暗転に墜ちる流星 ②

 潜り込んだ城の中は静寂に満ちていた。

 無機質な渡り廊下でブレウスは人気が無い事を確認すると、潜んでいた物陰から身を出し、迷いの無い足取りで堂々と回廊の中心を渡る。


『思ったより内部の警備は手薄だな』

「竜に壊された見窄らしいお城より、明るく綺麗な貴族の屋敷で今後の外交を兼ねた社交パーティーを……って所じゃないかな?」

『つまりワシのお陰か』

「そう言う事にしておこうか」

『どんどん奥に進んでいるが、シルヴィアのいる場所に見当は付いているのか?』

「地下牢に閉じ込められている筈だ。処刑する積りの相手を、警備の手薄な城の中で自由にして置くとは思えない」

『確かにな。鍵はどうする』

「ぶち破るさ」

『賛成だ』


 ブレウスが回廊の奥にある、上下に続く道幅二人分がある回り階段へ辿り着く。

 下には突出し燭台に差し込まれた松明の炎が、炭を爆ぜさせて先の見えない暗闇の道中を照らしている。

 回り階段の上から何かを聴き取ったのか、無貌の黒騎士となったブレウスが静に階段の下へと降りて様子を伺うように息を潜めた。


「お、おお落ち着いて下さいジュデッカ殿! どうかご自身の立場を弁えられよ!?」

「そこをどけ、貴様ら! 階段から落とすぞ!」


 言い争いと共に軽い金属がかち合う快音が響いた。


「おわ、わわわわわーー!!」

「既に蹴っていますぞ!?」


 野太い悲鳴と共にヴェロキラ騎士団の鎧を纏った騎士が一人、階段からブレウスの隠れている段まで転げ落ちてくる。

 ブレウスが咄嗟に受止めたが、騎士は気を失ったのかぐったりとしたまま動かない。


 嫌と言うほど知っている身内の声にブレウスは兜になった顔を篭手で覆った。


「何やってるんだよ……姉さん……」


 伸びている騎士を横で寝かせてブレウスは立ち上がり、確認する為に黒竜が囁く。


『いいのか?』

「もう騒ぎになってる。人が集まる前に納めよう、それにジュデッカ姉さんならシルヴィアの味方だから、協力してくれるよ」

『お前の味方では無いんだな』

「まあね」


 短いやり取りを交わすと、ブレウスが屋根の時と同じ要領で回り階段を真上へと大きく跳躍する。

 そのまま上の階と繋がっている出口まで段差を跳び越えると、言い争っていたジュデッカと抑えていた部下の騎士の背後に降り立った。

 ブレウスは着地しの際に屈めた体を跳ねる勢いで起こし、手加減を意識しながら背を向けている騎士へ動作の軽い拳――ジャブを振り抜く。


「なんのお――と」


 物音に気づいた騎士が顔をブレウスの方に振り向け、顎を篭手越しの拳で打ち抜かれる。

 騎士は殴りつけられた顎の衝撃がそのまま脳まで伝わり、足から力が抜ける様に昏倒してしまった。


「姉さん、大丈夫ですか」


 ブレウスが久しぶりに再開した姉へと言葉を投げ掛けた。

 ジュデッカは両手を使った抜刀と共に、全体重を乗せてブレウスを頭部から切り伏せようとする。


