗さも、オルガにとっては出入り口から辛うじて届いてくる光量で事足りる。


 酒と追い掛けた兵士もどきの臭いが近づくと暗がりの中を照らす蝋の灯りが届いて来た。

 オルガは手を後ろにやってガーボンに静止を促す。


 石壁に備え付けられた蝋の灯りに群がる蛾となった先程の兵士もどきが、増設された桟橋の上で宴に興じている。

 上等な食事を野犬じみたマナーで貪っていた。


「こんな所でよく美味しそうに食えるなあ……」


 オルガは小声で呆れると、ガーボンに指示を仰ぐように視線を送る。

 ガーボンはオルガの袖下を軽く引っ張ると石壁の蝋を指差す。


「……狙えるか?」

「もう少し近づければ」

「合わせて俺が打って出よう」

「暗闇の中で動けるのかい?」

「音が解れば十分だ」


 互いに頷き合うとオルガは獲物へ忍び寄る猟犬となって慎重に進み始める。

 ならず者達三人の陽気な声と相反する沈黙で目的の距離まで到達すると、オルガは森閑とした感覚の中で袖下の折り畳みナイフを手に滑り込ませると、展開と同時に振り上る。


 ナイフは螺旋を一つ描き飛ぶと蝋燭の炎を掻き消し、石壁の隙間へ刺さり込んだ。


「な、なんだ!?」

「賊だ、賊が入り込んだんだ!!」

「どこだ、何処から来る!?」


 油断しきったならず者達が慌てふためきながらも、暗闇の中で慣れた手つき懐の短刀や剣を抜く。

 オルガの直ぐ横に突風が吹き荒れると、ガーボンが荒狂う雄叫びを上げ、暗闇の中で正面から堂々と男達へ突っ込んでいく。

 余りにも雄々しい咆哮にオルガは全身の毛が逆立ちながら耳を両手で伏せた。


「化け物だ!? 化け物がああっ!?」


 暗闇に慣れない視界の中で荒れ狂うオークの影に怯えた手近な男が、ガーボンの強靭な腕に薙ぎ払われ鎧ごと吹き飛ばされる。


「ひいいいぃぃ!」


 投げ飛ばされた男が水路に落とされ飛沫を上げる間に、他の二人のならず者が敗走を始めた。


「逃すかあっ!!」


 ガーボンの巨体を活かした突進にもたついた一人が追い付かれ、両手で担ぎ上げられた。


「助け、助けえおわあ!」


 自分の状況さえ把握出来ぬままに命乞いをする男を、ガーボンは両腕で棒の様に三回転させると、仲間を見捨て一目散に逃げ出している者目掛けて放り投げた。


「ぎゃああああ!」

「ぐえ」


 鎧同士が激突した重音が通路に木霊すると、一仕事を終えたガーボンが両手を払う。


「縛り上げるのを手伝ってくれ、こいつらには聴かなければならない事が山程ある」

「う、うん……」


 半ば呆然とした状態で一方的な襲撃を眺めていたオルガは正気を取り戻したように慌ててガーボンの手伝いに入る。

 ――俺の助太刀、要らなかったんじゃあ……。


 胸に湧きかけた疑問は、静まり返った水路の闇に放り投げた。




 永遠に続くのかと思われた石苔の階段に終わりが見え始めた頃、ブレウスと黒竜はそれと遭遇していた。

 明瞭な白黒の世界でそれは、空っぽになった双眸で階段から降りてくるブレウスを睨んでいる。


 服装は旅人や行商人が殆どだったが、国内で有り触れた服装をしている者もいた。


『坊主アレ、見えるな?』

「勿論見えてるよ黒竜。……なあ、まさかアレは……人間か」

『懐かしいね、この腐った肉の臭い。まだワシが現役だった頃、精霊が人より多かった時代の戦争で何度も作った臭いだ。懐かし過ぎて怒り狂っちまいそうだ』


 黒竜が侮蔑の眼を眼前に犇く動く亡骸へと向けて、それを造り出した人間に惜しみない憎悪を手向ける。

 朽ちて廃れきった亡者達は縋りつく糸を見つけたのか、黒騎士となったブレウスに今にも転んでしまいそうな足取りで擦り寄ってくる。


「一体どんな事をしたら、これだけ惨い事になるんだよ……」


 黒騎士は亡者の群れに応じる為に。身を包んでいたマントをはためかせ、黒曜石の様な手の爪を手刀の容で揃えて構えた。


「――あ――ああああぁっ」


 亡者達が行動を急変させて剥き出しになった筋繊維の腕でブレウスに一斉に襲い掛かる。


『頭を潰せ』


 黒竜の言葉と同時に黒騎士の両手が、差し迫っていた二体の亡者の頭部を貫いた。

 ずどっ、と頭骨を打ち砕いたブレウスの手には、冷え切った血液が流れる感覚が伝わりブレウスの騎士としての義憤に火をつけた。

 白黒の世界で白い液体が、頭部にぽっかりと穴が空き崩れ落ちて行く残骸から滴りながら無機質な石畳に吸われて行く。

 塗れた石畳の上を未だに解放されていない亡者達が前のめりに駆け出し、ブレウスへ殺到する。


『全員楽にさせてやりたいが――手の届く範囲にして置けよ?』

「心得てるよ黒竜。でも手が届く限りはやらせてくれ!」

『急げよ、此処の持ち主にはもう気付かれてるかも知れないからな』

「勿論だとも! シルヴィアをこんな所に一秒だって居させられるものか!!」


