暗転に墜ちる流星 ①

 身支度を済ませたオルガとブレウスが、人の活気が溢れ始めた宿屋の前で別れの挨拶を済ませていた。

 名残惜しさを隠せないオルガへ、ブレウスは命を救ってくれた友として送り出す。


「本当は直接ギルドに案内して上げたかったんだけど、すまないオルガ。君には本当に感謝してもし切れない」

「大げさだよ、ブレウス。ブレウスを助けたのは村のみんなでした事だし。むしろ俺こそ、お礼を言いたい。ブレウスのお陰で、世界が拓けた気分なんだ」


 清々しく屈託無い笑顔を浮かべるオルガは照れを隠す為に頭を掻くが、後ろから見える尾の動きは誤魔化せない。

 ブレウスの襟元の日陰から黒竜が音も無く現われる。


『ジュリアとか言う夢魔の娘はどうした? 昨晩聴こえて来た内容だと、直ぐに付いて来そうな感じだったが』

「ジュリアなら荷造りの準備してるよ。俺の準備が終ったら一緒に行くって」

「ギルドの登録を済ませたら、直ぐに発った方がいい。もしかしたら、巻き込まれるかも知れないから」


 通り過ぎる人々の雑多声の中でブレウスはこれから自分が、事を起す積りが満々である事をオルガに白状する。

 在る程度の察しはついていたのか、オルガは驚く事無くブレウスの告白を了承した。


「あいよ、詳しい事情はあえて聴かないけどさ、何か危ない予感がしたら、その直感を信じるんだ。案外馬鹿に出来ないよ」

『獣人の感覚を人間に期待すんなよ』

「じゃあ黒竜なら問題無いだろ?」

『ワシの感覚を野生動物と同じに扱うのは納得いかん』

「そう言う黒竜は俺の事を最後まで動物扱いだよね……」

「黒竜にとっては、人間と動物に隔たりは無いんだろうね」


 辛気臭さとは程遠い雑談を経て、オルガとブレウスは別れの握手を交わす。


「上手くやれよな、ブレウス!」

「オルガも、体には気をつけて」


 オルガが背を向き手を振りながら人混みの奥へと消えて行く。

 ブレウスはそれを見届けると、自身も人混みの中へと沈んで行きながら目的地を目指す。

 向う場所は城下町を一望している様にそびえ立つ竜の爪痕が残る城。


 城を目指すブレウスの表情は、帰還を果たす騎士の顔つきとしては余りにも鬼気迫る顔つきであった。


『それで、どうやって城に忍び込む積りだ?』

「取り合えず、外からの様子を確認したいんだ。騒動が起きてアーケオも駐留しているから、簡単には行かないだろうし」


 足早に人の波に逆らって行くと、道が緩やかに長い坂となり、合わせて徐々に人波が弱くなる。

 坂を登りきり城の玄関でも在る広場に辿り着く頃には、賑わう民の声は背の向こうだ。


 広場は黒竜が襲撃した際に城に次いで荒らされた場所であり、今でも修繕の為に雇われた石工と左官が大勢動き回っている。

 破砕され崩れた高い城壁の向こうにも、同じ光景が広がっており、更には城の外周をヴェロキラ兵が気力の無い足取りで巡回している。


 ブレウスは警備の厳しさを確認すると、周囲に人の気配が無い事を確認して、広場前の民家の影に身を潜めた。


「予想はしていたけど……やはり厳しいね」


 ブレウスが悔しげに口元を引き締める。

 ――やはり、夜を待つしかないのか。

 出直す事を視野に入れながら、もっと情報を集めようとより深く辺りを観察する。


 必死に打開策を模索するブレウスを尻目に、黒竜は隠れている建物の高さと、城壁の高さと距離を見比べ誰にでもなく頷いた。


『ふむ……あの高さなら、この建物の上からでも跳べるだろう。ワシの出番だな、行くぞ、坊主』

「行くぞって……黒竜、一体何をする積りなんだい?」

『坊主の体を擬似的にワシの体に造り替える』

「――はっ?」


 いとも容易く言ってのけた黒竜の言葉の意味を、ブレウスが問おうとすると、ブレウスの両手両足の先に、四つの小さな魔方陣が音も無く現われる。

 四つの小さな魔方陣は、回転を始めると白色の発光から紫の輝きへと変色して行き、ブレウスの四肢を衣服ごと指先と爪先から覆い進んで行く。覆われた先の手足が青い炎を上げて、黒く輝く泥状ものへと変質していった。