 鋭い金属同士が潰し合う音が階段に響き渡る。

 ブレウスはその一閃を片手の篭手で受止めた。


「姉さん!? 僕です! 弟のブレウスです!!」

「遅いぞ愚弟!! シルヴィア様は地下牢へ連れて行かれてしまったぞ!」

『この女、お前だと解ってて抜いたのか。おっかねえなあ』

「なんだ、この黒トカゲは!? その変装といい、それが貴様の切り札なのか、ブレウス!」

『お前ら姉弟には目上に対す敬意ってもんは無いのか!?』

「シルヴィア様が処刑される切っ掛けを作った化け物に、話す舌など持たぬ!」

『清々しいな! そして少し痛い所を突かれた!?』


 弟を両断しようとする姿勢を解かないままのジュデッカへ、ブレウスが対処を迷っているとジュデッカは剣に体重をかけていた片手を離し、懐へと滑り込ませた。


 ブレウスは姉の意図を察して、懐へと戻った手が飛び出す前に空いていた方の手を使い、上から押さえ込む。

 飛び出そうとしていたジュデッカの手には短刀が握られており、もし抑えていなければブレウスは鎧の隙間に刃を差し込まれていただろう。


「姉さん、どういう積もりですか!?」

「シルヴィア様を救えるだけの力があるか、私に確かめさせろ!」


 ジュデッカは短刀を握っていた手を一気に引き下げ、手にしていた剣からも手を離すと身を屈めたままの姿勢で、今度は短剣を足具の隙間に狙いを定め差し込もうとする。

 ブレウスもジュデッカが剣から手を離すと同時に先程よりは軽い足取りで、姉を跳び越える。


 先程までブレウスの足があった場所へ、ジュデッカが短剣を空振り捨てると、地面に落ちそうになっていた剣の柄を掴み上げて、体を後ろへと捻りながら再び剣を振り下ろそうとする。


 その剣がブレウスの兜に触れる直前、剣が静止した。

 ジュデッカの喉元にはブレウスの鋭い篭手による手刀が突付けられている。


「僕の勝ちですよ、姉さん。これでいいでしょう?」


 勝った筈のブレウスが草臥れた調子でジュデッカに負けを認める様に促す。


「ふん、これならあの男と戦う事になっても、私よりは勝ち目があるか」


 ジュデッカは剣を鞘に収め、短刀を拾い上げると地下牢の鍵をブレウスに投げ渡す。

 そして用事は済んだ、と言った足取りで伸びている部下をほったらかしにしたまま、元来た道を戻る為にブレウスを横切って行く。


「姉さん何処へ?」

「時間を稼ぐ。何、酒倉をちょっと燃やしてくるだけだ」

『豪胆だのお』


 黒竜の言葉を褒め言葉と受け取ったのか、ジュデッカは不敵な笑みを浮かべる。


「そこで伸びている腑抜けた部下共の監視も無くなった事だしな、やるだけやったらとっとと身を隠すよ」

『なら、アノーラ……じゃなかった、城下町にある「愛の宿屋&オークの肉欲工房」とか言う店をあたれ……本っっっ当に酷い名前だがそこの女主人に訳を話せば匿ってくれるだろうよ、店も怪しさ爆発の外見だから解る筈だ』

