生きる意味について

タイトルが臭い。臭い。調子にのった中学生や高校生の汗のにおいがする。リア垢で意味深なツイートをするJKが見える。しかし許してほしい。特に書くことがみつからなかったのだ。思いついたことはどんどん書け、勢いが大事だと名だたる専業作家達も言っている。多分。


電車に一人で乗っているときなど、「生きる意味とは?」という問いが、何故か分からないが何度も頭に浮かんでくる。高校生になって自意識が肥大したからだろうか。しかしそれについて本を読んだり他人と話したりする訳ではないので答えはいつも同じである。問いが浮かんだ2秒後にはいつも心の中でそれを叫んでいる。それは日蓮が他宗を激しく攻撃した様によく似ている。


「そんなもんあるわけ無いだろ!それぞれの人間で考えて意味付けするしかないんだボケ!!」


そうすると問いを投げ掛けた自分は消える。すすすすすすーーっっと消える。必ずまた後で襲撃してくる悪役のように消える。事実、山手線で問いを倒した後に、乗り換えた常磐線でまた現れたりする。私はこのようにして一日に何度も同じ敵を倒している。ループ物の主人公みたいだ。


時と共に問いは変わってくるかもしれない。もっとこじらせた問いになる可能性もある。「愛とは?」「人間とは?」「ハゲを回避するには?」最後は無理だ。遺伝子には抗えぬ。ああ、泣きながら頭皮に育毛剤を塗る己が見える。なんと哀しく侘しいことか。諸行無常おごれる者も久しからず。「そんな醜い姿になってまで生きる意味はあるのか?」死ぬことができないなら醜くても生きてくしかないのかもよ多分。


「生きる意味」への答えは年齢を経るにつれて変わるのだろうか。その時々の人生経験によって、色々なことに対する自分の考え方もきっと変わっていく。10代で得られる経験は少なく、視野は狭い。それ相応の答えしかだせないように思える。今の自分と40代の自分、70代の自分とでは違う答えが返ってくるのだろうか。もしかしたら彼らは結婚して家庭をもっているかもしれない。それは他人の為に生きるということだから、自らの為にしか生きていない自分とはものの見方が違うのは当然だ。結婚すれば男は変わるというけども、そりゃそうだ。変わらざるを得ない。なんにせよ40代70代の自分の髪が薄いことになっているのは必至である。


17才の自分の考えに戻ろう。生物として産まれたからには、やるべきことは自らの遺伝子を遺すことだろう。遺伝子存続子孫繁栄、つまりは子作りである。しかしそれが人生の目的で意味なのかと考えるときっと違う。少なくとももうちょっと高尚な感じであってほしい。肉欲に生きる人もそりゃいるだろうけども。 


結局自分の人生なんだから、自分のやりたいことをやりたいようにやるべきなのではないか。敢えて言えば、自らの考える幸福の追求といったところか。そこには自らの考えがあるべきだ。他の人の言いなりになってはいけない気がする。他の人の考えに同意して、それを真似しようというのは別にいいと思う。それを一度受け止めて、じっくりと考えた上で出した結論ならば。「やりたいこと」というのは即ち幸福に思えることだ。それがある人は楽しんでればいい。それが無くても、だらだらぷらぷらと生きてればいいと思う。だらだらぷらぷらが幸せなのかも。


長々と、当たり前だったり意味わからん下らない文を書いてしまった。頭の悪い人間がカクヨムをやるとこうなるといういい見本だ。読んでくれたあなたの人生の時間を奪ってしまいすみません。私の為に時間を使ってくれてありがとう。でもそれが私の感じる幸福の内の一つです。まんまと術中にはまりましたね。ではごきげんよう。さようなら。(すすすすすすーーっっと消える。)

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