 痛みも何も感じないが、異常さだけは恐ろしい程に伝わって来る。

 突然の事に驚くブレウスだったが、声を出しては不味い事は百も承知なので、視線で黒竜へ訴えた。


『一時的なもんだから心配すんな、ワシを信じろ』


 ブレウスがその言葉に頷くと、黒竜が聴き取る事の出来ない言葉を一定の音調で繰り返し始めた。

 今度はブレウスの胴と首にも、部位の大きさに合わせたサイズで魔方陣が出現し、手足と同様にブレウスの体を変質させて行く。


 首から上へとせり上がって来る魔方陣に、ブレウスは思わず目をつぶった。


『ふーむ、鱗じゃなくて丸みのある装甲状にした方が鎧っぽくて見栄えがいいかのう……兜左右の二本角は外せんな、カッコイイし。尻尾は……止めておくか、邪魔になりそうだ。となると……体格はもっとコンパクトに……』


 黒竜が何やら凝り始めているが、ブレウスとしては一秒でも速く終るのを望むばかりだ

 挽肉を熱心に捏ね繰り回す音が止み、国竜に『出来たぞ』と普段より身近に感じる声をかけられ、ブレウスは閉じ続けていた目を開けた。


 数十秒前より自分の視線が明らかに高くなっている。

 その視線から、自分の体が見た事の無い鎧で全身を覆われている事に、ブレウスは気づいた。


 左右の手は、人の皮膚を容易に切り裂けそうな鋭く尖った爪が揃ったガントレットになっており、腕の長さも明らかに伸びている。

 足にも同様の変化があり、桃当てから鉄靴にかけて細長いのに堅牢さを印象付けられる防具に変化していた。


 心配になって自分の頭を両手で触って見ると、輪郭が明らかに人の頭ではなくなっている。

 触った感覚では騎士の兜であるアーメットと似ている事は解ったが、視界と呼吸を確保する筈の穴が何処にも無い上に何故か耳の位置には斜めに延びる角が生えていた。


 竜の意匠を凝らした鎧とマントを纏った長躯の黒騎士。

 それが現在のブレウスの姿だった。


『どうだ! ワシみたいでカッコイイだろう』

「鏡が無いから何とも言えないけど……心なしか、体が軽い……これも君の力かい?」

『そうだ。さっき言った通り、ワシの体をお前を元にして擬似的に再現したんだ。貴重な体験だぞ、噛み締めとけ』


 動かしてみる手足は、驚く事に鎧の重さを感じさせずに軽やかに動く。


『ああ、待て待て、そんなに調子に乗って振り回すと――』


 試しに姉から叩き込まれた拳を放ってみると、手足が伸びている事を忘れていたのか、民家の壁に激突してしまい、あろうことか壁の方を破砕した。


 ブレウスの手には積み木を押して崩した程度の感触しかなかったが、舞う粉塵が働いた力の大きさを物語る。

 自分のした事に、今は無い目を丸くさせるブレウスは呆然として砕いた壁の向こうを見詰める。

 幸運な事に住人は出払っている様だ。


『……その砕いた壁の欠片持ってこの民家の屋根に上がるぞ……』

「あ、ああ」


 ブレウスは砕いた壁の一部を手にして、足先の尖った先端を壁に突き立てた。

 両足を同じ高さに突き立て姿勢を安定させると、今度は空いている片手を壁に突き立て、片足を今より高い位置に刺し込む。

 それを交互に繰り返し、六回目で屋根に手が届いた。


「姿勢は低く?」

『そうだ』


 黒竜から確認を取ると、慎重に屋根へと身を上がらせ、体を伏せる。

 城壁上部には、歩廊と一定間隔で設けられている胸壁の上にアーケオの軽装備を身に付けた兵隊が監視の目を光らせていた。


「……内部の警備をアーケオがしているのか……」

『こりゃもう、実質的に支配されてるようだな。……悲しいか?』

「あまりいい気分ではないね、それだけだけど……」


 ブレウスが片手で抱えていた壁の欠片を手の中で遊ばせて砕いた。


『その破片をお前の目から見て、右から三番目にある胸壁に思いっきりぶつけろ。んで、その隙に左端にある城壁の向こう側目掛けて跳べ。後は俺がやってやるから、お前は跳ぶ事を躊躇うなよ』