「ああ、ブレウスに手を貸した魔女の店か。一応、覚えておこう」


 立ち去っていく姉の背にブレウスが逡巡を浮かべると、背を向けていたジュデッカが立ち止まった。


「別れの言葉は不要だ、姫様はもう十分に、この国に尽くされた――邪竜の騎士よ。姫様はお前を待っている、ならば一刻も速く攫いに行け!」


 言葉を受け取ったブレウスは、静に頷くと地下牢に続く道へと振り向かずに去って行く。

 閉じていた首の傷口が開いたのか、ジュデッカが首に巻いた包帯からは薄っすらと赤が滲み始める。

 ――燃やすなら、一番高いブランデーだな。

 手で傷口を押さえながら、ジュデッカは笑っていた。


 回り階段の最下層へと降り立ったブレウスの目の前には地下牢へと通じる扉が在った。

 掛けられている扉の錠前を無視して、ブレウスが扉を体重と勢いを載せて蹴りつけると、木製の扉が盛大に破壊される。

 大きく穴の開いた扉を、ブレウスは手で強引に剥がし、更に細かく砕いて行く。


 砕けた扉が木片となって辺りに散らばる中、薄暗く先の見えない闇に目を凝らす。


『目に見える光の量を調節してやる』


 ブレウスの視界が明瞭な白黒となって、暗闇を暴く。

 暴かれた地下牢の内部は狭く、横に広がる一つの通路の左右には合わせて計八つの牢があった。

 石の冷たさと生えた苔が閉じた世界の中で繁殖を繰り返しているだけだった。どこから入って来たのか、ネズミがブレウスに気付き彼果てた小さな排水溝へと姿を消した。


 誰一人も居ない、城に侵入したブレウスの徒労を嗤う静寂だけが辺りを包んでいる。


『ブレウス、城の地下牢はここだけか?』

「そうだよここだけだ……」

『別の所に幽閉されたか』

「――黒竜、少し黙ってくれ。変な音がした」


 素直に黒竜が押し黙り、ブレウスが自身の聴覚に意識を集中させる。

 ――微かにだけど、風の音がする。どこだ、一体どこから。

 シルヴィアに繋がるかもしれない、か細い糸をブレウスは懸命に手繰り寄せる。

 物音を立てないように歩を進ませながら、音の原因が近づいて来る方向へ一歩一歩と踏みしめて行く。


 そして、一箇所の牢の前に辿り着いた。

 錆び切った格子を強引に外すと、壁へと駆け込み入念に探っていく。

 すると壁の隙間から確かに風が流れ込んでいた。


『いいか、坊主。こう言う露骨に怪しい時こそ慎重に周りをだな』

「ふんっ」


 短い掛け声と共に目の前の壁がブレウスの拳に打ち砕かれる。

 白黒の視界から積年した土埃と撃砕された壁の破片がブレウスの視界を覆うが、風の流れと共に去って行くと目の前には更に地下へと続く階段が出現していた。


『よーし、道は拓けたな! それじゃ、あからさまに何か在りそうなこの道を行くか!!』


 何かを諦め悟った黒竜が開き直った態度で、ブレウスに地下へと続く道を促す。

 明瞭になった白黒の視界でも階段の奥まで見渡す事が出来ない。それほど深い階段だった。


 流れ込んでくる風が黒騎士のマントをなびかせ、地下へと誘っていく。

 ブレウスはなびいたマントを一度だけ手で払うと、臆する事無く深淵へと続く石段を踏み込んだ。




 オルガは、ガーボンと名乗るオークの冒険者と共に、露店の賑わいのある表通りから大分離れた通りへと辿り着いていた。

 オークと獣人が珍しいのか、近隣の住民らしき僅かな人々がそれとなく注目の視線をチラチラと向けている。


 酷く気落ちしたガーボンが手にしている皮手袋を握り締めながら辺を隈無(くまな)く視線を彷徨わせるが、やはり目的のものが見当たらないのか、再び酷く落ち込んだ。


「昨日は一日中探し回ったんだが、あそこの路地裏からこれだけしか見つからなかったんだ……こんな事になるなら、夜市に行くんじゃなかった……」


 路地裏を指差しながら悲しみに打ちひしがれているガーボンが、大切な皮手袋をオルガに手渡す。

 ――さて、見つけて上げられると良いんだけどね。


 困り果てているガーボンを見捨てるのは、オルガには無理な相談であった。

 何でも同じ冒険者の相棒が、この国に来て買い物中に目を離した隙に居なくなってしまったらしいのだ。

 自由奔放な性格ではあるらしいが、勝手に遠くへ行ったり、何も言わずに一日二日と単独行動する様な人ではないらしい。


 ガーボンの激しい落ち込み振りと、ハーフ・エルフの女性と言う情報もあって考えるとそれなりに深い関係なのだろう。

 ――無事だといいなあ。


「サスキアさんって恋人なの?」