 黒騎士が応じて、亡者へと突撃を仕掛けた。

 差し迫った手ごろな亡者の頭部を強引に掴むとその怪力に物を言わせて握り潰す。

 ほぼ同時に来た二体を片腕ずつで頭部を掴み上げると、その二体の頭をぶつけさせて纏めて押し潰した。

 脳髄と血液が交じり合ったものが飛沫を上げる。


『右から引っかいてくるぞ』


 亡者が救いに手を伸ばそうと、腐り爛れた手の爪を振り抜いて来る。

 ブレウスが受け流して腕ごと手首を掴むと、身を回すように亡者を背に乗せ地面へと石畳の地面へ叩き付けた。


 受身もろくに取らない亡者の頭部は石畳が容赦無く、乗せられた運動量を無慈悲に受止め粉砕した。


 ブレウスは烏合の衆である亡者の頭部を殴り飛ばしながら地下牢の奥を目指して進撃していく。

 その最中で松明の明かりを見つけると、ブレウスは一目散に灯りの方向目指して駆け込んでいく。

 すると、奇異な中身の牢を見つけた。

 牢の中から覗ける余りの惨事にブレウスが思わず息を飲んだ。


 おぞましさを感じさせ、禍々しくも美しく耀く、牢の中の魔法陣。その上には座らせた相手を拘束させる為の鉄椅子が中心に一つだけ佇み、幾人もの人々が流した血によって錆上げられていた。


 部屋の壁に立て掛けられた数々の工具は、人の為に使用する道具と言うには余りにも凶悪な形をしている。

 部屋の至る所に飛び散った染みの後、松明の火に彩られた牢の空間が一体となって呪詛を吐き出し続けている錯覚をブレウスは感じ取った。


 ブレウスを追い掛けていた筈の亡者の群れは何故か、その牢を目にした途端に怯えながら暗闇の中へと走り去って行く。

 黒竜が一息を吐きながらブレウスの鎧から姿を現すと、目の間に広がる惨劇の爪痕を思慮の入り混じった眼で見据える。


『当たりだな、坊主。もう間違い様が無い、お前が使ってた呪いの武器はここで作られていたのさ』

「じゃあ、さっきの人達はやはり……」

『ああ、きっとそうだろうよ。流れ者の人間を主に材料にしてたんだろうさな』

「黒竜、これは破壊しなくちゃ駄目だと思う。どうやったらこの魔法陣を壊せる?」

『もっと魔法陣に近づいてくれ。仕組みを調べる』


 ブレウスが魔法陣へと近づくと黒竜が跳び下り、注意深く探り始めた。


『……えぐいな、対象に与えた痛みをその魂ごと武器に強引に移してる。しかも、与えた痛みに応じて性能も上がる様だな』

「つまり、僕が使ってた剣はそれだけ……」

『背負うな坊主。気休めにもならんが、誰だって無自覚に自分以外を傷つけているもんだ……人間に限らずな。――お前は自分のやる事をやって、ワシを一度確かに討った。武器に込められていた魂もその時に解放されただろうよ』

「……無かった事には、出来ないよ」

『なら忘れてやるな、終っちまった命に出来る事はそれだけだ』


 黒竜が魔法陣の中で何か気になるものでもあったのか、呪文が画かれている一箇所に立ち止まり、ブレウスを呼ぶ。


『ここだ、この呪文の箇所が一番脆くて大切な所だ』

「どうすればいい?」

『今のお前は半分は精霊の体だ、そこに手を添えろ。ワシが強引に呪文を書き込んで、この忌々しい魔法陣を内側から壊す』


 ブレウスが指示通りにしゃがみ込み、手を添えた。

 黒竜が黒騎士の手に跳び乗ると聴き取る事の出来ない言葉を高速で紡ぎ始める。

 ブレウスの聴覚が離れた場所から風を切る音を聞き取った。


 慌てて手に乗る黒竜を庇いながら、転がる様に回避行動を取ると、先程まで自分のいた場所に美しく耀く短剣がそこに刺さり込んでいた。


 突然の襲撃に慌てながらも自分達を襲った凶刃に黒竜が暗闇に吼えた。


『来たな外道共め!! 呪いの武器を使うとは殺意満々じゃないか! オイ!!』


 黒竜とブレウスが向けた視線の向こうには松明からの灯りが届かない位置から道化師の鉄化面が三つ、音を立てる事も無く浮かび上がっている。


「呪いの武器ではない、呪装と言うのだ、傲慢な邪竜よ」

「その声忘れぬぞ……忘れぬぞ、会えたなああ、邪竜よ」

「ふふふ、遥か昔に国を守護していた竜が今は盗賊紛いの小僧と一緒とはな……哀れだな、邪竜よ」


 三つの笑う道化師の仮面が恨み辛みを吐き棄てながらブレウスと黒竜の居る牢まで音を立てずに宙に浮いたまま迫って来る。

 ブレウスが意識の元に視覚を切り替えると、浮かぶ道化師のお面の下は黒のローブで姿を隠している人間のものだった。


 狭いこの場所では不利だと判断したブレウスが急いで牢から出ると、道化師の三人組がローブの下から一斉に呪装の短剣を両手で構え、跳躍を伴い襲い掛かってくる。


「邪竜よ! 貴様の襲撃の際に死んでいった同胞達の仇、討たせて貰おうか!」


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