「解った」


 黒竜の指示を受けて、投げるべき目標の方向を見定める。

 すると、視界が急に狭まりながら目標の方向を拡大させ、精度の良い望遠鏡を覗き込んだ状態へとブレウスが導かれる。


『どうだ、これなら狙い易いだろう』

「在り難いけど、これからは一言欲しいな。心臓が持たない」

『気をつけよう』


 ブレウスは身を伏せたままでの姿勢で、壁の破片を西の胸壁目掛けて横手投げで振りかぶった。

 すかさずに身を立ち上げ、警備が呆け顔で突っ立ている反対側の胸壁へと、思い切り良く屋根を踏みつける。

 踏みしめた足の反動が、今までに感じた事の無い膂力になってブレウスの体に帰り、大きな一歩へと変った。

 投げられた破片が盛大に爆ぜた音がブレウスの耳に届き、突然の事で動揺する声も遅れて聴こえて来る。

 逸る気持ちに急かされ、全ての流れがブレウスの意識よりワンテンポ遅れていく。


 目の前の警備が視線を砕けた音の方へと向けた。

 踏みしめた足が屋根の終わりに到達し、身を大きく屈めると、それをバネにしてブレウスは跳ぶ。

 誰にも見咎められる事の無い刹那の意識の穴の中、長躯の黒騎士が屋根から城の城壁の向こうへと大跳躍を果たす。


「――――っっ!」

『よっし、後は任せろ!』


 勢い良く跳ねたブレウスの体が空中から城の下中庭へと落下して行く最中、背に付けていたマントが影になって揺らめき、大きな蝙蝠の翼へと変貌を遂げる。

 大きな蝙蝠の翼はその身を拡げると、黒騎士の急落下を重量のある滑空へと変化させた。


 近づいて来た下中庭の地面に足をつけ、殺しきれない体の勢いを身を前転させる事で受け流す。

 巻き上がる砂埃が掻き消えぬ内にブレウスは手近な樹へと急いで身を潜り込ませた。


『上手く行ったな』


 ご機嫌な黒竜の声が響いてくるがブレウスは乱れた気持ちを沈める事に集中を続けていた。

 精一杯の抵抗としてブレウスは言葉を搾り出す。


「……シルヴィアに、良い土産話が出来たね……」

『んじゃ、城の中へ行くとするか』

「ああ、速くシルヴィアを迎えに行かないと」


 黒騎士が影に溶け込む様に城の闇へと潜行を始めた。




「……思ってたより小さいな」


 オルガはブレウスに教えて貰った道の通りに進み、無事にギルド商会の方へと辿り着いていた。

 ギルド商会とは各地域の貴族、有力な商人と行商人達が手を結んで発足した組織だ。


 交易を取り締まる事が主な仕事だが、登録した冒険者や旅人達に日雇いの仕事や未開拓地域への依頼なども斡旋している。

 一度ギルドに登録を済ませ、発行所と魔術による識別を掘り込まれた印を発行して貰えれば、他の地域でのギルドで仕事を請け負う事が出来る。

 冒険者を志すオルガにとっては、ギルドへの登録は最初にやっておくべき事だった。


 予想よりは、やや手狭で貧相な内装だったが人の活気には溢れている施設の中で、オルガは受付らしき場所へと向って行く。


 向ってくるオルガに気づいたのか、受付の中で書類作業をしていた中年の男性が傷痕の残る皺を歪めて、人の良い笑顔でオルガへと手で挨拶を交わす。


「見ない顔だね、もしかして登録に来たのかい?」


 自分の予定を言い当てられた事に驚いたオルガは男性の洞察力に感心しながら立ち耳を揺らす。


「当たりです、なんで解ったんですか?」