「違う……とは言わない。幼い時からの付き合いだから、お互いが隣に居るのが俺達の自然なんだ」

「そっか、よし! 任せてくれ」


 オルガは手渡された皮手袋を嗅ぎ、染み付いた匂いを覚えると同様の匂いを周囲から探る。

 木々の香りと香料が混じった女性の匂いは多少薄くなってはいるが、確かに感じ取れた。


 木で出来た細工を扱う店の玄関から、並んである民家の間にある、一人が余裕を持って通れるほどの裏路地に続いている。


「あそこのお店から出た後に、手袋が落ちてあった路地裏に入ったみたい」


 オルガはガーボンを伴いながら路地裏に通ると、ガーボンがその巨体な体を苦労しながら入り込んでくる。


「きついなら、俺が一人で路地裏を辿ってきましょうか?」

「ぬぐううぅ……すまない、何があるか解らない。危険と感じたら一目散に逃げてくれ。私はここで待つ事にする――そうだ、私の靴裏を探ってくれないか?」

「靴裏?」


 ガーボンが足を上げ、オルガが探り易い様に靴を差し向ける。

 いぶかしみながらオルガが靴底を見やると、分厚いかかとの方に何やら妙な出っ張りが生えていた。


 まさか、とオルガが驚きを口に洩らして出っ張りを力を込めて引くと、握り易い形をした棒状の物が出て来た。

 その棒から掴み上げるための突起を摘んで引くと、刃が光と共に現われた。折り畳み式のナイフだ。


「ここの警備はザルだ、本当に持ち物を検査する積りなら相手を丸裸にしなければ駄目だ」

「なんでこんな所に?」

「長旅で生きて来た知恵だ」

「そ、そっすか」


 貰ったナイフを取り出し易い様に袖下に仕込むと、オルガは匂いの追跡を再開する。

 曲がりくねった路地裏の奥へ奥へと匂いを追跡すると、今度は昼間だと言うのに再び人気が少ない通りに出た。


 匂いは更に、別の裏路地へと続いている。

 ガーボンを一旦呼ぶべきか迷ったが、切りの良い所まで探って見る事にした。

 ――これは、キナ臭くなって来たなあ。


 そもそも、この国に入って来た時点で余所者は鈴の音が鳴る札を強制的に持たされるのだ。

 武器を扱う事を制限されるが、逆に言えば常に札を持っている限り、何か身の危険が迫った時に助けを呼ぶ事も出来るのだ。

 ――それが出来なかったって事は。

 オルガは自分が村の仲間達と共に狩りをする時の鉄則を思い出す。

 獲物を決め、役割を決め、常に複数でかかる。


 ――つまり、相手は集団でサスキアさんを狙ったんだ。そんで厄介なのは、符の事を知っていて、この国に土地勘がある事か。誘拐なんて多発すれば嫌でも噂になるもんだけど、予め余所者を狙っていたら国民には広がり難いか――。

 ガーボンが困り果てながらも衛兵に声を掛けなかった理由はそこだろう。


 自分の胸の中で渦巻く疑問に焦燥感を募らせながら、オルガは更に更にと匂いの続く道筋を追って行く。

 音を立てずに走る事が出来る、自分の狩人としての経験に感謝した。

 上下に続いていた路地裏が急に下り始め、流れる水の音と鋭い嗅覚にはキツイ悪臭が近づいて来る。


 悪臭に顔をしかめながら、サスキアの匂いを必死で捜し求めると、オルガは排水路に辿り着き、城の地下水路へ続く石造りの道に一人の兵士が見張りとして突っ立て居るのを確認した。


 水路の奥から別の兵士がやって来て、見張りに声を掛ける。

 オルガは袖下のナイフを確認しながら立ち耳を立てた。


「おーい、お前もこっちに来て一緒に遊なねえか。ユンナ様から褒美でおもちゃを貰ったんだ。これが中々、楽しいぞ」

「おもちゃだあ? まだ勤務中だぜ」

「勤務中ってお前、すっかり衛兵気取りだなあ。ちょっと前には夜盗だったんだぜ、俺達」

「うるせい、けちな殺しと盗みからやっと足が洗えたんだぜ! 俺は心を入れ替えたんだよ、こんな臭い場所の見張りでもな!!」

「そうかい、ならいいよ。俺達はおもちゃを楽しみながら酒と生ハム食ってるから」

「――待て、俺も行こう。因みにおもちゃってーのは?」

「チェスだよ、チェス。牢の中に居る女に手を出してみろ。俺らが殺される」


 兵士もどきの二人が肩を組みながら地下水路の奥へと消えて行く。

 聴こえて来た会話に、オルガは予想が当たってしまった事にうんざりしながらも、急いでガーボンの元へと道を引き返した。


 ――大事になって来たなあ。


 自分がどこまで踏み込むべきか、オルガは困り果てていた。

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