第十話 緊急事態 2/6

 謁見の部屋に現れたティルトール側のいわゆる三人の客人を見て、ノッダ政府の面々はそれぞれの驚きを隠さなかった。

 トルマとシュクルはニームに対して、それ以外の面々は、主に銀髪のアルヴィンに対して動揺していた。

 言い換えるなら、ノッダ側の全員がエイルに対しては驚きと言うよりも物珍しさ、つまり好奇心の方が大きかったと言うことである。


「えー、こほん」

 会見はティルトール・クレムラートの咳払いを合図に始まった。

 最初に口を開いたのは大賢者ニーム・タ=タンであった。三名の紹介をしようとしたティルトールを制すると、一歩前に出て、杖セ=レステを取りだして見せた。

 ノッダ側から小さなどよめきが上がったが、ニームはそれを無視して一通りの参加者を見渡した後、こう切り出した。

「今回の会談だが、あらゆる記録についてはこれを一切遠慮願おう」

 当然のように記録の用意をしていたシュクルは、あからさまに顔をしかめてみせた。その様子を見たニームは声色を変え、重ねて注意した。

「スリーズ殿の気持はわかるが、記録が残されてはこの後の私の立場が危うくなる可能性が高い。そして正確な既述をすればするほど、余よりもむしろノッダ政府にとって不利な材料と化してゆくだろう」

 そう言ってニームはわざとらしく視線をテンリーゼンに移した。


「確かに」

 小さなため息とともにうなずいたシュクルは、トルマに進言した。

「『助言』は素直に受けた方が良さそうです。どうやら『そういうお話』のようですから」

 彼をしてどう考えてもニームの言うことが正しい、いや正しいかどうかはこの際どうでも良い。問題はそこではなく、この場での最良の方策はそれしかないのだと納得する他はなかったのである。


 トルマはうなずくとイエナ三世に伺いを立てるべく視線を移した。

「承知しました」

 イエナ三世はうなずくと臣下達に向かい、日記、反古の類を含め、この場での出来事は記録する事を一切禁じると「女王の名に於いて」宣言した。

 ニームは満足げにうなずくと、杖をトンっと床に当てて乾いた音を出した。

「念のために、たった今この船室に声漏れがしない結界ルーンを施した。これでクレムラート将軍が声を出しても問題なかろう」

「船上で、ルーンだと?」

 思わず反応したのはリーンだった。

 ニームは声を出したアンセルメ中尉に顔を向けると、ゆったりとした話し方で自己紹介をして見せた。


「申し遅れた。余はマーリン正教会賢者会所属、大賢者【天色の楔(あまあいろのくさび)】である。すなわち凡百のルーナーの常識を余に当てはめる事なかれ」

 叱責されたわけではないのだが、リーンは思わず頭を下げた。

「これは大変失礼な事を口にしてしまいました」

 ニームはそれに対して鷹揚にうなずくと、そのまま自分達、つまりエイルとテンリーゼンの紹介をした。

 エイルの事は「炎精、炎のエレメンタル」、そしてテンリーゼンの事はこう紹介した。

「銀髪のアルヴィンは、今は亡きカラティア朝シルフィード王国、王太女エルネスティーネ・カラティアの実姉である」

 これにはノッダ側の全員が騒然とした。既にテンリーゼンの事を知っているシュクルとトルマでさえ、まさかこうあからさまに紹介されるとは思っていなかったのだ。

 他の面々は、話を聞いていたとは言え、改めて事実を突きつけられる事による衝撃が大きい事を思い知った。

「確かに、これは記録などとれるはずもない」

 ガルフはそういうと唸った。


「本物だという証拠はいかに?」

 衝撃が一同を突き抜けた後、一人の幕僚が発言した。

 またしてもコナー・インクラインである。

 彼は女王側(そば)付きの幕僚に取り立てられた際、対価、いやむしろ人質と言ったほうがいいかもしれないが、ともかく自国の中枢に起こっている真実を聞かされていた。だが真実だと聞かされてもなお、それが事実であると納得していたわけではなかったのだ。それに何より、いきなり現れた得体も知れぬアルヴィンを、元王女の実姉だといきなり紹介されて何も疑問を呈さない自国の幕僚達の態度こそ、絶対におかしいと思っていた。


「そう、証拠だ。不躾を承知で申し上げる。証拠を見せていただきたい」

 実の所コナーは、ニームすらも本物の賢者であるとは信じられなかった。だいたい、杖で床を一度突いただけ、それも船上でである。それで結界を張ったと主張するなど、彼にとっては納得などできないことなのだ。

 しかしニームは特に表情を変えなかった。コナーの問いかけに対して、わかったと言うようにうなずいて見せた。


「我々が怪しすぎて信じられないから、先に証拠を見せろ、話はそれだからだ、と言っているぞ、リーゼよ」

 コナーと視線を交わしていたニームはしかし直接コナーには答えず、横合いのテンリーゼンにそう言った。

 いきなり話を振られたテンリーゼンだが、慌てることもなく小さくうなずくと、自身でコナーに呼びかけた。

「インクライン大……いや、今は少将か」

 テンリーゼンは軍服の階級章を確認してコナーを少将と呼んだ。彼女の記憶ではコナー・インクラインは大佐だったのだろう。

 コナーはそんなテンリーゼンの態度から、相手は少なくとも自分の事を知っている、つまり軍属であろうということは納得した。つまり最初の一声でテンリーゼンはコナーからある程度の信憑性を得ることに成功したと言える。それがわざと言い間違うという、つまりテンリーゼンの戦術であったのかどうかなど、もちろん誰も知る由もないことである。ただエイルはそう確信していた。なぜならテンリーゼンは長いあいだずっと「あの」アプリリアージェと行動をともにしていたのだから。


「ノッダ遷都の際の戦功に加え、陛下の近衛幕僚抜擢ということで出世しおったのだ」

 呼びかけられたコナーが口を開く前に、ガルフがテンリーゼンの態度を見てそう説明した。

 テンリーゼンはうなずくと、改めてコナーに呼びかけた。

「インクライン少将」

「は」

「確認するが、私が本物かどうかを、疑って、いるのだな?」


 そう問われたインクラインは、その時になって初めてテンリーゼンの姿形をまじまじと観察する事になった。自分をじっと見つめる銀髪のアルヴィンの顔は、確かに女王イエナ三世に似ていた。これが一般の人間であれば二人は姉妹だと言われればそうかと納得するところである。

 だが……。

「おそれながら疑っているという言い方にはいささか誤謬がございます。小官は疑っているのではなく、納得がしたいのです」

「ふむ。そのために、証拠が欲しい、と?」

「御意にございます」

 テンリーゼンの問いにコナーは深く頷いた。


「そうだな」

 少しの間思案するように目を伏せたテンリーゼンだったが、ゆっくりと顔を上げると再びコナーに向き合った。

「こちらとしても、証拠を提示したいのは、やまやまだが、それぞれの出自関する紙に書いた、証明書を誰もが持っているわけでも、なし。ならば私がネスティ……エルネスティーネの姉かどうかは、お前がいただく女王に直接聞けば納得できるのでは、ないか」

「え?」

 さすがにこれにはコナーも不意を突かれたようで、反射的にイエナ三世の方に顔を向けた。

 そこには穏やかな微笑を浮かべたイエナ三世がいた。


「エリーの、エルネスティーネ様の双子の姉上に間違いありませんよ、インクライン少将。それは私が保証します」

 イエナ三世は問われる前にコナーに向かってそう即答すると、優雅な仕草で体の向きを変え、テンリーゼンに深々と頭を下げた。

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