「顔に書いてあるからさ。君みたいな若くて今にもどこかへ飛び出したそうにうずうずしている顔は、だいたい冒険者を志してるやつだ」


 受付の男性が受付台の下へ手を入れると慣れた手つきで、魔法陣が掘り込まれた正方形に加工された石灰岩の板を取り出した。

 オルガの手を乗せてしまえば、すっぽりと収まりそうな大きさだ。


「これに手を乗せるんだ。結構熱くなるから、気をつけてくれ」

「は、っはい……」


 恐る恐るでオルガが手を石の上に乗せると、魔法陣が赤色に輝き載せたオルガの手から焼ける様な熱さが伝わって来る。

 痛みに顔を顰めるオルガを、中年の男性は懐かしみながら見守る。


「実際に火傷をしている訳じゃないから、終るまで何とか我慢してくれ。魔法陣が神経に刺激を与えているのさ」

「も、もうちょっと人に優しい方法は無い、のお?」


 痛みに顔を七変化させるオルガだったが、魔法陣からは手を離すまいと空いた方の片手で押さえ付けている。


「アーケオの方だと、無痛で済む魔法陣が作られたらしいが、ここにはまだ普及してねえなあ」

「そ、そですか」


 言外で我慢しろと言われたオルガの手の苦痛は、魔法陣の光が弱まるほどに引いて行く。

 光が収まり切ると我慢していた手を離し、受付の男性は朗らかに笑いながらその石を受け取った。


「よし、よく我慢したな。この石を使って明日には君専用のギルド印が出来るだろう」

「や、やった……」


 オルガは妙な感覚が残ったままの手を振りながら、自分が冒険者としての第一歩を踏めた事を実感する。


「代金は73ぺティだから、忘れるなよ」

「えっ!? 金取るの!」

「当たり前だろう、石の代金と加工費だ……君、まさか金が掛かる事を知らなかったのか」


 オルガは困り果てた犬の顔で頷くと、受付の男性が頭をがっくりと落とす。

 オルガへ教える様にギルドの壁へ向って指を向けた。

 向けられた指先には、小さな雑用や日雇いの肉体労働、近隣に生息する獣狩りを依頼した書状が貼り付けられている。


「そっちの仕事なら、登録してなくても受けれるから、そこから稼いで来い。印はちゃんと置いといてやるから、なるべく速めにな」

「お、おっちゃん、ありがとう」

「まあ、駆け出しらしく、程ほどの苦労を楽しんでな」

「うん!」


 依頼のある壁へと突撃の勢いで駆けて行くオルガだったが目の前に突如、緑の壁が現われて勢いよくそこにぶつかって尻餅をついてしまう。


「あ痛たたたぁ」


 ぶつけた鼻先を手で庇いながら、今日は良く痛い想いをするなと目の前に急に生えて来た緑の壁を見上げる。

 すると、目の前には思いつめ血走った眼でオルガを睨むオークがいた。


 天賦の才と幾重もの戦いで鍛え抜かれたであろう傷だらけの体は、大きく呼吸を乱して揺れ動き念願の獲物を捕らえた様な手つきで唖然としているオルガの両肩に巨大な手をかける。


 突然の事に誰もが息を飲んで見守る中、原因であるオークが血走った眼を泣き縋る子供へと変えてをオルガへ頼み込んだ。


「君は獣人だな!? 頼む、俺と一緒にサスキアを探してくれ!!」


 悲痛なオークのくぐもった叫び声が、ギルドの内部で木霊した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る